第07話 勇者、酒池肉林に想いを馳せる

 アルフレッドは育ちざかりの男の子。言うまでもないことだが、当然お肉は大好きだ。

 だが肉というのは、彼の世界ではいつでも口にできるものではない。生のままでは保存ができないからだ。

 王都みたいに人口が多いと肉屋という商売があるが、地方の住民はそうはいかない。牛でも豚でもさばくのは大変だし、なにより一頭丸ごとすぐに料理しなければ無駄に腐らせてしまう。だから祝い事とかが無いと食べる機会がない、基本は大人数が集まった時のご馳走なのだ。

「その点で言うなら、ニッポンはやはり人間の数が多いのだな」

 そんな事を思いついて、アルフレッドはニッポンの繁栄ぶりを納得した。


 なにしろ日本では、いつでもどの町でも必ず肉料理にありつける。

 ハンバーガーとか牛丼とかの料理を見るに、ニッポンでもやはり肉は高価な食材ではあるらしい。それはそうだ。

「だが、人が多いから牛や豚を捌いてもすぐに買い手がつく……羨ましい」

 捌いたそばから売れていくから、肉屋も気がねなく牛豚羊をしめられるのだろう。庶民でも食べられる値段で、いつでも肉料理を注文できる。お肉大好きアルフレッドは、そんな日本を羨ましく思った。


 ただ、疑問もある。

「いつでもありつけるのはありがたいが……ニッポンのどこへ行っても、肉屋が解体しているのを見たことがないな。客が入れない裏庭とかでやってるのかな?」

 冷凍・冷蔵設備を知らない勇者は、いつもどこかから商品が湧いてくるニッポンのシステムが不思議でしかたなかった。




「まあ、それはそれとして」

 アルフレッドはだだっ広いスーパーの肉売り場を眺めた。

 白い皿にうやうやしく並べられた薄い肉に、さらに透明な布がかけられて値札が付いている。そんな肉が壁一面の棚にずらりと並んでいる。

「いくら高価なものとは言っても、丁寧に包装しすぎじゃないかな? すぐに喰うんだろ?」


   ◆


 今日アルフレッドがスーパーに来たのは肉が目的ではない。生肉なんか買っても料理に困る。宅飲みしようと即戦力のツマミを買いに来たのだ。

 それでスーパーの中をカゴを提げて歩いていたのだが、不思議な匂いに誘われてついつい肉売り場に来てしまった。

「これはなんの匂いだろう?」

 

 焼きたての肉の匂い……には間違いない。

 間違いないのだが、全く調味料の香りがして来ない。


「なんというか……肉そのものって感じだ」

 スーパーには食材だけでなく、料理した物も置いてある。だからどこかに調理場があるのは分かるけど、この匂いはいつもは漂っていない薫りだ。

 それで気になって仕方ないので、こうして店内を探し回っているのだが……。


 空のカゴをぶら下げたまま、うろつくこと二十分。アルフレッドはやっと、匂いの元らしいモノを見つけた。

「……アレか?」

 肉売り場のど真ん中。

 なぜか一人の年配の女が、小さな机に小さな鉄板を置いて小さな肉を焼いていた。


   ◆


 アレは、なんだ?


 思いがけないものを見て、勇者はアレが何だか分からない。

 周りの買い物客は特に気にも留めていないので、ニッポン人には売場で肉を焼いている理由が分かるらしい。アルフレッドには分からないので、しばらく物陰から観察してみる。

「肉を焼いている……だけだよな?」

 女は小指の先ほどの肉をひっくり返したり、火加減を調整したりしている。そして近くを誰かが通りかかると、愛想よく挨拶をしている。それだけだ。

 料理ができたから棚に並べるわけでもない。ただ肉を焼き、時には暇なのか手を休めて突っ立っている。用事が済んだからと片付けて下がったりもしない。 

 まるで、売り場に立っている暇つぶしに肉を焼いているみたいな……。


「──いや、待てよ?」

 アルフレッドは気がついた。 

 よく見れば声をかけるついでに、何やら手元を指して説明しているよう見える。

「挨拶、ではなくて……客引きをしているのか?」

 興味を見せた客に、小粒の肉を楊枝に刺して渡している……?

「もしや!?」

 おかしなことをやっている店員の意図に気付き……アルフレッドは思わず、驚愕のうめきを漏らした。

「肉を売る為に試しに食わせているのか!? ……なんて斬新な売り方なんだ!」




 ニッポン人には常識の試食販売は、勇者的には全然当たり前じゃない。

 肉なら肉。

 果物なら果物。

 市場に来る人間は元々その食材を指名で買いに来ているのであって、一々試してから買うか決めるなんてことはしない。

「ニッポン人は肉を買うのに、牛か豚かも決めないで買いに来るのか……?」


 メニューを決めてから家を出て、市場でそれに必要な食材を調達する。

 牛と豚では値段も違う。用意する代金だって違ってくるだろうに……。


 繰り返すが、勇者の世界では家に冷蔵庫が無い。

 だから生鮮食品をまとめ買いする習慣が無いのである。


   ◆


 ひとつ謎が解決したら、余計に疑問が増えてしまった。

「えええ……どういうことなんだ?」

 気になって仕方ない。

 それでアルフレッドがさりげなく近寄り、そっと聞き耳を立ててみると……。


『このサーロインはそこらの黒毛和牛じゃありませんよ』

 売り子のおばさんは肉を刺した楊枝を客に渡しながら、横の平台冷ケースに並ぶ肉を紹介している。

『こちらは神戸牛のA5ランクなんです。普段ならこんなお値段じゃ買えないんですけど、今日は創業記念祭でなんと五割引! 半額なんですよ! この味を覚えたら、もう安い輸入牛肉なんか食べられませんよ』


 勇者は静かにその場を離れ、棚の裏に回り込んで今聞いた驚愕の事実を整理しようと試みた。

 アルフレッドは今聞こえた情報の衝撃が大きすぎて、現実の言葉と思えない。

 

「…………牛肉に、種類があるだと!?」


 売り子の話を信じるならば。ニッポンの牛肉には最低でも、


 “そこらの黒毛和牛”

 “神戸牛のエーゴランク”

 “安い輸入牛肉”


の三種類があるらしい。

「いや待て、どういうことだ? 牛の部位の話なのか? でも、あの口ぶりだと同じ場所の肉質が違うみたいな……まさか」

 アルフレッドは実演販売に気付いた時以上の衝撃に叩きのめされ、思わずよろめいてしまった。

「ニッポンでは同時に、品種の違う牛を三頭捌いたりするのか!?」


 彼の世界では、そもそもあらゆることに選択の幅が無い。

 だから牛肉を買うにしたって、種類を選ぶも何もない。牛肉はあくまで牛肉であって、肉屋は一頭から切り分けた肉を並べているだけだ。その中から自分が良いと思うブロックを目利きして買って来るので、極端に味が違うなんてことはあり得ない。

「牛は牛だろう? 品種が違うからって、そんなに味が違うなんてことは……」

 そう否定しかけたアルフレッドは、否定しきれず口をつぐんだ。

 ニッポン人のやる事だ。もしかして、が当たり前なことも多い。

「牛肉に、本当にランクがあるのか……」


 自慢じゃないがアルフレッド、金がないことに関しては大抵のニッポン人の人後に落ちない。何しろ彼の遊ぶ金イチマンエンは、神様が異世界旅行のオマケにくれた貴重なこづかいだ。ちょっと足りなくても贅沢なんか言えない。


 “神戸牛のエーゴランク”

 日常的に肉を食い慣れているニッポン人が、あそこまで言うほどに他と違う牛肉。


「あの“エーゴランク”とかいう肉は、例えば牛丼やカレーに入っている肉とそんなにも違うのか……?」

 どういう事なんだか、さっぱりわからない。


 アルフレッドは最初のショックから立ち直ると、また棚の陰から肉を焼く女マネキンを見てみた。彼女は相変わらず、やる気があるんだか無いんだか分からない態度で肉を焼いている。


「うむ。この疑問を解決するには……」

 試してみるしか、あるまい。


   ◆ 

 

 さりげなく通行人を装って売り子の近くを通ったら、話しかけられなかった。

「ふむ。これは……」


 買える客だと思われていないな、きっと。


「ニッポン人に俺は、肉一枚買う金も無い貧乏人に見えるのか!? これでも男爵令息いちおうきぞくだぞ!? しかも勇者なのに……くそう……!」

 あまりの情けなさにアルフレッドは泣きたくなるが、そんな事情が異世界ニッポン人に分かるはずがない。ただ単に料理をするような客層に見られていないだけである。




 精神的な一撃のダメージが大きすぎて泣きたいアルフレッドだったが、涙腺が緩みかけたところでギリギリ踏みとどまった。

 幼子ではないのだ。泣いたところで肉はもらえない。


 もう一回、今度は逆方向から通り過ぎてみようかな……そう考えたところで、アルフレッドはハッと思い直した。

「いや、待てよ? そもそも向こうから声をかけてもらおうなどという、待ちの姿勢がいけないんじゃないか?」


 そうだ。アルフレッド自分は勇者なのだ。


 “くれ”と言うのが恥ずかしいからと、向こうから勧めてくれるのを待つだなんて……そんなのは勇者の行いではない! 自ら攻めるのだ!

「勇気を出せ、アルフレッド! ここはやはり、真正面から当たるしかないぞ!」

 というかそもそも、試食をもらえなくて泣くのが勇者の所業ではない。




「すみません、俺にもひとつ!」

「は? はあ……」

 アルフレッドがズカズカ近寄って面と向かって「下さい」と言ったら、肉を焼いていた店員は簡単に試食をくれた。

 相手が呆気に取られている気がするが、些細なことだから気にしない。

 勇者は楊枝の先に突き刺さった、本当に爪より小さいサイズの灰色の塊をしげしげと眺める。

「どれどれ……コレが、その“神戸牛のエーゴランク”とやらか」

 一口とも言えない小さな塊だけど、最上級の肉ならば確かにお高いものだから仕方ない。

 塩さえ振っていないその小さな肉を、アルフレッドは恐る恐る口に入れた。

「!」


 甘い。


 脂が、甘い。


 砂糖とか果物のいかにもな甘さじゃなくて、溶けだした素材の美味さが“甘い”としか表現できない旨味に凝縮されている感じだ。

 そしてアブラに一拍遅れてジューシーな肉自身の確かな味わいが舌の上を駆け抜けていく。もしこの肉に塩が一振りされていれば、牛丼一杯に匹敵するコメを食えただろう。それぐらいに濃厚な“肉”感が、勇者の舌を一瞬楽しませて……。


 喉に入る前に、消えた。


「と、溶けた……! 肉が溶けて消えた!?」

「えぇ、まあ、最高級の霜降り肉ですので……」

 アルフレッドには霜降り肉というものがどんな物かは分からない。だが、コレが確かに別格な美味い肉なのは分かった。

 ほんのちょっとだけ味わったおかげで、もっと食べたいと渇望する欲求がとめどなく膨らむが……。

 チラッと平台冷蔵ケースに並ぶ肉を見る。

「うぐっ……!」

 今日は特別価格で半額だと、店員は言っていたけれど……ステーキ用としても小さな一枚で、ビジホの宿泊代が出てしまうお値段。

 たとえ特価でも、異世界の勇者の財布にはキツ過ぎた。


   ◆


「グオオッ!」


 魔物の振りかざす鋭い鎌状の刃を、アルフレッドは剣でかろうじて受けた。

「クソッ!?」

 力比べのつばぜり合いに持ち込んだが、人間などより魔物の方がずっと力が強い。アルフレッドは押し返すどころか、のしかかる刃を受けているだけで精いっぱいだ。

「アルフレッド!? バーバラ、行ける!?」

 勇者が追い込まれているのを見て悲鳴を上げた聖女ミリアが剣士を振り返るが……。

「すみません、こちらも三匹を相手にしていて……!」

「エルザ!」

「あのアホウと向こうが近過ぎるわ! まとめて吹っ飛ばすなら行けるけど!」

「あなたはなんで爆炎系しか知らないのよ!? フローラは!?」

「私からだとシルエットが重なって狙えない! ……おいアルフレッド。ちょっとチクッとするけど、男の子だから泣くんじゃないぞ?」

「誤射前提で射るなぁああああ!」


 ギリギリで堪え忍ぶアルフレッドに、余裕しゃくしゃくの魔物がニタリと笑って見せた。

『ヒャッヒャッヒャッ、アテにならない仲間だなあ?』

「う、うるさい……!」

『どうだ勇者よ。あんな連中と組むより、こちらについた方が良いんじゃないのかあ?』

 戦いのさなかに勇者にささやきかける異形の者を、ハッと気がついた魔術師が睨みつけて叫ぶ。

「アル、気をしっかり持って! その“ウィスパー”は相手をたぶらかせてすきを作るのが得意なの!」

「そうは言われても……!」

 心の隙間に攻め込むのを得意とする魔の者は、剣を保持するだけで精いっぱいのアルフレッドに猫なで声で囁き続ける。

『勇者、どうあってもおまえたちは勝てないぞ? なあ、俺たちのほうに来いよ。そうすればツラい日々ともおさらばだ。酒池肉林の毎日が待っているぞ?』

 魔物の言葉に、勇者がピクッと反応した。

「酒池、肉林……?」

『お、興味あるか? そうだ、酒池肉林さ。この世の贅沢を極めようぜぇ?』

「お、おまえの言う酒池肉林とやらは……」

 口車に乗りそうな人間に舌なめずりする魔物を、アルフレッドが光の戻った瞳で睨み返した。

「神戸牛のA5ランクが食べ放題なのか?」

『…………はっ?』 

「酒は純米吟醸とかあるのか?」

『いや、えーと?』

「まさか、牛丼とビールだけで贅沢の極みとか言うまいな?」

『いや……おまえ、何言ってんの? 酒池肉林ってのは、普通美女とキャッキャウフフと……』

「この世の贅沢を極めようとか言ってるくせに、貴様もしょせんその程度の認識かぁぁあああ! 男の純情を弄びやがって、死にさらせぇぇぇっ!」

『ギャアアァァァァ!?』

 意外な反応に呆気に取られて力を抜いた魔物を、怒りに燃えた勇者の剣は一撃でほうむり去った。




「やるじゃない、アル!」

 劣勢を挽回して決闘に勝った勇者を、駆け寄ってきた魔術師が珍しく褒めるが……。

 それにも気づかず憂い顔のアルフレッドは、むなしい思いを胸に空を見上げた。


「一瞬期待したのに……ああ、A5ランク。やはりおまえは、はかない夢でしかないのか……」

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