第14話 勇者、あるがままは受け入れがたい

 昼食をパクつくアルフレッドの手元を見て、対面で皿を手にしていたエルザ魔術師が首を傾げた。

「アル、あんた追加で塩を振り過ぎじゃない?」

「そうか? そんなに使い過ぎてないと思うがなあ。どうせ経費は出てるんだし、ちょっとの塩ぐらいケチらなくても」

「誰が金の心配をしているのよ⁉ 身体に悪いんじゃないかって言ってるの!」

「あ、そっちか」

 エルザの気になったのは経費ではないらしい。


 ミリア聖女がシチュー(という名のごった煮)をかき回したスプーンをくわえて、元の塩加減を確かめる。

「料理にあまり塩を入れすぎると、身体に悪いとは聞きますわね」

「でしょ?」

 お姫様もそう聞いているらしい。

「前に聞いた話では、なんでも血の中に塩が溜まって」

「溜まって?」

「濃くなり過ぎると頭が爆発するんですって」

「爆発!?」


 その話に覚えのある剣士バーバラは考えた。

(前の副騎士団長がいきなり倒れたアレか……)

 医者の話だと、突然頭の中で血管が爆発する病気があるらしいのだ。


 知識が偏っている魔術師エルザは考えた。

(頭だけで作用するとか、どういう魔術式? そもそも塩に人体を爆発させる成分なんて入ってたっけ?)

 文字通り頭が爆発四散する様子を思い浮かべ、文献を調べてみようと心のメモに書き留めた。


 深く考えないバカ勇者アルフレッドは思った。

(頭が爆発……こいつらパーティメンバーは皆直毛ストレートだから、いきなり爆発したら面白いな)

 仲間たちの髪形が急にひどい鳥の巣頭ちりちりパーマになった様子を思い浮かべ、アルフレッドは思わずニヤニヤしてしまった。


「アルフレッド、急に笑い出してどうした?」

「いや、頭を洗うのも困るだろうなと思って」


   ◆


 自分の世界で、そんなことがあったせいか。

 安息日にニッポンを歩いていたアルフレッドは、街で見かけた看板に思わず足を止めてしまった。

「身体に良い“自然食”の店?」

 

 自然食。


 文字通りで読むなら、自然な食事。

 よく意味が分からない。


「逆に言ったら、“自然じゃない食事”ってなんだろう?」

 保存料も食品工場も知らないアルフレッドには、いささか理解しがたい概念だ。

「うーん、これは……」

 

 体験してみねば、なるまい。


   ◆


「お客様はうちの店、初めてでいらっしゃいますの?」

 でっぷり太った身体をエプロンドレスに包んだご婦人に聞かれ、席に座ったアルフレッドは頷いた。

「ええ。最近健康についてトラブルがあって、“身体に良い自然食”という物が気になって」

「まああ、それは良い事ですわね! やはり人間、身体が何より大事ですわ!」

「うん、まあ……あの思い違いは恥をかいた」

「恥?」


 アルフレッドを席まで案内した店主は、初めてだという勇者に丁寧に店のコンセプトを説明してくれた。

「今の世の中、美味しいものはいくらでも溢れておりますけれども……“美味しさ”だけを追求するあまり、栄養が偏り過ぎて身体に悪い物もずいぶん見受けられます」

「なるほど、確かに」

 ニッポンの食事は何を食べても美味い。その中にはきつめの味付けが施された物もあるから、極端すぎて偏りがあると言われれば分からないでもない。

「ラーメンとか……」

「そーおぅなんですの!」

 アルフレッドが思いついた物を挙げかけたら、母親ほどの年頃のオバ様は食い気味に同意してきた。

「ラーメンなんかはま・さ・に・塩、油、脂質に炭水化物の集合体! しかもそれらを全部、大量に含んでいるのです!」

「ああ、言われてみれば……」

「特に家系豚骨なんかもう本当に、こってりを通り越してどこまでも脂ギーッシュ! あれはカロリーモンスターにして生活習慣病の原因! ま・さ・に・そのものズバリと言ってもいいんでございますのよ!」

「ほう、そうなのか」

 言われてみればそんな気もする。ただ、

(むしろ、だから美味いんだが……)

 ともアルフレッドは思ったけど。


 店主は何かのスイッチが入っているようなので、ちょっと今は逆らわない方が良さそうだ……。


(この迫力でグイグイ来られたら、俺泣いちゃうかも)

 アルフレッドはこういう時だけ空気を読み、思ったことを顔に出さないようにした。


 客の考えていることなぞ知るよしもない店の主人は、身振り手振りを入れてラーメンの害悪について訴えてくる。

「ええ、ええ、そぉうなんでございますのよ! しかもでございますよ!? ああいう店の客の中には! それを大盛にしたあげく! さらにチャーシュー煮卵海苔増しトッピングにご飯まで追加して一緒に食べるだなんてやからも……これはもう、身体の事を考えたらとんでもないギ・ル・ティッ! 健康に対する犯罪行為でございますわ!」

「そ、そこまで!?」

 余計な事を言わなくて良かったと胸を撫で下ろす勇者の前で、健康を訴える店主はますますヒートアップ。

「そんなところへ申し訳程度にちょっとばかりホウレンソウ増しにした所で、いったい何になるでしょう! それは『野菜も食べたから大丈夫』なんて、自分の罪悪感に言い訳する為の小手先のごまかしに過ぎません! わずかな緑黄色野菜であの油が浮いたコテコテスープを飲み干す罪悪が、プラマイゼロにできるなんてあぁりえませんわっ! 最近はやりのコテコテ系ラーメン……余計な栄養分を取り過ぎて寿命を縮める、まさに一番典型的な食べ物ですわ!」

「うっ……言われると確かに……」

 アルフレッドはまさにそれが大好きだ。専門家の正論が図星過ぎて、塩と脂にまみれた勇者は耳が痛い。


 ……まあ、それはともかく。

「店主。なんか、家系ラーメンに異常に詳しくないか?」

「はっ!? ……おーほほほほほほほほほほほほっ、おっほっほっほ!」

「!?」

「さあさあさあさあ、当店の身体に良い無為自然なお食事はそんな偏った食生活で虐められた身体が喜ぶ素敵なお料理ですのよ! デトックスを意識した私の自慢の料理の数々、是非ともじっくりご賞味あそばせっ!」

「え? あ、はい」

 アルフレッドの素朴な疑問をなんだか強引な早口で押し退けると、ふくよかな店主はそそくさと厨房へ引っ込んで行った。


   ◆


「ふーむ」

 出てきたコース料理を一通り食べ終え、デザートまですませたアルフレッドはフォークを置いて顎を撫でた。

「これが自然食というものか」

 

 “ウサギさんも喜ぶ緑黄色有機野菜の彩り豊かなミニサラダ”

 “無農薬栽培ホウレンソウの栄養たっぷりな濃厚ポタージュスープ”

 “これぞ和食の知恵 出汁ダシ薫るまるごとタマネギの和風蒸し”

 “天然素材の餌のみを食べて自由な環境で育った健康鶏の胸肉のチキンカレー”

 “砂糖不使用の自然な甘み ローカロリーの素敵なキャロットケーキ”

 “大地の恵みそのものの味を味わうタンポポコーヒー”

 (どれもメニュー名)


 「“有機”野菜とか“無農薬”栽培というものがよく分からないんだが」

 ここまでひととおり“自然食”とかいう料理を食べて、アルフレッドも無知は無知なりに分かったことがある。

「自然食とやら……」


 めちゃくちゃ、物足りない。


 味が薄い。

 量が少ない。

 やたら野菜に偏ってる。

 肉が全然出て来ない。

 コメの量が少ない。

 出て来る時の能書きが長い(これは料理のせいじゃない)。


「身体に良いのかも知れないが、戦士にこれでは足りな過ぎるなあ」

 毎日長い旅路を歩き、いきなり遭遇する魔物と激しく戦い、疲れ果てて野宿する。そんな生活を支えるには、量に気を付けるにしてもやっぱり塩っ気は大事だ。あと、肉。


 元々職業軍人のバーバラは言うに及ばず、これではミリア姫やエルザ、どころか偏食(だと思っている)のフローラダークエルフでも不満を言い出すんじゃないだろうか。 

「宮廷でじっとしているような人間ならいいかも知れないが、身体を動かす人間には量も塩加減も足りていない気がするな」


 丁寧に気を配って作っているのは分かる。

 だがこれでは、必要な分さえ十分に満たされない気がする。

「たしかにこういう料理を好む人間もいそうだけど……んー、例えば」

 ひたいを押さえて知人の顔をあれこれ思い浮かべ、アルフレッドはその共通点にハッとした。

「そうか……これは老人食か!」

 これで満足しそうな顔ぶれを考えたら、どいつもこいつも隠居しているご老人方だ。

「なるほど、それならこういう物足りない料理もうなずける。寿命も先が見えてくると、少しでも延ばしたくなるものだ」

 老人なら味や満腹感よりも、限りある命を優先するかも知れない。


 だがアルフレッドはまだまだ若い。

 若いし、今は身体を使うお仕事勇者だ。

「うむ、これはアレだな。自然食とやら、俺にはまだ早いようだ」

 こういうのは子供に家督を譲ろうかな……などと考える年齢になってから食べればいい。少なくとも今のアルフレッドに、ここまで過剰な気づかいは不要だろう。


 微妙な味わいのコーヒーを飲み干しながら、アルフレッドはそう結論付けた。


   ◆


 店を出たアルフレッドは財布をしまいながらぼやいた。

「うーん、やはり特殊な料理は高いなあ」

 軽く飲んだくらいの金をとられたが、腹はまったく膨らんだ感じがしない。むしろ、中途半端につまみ食いした程度の腹心地だ。

「ま、これも経験ってヤツだな。滅多にない体験をできた。こういうのもニッポンの醍醐味だろう」

 食事をしたというより、珍しい異世界ニッポンを知るのに金を使った感じだ。映画やバッティングセンターに行ったようなものと考えれば良い。 


「だがソレはソレとして、そう考えてしまうと……」

 勇者は腹を撫でた。

 昼飯時に中途半端な刺激しぜんしょくを与えられ、胃袋が“本番しょくじはまだか⁉”と唸り始めている。

「……経験値ではなく、食欲を満たすための食事が必要だな」


 おりしもここは繁華街。よくよく見れば、アルフレッドの馴染みの店があちこちで手招きしている。

「牛丼にラーメン、カレーもいいな……」

 身体に良くても食欲を満たしてくれなかった自然食の料理の後では、どいつもこいつも看板を見ただけでよだれが出てきそうだ。


 そんな魅力的でそそられる店が並んでいる中で、ふらふら歩き出したアルフレッドの鼻を素晴らしい薫りがかすめた。

「むっ、この薫りは!?」

 ハッとして振り向けば、昼営業中の居酒屋から何とも言えない芳香が漂って来ている。

「おおお、このの時に焼き鳥だなんて……」

 しかもタレ。

 店頭から見えるように焼いている店員の手元を眺めれば、並んだ串から滴り落ちるエキスが炭火に当たって煙を上げるのも良く見える。

「あああ、いいなぁ……」

 今すぐにでも、あの焼きたてのネギマで冷たく冷え冷えのビールをグーっと……。

 思わずつばを飲み込むけど、すんでのところでアルフレッドは思いとどまった。

「いかん。この圧倒的空腹感では、まずはメシを喰わねば……」

 飲むのはその後にしないと、空きっ腹に酒では悪酔いしてしまう。

「焼き鳥には凄い心を惹かれるが、まずは食事を済ませないとなあ」

 そう思ってしょんぼり立ち去りかけたアルフレッドが、焼き鳥屋の扉をふと見たら……貼られた手書きのポスターに、聞き捨てならない一言が大書されていた。


「…………焼き鳥丼、だと⁉」

 

   ◆


 そわそわしながら白木のカウンターに肘をついて待つアルフレッドの前に、派手に湯気を立てるドンブリがゴトリと置かれた。

「へい、焼き鳥丼大盛お待ち!」

「おお!」

 いつもは酒を飲む場所で食事というのも変な感じだけど、今のアルフレッドには何よりの事だ。

 ツヤツヤ輝く白いコメの上を覆い隠すように、炭火で炙られコゲも見える鶏肉や野菜ネギが敷き詰められている。そしてその頂点には、プルンと震える円形の黄色いスライム卵の黄身。大好きな焼き鳥をどんぶり仕立てにしたその一品に、タレニストにして牛丼愛好家であるアルフレッドは感涙とよだれが止まらない。

「タレ焼きの焼き鳥に、黄身をまぶして食えだなんて……何と素晴らしい発想だろう!」


 ヤバい。

 アルフレッドは滋味とコクにあふれるその味を想像しただけで、軽くどんぶり飯が行けてしまう……焼き鳥丼だけに。


「は、早く……早く!」

 呼吸が止まるほどの焦燥感に身を焦がしながらアルフレッドは急いで、かつ慎重に慌ただしく黄身を潰す。とろりと流れる黄色いソース黄身に、大好きなタレ色に染められた鶏肉をまぶして一すくいのコメと一緒に……。

「これだよ! これが料理ってヤツだよ!」

「ありがとーございまーすっ!」

 思わず口から出たアルフレッドの魂の雄叫びに、嬉しそうな店員の返事が返ってきた。


   ◆


「タレとコメが合うんじゃないかと薄々思ってはいたが、ここまで完璧にマリアージュするとは……焼き鳥丼、牛丼やカレーに並ぶ可能性を感じるな」

 無我夢中で一気に半分食べて、ホッと一息ついたアルフレッドは一緒に出された緑茶渋いヤツをすすった。

「思えばあの“自然食”とやら、味が薄くて材料をそのまま食ってるような気がしたなあ。素材の良さを感じてくれとかなんとか言っていたが、何も味をつけないという意味でもあるまいに」

 そういう料理なら、散々自分の世界で食っている。

「というか、その素材の違いもよく分からなかったな。そんなに違うかなあ?」


 アルフレッドに違いが分からないのも、当たり前だろう。

 放し飼いの鶏も無農薬の野菜も、そもそもアルフレッドの世界にはそれしかない。味付けをシンプルにして素材の味を確かめたら、それは慣れ親しんだ彼の世界の(調味料をケチった)料理である。


 異世界の勇者たるアルフレッドは、両極端なニッポンの食事を食べてみて一つの答えを出した。

「濃い味付けの料理法は、確かに身体に良くないのかも知れない。だが俺はそれよりも、その為に我慢する方が身体に悪いような気がする」


 元より魔王討伐なんて無茶な任務で、明日の命も知れない身。

 美味しいものを素直に食べた方が、生きる執念も湧いてくるというものだ。


「そう考えたら、アレだな。やはり我慢は身体に悪い」

 アルフレッドは手に持った湯呑を見た。

 このちょっと渋いヤツ緑茶はコメに合うし、タレで甘ったるくなった舌を洗い流してサッパリさせてくれるのも良い。だがどうせなら、タレの味をさらに活かしてくれる飲み物も良いんじゃないだろうか……。

 アルフレッドは食事中だからと我慢するのを止めることにした。

「すまないが、ビールも頼む!」

「はーい! 五番さん、生中追加ねー!」


   ◆


 そんなことがあった日の夜の事。

「ん? あれは……」

 今日残額で泊まれるカプセルホテルを探してキョロキョロしていたアルフレッドは、通りを横切る人影に注目した。

「……あの体形……昼飯を食った店の店主じゃないか?」

 昼間のエプロンドレスと違って、ずいぶん地味な格好Tシャツ&ジャージをしているが……顔も姿形も、化粧を落としたあの店主で間違いないだろう。

「随分店に出ている時と違う格好だな? どこへ行くんだろう」

 パーティの仲間もそうだが、おしゃれをする女性はどんな時でも身だしなみにポリシーがある。仕事着と私服で傾向に違いはあっても、それはそれで気合の入った身支度をするものだ。


 アルフレッドはどうにも違和感を感じて、首を傾げた。

「地味というよりズボラ……というか、まるで正体を隠すために目立たない格好をしているような感じだ」

 でも料理店のオーナーが、隠密行動をしなくちゃならない意味が分からない。


 どうにも気になるので彼女の動きを視線で追っていると、大通りを渡って来た店主は脇目もふらずにアルフレッドの目の前の店へ。

 彼女のくぐったのれんの文字は……。

「横浜豚骨……」


 家系豚骨ラーメンの店。


 柱に隠れてそっと覗くと、店主が威勢よく注文する声が外まで響いてきた。

『全部載せスペシャル、味噌の特盛でね! 厚切りとろとろチャーシューと海苔はさらに増しで! それとごはん! ごはんは大でちょうだい!』

 復唱する店員にコクコク頷く店主の顔は、期待と欲望でテラテラと輝いている。

 

「なるほど」

 店であんな事を言っている手前……まさか自分自身がラーメンを止められない止まらないだなんて、万が一にも店の客に知られるわけにいかないのだろう。 

 それでも食いに来てしまう気持ち、よくわかる。

「うむ。やはり自分の欲求に素直に従うのが、“自然食”だな」

 生暖かい目のアルフレッドは柱の陰でそっと頷く。ラーメンの魅力の前には、きれい事なんか無意味だ。


 演説をぶった相手がこっそり見ているなんて知らない店主を後に。

 いきさつに納得した勇者は、今日の宿を探しに歩き出した。

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