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 和希と秀一が知り合ってから半年が経った高等部二年の四月、ある事件が起きたのだった。


 秀一は旭井学園に付属する男子寮に住んでいたが、その男子寮はもちろん旭井学園が管理する寄宿舎である。勉学にふさわしくない物を生徒が室内に持ち込んでいないか、ときおり抜き打ちで持ち物検査が行われる。


 検査が入る時間帯は平日の夜が多く、全部で五十ある個室のいくつかの扉がノックされる。持ち物検査は寮の住人にとって恐怖のイベントといって差し支えないが、しかし生徒のプライバシーを徹底して暴くような性質のものではなかった。見回りは生徒指導部の教師が持ち回りで担当しているのだが、全員が全員、血も涙もない鬼教師ばかりではない。


 テレビや据え置き型のゲーム機など、持ち込み禁止リストに挙げられている代物が、室内を見渡しただけで発見できるような状態で置いている場合は没収されても文句は言えないが、わざわざ机の引き出しやクローゼットの中までチェックされる場合は、ごく一部の教師を除けば皆無だった。スマホや携帯型のゲーム機を隠すのは難しいことではない。「次は何日に持ち物検査がありそうだ」という寮内ネットワークに注意を払ってさえいれば、持ち物没収の憂き目にあうことはまずなかった。




 しかしある日、不運な男子生徒に災難が降りかかる。まだ日も暮れていない夕方、生徒指導部の教師の中でも最も恐れられる日本史教師の馬場大徳が寮に出現したのである。


 馬場はこの日、二つの個室を検査した。一つ目の部屋は不破秀一の個室だった。ここでは馬場はざっと見渡して異常なしと判断したのか、せいぜい凄みを利かせる程度で済んだものの、二つ目にノックした個室がまずかった。その住人は施錠もしないままベッドで昼寝をこいていた。一冊のエロ本を脇に抱えて、である。


 旭井学園で硬式野球部の顧問を務める馬場大徳は、学生時代には柔道でならした巨漢である。親から授かった「大徳」という名を誇りに思うあまり、猛り狂った正義感を背負ってしまった悲しき男は曲がったことが許せなかった。


 まぬけ面で布団にくるまる男子生徒を文字通りたたき起こし、掛布団を引きはがす。すわ敵襲かと今さらながら男子生徒が飛び起きる、するとさらにその下からエロ本が顔をのぞかせるからまたいけない。油を注がれた馬場の怒りの炎は瞬く間に燃え上がり、男子生徒は廊下に正座をさせられ一時間あまり説教を浴びせられることになった。


 今日はこれから学校で会議があるとかで馬場が寮を去るまで、寮の隅々まで馬場の怒声が響いていたが、なかでも去り際に発した馬場の言葉は、その時に寮にいたおそらくすべての男子生徒の肝を冷やした。


「今日はここまでにしておいてやるが、明日は全員、持ち物検査だからな!」


 その日の夜は大騒ぎだった。始めのうちは件の男子生徒をからかいながらも気遣う姿勢を見せていた仲間たちだが、馬場の「明日は全員、持ち物検査だからな!」のセリフの持つ意味がだんだんわかってくると顔色は急速に青ざめていった。


「おい、どうしてくれんだ!」

「お前のヘマで俺の部屋までガサ入れだ!」

「あの鬼馬場の様子じゃあ、引き出しまでひっくり返されかねんぞ!」

「知るかよ! こんな早い時間に鬼馬場が見回りに来るなんて、俺は聞いてねええええ!」


一時はもみくちゃのケンカに発展したが、一息つくとそれぞれ自室へ持ち物の整理にあわてて取り掛かった。その時、ある意味で鋭い指摘をした者がいた。


「みんな聞いてくれ! 鬼馬場は、最初に検査した不破の部屋はスルーしたぞ! 不破の部屋はもう検査をパスしたことだし、明日は不破の部屋は検査しないんじゃないか? ヤバいモノは不破の部屋に隠しとこう!」


「おお!」

「なるほど!」

「それはいいアイデアだ!」

「なんでだよ!? お前ら落ち着け!」


 不破の叫びもむなしく、不破の個室めがけて寮の仲間たちがわんさと押し掛けた。テレビやパソコン、ビデオカメラ。各種ゲーム機、麻雀セット、カードゲーム。炊飯器、湯沸かし器、コーヒーサーバー。いかがわしい雑誌やDVD。持ち込み禁止の物品があちこちの部屋から次々に不破の部屋へと運び込まれた。


「ちょっと待てえー! あのなあ、相手はあの鬼馬場だぞ? あの鬼馬場が、『明日は全員、持ち物検査』と言ったんだぞ? 『全員、持ち物検査』ってことは、俺の部屋も含めた全個室の徹底調査をするってことだろ!? 今日、俺の部屋はほとんど一瞥されるだけで済んだ! 引き出しもクローゼットも触れられてすらいない! もっとよく調べておくべきだったと思い直して俺の部屋がひっくり返される可能性は充分にある!」


「いわれてみれば……」

「そうかもしれないな……」

「あの鬼馬場ならやりかねん……」


「もちろん鬼馬場が俺の部屋に来ない可能性だってなくはないが、入ってこられたら一発でアウトだぞ! 間違いなく全部没収されるぞ! 一網打尽だぞ!? 別に俺だって仲間を売りたいと思ってるわけじゃないが、もし鬼馬場に絞られたら十中八九まずゲロるからな!? そしたら連帯責任とやらで、みんな仲良く停学処分になっちまうぜ!? それでいいのか!?」


「ダメだ!」

「それは困る!」

「打つ手はないのか!」


 結局、寮の仲間たちは不破の部屋に荷物を押し込むという方策は断念した。代わりに隠せそうな場所を寮の中に探し始めたが、そもそも旭井学園が管理する寄宿舎たる寮の内部に生徒たちだけが自由に使用できるスペースなどというものは皆無に等しく、この作戦もすぐに頓挫した。そこでひねり出されたのが、寮の外に隠すという案だった。つまり、没収される恐れがある物品を、寮に住んでいない友人に頼んでその家で預かってもらうというものだ。すでに外は日が暮れて街灯が薄闇を照らす時間帯になっている。


 馬場は『明日』と言ったが、気が変わって今現在校舎のどこかで行われている会議が終わり次第、再び襲来しないとも限らず、実際のところ時間的な猶予がどの程度残されているのかも確たることは何も言えない。


 目に見えないタイムリミットが刻一刻と迫る中、寮外の友人宅に預ける以上のアイデアは出ず、寮の仲間たちは各人の友人を頼り、ある者は電話やLINEで打診し、ある者は小細工無用とばかりに通学鞄にゲーム機とモニターを突っこんで友人宅めがけて出撃した。秀一もその例外ではない。もともと秀一自身は没収対象となるような物をあまり部屋にため込んではいなかったのだが、どさくさに紛れて秀一の部屋にブツを投棄した輩もいたらしく、秀一はため息をつきながらも寮外の友人たちに物品を預けるために奔走した。


 そしてこの夜、和希は秀一に河川敷の公園まで呼び出されるのである。

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