「ブラックブック」 監督:ポール・バーホーベン 前編

 上映時間144分。


 「ロボコップ」やアーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トータル・リコール」、シャロン・ストーンの名を世界に知らしめた「氷の微笑み」などのヒット作をハリウッドで連発した後、23年ぶりに監督が母国オランダで撮った、渾身こんしんの一作です。


 2006年のヴェネチア国際映画祭で、ワールドプレミア上映されました。

 アカデミー賞の、外国語映画賞オランダ代表作品でもあります。


 この映画は、当時のオランダでは史上最高額の25億円で製作されて、歴代興行収入1位を叩き出しました。

 長年、オランダでは常識だった『ナチスは悪で、レジスタンスは善』という常識を、くつがえした作品だからです。


 果たして、善悪とは何なのか。

 善のがわにいれば、何をしてもゆるされるのか。悪のがわにいれば、何をされてもいいのか。

 タイトルになっている、ブラックブックとは何なのか。


 この映画の主役は、ラヘル・シュタインというユダヤ人女性です。彼女のまたの名は、エリス・デ・フリース。


 ラヘル(Rachel)という名は、英語名にするとレイチェル。

 アメリカのスラングで、ユダヤ人の女を意味します。

 ユダヤ人の宗教語、またイスラエルの公用語でもあるヘブライ語では、子羊や無邪気な人、柔和な人といった意味を持ちます。



 物語の始まりは、1956年のイスラエル。

 オランダからの観光客女性が、集団農場を訪れるところから始まります。

 快活な彼女が何気なく、小さな小学校の教室を窓から覗くと、授業をしている女性の顔にどうも見覚えがある。その女性教師こそが、ラヘル・シュタインです。


 ラヘルと観光客の女性は、ともに三十代後半でしょうか。

 オランダ語で会話をした後、ラヘルは第二次世界大戦中のことに、思いを巡らせます。ナチス占領下のオランダを。

 

 1944年、ユダヤ人歌手のラヘルは、首都アムステルダムから南西に50キロほど離れたハーグの農場で、カトリックを信仰する一家に保護され暮らしていました。

 しかしある日、その家が、破壊されます。

 というのも、ハーグには、当時ナチスの軍事基地があったからです。


 この映画は、いくつかの実際に起きた出来事や人物をもとにして、製作されたそうです。

 監督自身も脚本にたずさわっていますが、彼は第二次世界大戦下のハーグで幼少期を過ごしています。


 「アンネの日記」の著者アンネ・フランクが、アウシュビッツに送られるまでの二年間を過ごしていたのは、アムステルダムにある隠れ家でした。

 当時、オランダには14万人のユダヤ人が暮らしていましたが、うち11万人以上が国外の絶滅収容所や強制収容所へと移送されて、戦後まで生き延びていたのはわずか6000人だそうです。


 さて、爆撃から何とか逃れたエリスですが、スマールという公証人の元を訪れて、エリスの父親が管理する財産から、一年かそこら生活できるだけの分を受け取ります。その際、エリスはスマールから、「そんなに簡単に人を信用するな」と忠告を受けます。

 これから彼女は、ナチスから解放された国の南部へ、家族と共に逃れようというのです。


 エリスに南部へ行くよう勧めてくれた、警察官のファン・ハインは、迫害されるユダヤ人に、何かと協力しています。

 ハーグでの爆撃の際に、エリスと共に温室に身をひそめたのは、近隣の農場で働いていたユダヤ人青年のロブ。

 スマールは、エリスが南部へ向かえるように、手配をしてくれます。彼は、レジスタンスの組織と連絡を取り合ってもいます。


 警察官のハインに案内されて、エリスとロブは、数十人のユダヤ人が出発を待ちかねている、人里離れた川岸の船着き場に到着します。

 ほぼ全員が、大荷物を持っている。

 両親と弟に再会したエリス。

 ロブも船に乗り込みます。


 その夜、エリスたちの乗った船は、ドイツ軍の巡視船に待ち伏せされた上、奇襲きしゅうを受けて、暗い水面に飛び込んだエリス以外の全員が、射殺されてしまいます。

 

 とっさに川に潜る前、エリスはドイツ軍の兵士が、遺体から貴重品を盗む姿を見てしまう。

 彼女は結局、占領地から脱出することは出来ませんでした。


 その後、彼女は、生活困窮者のための無料食堂を運営するヘルペン・カイパースと、ハンス・アッカーマンという射撃の名手である医師のもと、ハーグでのレジスタンス(対ドイツ抵抗運動)に身を置き、ユダヤ人だとばれないように、髪の毛だけでなく、眉毛と陰毛もブロンドに染めた上で、エリス・デ・フリースという名を使い始めます。


 ある日、カイパースの息子と他のレジスタンスが、無料食堂に武器も含む物資を届けにきたところ、ドイツ軍に物資を調べられそうになったため、抵抗し逮捕されてしまう。

 そこでカイパースは、地区の公安局(ナチ親衛隊の情報・防諜組織)本部への潜入捜査をもくろみ、美人のエリスに指示を出します。

 「ドイツ軍大尉のルートヴィヒ・ムンツェを誘惑し、情報を聞き出せ」


 というのも、エリスはムンツェと面識があったからです。

 彼女はムンツェが切手収集家だと知っていたため、事前に少なくない古い切手を用意して、彼にプレゼントします。

 大喜びするムンツェ。

 彼は、その夜に地区本部で開かれるパーティーに、エリスを誘います。


 さて、大広間でのパーティー中、エリスはギュンター・フランケンというムンツェの副官をしている男の姿を認め、内心激しく動揺します。

 でっぷりと出た腹。

 口汚く、加虐的な性格。

 だが歌はすこぶる上手い。

 その男は、エリスの家族たちが虐殺された夜、現場にいた兵士の一人だったのです。


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