第30話 勇者、友と語らう
「ナーオ」
その鳴き声を聞いたのは、アルフレッドが酔い覚ましに公園のベンチで風に当たっていた時だった。
「ん?」
どことなく聞き覚えがある。
鳴き声の出所を探して周囲を見回すと、ベンチの裏の茂みから小さな四足獣が顔を出している。アルフレッドの記憶にある顔とはちょっと違うが……。
「猫?」
「ナーン」
いまいち自信が持てないアルフレッドの問いに、掌に乗りそうな小さなケダモノが可愛らしく返事をした。
人間に返事してもらえたことが嬉しいのか、猫は呼びもしないのにアルフレッドの足元に近寄ってきた。
「ナオーン」
足にぐりぐり頭を押し付けてくる仔猫を抱き上げてやると、嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らして身悶えする。
「なんだか人懐っこいヤツだな。猫なんて、マトモに触ったのは先日のネコカフェぐらいなんだが……よしよし」
ふわふわ柔らかい三色まだらの毛皮を撫でると、猫はうっとりと目を細めてさらに喉の音が高鳴った。アルフレッドは知らないが、この種はニッポンでは三毛猫と呼ばれている。
「猫も意外と、人間にフレンドリーなんだな」
向こうから好意を見せて来るケダモノに、慣れていないアルフレッドは戸惑ってしまった。
アルフレッド自身はどちらかというと犬派だ。
猫は番犬にならない。貧乏な下級貴族としては、どうしても実用性があるかどうかで見てしまう。
それに加えてアルフレッドが猫に身構えてしまうのは、ミリア姫の飼い猫ディアマンテに散々いびられているから……というのもあった。
「あのクソ猫ときたら、爪を出すわ牙を出すわ……挙句の果てには世話の仕方が気に食わないとわざわざ姫の所まで不満を訴えに行くからなぁ」
魔王以前に猫にも勝てない勇者、アルフレッド。
あごの下をこするように撫でてやると、くすぐったいのか仔猫はぐにゃんぐにゃん身をよじらせた。
「……ここは嫌なのかな」
それを見てアルフレッドが触るのを止めると、刺激が停まったのに気がついた猫は小さい手をアルフレッドの指に乗せて続きを催促する。
「ナーン!」
「ん? やっぱりやるのか?」
なんだか知らないが、この猫はアルフレッドの事を気に入ったようだった。
「猫ってのは分かりにくいなあ。何を考えているのだか」
鈍感勇者が分からないのは猫の心だけではあるまい。
先ほども言ったが、アルフレッドはそもそも猫が好きではない。
だが、こうして猫のほうから無条件に懐かれてみると……。
「猫、いいかもな」
「ナウー」
チョロイン勇者、アルフレッド。
◆
酔った勢いもあってアルフレッドはしばらく、見ず知らずの猫を撫で廻すことに熱中していた。仔猫のほうも嫌がらず、
……ただ。
猫は撫でるのを止めるとすぐに目を開けて、何か訴えるようにアルフレッドを見上げてしきりに鳴いてくる。
「ふーむ、これは……」
ちょっと考えて、勇者は猫を顔の高さに持ち上げた。
「俺に何をして欲しいのか、もっと具体的に説明してくれないか?
「アーウ?」
「こう、アレだ。口に出さないと伝わらないこともあるんだぞ?」
アルフレッドが懇々と説いて聞かせるのを、仔猫はよく分からない様子で聞いている。でもやっぱり人語では答えてくれなかった。
「参ったな。こいつどう見ても子供だし、保護者は近くにいないのか?」
やっと親猫の存在を思い出したアルフレッドだが、辺りを見回してもそれらしい姿は見えない。
「まったく……親はいったいどういうつもりなんだ! いくらニッポンは治安が良いと言っても、こんな深夜に子供一人で遊びに行かせるとは危険すぎる! 追いはぎや人さらいにあったらどうする気だ!」
アルフレッドは確実にまだ酔っている。
憤慨するアルフレッドと対照的に、持ち上げられて嬉しそうな仔猫は勇者の指を舐め……はむはむと甘噛みし始めた。
延々。
ずっと。
いつまでも。
「…………もしかして、おまえ腹が減って俺のところに来たのか?」
「ナーウ」
◆
アルフレッドは酔った勢いで、この猫に飯を食わせてやることにした。
「俺の服に染み付いた焼き鳥の匂いに誘われたのかもな……それで期待したのなら、こいつには悪いことをした」
今のアルフレッドは猫にやれるようなものは何も持っていないが、その点については心配はいらない。ニッポンにはこんな真夜中でも開いている、コンビニという便利な店がある。
コンビニはすごい。こんな時間でも、生活に必要なものを何でも買えるのだ。
「ニッポンみたいに
ウラガン王国の山の中で、経営が成り立つかどうかという発想は彼にはない。
「いらっしゃいませー!」
カランカランという鐘の音とともに扉が自動で開き、店員の挨拶を聞きながらアルフレッドは眩しいくらい明るいコンビニへと入った。
アルフレッドは深夜にコンビニへ寄るたびに思うのだが……。
「コンビニって、この扉が開くたびに鐘を鳴らすのは何だろうな。店員の挨拶で歓迎の気持ちは伝わると思うんだが…… 深夜に近所迷惑じゃないのか?」
なお、センサーチャイムの無いコンビニもあります。
アルフレッドはふところでもぞもぞ動く重みを服の外から撫でた。飲食物を売る店は家畜を連れて入るのを嫌がるだろうからと、猫は上着の下に隠している。
さて、猫に何を与えるべきか。
「うーん、何を食うんだろう? こいつに聞いても答えてくれないしなあ……」
飼ったことがないから分からない。
「わりと悪食なイメージがあるが……猫の好物……アレか!」
思いついたモノを探してみるが、パッと見には見当たらなかった。
「アレは無いのかな……コンビニなら何でもそろっていると思ったのに」
アルフレッドは、補充する商品を抱えて奥から出てきた店員を呼び留めた。
「そこの君」
「はいっす。なんすか?」
「猫に買ってやりたいのだが、活きの良いネズミはどこの棚にある?」
「ねえっすよ!?」
「コンビニなのに?」
「コンビニだから!」
◆
「そうっすね、ペットフードはここの棚にしかないんすが」
店員に案内された場所には、棚一台に各種の犬猫用品が所狭しと置かれていた。餌となると、さらに半分だ。
「猫ちゃん用はこの辺りっすね」
「あー、あのカリカリとかいうヤツがこれか。缶はまぐろ、ささみ、タイにヒラメ……人間様も口に入らない物を猫に食わせるとか、贅沢させすぎじゃないか?」
「自分用より良い物を食わせたがる飼い主って多いっすからねえ」
「あー……」
「なんかそれ……分かるわー」
「ナーウ」
「このカツオジャーキーとかいうのが欲しいのか? ちょっとお高いな」
「中身が見えてるから欲しがってるんじゃないすかね」
「あ、そうか」
「ナン」
…………。
「出て来ちゃダメだ!」
「ナウー?」
◆
アルフレッドは結局、缶フードを買って店を出た。
「缶に入ったモノをお勧めされたが……この
人間用のサバ缶とかダメなのだろうか? 安くてもマヨネーズをかけるとイケると思うのだが。
公園に戻って缶を開け、つぶしたビニール袋の上に出してやる。野良でもそれが食べ物と分かるのか、仔猫は喜んでがっつき始めた。
「うむ、やはり腹が空いていたのか。そうだよな、やはり飯は基本だな」
今のアルフレッドは魔王討伐の為に旅路をさまよう戦士。きちんきちんと食事をとる大切さは身に染みて知っている。だから時々飯を省いてでも先を急ごうとする
時間が遅くなって街行く人の数はさらに減ったが、ニッポンの夜は相変わらず明るい。気持ちの良い夜風に吹かれ、夢中で食べる猫を撫でながらアルフレッドは目を細めた。
「いいなあ、この景色。活気のある昼間も良いが、無人の夜もオツなものじゃないか」
ニッポンの立派な街並みに、アルフレッド一人だけ。
こういう景色を見ながら猫を
なのでアルフレッドも、猫のお相伴にあずかることにした。
「コンビニは刺身とか売っていないのが残念だけどな」
生モノはあんまり置かない方針らしく、残念ながら新鮮な魚介類は見たことがない。なので今日は肉尽くし。
売れ残っていたフライドチキンとフライドポテトのコンビ。
サラミとかカルパスとか呼ばれてるドライソーセージ。
そして最近覚えた……。
「こんな良い物がまだ隠れているんだから、ニッポンは奥深いよなあ」
店員に温めてもらった冷凍ハンバーグ。
モノが肉尽くしだけに、酒の方も今回はワインにしてみた。
アルフレッドは棚に並んでいる中で一番安かった、赤ワインのフルボトルを開ける。今までウラガン王国にもある物はまたいで通っていたアルフレッドだが、同じものでも出来映えがまるで違うと思い知らされたのだ。
「このけっこう大きなビンのワイン、値段が五百円しないのにウラガンの物より雑味が無いんだよな。ニッポンより我が国のほうが飲む機会が多いのに、技術で後れを取るとは……栓もコルクじゃなくて回すだけで良いヤツだし」
なお、彼が今開けたのはチリ産ワイン。
ドライソーセージはあとでちびちび食べる補欠の位置づけで、アルフレッドはまずはアツアツのハンバーグに手を付けた。
「っくー……、なんてジューシーな! ステーキよりも肉々しい!」
スープに入れる肉団子と違って、肉のエキスが流れ出ることなく団子の中に留まっている。だからみずみずしい。そして肉を食ってる感じがする。
そこへこざっぱりした味わいのニッポンワイン(赤)を。
「うーん、なんて表現すれば良いのか分からないけど……このハンバーグって料理には、ニッポン酒よりワインが合う気がするんだよな」
アルフレッドは“洋食”と“和食”の違いをついに理解した。
ハンバーグを一気に片付けるのももったいないので、合間に
こちらはカウンターの保温器に長時間入っていたせいか、少しクタッとしているが……。
「出来立てを喰うのも良いんだが、こういうしんなりしているのも悪くない。敢えて難点を言えば……こいつらにはワインよりビールだな」
次回の反省点としておこう。
酒に関してはやればできる子・アルフレッドは、心のメモ帳に大事なことを書き留めた。
人通りの絶えた中でも煌々と明かりを灯すニッポンの大都市に、アルフレッドと猫は二人きり。
まるで街を独り占めしたような不思議な空間を見ながら、アルフレッドはしみじみ思う。
「うちの世界じゃ、こんな経験もできないからな。やはり神に願って良かった」
感慨にふける勇者の膝に前足をかけ、仔猫が一声鳴いた。アルフレッドを見上げながら、しきりに口元を拭っている。
「お、食べ終えたか。どうだ、満腹したか?」
「ナウー」
猫は満足したらしく、膝をよじ登ってきてあぐらをかいた足の中にすっぽり収まって丸くなる。
「ナーン!」
「よしよし、おまえもくつろぎたいか」
猫はすっかり懐いてしまい、アルフレッドのひざで寝るつもりのようだ。ゆっくり撫でてやりながら、アルフレッドもちびちびワインをあおった。
「起こすのもかわいそうだな。こいつが起きるまでは一緒にいてやれないが……二人ここで朝を迎えるとするか」
かわいい仔猫と夜が更けるまで、酒を酌み交わすのも悪くない。
実は今日の勇者、呑み過ぎと猫の飯(プラス二度目の晩酌)で
◆
「おい、こら、アルフレッド! おまえはいつまで寝ているつもりだ!」
バーバラに叩き起こされ、アルフレッドはハッと目が覚めた。
すでに旅装を整えたパーティの仲間が、寝こけているアルフレッドを囲んでいる。安息日も終わったので正々堂々部屋に押し入ってきたようだ。禁止事項でなければOKというのは、ちょっと淑女のマナーとしてはいかがなものかと思う。
「うおっ、寝過ごしたか!」
「寝過ごしたか? じゃないぞ。きさま、姫様さえすでに出発できるというのに……!」
「五十数える間に支度ができなかったら次の稽古は覚悟しろよ!? 反省しているのか!?」
「分かってる、バーバラ! 反省しているから!」
もちろんアルフレッドも深く反省している。
(
って、ところを。
反省の方向性がおかしい勇者だが、今はとにかく出発準備だ。
急いで支度しようと慌ててベッドから飛び降り……かけたら。
跳ね上げた毛布の下から、小さなケダモノがひょっこり顔を出した。
「ナーウ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
押し黙って自分に注目する周囲をグルっと見回すと、白黒茶の毛を持つ生き物はもう一声甲高く鳴いた。
「ンナーウ!」
そして硬直しているアルフレッドのごつごつした手に一生懸命頭をこすりつける。朝飯が欲しいのだ。
昨晩打ち解けた勇者はその意図を理解できたが……。
「…………おいアルフレッド。これはなんだ?」
地獄の底から響くような、バーバラの詰問の声。
ちょっと今は、彼の要望を叶えてあげられそうになかった。
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