第10話 勇者、中華を三昧する

 国には特有の文化がある。その国の中ならどこの町も、だいたい同じような風俗習慣を持っている。異世界ニッポンもアルフレッドの世界と同じく、その辺りの事情は似たようなものだ。

 だが今日彼が来た街は、なぜかどこかが違って見えた。

「なんだろうな。なんとなくとしか言えないが、なんだかこの街、不思議と異国情緒があるような……」

 明らかにニッポンの街で、ニッポン人がたくさんいる。あたりまえだ。ただ、なんかいつも見ている街並みに比べると派手さの方向性が違うような……。


 別の世界から休暇でニッポンにやってきた勇者アルフレッド。

 彼が観光客でごった返す中華街を理解する為には、そもそも“異世界=ニッポン”ではないという知識が必要だった。


   ◆


 しばらく歩いた街を振り返り、アルフレッドは顎を撫でて感慨にふけった。

「なんとなくだが、こう、普段とは違う趣もいいものだな」

 なぜかこの街を歩く人は皆、旅行者っぽい。両側にずらりと並ぶ商店も見た感じ、土産っぽい物を売る店と、お菓子っぽい物を売る店と、そして食事を取れる店ばかりが並んでいる。

 しばらく見ていたアルフレッドは原因に気がつき、ポンと膝を打った。

「そうか……生活必需品を売っている店がほとんどないんだ。変わってるなぁ」


 アルフレッドの世界には“観光地”が無い。

 貴族や豪商が湯治や避暑に行く保養地はある。

 見事な景観を見に行く景勝地もある。

 でもそれらはそれぞれ単発の“何か”であって、街が丸ごと観光業に特化した場所はない。

 何がどうとは言えないが、どことなくニッポンでないようなニッポンをアルフレッドは楽しんだ。


   ◆


 そんな風変わりな街が物珍しく、ふらふら雑踏を歩き回っていたアルフレッドだったが……。


 ハッと気がつけば、腹が音を立てて空腹を訴え始めていた。

「おっと、俺にしては珍しく見物を優先してしまった……だがここなら」

 腹を一撫でしたアルフレッドは、幅の狭い通りを眺める。

「メシを食う場所を探す手間は無さそうだな」

 街に並ぶ店の半分は飲食店じゃないだろうか。

 そう思うほど、大小さまざまな食べ物屋中華料理店が軒を並べているのだ。

「よーし、良さそうな店を見つけて入ろうか」


 と、思ったまでは良かったが。


   ◆


 食事にしようと決めてから、アルフレッドはもう一時間もさまよっていた。

「まさか……まさか、店が多すぎて決められないだなんて……」


 なぜか知らないがこの街、似たような店が多すぎる!


 看板やガラス壁ショーウィンドゥを見る限り、ほとんどの店が同じような料理を出している。たまにアルフレッドもお馴染みの牛丼屋とかもあるが、こんなに毛色の変わった街でいつも食べている店にするのも……。


 そしてほとんどの店が、高い。

 良さそうな店を覗いてみると確かに料理は美味そうなんだけど、一皿の値段だけで目が飛び出そうな札が付いている。

「参ったな。なんだかラーメンに似た紐料理もあるんだが、ソレはソレで種類も多いし値段も……」

 酒に合いそうな料理も色々ありそうなだけに、あきらめる選択肢は取りたくないし……でも、財布が付いてこない。


「これはいったい、どうしたものか……」

 そんなふうに勇者が悩んでいると。

「オニーサン、オニーサン」

「ん? 俺?」

 振り返ると、店頭に立ってる年配の女性がニコニコ笑ってアルフレッドを見ている。あまり見たことがないデザインの服を着て、紙の束を持っている。おそらく後ろの店の店員で、客引きの最中なのだろう。

「メシか? どこする悩んでるか?」

「え? ああ、まあな。同じような店が多くて、どこがいいのやら」

「はい御一人様シングルご案内ー」

「いや、待て待て」

「なんね?」

 返事をしたらいきなり店に連れ込もうとするので、アルフレッドは慌てて押しとどめた。オバさんは不思議そうに見て来るが、ここまで急展開過ぎる客引きは彼の世界の酒場でも滅多にない。

「まだ入るなどといってない!」

「でも、メシ食うんだろ?」

「それはそうだが」

「アンタ腹減ってるねー」

「それは、まあ」

「運動よくしてるねー?」

「ああ、それも当たりだ」

 日の出ているあいだはずっと歩きっ放しだし、魔物と戦うこともよくある。

「メシよく喰うねー?」

「うむ、それなりにたしなむほうだ」

 “鯨飲馬食とにかく大食い”を“嗜む”という上品な言葉で表現して良いものかどうか。

「で、貧乏ねー」

「余計なお世話だ! 言っておくがな! 決して家が(ひどく)貧乏なわけじゃないぞ!? ただ、ニッポンに来ている時は使える金が……」

 向こうの世界なら(一応)貴族だし、貧乏ではない……とは思うが、今度一応父の収税帳簿は確認しておこう。


 アルフレッドが必死に否定していると、女はビッと後ろの看板を指した。

「ならウチねー」

「ん?」

 看板には大きく“中華料理”の文字と店名が表記されている。時々ラーメン屋に書いてある文字だ。だが、その横に見慣れない文字があった。


『オーダーバイキング 昼飯3,980円、晩飯4,980円(税は別だ)』


「おーだーばいきんぐ?」

 神の御業じどうほんやくでは訳しきれない単語に、アルフレッドは首をかしげる。

「なんだ、バイキング知らない? アンタ体育会系バカの大食いなのに知らない?」

「さっきからちょくちょく罵倒の言葉が入ってないか……!?」

「バイキングは食べ放題ねー。アンタ大食い、ウチ向きねー」

「食べ、ほうだいだと……」

 慌てて店員の配っている紙をひったくって眺めてみる。他の店とほとんど変わらないように見える料理の写真が並んでいる。

「こ、これがいくら食べても良いのか!?」

「メニュー見て好きなの注文するいいねー。残す別料金ねー」

「本当に3,980円で好きなだけ食っていいのか!?」

消費税お上の取り分別ねー。酒は別料金ねー。水ならタダよ」

 

 信じられない……。


「まるでビジホの朝食食べ放題じゃないか!?」

「アンタなんで朝食バイキング食べ放題知っててバイキング知らないね」

「バイキングって、食べ放題って意味なのか!?」

「そうそう」

 超適当なほぼ誤訳をされても、それに気付くどころじゃない。


 衝撃的な話に、アルフレッドは思わず震えた。

 異世界ニッポンにはずいぶん慣れたつもりだったが、アルフレッドの知らないこんな店がまだ存在していたとは。

 要求される金額はアルフレッドにとってはかなりの金額だが、今の腹具合で限界まで食えるとしたら……決して高くはない。いや、むしろ安い。

「ビジホの朝食食べ放題も酔狂なことだと思っていたが、街にはさらにこんな商売があるだなんて」

 だとすると、この豪華そうに見える料理をどれでも、好きなだけ……。


 いつもみたいに、一皿ずつ計算しながら注文しなくてもいい。

 目についたものを片っ端から、お好みのままに、思うがままに……。


「なんてことだ……久しぶりにニッポン異世界が牙を剝いて来やがった!」

「中華ねー」


   ◆


 半信半疑で席につき、さっそくメニューの気になる物を次々注文する。そうしたら、五品頼んだら五品持って来た。

「本当に全部持って来た!?」

「ここで割引してどうするねー」

「こ、これ、本当の本当に3,980円で良いのか!? 後から追加で寄こせとか言わないんだろうな!?」

「アンタなかなかしつこいねー。このメニューに載っている物、本当に別料金はかからないねー。あ、でも」

 お盆を抱えた店員がニコッと笑う。

「多くくれる分にはウエルカムねー! …………なんて、ほんの冗談ねー」

「……のわりには、目が笑ってないんだが」


 アルフレッドは食った。

 思うがままに食った。

 片っ端から気になるものを食った。

 何を頼んでもいい。同じ物を何回食べようと、違う物を次々食べようと値段は同じなのだ。

 どんなものか知らなくてもいい。いつもなら知らない料理が気になっても、はずすのが怖くてなかなか注文できない。だが、ここならイマイチと思っても次に行けばいいだけのことだ。

「うむ、ここで料理を覚えれば次から注文に戸惑わない料理が増えるぞ!」

 これは便利だ。

「はい、玉子スープとシンガポール風焼きそばねー」

「あれ? 俺が頼んだのは上海風とやらじゃなかったか?」

「ははははは、気にしないねー」

「いや、そっちは気にしろよ……」

 こんな事があっても、まあ笑って許せる。それも定額で食べ放題のおかげだろう。

「はい、蟹と玉子炒めと豚の四川風ソースねー」

「ありが……この豚、さっき頼んだ甘辛ソースと同じに見えるのだが」

「気のせいねー」

「……食っても、同じ味のような気がするな……」

「すまんアンタ、それ別の客行くはずだた甘辛だわ、ははははは」

「いや、笑い事じゃないだろ……」

 こういう事があってもまあまあ許せる。それもこの、どれでも食べ放題というシステムが為せるワザだろう。

「はい、水餃子と小籠包ねー」

「似たような料理だな……すまぬ、これどういうふうに違うんだ?」

「さー? 喰ったら、なんか違う」

「なんか違うって……」

「細かいこと気にしないねー。喰えば分かるねー」

「さっきからあんた、大ざっぱ過ぎないか!?」


   ◆


 アルフレッドはこの“オーダーバイキング”とやらいう方式を気に入った。

 同じような料理を一皿千数百円で出す高級店と、どこがどう違うのかは分からない。値段の違いは質の違いだから、高い店には高い店なりの価値があるのだろう。

 だが宮廷では底辺の男爵家で育った身として、アルフレッドは無理な高望みをしても仕方ないと思うのだ。

 仲間内でも男爵家仲間のエルザなんかは上に行こうと頑張っている。その努力は尊敬するが、諸侯伯爵以上みたいな生活を望むばかりが生き方でもあるまい。

「思えば姫様ミリアだって、悩みが無いわけじゃなさそうだ。偉くなればなったで色々あるだろうし、身の程をわきまえるってのは大事だな」

 勇者は彼女たちの悩み最上位が、実は自分のことだとは気づいていない。


 アルフレッドには、背伸びしてバイキングぐらいがちょうどいい。お高い店で好きに食える身分は荷が重い。そう言う肩書には、責任も付いてくるのだから。

「……でも、もうちょっとお小遣い増やしてくれてもいいのにな……」

 誰にとは言わないが、アルフレッドはちょっとそんなことを願ってしまった。


   ◆


「しかし、ソレはソレとして」

 好きなものを好きなだけ喰えるのは嬉しいが、思うさま喰えば喰うほど欲求不満も高まってくる。

「確かにどの料理も美味い。しかも初めての味も多いし、このパキッと鮮明な味付けは……」

 

 絶対、酒に合う。


「しかしアルコールは別料金……」

 酒のメニューもチラリと眺めたが、値段的にはそんなに高いわけでもない。

「でも既に、四千円近く出しちゃっているし……これ以上はマズい」

 ああ、でも……。

 アルフレッドはさっき届いた塩振り豚肉揚げを一口かじる。

 分厚い脂身を塩で引き締め、さらに油で揚げてカリッとした歯ごたえに仕上げた逸品。

「コイツを、ビールで……」


 絶対美味い!


 そこへ店員が次の料理を持って来た。

「はい、海鮮春巻と殻付きエビの香り揚げねー」

「ぐっ……!」

 ジュウジュウと音を立てる薄茶色の円筒形の物と、目にも鮮やかな赤いエビの素晴らしくニンニクの効いた薫り。どちらも間違いなく美味い。そして……絶対酒に合う。

 不意に店員がボソッとしゃべった。

「絶対、ビール合うねー」

「な、何だいきなり!?」

 ギョッとして見上げると、店員が酒のメニューを扇のようにゆっくりと仰がせている。

「アツアツ、冷たいビールで流し込むねー。そしたら」

「……そうしたら?」

「『生きててよかたー』てどういう感じか、分かるねー」

「うぐっ!」

 店員が言うことはよく分かる。

 何を隠そうアルフレッドも、命がけの闘いの疲れを異世界ニッポンのビールで癒しにここまで来たのだから。

 この料理でビールをグイッとやり、“生きてるーっ!”と叫ぶのがどれほど楽しいか、分かっているのだから。

「だ、だが……今日これ以上の出費は……!」

「ニンニクキツいエビちゃんには、白酒も合うねー。キツい味のメシ、キツい酒で洗い流すと、最高ねー」

「あがっ!?」

 それも分かる。

 ニッポンで数々の居酒屋を制覇してきたアルフレッドは、初めての料理でもその辺りの予想がついてしまう。

 口を押えてぶるぶる震えるアルフレッドの前に、店員はそっと酒のメニューを滑らせた。

「お酒バイキング違うから、無理に飲まなくても大丈夫ねー。一杯だけ。一杯だけ飲んで、合うの確かめるだけでもいいねー」

「……一杯。一杯か……」


 ……ビール一杯なら。

 一杯なら、会計も大して変わらないんじゃないだろうか……。


   ◆


「うむ。やはり頼んで良かった……」

 思っていた通り、あの店の料理は酒にベストマッチだった。


 どの料理もいい。


 どれもこれも酒に合う。


 そしてまた、酒も料理を選ばずどれとでも美味かった。

「限界まで力を出すのをためらって、せっかくのチャンスを逃すところだった。これは魔物との戦いでも言えるな。力及ばぬことよりも、出し惜しみのまま終わることを恥じねばいかんな」

 あの店員のお勧めが無かったら、せっかくの機会豪華バイキングを欲求不満のまま終わってしまうところであった。

を尽くして気分もせいせいしたな。これで心置きなくニッポンを楽しめるというものだ」

 アルフレッドは豪勢な昼食に満足し……途方に暮れた。


「あと半日、どうしよう……」


 きれいさっぱり今日の予算を酒に突っ込んだ勇者は宿に泊まるどころか、もう牛丼さえ食えない金欠に泣かされることになった。

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