第19話 勇者、真理に到達する

「そろそろ宿に帰るか。朝食に備えてコンディションを整えないとな……ん?」

 伝票を持って立ち上がりかけたアルフレッドは、何気なく店の片隅にあるテレビを見た。

 そして、その映像に釘付けになった。


 画面の中では身なりの良い男が手にした小瓶をいじりながら、得意そうに持論を述べている。

『やはりね、良い物を味わうにはそれ相応の……』

 高位の貴族や大商人みたいな、金回りの良い趣味人を知っているとよく見る姿だ。ああいう連中は“成功の秘訣”とか“一流の趣味”とか、やたらと自分の考えを他人に聞かせたがる。

 

 ただアルフレッドが今気になったのは、画面の男が手にしているモノ。

『これなんか、僕が最近はまっているベルギーのなんですがね』

 延々語る彼が、他の者に自慢げに見せているのはどう見ても……。

「あれ……ビールだよな?」

 

 ──ビールって、労働者の酒じゃないのか?


   ◆


 アルフレッドの世界にニッポン人の好むビールそのものはないが、似たようなものならエールがある。

 上流階級が好むワインと違って廉価な麦で作れ、醸造期間が短く、熟成環境を選ばない。その分酔う成分アルコールは弱いし、怪しい業者が粗雑に作るから当たりはずれもある。だけど、とにかく安い。

 金回りの上流階級の代表であるアルフレッドの家なんかは、もう客でも来ない限りエール一択だ。


 ニッポンのビールはウラガンのエールと違って当たりはずれなく美味いけど、気軽に入れる店には必ず廉価に置いてある。だからニッポンのビールもそういう位置付けだろうと、アルフレッドは勝手に思い込んでいた。




 映っている男は一代で財を築いた、ニッポンでは有名な大商人らしい。

 そういう男が人前で、下賤な(はずの)ビール推し。

「エー……じゃなくてビールの飲み方を金持ちが語るの、なんだか違和感があるな」

 下っ端とはいえ、アルフレッドも一応貴族の端くれだ。

『自邸でよく飲む酒ですか? はは、そりゃもうエールばかりですよ!』

 ……そんなセリフ、恥ずかしくて宮廷ではとても口に出せない。


 それを思うと、ビール飲んでますと自慢する彼の姿はますます不思議だ。

「ああいうヤツって、普通は自分を大きく見せたがるからなあ……よけいに安酒なんか、飲まなさそうな気がするんだが」

 成金かねもちは裕福な証明に、やたらと贅沢ぜいたくを見せつけたがる。

 ……と、貧乏貴族のアルフレッドは思っている。決してひがみから来た先入観ではない。これは社会常識……だと思う。たぶん。


   ◆


 テレビの中では彼の独演会が続いている。

『香りを楽しむにはね、やはりグラスから……』

「グラス?」

 違和感を感じながらも続きを見ていたアルフレッドは、突然出てきた一言にまたもや引っかかった。

 慌てての手元を眺めると、確かになんだか独特の形をしたガラスのコップを持っている。

「……俺の知ってる、ビールの器じゃないな」

 アルフレッドの知ってる、ビールを入れるニッポンのグラスと言えば。


 ジョッキ!


 できれば、大ジョッキ!


 ぶ厚いガラスの見事な円筒形に無骨な持ち手がついた、ビールの金色が最高に映えるあの素敵なグラス!

「特に大容量なところが素晴らしいんだよ! デカければデカい方が良いな!」

 サイズで値段が変わるぞ、アルフレッド。


 ところが画面の中の男は、そのアルフレッドの理解に異論があるようだった。

『本当に美味しいビールはね、ガバガバ飲んで喉越しを味わうなんて雑な飲み方はもっての他なんだよね。専用に設計されたグラスで薫りを花開かせながら、こう舌に馴染ませるように……』

 実演してみせる男を見て、アルフレッドは首をひねった。

「なんだか、ワインみたいな飲み方だな?」


 香りや味を楽しめというのは分かるけど。

 でも大のニッポンビール好き異世界の勇者・アルフレッドとしては、食通らしい彼の意見に賛同しかねる。

「味わえというのはもっともだが、ビールを飲むならもっと豪快にグイグイ行った方が美味いと思うんだけど……ニッポンの美食家グルメはそう思わないのか?」


 口いっぱいに広がる芳香を満喫しろとか。 


 香りが広がらないから冷やし過ぎるなとか。


「夏の暑い盛りに、キリッキリに冷えたビールをデカいジョッキで一気飲み。あれが最高に美味いんだが……ダメなのか?」

 枝豆とかハンバーガーとかをモリモリ口に詰め込んで、美味しく味わったところへ冷え冷えの追いビールで喉に流す!

「それが最高に美味いというのは、てっきりニッポンの共通認識だと思ってた」


 アルフレッドはニッポンでビールを知ってから、全て美味しく楽しく飲んできたつもりだったのだけど……もしかして、ビールのほうでは彼の飲み方は迷惑だったのだろうか?


「だとするとビールには悪いことをしたな……もっと丁寧に味わわないとダメなのか」

 そんな罪悪感をちょっと感じながら見ていたら、テレビの中では共演者たちがさらに分からない事を言い始めた。

『うわー、とってもフルーティー!』

フルーティ果実感!? ビールが!?」

『ベリーの何とも言えない甘さとビールのほろ苦さがクセになりますね!』

ベリーイチゴとか!? ビールなのに!?」

『そうなんですよ。コイツはビール初めての人、特に女性にはお勧めですね!』

「いやいや待て待て! おまえたちは本当にビールの話をしているのか⁉」

 こいつらの言っている事とアルフレッドの認識のあいだには、なんだか越えられない谷がある。

 届くはずもない画面の向こうに、思わずツッコミを入れた勇者だったが……。

「……あれ? なんだ、あの銘柄?」

 

   ◆


 ラーメン屋のテレビにむかって叫んだ翌日。

 異世界の勇者はカゴをさげ、スーパーの酒売場をうろうろしていた。


「くらふとびーる……ねえ」

 昨日のテレビで呑み方を伝授していたビールは、アルフレッドが良く飲むビールよりも希少価値があるお高い逸品だったらしい。

「見たこと無い紋章ラベルばかりだったし、なんかビンが小さいのも変だと思ったんだよなあ」

 冷たく冷やしてくれる棚に並んだ茶色い瓶を眺めながら、アルフレッドはつぶやいた。


 画面に映っていたビンは、色こそ同じだけどスーパーに並んでいるそれの半分くらいしかなかった。

 なんでも小さな工房が手間暇かけて作り上げた代物らしく、アルフレッドが良く飲んでいる大手商人の量産品に比べると味が段違いらしい。

 そこまで確認したアルフレッドは思ったのだ。


(ビールの一本くらいなら、俺の財布でも飲めるのでは……?)


 神様がくれるニッポンでのこづかいは一万円。

 この金額、旅館に一泊して三食食べるとほぼ残らない。もちろん異世界ニッポンは何を見ても物珍しいので、街をうろつくだけでも楽しいのだが……せっかくの異世界での憂さ晴らしきゅうじつ、アルフレッドは食費や宿代をケチっては飲み代を確保していた。

 その乏しい予算では、どんなに切り詰めようとできる贅沢には限りがある。……。


「だけど、いくら高くてもビール程度なら……と思って探してるんだが。なぜだろう? 見つからないぞ、クラフトビール」

 金持ち連中が口をそろえて絶賛しているから、一度でいいから試してみたい。そう思って探し回っているのに、見当たらない。

 アルフレッドのニッポン知識には、居酒屋とスーパーはあっても酒販専門店はない。


「他のスーパーに探しに行ってみるか? ……おっ、そこに店員がいるな」

 ちょうど品出し中の店員がいたので、アルフレッドは彼に聞いてみることにした。


   ◆


「ちょっといいかな? 探している商品があるんだが」

「はい、なんでしょう!」

「クラフトビールというのを探しているんだけど……」

「あ、当店で扱っているのはこちらですね」

 アルフレッドの問いに、笑顔の店員はすぐに冷えている棚の一角を指した。

 だが、その場所はすでにアルフレッドも確認済みだ。確かに似たような小さい色付きビンが並んでいるけれど、その中にはクラフトビールとやらはない。

「いや、そこはさっき見たんだが」

「あ、なにか特定の銘柄をお探しでしたか。ここに無いと当店では……」

「どれもクラフトビールの商品じゃないんだ」

「お客様、クラフトビールって言うのはジャンルの名前です」

「…………そうか」


 いいんだ。

 

 慣れてる。


 ニッポンで勘違いを指摘されるのなんて、いつものことじゃないか。


 アルフレッドは深呼吸を二回して、猛り狂う羞恥心をなだめて静かにさせた。

「えーと、それでだな」

 時間は有限、くよくよしている暇はない。

 この場から遁走とんそうしたいほどの恥ずかしさにフタをして、アルフレッドは何事もなかったような顔で次の質問に移る。勇者、だんだんツラの皮が厚くなってきた。

「昨日見たテレビではフルーティでベリーの味がするとか言っていたんだが、どれを飲んだらいいんだろう?」

「ベリーの味ですか? それはきっとフルーツビールですね。うちの取り扱いの中にはそういう特別なのはないなあ」

「そうなのか」

 昨日のビールは特別の中でもさらに特別らしい。

「なるほど、金持ちが自慢するわけだ」

「はい?」

「いや、こっちの話」


 店員が去るとアルフレッドは、教えてもらった中から一本手に取ってみた。

「なるほど、この面構えはなんだか高級そうだ」

 特に、ビンが小さい辺りが。

「これだとジョッキ一杯に足りるかなあ……いや、がぶ飲みしてはいけないと言ってたな。小さなコップで飲むから、これで良いのか」

 心もとないサイズに飲む前から物足りなさを感じてしまうが、そういうものだと言われてしまえば致し方ない。

「とりあえず一本買ってみよう。本当に格別の体験ができるのなら、ちょくちょく買ってもいいな……ん?」

 アルフレッドはビンをカゴに入れかけ……急停止した。というのも。

「な……ななひゃく、はちじゅうえん、だと⁉」


 アルフレッドの手に取ったその一本は。

 大手業者のビンビールと比べると容量半分、お値段二倍という代物だった。


「いや! まてよ⁉ ビールだろ⁉」

 もちろんこれはビールだ。クラフトビール様だ。

 アルフレッドも頭では分かっている。同じ商品でも、良いものは高い。それはどこの世界でも真理だ。

 だが、そうは言っても。

 アルフレッドは近くに並んでいた大手業者のも一本持ってみた。大きいビンだけど、値札は半額以下。

「この、価格差は……!」

 二かける二で、お値段四倍。勇者の財布にこれは、キツい。

 いつも飲んでいるビールに不満が無いだけに、金欠勇者には心理的に厳しいものがある。


「……いつもの缶ビールにしようかなぁ」

 とも、くじけた勇者は一瞬思いかけたが。

「い、いやいや! 今日は確かめる為に贅沢すると決めたんじゃないか!」

 そう。

 今日のアルフレッドはそもそも、気になった美味を(手が届く範囲で)味わってみようとスーパーに足を運んだのではなかったか。

「ここで諦めて普通のビールを選んでは、俺は何のためにスーパーに来たのかってことになっちゃうじゃないか!」

 あのテレビでも、最後の締めに言っていた。


──何気ない日常の中に、こういう“プチ贅沢”があってもいい、と。


「そうだ、これはプチ贅沢! 頑張る俺へのちょっとしたご褒美なんだ!」

 アルフレッドはそう自分に言い聞かせ、クラフトビールの方をカゴに入れ……かけていったん棚に戻した。

「あー、クラフトビールにも色々あるみたいだしな。まずはお試し……うん、お試しのヤツを行っとこう」

 そしてお値段を見比べて、一本五百円のヤツをカゴに入れた。


   ◆


「ニッポンは今日も暑いなぁ……夜になっても、この気温か」

 アルフレッドは疲れ果てた足を引きずるように歩きながら、居酒屋の暖簾をくぐった。

「いらっしゃいませー! 奥のカウンターにどうぞ!」

「うむ! あー、ニッポンの居酒屋はいいなあ。この冷たい空気はどうやって作ってるんだろう」 

 冷房を楽しみながらスツールに腰を下ろしたアルフレッドは、さっそく枝豆と唐揚げ、そしてビールをジョッキで注文する。

 すぐに運ばれてくる中ジョッキと枝豆。どちらも冷たく冷えて美味そうだ。厨房の店員が油の鍋の前で作業を始めたので、唐揚げは今から揚げたてを出してくれるらしい。素晴らしい。

「うんうん、やっぱりこうこなくちゃ」

 ごちゃごちゃした店内には、酒を片手に楽し気に笑い合う客たち。店員はてきぱき働きながら威勢よく返事をして、出て来る酒肴はシャキッと出来立て。居心地のいいアットホームな雰囲気に、アルフレッドは心から満足した。


 唐揚げを心待ちにしつつもまず枝豆を二、三個分一気に口に入れ、シンプルだけど飽きの来ない塩味をたっぷり咀嚼そしゃくして……ビールをゴクリ!

「んっはぁ~!」

 ちょっと甘くも苦いシュワシュワが口の中を洗い流して、喉をこじ開けて腹へ流れ落ちていく。

「くー、コレだよ!」

 

 アルフレッドがビールに望むのは、まさにこの爽快感だ。


「先週はクラフトビールとやらを、あのオッサンが言ってた通りの作法で飲んでみたけど……そんなに物凄く美味いかなあ、アレ」

 なんだか、あのもってまわった上品な飲み方はアルフレッドを満足させてくれなかった。

「なんでだろうなあ……せっかく買った高いビールなのに、そんなにこれと違いを感じなかったし」

 言葉にできないモヤモヤを抱えながら、アルフレッドが次の一口を飲んだところに。

『僕は最近、クラフトビアの良さに開眼しましてね』

「ん? この声は……」

 店のテレビに、先週も見た顔が映っている。

「あの男か。どうも縁があるな」

 先週と同じ自慢かなとアルフレッドが見ていたら、近くの客も彼の事を話題にし始めた。

「見なよゲンさん。セレブは飲んでるビールも違うねえ」

 中年男に言われた老人も、おでんの皿から視線をあげてテレビを見た。

「あー、あの社長さんか。小洒落たもん飲んでるねえ」

 そんな素直な感想の後に、爺さんは気になる一言を漏らした。


「……だけどまあ、本当に美味いビールは知らないんだから可哀想だね」


(…………なんだと?)

 思わずテレビから振り返ってしまったアルフレッドに気づかず、二人組は画面を見たまま話し続けている。

「『本当に美味いビールを知らない』って、そんな事わかんのかい?」

「そりゃ、あの人学生から起業してずっと羽振りがいいんだろ? コイツを知るわけ無いや」

 老人は握ったグラスを振ってみせた。

「食ってく為に朝から晩までこき使われて、一日走り回ってやっとありついた晩酌の生ビール。いろんなことを我慢して我慢して、ホッとしてグイッとやる一杯が最高に決まってるだろうがよ。他人に使われたことがない人間には、この染み入るビールの美味さなんか分かんねえだろうさ」

「それはそうだな。自分で会社作って成功しちゃうような人には、他人に頭を下げ続けるつらさなんか我慢できないだろうしな」


(そうか……!)


 アルフレッドは思わず手元のジョッキを見つめてしまった。

「ビールは、値段が高ければいいってものじゃないんだ」

 

 ツラい毎日だから、解放された時の一杯が美味い。

 まさにアルフレッドの事ではないか!


 毎日毎日、魔王軍を探して慣れない長旅で歩き回り。

 その間は正直魔王軍より厄介なパーティメンバーを相手にし。

 まさか姫様ミリアに逆らうわけにも行かず、ワガママに振り回されて……。

 そんな一週間を過ごして、やっと訪れた神の休日にこうしてありつく異世界ニッポンのビール。


 ニッポンのビールは量産品だって美味いのだ。

 ならば多少の素材の差よりも、そこに行きつくまでの味付け道のりが味わいを左右する。


「そんなの……この一杯が、最高に美味いに決まってるじゃないか!」

 上流階級御用達のビールに特別感を感じなかったのもうなずける。

 アルフレッドはもうすでに、だれよりうまいビールを飲んでいた!


「そうか……俺はあの男より美味いビールを飲んでいるんだな」

 そこに気づいたら、なんだか今手にしている普通のビールが愛おしくてたまらなくなってきた。

「よし、今日はビールの日にしよう。最後までビールで行く!」


 手始めに、お替わり。

 アルフレッドは店員に向かって、空になったジョッキを振ってみせた。

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