第16話 勇者、意表を突かれる
アルフレッドは一軒の海鮮居酒屋の店先で、店頭の
「…………おいおいおいおい」
じっくり眺めて、何度も確認する。自分の勘違いではないとハッキリ分かり、張り紙の
「刺身を
そう、海鮮丼を発見したのである。
◆
こんな姿を以前も焼き鳥屋の前で見せていた勇者だが、今日のコレはちょっと意味合いが違う。
「いやいやいや。温かいコメの上に、冷たいほうが美味い刺身を並べるって……ちょっとそれはどうなんだ?」
異世界人のアルフレッドとて、生肉を温かいところで置いておくと腐りやすいくらいの知識はある。そして腐りかけの魚肉を食べると、腹を壊す(どころでは済まない)ことだって。
魚の生肉たる刺身を、アツアツほかほかが身上の牛丼用コメに載せる……。
「ヤバいとしか、思えん」
コメに魚が合うのは間違いない。あの“寿司”という食べ方は刺身単独とはまた違う美味さだった。
「だけどあれはコメも冷やしてあったし、何か甘いような酸っぱいような味付けもしてあったしな」
冷たい刺身と冷たいコメ。それなら分かる。
「しかし温かいコメに、直に刺身を並べてあるのは……これは、本当に牛丼用のコメなのかな? 魚は大丈夫なのか? ……それともコレ、牛丼風に仕立ててあるのに冷たいコメなのか?」
この店のイチ押しメニューらしいが、どうもゲテモノくさい。
本当に、食べて大丈夫なんだろうか……。
「
どんぶり飯に具が乗った食い物は、牛丼以外にも色々ある。
それに気がつき、レパートリーを増やそうと思った矢先のこの発見。
「片っ端から試してみようと決意はしたが、明らかにウケ狙いで作られただけの変な物は食いたくないしなあ……」
食いたくないというか、乏しいお小遣いを無駄にしたくない。
そんな勇者が踏ん切りがつかずに店頭をうろうろしていると、若者グループがにぎやかに話しながらやってきた。
「この店の海鮮丼が美味くてさー」
「へー」
彼らはアルフレッドが入ろうか迷っていた店に、そのまま何の疑問も持たずに入っていく。
「…………」
ニッポン人には、この“海鮮丼”は珍奇な食い物ではないらしい。
三人組を無言で見送ったアルフレッドは一度財布の中を確認し、彼らに続いて縄のれんをかき分けた。
◆
いつにも増してそわそわしているアルフレッドの元へ、店員がどんぶりを運んでくる。
「海鮮丼“梅”のご飯大盛、お待たせしましたー」
「うむ!」
届いたどんぶりを箸を手に覗き込んだアルフレッドは、盛り付けられた豪華な顔ぶれを見て満足そうに頷いた。
「マグロにサーモン、玉子焼き、なんとかいう
勇者の知識、“なんとか”が多すぎる。
「なるほど、わざわざこれを食べに来るというのも分かるな」
以前回転寿司で思うがままに貪り食ったアルフレッドだ。ここに並ぶメンツの凄さはよく分かる。
「寿司の具の中でも、特に美味い連中が勢ぞろいか……さすが普通の牛丼三杯以上の値段がするだけある」
勇者的には、そこ大事。天から飛び降りたつもりで投資したのだから、この一皿に牛丼三杯以上の価値が無くては困る。
「刺身は冷たいままだな。この様子だと、温まる前に急いで食えということか? 別皿に盛らないで敢えて上に載せているからには、何か意味があると思いたいが……」
それならそれで、発案者の
料理は美味いうちに食ってやらねばいけない。
というかアルフレッドの腹は待たされているあいだの期待で暴走寸前だ。
「よし、さっそくいただき……たい、と、こ、ろ、だ、が?」
箸を持ちかけたアルフレッドの手が停まる。
「……これ、どうやって食べたら正解なんだろう?」
刺身は小皿の醤油につけて食べた。
(回転)寿司は上からかける(と思ってる)。
同じ魚の切り身でも、料理の仕方で手順が変わる。
「こういう時は、アレだな」
知識のある人間を観察するに限る。
さきほどアルフレッドの前に入っていった三人組の若者。彼らは海鮮丼を目当てに来ていた。だから食べ方も知っているはず。
アルフレッドは彼らの姿を探し、そっと横目で観察した……ら。
「ん?」
三人全員、アルフレッドと同じ物を食べている。
……ところが。
一人は刺身の一つに
「んん?」
一人は小皿で緑の悪魔と醤油を混ぜ合わせ、どんぶりの上から糸のように細く垂らして回しかけている。そして刺身とコメを一緒に食べる牛丼スタイル。
「うーん?」
最後の一人は刺身の一枚一枚に緑の悪魔を少しずつ塗り付け、醬油も器用に一滴ずつ落として食べる下準備をしている。あえて例えれば調理中スタイルとでも言おうか。
「……なんで三人とも別の食い方をしているんだ?」
わけが分からない。
「とりあえず、刺身と同じように醤油で味を付ける。それは間違いないようだ」
食べ方には決まったマナーは無いようだ。だが牛丼の仲間と考えるならば、やはり具とコメは同時に掻き込まなければなるまい。
「うん、やっぱり醤油は上からかけるべきだな」
アルフレッドは醤油を手に取り、普通に回しかけた。お手本にした彼らよりもジャブジャブかけてしまったが、まあ気にするほどの違いでも無いだろう。
そして
「あれは鼻がツンとして脳天にいきなり痛みが走るからな……よし、ではさっそく」
アルフレッドは最初の一口目として、特にお気に入りのサーモンが載っている辺りを大きくすくって口の中へ……。
「む!」
勇者は、思わず目を見開いて唸った。
まず感じたのが、きついくらいの醤油の独特の香り……たっぷりかけたので当たり前だ。
次にサーモンのやや柔らかい舌触りと、魚特有のしつこくない脂。遅れて香り。
そして最後にコメ独特の弾力ある粒状感が舌に広がった。
そのすべてをうまく取りまとめるのが、醤油の癖のある塩っ気だ。
「美味い!」
海鮮丼の素材は全て、刺身盛りとご飯のセットと変わらない。だが一緒に口に入れることで、醤油がつないだそれぞれの風味が混然一体となって味覚を攻め立ててくる。
「この食い方、いいな! 寿司でも思ったが、生魚とコメを一緒に食うのは美味い!」
魚とコメ、それぞれだけだと合わないかもしれない。だが味も食感も異なり過ぎる
バクバク食べたら、海鮮丼はあっという間に腹の中に消えた。
「もっと喰いたいけど、もう一杯は……」
これを二杯は、胃袋は対応できるが財布が対応できない。アルフレッドは空になったどんぶりをじっと見つめる。
「これは、禁断の美味を見つけてしまったのかも知れない……」
そしてしばらく考えていた勇者はボソッとつぶやいた。
「……これもしかして、醤油とコメだけでも結構美味いのでは」
そいつは本当に禁じ手だ、アルフレッド。
それにしても、とアルフレッドは醤油差しを見て思う。
「醤油、凄いな……」
生魚とコメがうまくマッチしているのも、やはり醤油のおかげだろう。
「うちのパーティにも、こんな調整役がいたらなあ……」
全員バラバラでギスギスした関係の彼ら勇者パーティも、そんな人間がいればもっとなごやかに旅ができるだろうに……。
自分がそれをやろうとは夢にも思わない
◆
「温かいコメに冷たい刺身……初めはどうかと思ったが、悪くない」
むしろ、寿司をドンブリサイズで食べたようで良い感じだった。
「ずっと置きっ放しにするから魚が悪くなるんであって、食べる直前に載せれば良いと。なるほど、タイミングが重要なんだな」
そこで頷いたアルフレッドは何か、頭の片隅に引っかかるものをおぼえた。
「なんだろう? なにか、気になる……」
とは思ったけど。
しばらく考えても出て来ないので、アルフレッドはそれ以上は考えるのを諦めた。
「…………ダメだ、どこに繋がるのか分からない。ま、大した話じゃないだろう」
いまだ冷蔵庫は飲料を飲み頃に冷やす機械と思っている勇者。
“冷蔵するとナマ物の寿命が延びる”という現象に気がつく所まで、あと一歩……二歩及ばなかった。
◆
海鮮丼は食べてみて成功だった。
初めて看板を見た時は衝撃を受けて、“それってどうなんだ⁉”と思ったが……実際に口にしたら美味しかった。
「きっと、そういう物は世の中にまだあるんだと思う」
スーパーで棚を睨むアルフレッドは、思わずそんな独り言を呟いてしまう。
「だから、きっとこいつも……うん、おそらくは……」
さっきから勇者が手を出しかけては引っ込めている、その袋。
「柿の種というのは食べた事あるし、チョコっているのはチョコレートの事だよな」
“柿の種チョコ”
温冷を合わせた海鮮丼も驚いたが、こっちは“辛い”と“甘い”。
普通に考えたら並び立たないものを、ニッポン人は合わせるのが好きなのだろうか?
「なぜだろうな……色々我が国よりも凄いモノを持っているニッポン世界なんだが、時々『そもそもこいつら、ものの考え方がおかしいんじゃ……』と思えて仕方なくなる」
それもある。
散々迷った結果、アルフレッドはソレを買ってみることにした。
「物は試しだ。何事も経験だしな!」
先日も“自然食”なるものを食べてみた。ニッポンのアレコレは実際に口にしてみないとよく分からない。これもやはり、話に聞くよりも自分で口にした方が早い。
「ま、たまには外したっていいじゃないか! 秘密だからウラガンへ土産話にできないのが残念だがな、ははは」
百円菓子を買うという行為について、その結論を出すまでに要した時間は三十分。
充分に考えた勇者は納得し、ブツを買い物かごに放り込むとレジへ向かって歩き出した。
袋を開けてみると、三日月形の黒い物体が転がり出てきた。
「ん?」
つまんでみると固いんだけど、押し固めた土のような微妙な柔らかさがある。
「チョコレートの手触りだな」
どう見てもチョコレートだ。
でも形とサイズは柿の種。
「これは、どういうことだ……?」
てのひらに小さな……本当に小さな菓子を載せて考え込んだアルフレッドは、自分が考え違いをしていたのではないかと気がついた。
「もしや、これは柿の種の形を模したチョコレートということじゃないのか?」
なにかに似せた形に、他の物を作ることはよくある。
どういう理由があったのか分からないが、これは柿の種の姿にチョコレートを整形した製品なのではないか。
「柿の種と言えば、時々酒のアテに出て来るものだ。もしかしたら、チョコレートをビールのお供にとか考えたのかもな」
事情はよく分からないが、チョコレートの職人ギルドが拡販策の一つで作ってみたのかも知れない。
「なんだ、そういう物だったのか。俺はまた、柿の種とチョコレートを合体させた菓子でも作ったのかと思った」
正体が分かってみれば、“なあんだ”と拍子抜けした気分だ。
色々考え過ぎた自分に苦笑し、アルフレッドは手のひらに出した二、三粒の柿の種型チョコレートを口の中に放り込んだ。
──カリッ。
「本当に柿の種入ってたぁぁぁあああ!?」
「うーん、なるほどなあ。柿の種を作ってから、それにチョコレートの皮を付けたという訳か」
一つ割ってみたら、薄いチョコの膜の中に普通に柿の種が入っていた。形や大きさが似ているはずだ。そのものずばりの上に塗ってあるだけなのだから。
柿の種チョコを何粒か口にする。
舌に感じる甘いチョコの味。
噛めば心地良いクリスプな歯ごたえ。
……の後、舌にピリッと来るチョイ辛の
「──なぜ一緒にしようと思った!」
そこが分からない。
「物を理解したうえであらためて食べてみても、これ柿の種とチョコが全然別物だろう!? まったくマリアージュできてないぞ⁉ よく分からないがスーパーに並んでいるくらいだから、これギルドの連中は売り物になると思ったんだよな? どういう頭をしているんだ!」
素材の舌触り。
後に残る味わい。
甘さと辛さ。
食感に関する方向性が全部違い過ぎる。
「いやもう、作ったヤツの頭の中が異世界過ぎるな……あ、ここは
異次元過ぎる発想が理解できなくて、ぶつぶつ言っていたアルフレッドの指先が袋の底に触れた。
「あれ?」
覗いてみたら一つもない。
「…………あんな変なものを、いつの間にか食べ尽くしてしまった?」
え?
「いや、俺はおかしな食い物だと思っていたんだよな?」
とんでもないゲテモノだと思っていたのに、バクバク食べてしまった。
「……俺は、自分で何をやっているんだ⁉」
思っている事とやっていることが食い違っている。
そして気がつけば、正体を理解できるまでもうちょっと食べてみたいという気さえ起きていることに気がつき……アルフレッドはまさかの事態に戦慄した。
「まさか、これが狙いの菓子なのか……!?」
アルフレッドは奇跡のマリアージュ・海鮮丼に続き、狙ったミスマッチ・柿の種チョコというものを思い知った。
◆
「食い物を売るにも、色々な事を考えるヤツがいるな」
ニッポンは色々体験しても、どこまでも奥深く底が知れない。見切ったと思っても意外な物はいくらでも湧いてくる。
「たとえ自分の世界で、この体験をしゃべることができたとしても……」
一体、どう説明したらよいものかが分からない。
あまりに文化が違い過ぎて、その面白さ、驚きを……見たこと無い人間に、口ベタな自分が説明しきれるか自信がない。
「自分一人の胸に収めておくのはもったいないんだけど、あくまで秘密のニッポン休暇だしな……ああっ、でもしゃべりたい」
ニッポンの面白さ、誰かと語り合いたい。
でも自分一人で秘密にしたい。
勇者は矛盾する気持ちを持て余しながら、滞在中の最後の一食を求めて街を歩いていた。
「ん? あの店、前にも来た気がするな。あそこでいいか」
さまよっていたら見覚えのある店があったので、足が疲れていたアルフレッドはそこで昼飯を食うことに決めた。
メニューを手に取りかけ、考え直したアルフレッドは注文を取りに来た店員に聞いてみる。
「これから地元に帰るので、最後に『コレは!』ってものを食べていこうと思うんだが……この店に、まず他じゃ食べられない料理とかあるかな?」
「それはもう! よそには絶対ないメニューばかりですよ」
「ほう? それじゃメインとデザートを、おまかせで頼もうかな」
「承知しました!」
「さて、ここではどんなものが食えるだろう」
店のセレクション、見せてもらおうか。
ワクワクしているアルフレッドは、料理が来る前にトイレを済まそうと席を外したため……残念ながら、店員が「七番さん、甘口麻婆丼とマンゴー辛口かき氷!」と厨房に叫ぶのを聞き逃したのだった。
うっかり二度目の登山に挑んでしまった、異世界の勇者アルフレッド。
二度目の登頂、果たして成るや……乞う、ご期待!
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