「嘆きのピエタ」 監督:キム・ギドク
上映時間104分。
2012年に公開された、韓国の作品です。
この作品は、ヴェネチア国際映画祭で、最高賞である
アカデミー賞外国語映画賞の、韓国代表作品でもあります。
脚本、編集、製作も、監督自身の手によるもの。
暴力的な描写や、性描写が含まれているために、R‐15指定を受けています。
実際、かなり好みの分かれる作品だと覚悟して下さい。
というのも、主人公イ・ガンドという三十歳の男は、冷酷無比の借金取り。
債務は、三ヶ月で利息が十倍という法外なもの。
微笑みローンの社長に雇われていますが、一人で暮らすガンド自身の自宅も、決して裕福には見えない。
債務者は、家族経営の、小さな
金を回収できないと分かると、ガンドは債務者たちに怪我を負わせて、保険金をふんだくります。
わざと機械に腕を巻き込まされて、片腕が使えなくなる者。
川沿いの廃ビルに連れて行かれて、死なない程度の高さから、突き落とされる者。
そうして債務者たちは、松葉杖が必要になったり、車椅子に乗るようになったり、自殺したり。
生活が一変して、物乞いになる者や、トレーラーハウス暮らしになる者。畑の中の、ビニールハウスのような、粗末な小屋に住むようになる者も。
当然、ガンドは、大勢の債務者やその家族から、恨みを買います。
「天罰が下るわ。くず野郎」
「1000万のために、この体にしたお前を忘れない」
「お前が地獄に落ちることを祈っている」
「法律さえなければ、何百回も殺したい。車で引きずって殺したい」
こんな言葉をかけられるのは、ガンドにとって日常のこと。
そんな彼の元を、母親だと名乗る女性が訪ねてきます。五十代くらいの、中肉中背の女性が。
母親なしで生きてきたガンドが、警戒するのも無理はありません。
ですが、その女性は、
ガンドは追い出しますが、夜中に窓の外を見ると、彼女が歩道に立っている。
女性は何度も許しを乞います。
「今ごろ現れてごめん、私を許して」
「若くて怖くて捨てた」
無視して、取り立てに向かうガンドの後を、その女性がつけてきます。
廃ビルから落とされた債務者が、ガンドを
後に、ガンドは女性を信じ始めますが、母親だと証明させるために、彼女に提示した条件が、実にえげつない。かなり理不尽で、観ている者も不愉快な気分になりますが、女性は耐え抜きます。
相変わらず、ガンドに優しく接する女性。
ガンドも女性のために服を買ってきたり、彼女と手を繋いで外出するようにまでなります。
そうなってくると、ガンドは債務者からの復讐が、母に向かわないかと心配になる。
「母さんが、急に消えそうで不安。もう一人じゃ生きられない」とこぼすほどに。
ガンドが、債務者を突き落とすために使う廃墟が建つ、あの川沿いで、二人は松の木を植えます。
「私が死んだら、この木の下に埋めてね」
そんな願いを口にする母に、ガンドは本気で怒ります。
「縁起悪いこと言うな」と。
暇が出来ると、セーターを編んでいるガンドの母親。
ガンドが、今日が自分の誕生日だと知らされて、セーターを自分へのプレゼントだと思い、奪い取りますが、彼女はそれを奪い返す。それは、まだ出来上がっていないからなのか。
母に頼まれて、自分のバースデーケーキを買いに、出かけるガンド。
帰宅すると、母の姿がない。しかも、携帯は置いたまま。
ガンドは、自分の雇い主である社長のところへ向かい、「母を返して下さい」と土下座します。しかし社長は、「俺じゃない。障がい者にした奴の、誰かだろう」と。
心当たりが多すぎて、ガンドは苦悩します。
果たして、母は連れ去られたのか。
だとしたら、どの債務者に。
無事でいるだろうか。
生きているだろうか。
怪我を負わされてないだろうか。
伏線が多く、余韻の残る映画です。
貫井徳郎さんの「慟哭」や下村敦史さんの「闇に香る嘘」がお好きな方に、特にお勧めしたいです。
ところで、ピエタの意味をご存じですか?
ご存じのない方は、ぜひこの映画を鑑賞後に調べて頂きたい。鑑賞前ではなく、鑑賞後に。
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