第11話 勇者、猛獣を手なずける

 ニッポンの街を歩いていたアルフレッドは、ふとおかしな看板を見つけて足を止めた。

「……猫カフェ?」

 そういう文字とともに、一軒の店に仔猫の写真を飾った看板が付いていたのだ。


 世界は広い。

 アルフレッドの生まれ育ったウラガン王国では、肉といえば牛・豚・羊に山羊辺りが一般的。鳥については鴨や鶏が多いが、他にもよく食べられている物もある。だがそれ以外の動物を食べる国も当然あり、他国に招かれたりすると食文化の違いに驚くこともある。

 だから国が違えば何を食べてもおかしくないとは思うのだが……。


 どうしても気になるので、アルフレッドは店をそっと覗いてみた。

「いらっしゃいませー」

「あ、いや、ちょっと聞きたいのだが……」

「はい? どこかのお店をお探しですか?」

「猫ということは、料理じゃなくてケーキやコーヒーに猫が入っているのか?」

「食べる店じゃありません!」


   ◆


「なるほど、猫を愛でながら茶を飲む店か……まぎらわしい」

「勘違いする人は普通いませんよ!?」

 この店では茶や軽食を頼んで飲食しているあいだ、店内の猫と好きに遊べるというシステムらしい。

「へー、そんな店はうちの国にはないなあ」 

 世界が変わればいろんな発想が出てくるものだ。

 物は試しと、アルフレッドも座ってみることにした。


料金席料は一時間ごとの計算になります。飲食物の注文は別料金になります」

「ほほぅ」

「猫ちゃんは知らない人になかなか近寄りませんから、おやつを与えると距離を縮めやすいです。猫ちゃん用のおやつもメニューに載っています」

「なるほど」

 ふんふんと頷いていたアルフレッドは、説明が一区切りついたところで店員に聞いてみた。

「……あげた餌を猫が気に食わなくて、出しても無視されるということは?」

「猫ちゃんにも好き嫌いあるので時々ありますね。でも今出ている子はみんな、好き嫌いは無いですよ」

「あやし方が気に食わないと、爪を出して襲い掛かってくることは?」

「しつこくされるのが嫌いなので、絶対ないとは言いませんが……今いる子は穏やかな子が多いですから、急に怒り出すことはあまりないかと……」

「マッサージの仕方が下手だと足蹴にしてきたり、悪戯を注意すると飼い主上司に告げ口に走るとかは……」

「おたくの猫ちゃん、どういう子なんですか……」

 どうも上司ミリアの飼い猫ほどは、殴りたくなる猫はいないらしい。

 

   ◆


 コーヒーを飲みながら、待つこと十五分。

「……寄ってこないな」

 店内の猫の、アルフレッドに対する態度は二分される。

 不審者を見る目で遠巻きにするか、まったく気にも留めずに無視するかだ。

「このままでは猫を遠目に眺めて座っているだけで終わるな。せっかく入ったんだから、少しは触れ合いたいものだが……」

 猫に触れるからと割高な価格設定なのに、コーヒーをただ飲んだだけで帰っては何の為に料金を支払ったのか分からない。

「かと言って自分から猫を捕まえに行くのはダメだと言っていたし……そうなると、エサで釣るしかないのか」

 正直自分の餌代飲み代で手いっぱいなのだけど、仕方ない。


 店員を呼んで、とりあえずメニューの一番上に載っていたササミジャーキーを注文してみる。

 届いたのは鶏肉のほぐし身みたいな物だった。

「なるほど、こういうものか……どれ」

 一つ食べてみて、アルフレッドは店員を呼び戻した。

「すまぬが、塩を持ってきてくれないか。これ全然味がついてないんだ」

「それ猫ちゃんのおやつですから! 猫ちゃんに余計な塩分は厳禁です!」


 敢えて味を付けないとは、異世界の勇者もびっくりだ。

「うーん、まさか調味料を使っていないとは……」

 アルフレッドはまだ首を傾げつつも、これを猫にやってみることにした。

「ほらほら猫ども、おやつだぞー……」

 試しに一本取って差し出しかけ……アルフレッドはもう一回店員を見る。

「……やっぱり、マヨネーズぐらいかけてやらないか? きっと喜ぶぞ」

「ダメです!」

「猫と言えど、味気ない食事はつまらないと思うが」

「味覚が人間と違うんです! 身体の作りも違うんですから、人間並みの味付けは毒になるんですよ!」

「そういうものなのか……」

 マヨネーズもダメらしい。

「塩はダメ、マヨネーズもダメ。塩っぽい味付けは全部ダメ。食っていいのは無味乾燥な味無しの干し肉だけ。生まれた時から、老人の療養食みたいな味のものしか食わせてもらえないとは……なあ、猫って何を楽しみに生きているんだろうな……」

「ですから、味覚が違うんですってば! いらない心配ですから気にしないで!?」

「そうは言っても……」

 グルメなアルフレッドとしてはいささか納得できないが、飼い主店員にそう言われてはしかたがない。


「ま、とりあえずコレを与えてみるか」

 半生の乾燥肉を小さく振ってみると、遠巻きに見ていた茶色い猫が目を丸くして身を起こす。急にアルフレッドに興味が出たらしく、そっと足音を忍ばせるように寄って来た。あと二歩の距離まで近づいて、アルフレッドの顔と手に持ったおやつを交互に眺めている。

「あと少しの距離を詰めて来ないな」

「猫ちゃんは警戒心が強いですから、優しい声で声掛けしてみて下さい」

「優しい声。どんな感じに?」

「こんな感じですね」

 アルフレッドの問いに店員が実演してみせる。

「ピコちゃーん、おやつでちゅよ~」

「でちゅよ!?」

 声掛けが良かったのか、それともなじみの人間店員だから信用したのか、茶虎猫は寄ってきて差し出された餌に素直にかぶりついた。それを店員が柔らかい手つきで撫で廻す。

「よしよし、いい子でちゅね~。おいちい? ん? おいちい?」

「おいちい!?」

 アルフレッドは店員のいきなりの言動に愕然としたが、衝撃を受けたのは彼だけらしい。ここでは普通なのか、周りの客は誰も気にせず猫の世話をしている。

 どうやら猫好きどもにとって、が常識のようだ。

「そう言えば、姫様もディアマンテ飼ってる猫にはやけに甘声で話しかけていたな……」


 人間の家臣アルフレッドには、あんなに狂暴なのに……。


 店員に撫でられている猫は満足げに、目を閉じてうっとりとされるがままになっている。確かに猫は今の扱いで喜んでいるようだ。

 お手本を見せた店員がアルフレッドに振り向いた。

「さあ!」

「さあ、と言われても!?」


 見本を見せろといった手前、アルフレッドも真似しないわけにいかない。

 餌を一つ摘まんで猫に突き出し……。

「ほ、ほら……おやつですよ……」

 猫はさっきと同じように、いぶかしげにアルフレッドの顔と指先を交互に見るだけ。

「寄って来ないんだが……」

「硬いんですよ。人間が緊張してると猫にも伝わりますからね」

「そ、そうか?」

「そうです! もっと柔らかく! リラックスして!」

 すでに半分やる気がないアルフレッドを、店員が鼻息荒く追い立てる。

「リ、リラックスねえ……難しいな」

「難しいことはありません! 猫ちゃんが近寄っても大丈夫だと安心できるように、フレンドリーに!」

「ふ、ふれんどりー?」

 しかたがないので、じっと見てくる猫に向かって……。

「い、いい子でちゅねー……ほら、おやつでちゅよ……くっ!? ツラいぞ、これは……」

 肉体より、精神に来るこの感じ。

 魔物との戦闘時よりも、宮廷で聞こえよがしに嫌味を言われている時の居心地悪さに近い。違うのはそれを自分から進んで行っているという事で、自発的という時点で余計につらい。


 アルフレッドを見ている猫は、相変わらずゆっくり尻尾をくゆらせて黙って見つめている。まだダメだ。

「ほら、笑顔笑顔! 名前も呼んであげると喜びますよ」

「喜ぶとかいう以前の状態なんじゃないのか、これは」

 容赦ない店員に促され、無理やり笑顔を作って餌を差し出しながら……。

「ピコちゃん、おやつでちゅよ~……」

「もっとハイテンションかつ落ち着いた声で!」

「どっちなんだ!? くっ、もう殺してくれ……」

「猫ちゃんと触れ合うのに人目を気にしちゃダメですよ! 羞恥心を捨てて!」

「ピ、ピコちゃ~ん、おやつでちゅよ~! ……涙が出て来そうだ」


 こんなぶざまな姿、パーティの仲間に見せられない……それ以前になんで俺は異世界に来てまで、猫撫で声ご機嫌取りの特訓なんか受けているんだろう。


 バーバラ剣士のスパルタ教育をなぜか懐かしく思い出しながら、アルフレッドは剣ならぬササミジャーキーを必死に振り続けた。


   ◆


 アルフレッドのひざの上で、白黒ブチ猫とグレーのまだら猫がもつれあって丸まっている。座っている横にはもう一匹、黒一色がアルフレッドの指先にじゃれていた。

「なんとか慣れてみると、なるほど……猫も可愛いかもしれん」


 猫というと今まではどうしても、ミリア姫の飼い猫ディアマンテのふてぶてしい態度が浮かんできた。だがこうして同時に何匹も相手をしてみると、それぞれ気性も違って個性がある。

「猫もやはりそれぞれなんだな。うん」

「個人のお宅で飼っている猫ちゃんは飼い主に似るとも言いますね」

「そういうものか」

 アルフレッドは頷いた。

(つまりディアマンテの態度が悪いのは、飼い主ミリア姫の……)

「なるほど、納得だ」

 それ以上は口には出さず、アルフレッドは黙って冷めたコーヒーに口をつけた。




 それにしても。

 普段人間パーティにも魔物魔王軍にも邪険に扱われているせいか、こう甘える他者に囲まれているのは気分がいい。

「なるほど、こういうのが“モテる”という感覚か。世の男たちが接客の女性がいる飲み屋に行きたがるのも、こういうのを味わえるからか?」

 酒肴に全額突っ込みたいアルフレッドとしては、ああいう店はキレイな姉ちゃんがいるだけで割高になるので行く気にならないのだが……。

「こうしてみると、気持ちも分からないでもない」

 女のほうが人語を解するだけ、猫よりコミュニケーションを取りやすいかもしれない。


 じゃあ、興味が出てきたから行くかと言われると、それはそれでアルフレッドは考えてしまう。なにしろ予算がないうえに、自分自身が人見知りなのだ。

「よく考えれば……知らない姉ちゃんに囲まれてちやほやされたとしても、何を話せばいいのか分からないな」

 割高な飲み代を払った上に、よく知らない相手への気づかいだけで疲れそう。

「うん、接客されるなら猫ぐらいがいいな。黙って撫でるだけで機嫌が取れるし」


 勇者、意識改革のチャンスを逃す。


   ◆


 勇者がそんな後ろ向きなことを考えつつ猫を愛でていると、新しい客が入ってきた。席に着くなりメニューも見ずに、自分の飲み物と猫のおやつを注文している。常連客らしい。

 そのおやつが何やら聞いたことがない名前だったので、アルフレッドがメニューを見たら一番下にあるもっともお高いモノだった。

「ほう。あいつ、いきなりこんな高価な物を……」

 よほどの猫好きと見える。

 そうアルフレッドが、他人事ながら財布の心配をしていたら。

「!」

 新顔の客の注文を聞いた途端、店中の猫が一斉にそっちを向いた。


 猫でさえ固有名詞をおぼえるぐらい、美味しいおやつ。

 あまり注文する人間がいないので、めったに食べられないごちそう。


 皆が注目する中、店員が確かにそれを運んでくるのを見て……店中の猫たちが、一斉に立ち上がって我先に殺到する。それは当然、アルフレッドにしなだれかかっていた猫たちも。

「あっ! おい、おまえたち!?」

 アルフレッドは驚いて小さく叫んだが、猫たちは振り返りもしない。


 どうやらもうおやつも打ち止めらしいシブ客アルフレッドよりも、太客ごちそうに愛想を振りまいた方がいい。

 それぐらいの損得計算は猫でもできる。


 最初に来た茶虎猫も、今の今まで身を任せていた三匹も。

 アルフレッドに未練もなく、お得意様に向かって一目散に駆け去った。

「お、おまえたち……!?」

 今までの甘い時間はなんだったのか……。

 あっというまに、勇者の何倍もの猫ハーレムを築いた新参客。彼のモテぶりを見て、アルフレッドは社会の厳しさをまた一つ学んだ。

「……ふっ、しょせん金の切れ目が縁の切れ目か……」

 人間も猫も、貨幣経済の中で生きている。財布が軽いアルフレッドに、猫の歓心を引く手はもう残されていない。


 背中を丸めて店を出ていくアルフレッドは、なんだか鼻の奥にツンと痛みが走った気がした。


   ◆


 夕闇迫る街並みを宿屋に向かって歩いていると、アルフレッドを旅人と見た娼婦に声をかけられることも多い。でもアルフレッドはまったく興味を見せず、いつも適当にあしらって歩いて行く。


 今日もそんな感じだったアルフレッドの背中を、フローラが腹に一物ありそうなニヤニヤ笑いでつついた。

「なあアルフレッド。おまえもたまには息抜きに、ああいう女の子と遊びたいとか思わないのか? 一番興味がある年頃なのに、身近にそんな関係の女もいないんだものな」

 ダークエルフの問いかけはアルフレッドに向いているが、後半はわざと後ろのメンバーに聞かせている。思った通り背後から怒気と焦燥感が押し寄せてきて、フローラは予想通りの反応に笑みが深まった。

 が、肝心の勇者の返事はサッパリだった。

「うーん、あんまりなあ……金で買ってもむなしいだけだぞ」

「…………ずいぶん達観しているな」

「結局は向こうも金づるとしか思ってないからなあ。いくらつぎ込んだところで、搾り取ったらポイ捨てだ。貢がせるだけ貢がせて、薄情なものだよ」

「ふーん」

 つまらなそうに黙った弓使いはちょっと考えて、割り当ての部屋に入ろうとした勇者の背中に尋ねた。


「アルフレッド。やけに実感が伴っているな?」


「アルフレッド、あなたまさか安息日に娼館に入り浸っていたんじゃないでしょうね!?」

「アル、まずは無駄な抵抗を止めなさい!」

「俺は無実だ! 誓って女なんか買ってない! メスは混じっていたかもしれんが」

「これが何もしてない反応か!? いいから出てこい!」

 ダッシュで部屋に逃げ込んで扉を閉めようとするアルフレッドと、無理やりこじ開けて問い詰めようとする女性陣の攻防は夜が更けるまで続いた。

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