第25話 勇者、秘術を習う

 アルフレッドは箸先にひっかけたをしげしげと眺め、観察が終わると左手に持った陶器のコップへ沈めてみた。

 ニッポン料理に特有の、魚の香りがする黒い汁。その中を極太で純白の紐が泳ぐさまは、見た目に涼やかで美しい。アルフレッドはそれをもう一度箸で引き上げると、軽く水気を切って自分の口へと運んだ。

「ふーむ……」


 魚のダシかつおぶしの強い香り。

 醤油に何か甘いものを混ぜた、甘じょっぱいけど優しい味わい。

 そしてラーメンや蕎麦とは全然違う、太い紐のモチモチプツッと力強くも潔い歯ごたえ。


 それらの食感が一気に押し寄せ、舌を楽しませて……ゴクンとやると、喉を押し広げて胃袋へと落ちて行く。その通過する感じも、ラーメンの細い紐とはだいぶ違う。

「極太な分、この紐はのど越しも抜群だな……よく看板は見かけていたけど、“うどん”ってこういうものか」


 気にはなっていたけどなかなか食べる機会がなかった、“讃岐うどん”なるもの。

 アルフレッドは今日ついに、その基本形になる“釜揚げうどん”を賞味した。


   ◆


「たまたま他に昼食が食べられる店が無いから入ってみたけど……なかなか面白いな、このうどんていうのも」


 ニッポンの紐料理全般に言えることだけど、麺自体はそんなに味が付いていなくてスープで味をしている調理法が多い。

 アルフレッドは手に持ったコップ蕎麦猪口を覗き込んだ。黒い水面は、アルフレッドの顔がくっきり映るほどに色が濃い。

「これは以前食べたかき揚げ蕎麦のスープと似ているけど、もっと濃くしてあるな。だから、浸している時間が短くても味が付くように……かな? そう言えば立ち食い蕎麦屋の“冷た~い蕎麦”の写真にも、こんな感じの一皿があったような……」

 どうも紐の形態が違うだけで、蕎麦もうどんも味付けやフォーマットが一緒のように思える。

「……なんでラーメンだけ、飛びぬけて違うんだろう? 蕎麦やうどんは別の文化圏から来たのかな?」

 アルフレッドの考えるニッポンの紐料理は、ラーメン業界基準。


 だいたい要領が分かったので、アルフレッドは勢いよく食べ始めた。これはこれでそれなりに美味しい。

「蕎麦の時も思ったけど、このうどんなるものもシンプルなのが売りなのかな? スープに調味料や油が浮いていないし、ほとんど具もない」

 チャーシューや煮卵が載っていないのは残念だが、その理由はおそらくこの淡白さにあるのだろう。だしと塩だけが利いているスープのみの味付けで、のかすかな麦の味と歯ごたえをクローズアップして楽しむ。きっとそういう料理……。

「あれ? そばにはかき揚げを載せた物があったよな?」

 カウンターを見る。


 注文場所の上には、色々美味そうな具をのせたうどんの写真

 カウンターに並ぶたくさんの種類の天ぷら。

 この店にも色々なトッピングはちゃんとあった。


 ──オプション料金さえ払えば、だが。


「……察するに」

 麺だけのうどんを箸ですくいながら、アルフレッドは納得したように頷いた。

「蕎麦やうどんとラーメンの一番大きい違いは、味よりもシステムにあるな」


 ラーメンは最初からある程度コミコミの料金設定。

 そばやうどんはベーシックプランは最低限で、そこに色々足していくと高くなる。気になる物をあれもこれもと足していくと、どんどん値段が……。

「何も入ってないうどんに物足りないと具を足してしまうと、あれこれ割高になる。一方のラーメンは最初から具が決まっているから、いらないと思ってもはずすことができない。貧乏人に優しいのはどっちだろうな……」

 予算の厳しい勇者にとって、一食のを与えてくれるのはどちらの紐料理なのか……。

「値下げしてくれるのが一番だな。閉店間際まで粘ったら安く……ならないかなぁ」


   ◆


 さて、とりあえず空腹は癒されたが。

「ラーメンとかだと味も具材も複雑すぎて、もう“こういう料理”だと思って食べていたけど……」

 アルフレッドは空になった木の桶(なぜか釜揚げうどんに限って、この容器らしい)を見つめながら考え込んだ。


 ──うどんなら、俺でも製法が分かるんじゃないか?


 超シンプルな一品を食べて、アルフレッドはそんな事を初めて思いついた。

「このつけ汁は正直どうしたらいいのか分からないが、紐のほうは何というか……これ、材料は麦粉しか使ってないような気がするんだよな。だったら、この整形のしかたさえ分かれば……」

 ウラガン王国自分の世界でも、作ることができるのではないか。


 スープは同じものが作れなくても、それなりに塩の利いたソースをかければ食えるだろう。味わってみるにうどんは素朴な味なので、たいていのソースに合わせてくれるふところの広さがあると思う。

「そうしたら、財布の限界なんか気にしないで思う存分食べられるぞ!」

 そこが大事。


 しかし元々貴族令息の勇者には、料理知識の下地がない。なので見ただけでは調理法が分からない。

「どんな作り方をしているんだ? 麦の粉をパン作りみたいに練って……細く細く紐状になるまで指でひねっていくのかな?」

 アルフレッドに考えつくのはそれくらいだが……自分で言ってるそばから否定するのもなんだけど、それだけでちぎれないようにこの長さまで維持できると思えない。


 結局、やはり“何か”想像もできない部分があるのだ。

「材料はなんとなく予想がつくんだけど……どうにか、そこのところの秘密を知りたいなあ」


 あとちょっとで手が届かないのが……少し悔しい。


 ちなみに製法がまったく分からないというのは、ニッポンではとは言わない。


「しかし、なんで釜揚げうどんは客に食器じゃなくて洗面器で食わせるんだろう? そっちの理由もよく分からない……不思議な風習もあるもんだな」


   ◆


 結局謎が謎のまま、アルフレッドはうどん屋を退去することにした。

 空腹が満たされたので、店に用が無くなったともいう。


「さて、せっかくだから映画を一本見て行こうかな……ん?」

 店を出ようとしたアルフレッドは、入り口の脇に小部屋があるのに気がついた。

 大きなガラス窓に囲まれた小さな部屋では、店員が一人ずっと何かの作業をしている。

「何をしているんだろう?」

 粉に汚れた大きな台の上で、なにやらスライムみたいな塊を捏ねたり折り畳んだり……。

「あれ、もしや……うどんを作っているのか!?」

 ラーメン屋とかでは茹でたり具を煮込んだりは見せていても、を作る工程を見せている店は無かった。今考えればそれだけ重要な機密の工程なのだろう。

 ところがこの店は、その部分を隠さず堂々と見せている。それどころか敢えて客が覗きやすいように、壁をガラスにしてまで見やすくしていた。

「ラーメン屋と違ってうどん屋にとっては、紐作りは秘密ではない? いや、商売で一番大事なところだ。そんなはずはあるまい……では、敢えて見せつけて? それだけ、何も隠すことがないという自信なのだろうか」

 自らの腕前に、このうどん屋の主は絶対の自信を持っているらしい。


 “素人には真似できまい”


 そう言われているかのようだ。

「そういうつもりか!? ……ふ、ふふ、面白い!」

 あなどられ、アルフレッドは逆に闘志が湧いて来る。


(自信に満ち溢れた、挑発的なその鼻柱プライド。異世界の勇者がみごとへし折って見せようじゃないか!)

  

 


「あのー……お客様?」

「はい!?」

「うどんを作るところに興味がおありで?」

「え? ええ! よく分かりましたね!」

「それは、まあ……」

 ガラス壁にビタっと張り付いてずっと作業を見つめているような人間が、興味がないという方がおかしい。


   ◆


 五分後。

「なんでも言ってみるものだな」

 アルフレッドはなぜか白衣姿で、うどんを作る工房作業場に立っていた。

「それでは、『初めてのうどん作り教室』始めます」

「おねがいします!」

 アルフレッドと他一名……正確にはアルフレッドのほうがオマケなのだが……は、うどん作りを教えてくれる店員に深々と頭を下げた。


 この店では定期的に、希望者にうどんの作り方を教える講義を行っているらしい。

 ちょうどその時刻にアルフレッドが窓に張り付いて見ていたものだから、どうせならやってみないかと誘われたわけだ。

(まさか、普通なら秘密にしたい製造法を教えてくれる店があるとは……)


 正直アルフレッドは戸惑いを隠せない。

 これ、何かあるたびに毎回言っている気がするが……ニッポンにはかなり慣れたつもりだったけど、まだまだ驚かされることが多い。

 調理法や製造法なんて、アルフレッドの世界ではウラガン王国に限らず秘中の秘。むしろライバルに盗まれない為に、弟子にさえ教えない場合もある。

(うどんの作り方みたいな基本技術なら、業界全体に関わってくるだろう。そんな技術の伝授は、うどんギルドが縛りを設けていてもおかしくない。それを頼まれれば、誰にでも教えてしまうとは……)

 

 ここの主人、“沈黙の掟”に背いたとしてギルドから暗殺されるんじゃないだろうか……。


 どうか命大事に、とアルフレッドは思わずにはいられない。

 それはそれとして、店主の命にかかわらずうどんの作り方自体は教えて欲しいのも正直な気持ちではある。


   ◆


 ある程度予想していた事だけど、やはりうどんは必要な材料の種類が少なかった。


 細挽きの麦粉。

 塩。

 水。


 これだけ。

「“なるほど”と言う気持ちと“マジか!?”という気持ちが混じるな、これは」

 少なすぎないだろうかとも思うけど、わざわざ作り方を教えといて嘘をつくのもおかしい。部屋に他の材料も見当たらないし、紐の作り方に限っては確かにこの三品しか使わないようだ。

「これをこのように、ダマができないように混ぜ合わせて下さい」

「ほうほう」

「全体が巧くなじんだら、力を込めてムラがないように捏ねます」

「ほうほう」

「熟成が進むように一旦生地を寝かせます」

「ほうほう」


 やって見せてくれる工程は、アルフレッドで(さえ)も簡単に理解できた。

 どれも大事な工程らしいが、そんなに難しい動きをしているわけでもない。

 粉に水と塩を混ぜてスライムにして、こね回して、休ませて、またこね回して、休ませる。

 そして全体に“イイ感じ”にスライムが熟れてきたら、これを棒で薄く薄く引き伸ばしてナイフで切って“紐”状にする……。

「なるほど、自分で細く“こより”にするんじゃないんだ」

 あの形の秘密が分かって、アルフレッドも納得だ。

「一人分、指先でひねっていくのも相当に大変だと思ったんだよなあ……店だとそれを毎日百人分とか作るんだろ? 職人がもたないよな」

 作業台が粉で派手に汚れているのも、この作業の時にスライムがべたべたくっつかないように表面を粉で固める為だそうだ。

「そういう細かい理屈も、やはり直に教えてもらわないと分からない事ばかりだ。自分で観察していても、手に入らない機密だな」

 うどん作りの工程を確認し、そう結論づけてアルフレッドは納得した。

 ……が、料理の素養があれば普通は見たらわかる。




 やりかたさえ分かれば、スライムをこねて伸ばす工程は難しくない。

 こねたり伸ばしたりの作業はそこそこ力がいるけれど、この程度勇者にかかれば雑作ぞうさもない。

 アルフレッドも教わった通りに、さっそく自分の分を全力でこねてみる。

 力を込めて麦粉の玉を潰して、折り重ねて押し潰して、またこねて玉にして、それを押し潰してはまた折り重ねて……。

「こねるのはもうそれぐらいでいいですよ!?」

「……はっ!? ついつい忘我の境地で延々繰り返してしまった!?」

「気持ちは分かります。が、これは粘土遊びじゃないので。うどんを作ってると割り切って、意識をしっかり保つのがうどん作りのコツです」

「なるほど……奥が深いな」


 こね上がった麦粉の玉はいったん保管して休めてから、たっぷり粉を振りかけながら棒で押し伸ばしていく。これも均等な厚みで作っていくのが難しいが……。

「麺棒の使い方がうまいですね。(うどんや蕎麦作りの)経験者ですか?」

「一応(剣の経験は)そこそこ長いんですけど、腕は全然なんでお恥ずかしいです。ハハハハハ!」


 十分に薄くなったら、いよいよナイフ包丁でカット。

 煮たら膨らむのを知らずに完成品の幅で切ろうとしてしまったりとかもあったが、なんとか一人前の生麺が出来上がった。

 店の人が茹でてくれるのを待つあいだ、初めて料理を作ったアルフレッドは手順をもう一度思い返してみる。

「意外と簡単、と言っていいのか? ものすごく分量がシビアでもなかったし……ところどころの力加減とかは、何度もやって身につけろって感じだったな」

 

 うどん作り、そんなに難しい技術ではなかった。


 でもそれならそれで、ニッポン人初心者のアルフレッドには疑問もある。

「プロでないと作れないって料理ではないのか? ……でもそれなら、なんでうどん屋がたくさんあるんだろう? ニッポン人なら誰でも作れて良さそうな感じだけど」

 専門店が存在するからには、そこに何らかの理由があるはず。


 その答えは、完成した自分作のうどんを食べたら判明した。

「どれ、俺作のうどんの味は……」

 ちょっとごつい太さになったうどんを一口すすり、アルフレッドはよく噛んでみた。


 噛んで。


 噛んで。


 噛んで、噛んで、噛んで噛んで噛んで……。


「……ふむ」


 仮にも勇者肉体労働者なアルフレッドが、全力でこねたうどん。グルテンを育て過ぎて、ちょっと嚙み切れる程度の弾力ではなくなってしまっていた。


「なるほど」

「どうですか、ご自身で作ってみたうどんは?」

「初めてなので、まだ何とも言えないんですが……」

 笑顔のアルフレッドはいったん箸を置いてお茶をすすった。


「自分で作るより、お店で食べた方が早いですね」

「お見事です。うどん作りの真髄しんずいを極めましたね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る