第08話 勇者、弱った身体を養生する

「ウラガンからいらっしゃったんでしたね。それならたぶん、この気候にあてられたのでしょうなあ」

 医者は簡単な診察をすますと、心配そうに横から見ていたバーバラにそう言った。

「あてられた……というと、病気ではなく体調の問題なのか?」

「おそらくは。我が国、特にこの地方は非常に蒸し暑い。よそから来られた方が体調を崩すのは、珍しいことではありません」

「治すにはどうすれば」

「慣れるしかないですなあ」

「そんな……」


 アルフレッドたち勇者パーティの一行はウラガン王国を離れて、かなり南に位置するマナドに来ていた。こちらでは魔王軍と思われる、組織だった魔物たちの動きが確認されている。掃討に協力し、あわよくば魔王の本拠地の手がかりを……と思っていたのだが。

「到着早々、なんということだ……」

「まさか魔物より先に環境に打ちのめされるとはな、ハハハ」

「笑いごとか!?」

 他人事のように笑うダークエルフ道案内をバーバラは涙目で𠮟りつけるが、その口調にも覇気がない。心配でしかたがないのだ。


 医者はもう、それで結論が出たというように帰りじたくを始めた。薬も無いらしい。

 だがバーバラはそれで終わりにされてはたまらない。

「せめて、何か楽になる方法は無いのか!?」

「何か栄養のある物を摂って、焦らずに寝ているのが一番ですな」

「そんなぁ……」

 専門家のにべもない返事に騎士はもう一度うめきを上げ、がっくり肩を落とした。




 一人忙しいバーバラとウンウン唸っているミリア。そんな二人の様子を眺めていたフローラが、死にそうな顔のアルフレッドに振り向いた。

「姫様の容態があんな状態じゃ、しばらく宿で足止めっぽいぞ。アルフレッド、飲みに行くか?」

「……俺も同じ状態なの、分かってて言ってるだろ……」

「おまえなら酒で治りそうだから」

「アルならありえるわね」


   ◆


 (当然ながら)しばらく宿で休養という事になり、ミリア同様のアルフレッドも自室で待機という事になった。当然、一晩たって朝が来たって寝ているだけだ。

 ベッドに転がっていると、悔しい思いがこみ上げてくる。

「くそっ、この身動きもままならない体調では……」


 今日がせっかくの安息日なのに、ニッポンで楽しく遊べないじゃないか!


「ううう……一週間に一度の楽しみなのに……宿で寝ているだけなんて、あんまりだ!」

 魔王討伐が遅れるのは別に全然どうでもいい。


「せめて、せめてニッポンのビジホで療養なら……きっとこのバテている身体もグングン良くなる気がするのに……」


 清潔で明るくて、いつでも快適な室温のビジホの部屋で。


 クッションが効いたフカフカのベッドに寝て。


 朝食食べ放題でスクランブルエッグやソーセージをたっぷり食べて食い尽くして


「あ、この間の宿で出た黄色いスープコーンポタージュも良かったな……具がゴロゴロ入ってるカレーが食べ放題のところもあったっけ……」

 硬いゴワゴワしたベッドに寝ていると、目を閉じればニッポンの素晴らしい宿の事ばかりが頭に浮かんでくる。

「そう言えば、色々な果物のジュースも飲み放題だったな……いますぐ食えるのなら、至高の卵料理スクランブルエッグとは言わない。目玉焼きに薄切りベーコンを添えたヤツを、腹いっぱい食べるだけでも元気になれる気がする……」


 朝食会場に行って目玉焼きを見ると、(あ、今日はスクランブルエッグじゃないんだ……)とがっかりしたものだけど。

(今考えれば、アレ目玉焼きだって贅沢な代物だよな。俺たちの世界でもアレは定番だけど、一度に食わせてもらえるのは一つか二つだものな……)

 目玉焼きに醤油をかけてベーコンと合わせるのも、それをコメにのせて牛丼丼もの風に食うのも、それはそれで美味い。 

 今まではお目当てスクランブルエッグが出ないとガッカリして、せいぜい五個くらいしか食べなかったけど……。

「そんな失礼なことを思わずに、ちゃんと今日の分まで食い溜め空にしておけばよかった……」

 逃した機会を思い、涙で枕を濡らす勇者であった。


 なお塩分過多になるので、醤油とベーコンはどちらか控えめにした方が良い。




 あれこれ悔やんで寝れないアルフレッドも、身体はバテているので眠気はある。気が抜けると同時にまどろみ始め、スッと意識が遠くなり……。

「神様ぁ、今日は……」


   ◆


 仮眠うたたねに入ったアルフレッドは、肌を焼く熱さにハッと目が覚めた。

「え? 何? 外!?」

 薄暗い宿の部屋で寝ていたはずなのに、気がつけば何故か屋外で直射日光に当たっている。アルフレッドは慌てて飛び起きた。


 快晴の青い空。

 目に眩しい緑の木立。

 ……を遠くに見ながら、公園の芝生に転がっていた自分。


 森の向こうに見慣れた四角い塔高層ビルがいくつも見える。これは……。

「ニッポンだな、どう見ても」

 芝生の上にあぐらをかいて座り込み、茫然と辺りを見回す。どこをどう見たって、自分の世界と見間違いようもない。というか自分の世界にこんな場所があったら、そのほうが驚きだ。

「もしかして俺、寝ているあいだにニッポン行きを願っちゃったのか?」

 どう考えてもそれしか考えられない。

 まあ、それはそれとして。

「ニッポンの気候もマラドに負けず劣らずだったな……ぐおおっ、熱くて死にそうだ!」


   ◆


「さて、どうしようか……」

 なんとか日陰に逃げ込んだものの、ニッポンの太陽も容赦ない。暑いじゃなくて、熱い。冗談ではなく焦げるんじゃないかとアルフレッドは思った。


 そして直接の日差しを避けても、熱い空気と気持ち悪い湿気はついてまわる。

 そこにもってきて、アルフレッドは元から体調不良だ。思いがけずニッポンに来てしまって、驚いてここまで歩いて逃げて来たが……一回座ってしまうとぐったりしてしまって、もう歩けそうにない。

「軒先にいつまでも座り込んでいるわけには行かないが、どうしようかな」

 どこか冷たい空気でいっぱいのクーラーが効いた店に避難したいが、今の体調で移動できるかが問題だ。

 かといってこのまま座り込んでいても、熱波で蒸し焼きになるのは同じこと。


 にっちもさっちも行かない状況に勇者がため息をついたところで……。

 ガラッと音を立てて後ろの扉が開き、年老いた男が顔を出した。




「おい、そこの兄ちゃん。どうした?」

 どうやら自宅の軒先に座り込んで動かない人間がいるので、見に来たらしい。

「あ、これはすまない……いや、暑さで動けなくなって……」

「あー、最近の蒸し暑さはスゲエもんなあ……大丈夫か? おまえさん、脱水症状起こしてないか?」

 ニッポン人から見ても、アルフレッドは具合が悪いように見えるらしい。

「は、はは……もう歩けなくって、どうしようかと……」

「それはいけねえ、中に入んな」

「え? いいのか?」


 親切な老人の言葉に甘えると、扉の中は狭いながらも店舗になっていた。

 しかも、酒瓶やツマミなどの袋が所狭しと並んでいる。

「酒でいっぱい!? ここは……!?」

「あー、外人さんには個人の酒屋なんか珍しいかもなあ」

「酒屋!」

 外見が質素な薄汚いので普通の家かと思ったら、個人の家ではなくて個人商店であった。

 大店おおだなでなくても店の半分は扉が付いた冷やす棚冷蔵ケースを置いていて、飲み頃に冷やしてくれている営業努力に頭が下がる。

 思わずアルフレッドは扉にへばりついた。

「お、おおお……!」

「ははは、冷蔵庫にくっついてると涼しいかい」

「冷えたビールがこんなにあるのに、具合が悪くて飲めないなんて! 飲みたい! 浴びるほど飲みたい! ……あ、でも、“迎え酒”とか言う治療法も……」

「いや、兄ちゃん……今そんなに飲んだら死ぬぜ」


   ◆


 アルフレッドを冷房の下の椅子に座らせた老人は、あごをさすりながら思案顔になった。

「そうさな。とにかく体を冷やして栄養補給しないと、どうにもなんねえよな」

「何か、即効性のある手があると良いのだが……」

 勇者のボヤキに、老人が何か手立てをひらめいた。

「んー……おっ、こういう暑さに負けている時はアレだ。ちょっと待ってろ!」

 

 店主は一回奥に引っ込み、なぜかドンブリを持ってきた。

 そう。アルフレッドもお馴染みの、ラーメンや牛丼を入れるあの器だ。


 しかしアルフレッドが覗いても、中身は空。

「?」

 見ていると老人は一つの扉を開けて、氷だけ詰まった袋を取り出した。

「こういう暑くてたまらない時はな、コレが美味いんだ」

 かちわり氷ロックアイスをどんぶりいっぱいに詰め込むと、別の扉から出した大瓶1.5Lのコーラを開けて……。

「おおっ!? なみなみ!」

「おうよ! 夏バテにはどんぶりコーラよ!」

 

 どんぶりは食事を入れる食器。そんなことは異世界人のアルフレッドでも知っている。だがその紐料理麵類を入れるべき器に、なぜかコーラを注ぐという行為が……今のアルフレッドには、物凄い贅沢に感じる。

「ぎっちりと詰め込まれた透明な氷と、なみなみ注がれた泡立つコーラ……なんて涼し気で美しいんだ!」

「どうでえ、ちまちまコップで飲むより美味そうだろ?」

「確かに!」

 震える手で受け取って、両手にずしりと来る重さを確かめる。ぱちぱち音を立ててはじける茶褐色の液体に口をつけると、爽やかに舌を突き刺す刺激的な味わいが。

「美味い!」

 アルフレッドは思わず叫んでしまう。それぐらい、疲れが溜まって暑さに干からびた身体へしみ込む感じがする。

 それに、この飲み方。

「この、大杯にたっぷりの氷というのも良いな! 真夏に氷をふんだんに使い、良く冷えたコーラをあおるというのは……なんていうか、王様にでもなった気がする」

「だろ? 良い飲みっぷりだな。ほれ、もう一杯」

 音を立てて飲み干せば、店主がお代わりを注いでくれる。二杯目も一気飲みし、三杯目でやっと味わって飲む余裕が出た。

「あー、コーラがこんなに美味いとは……」

「人心地ついたようだな。気力が戻るとなんか食いたくなるだろ?」

「うむ、確かに!」

 老人はコーラをアルフレッドの手酌に任せると、菓子のコーナーから大きめの袋を持って来た。 


 店主が出してきたのは、アルフレッドもおなじみの。

「歌舞伎揚げか!」

「そう。日射病にやられている時は、こういう物が美味いんだ」

 ありがたく受け取って、カリッと香ばしいニッポン独特のクッキーせんべいをかじる。それをバリバリ噛んで、コーラで流し込むと……。

「……く──っ!」

 甘いコーラと、甘い歌舞伎揚げ。

 両方甘いと片方は味が死んでしまいそうなものだが、この二つに限ってはやけに相性がいい。

「歌舞伎揚げに、甘いのとしょっぱいのと同居しているからか!? コーラと歌舞伎揚げ、凄く合う!」

「おうよ、この二つを一緒に食うと身体に良いんだ。脱水症状には水分と一緒に糖分と塩分甘いのと塩っぽいのを摂れって、たしか漫画に描いてあったからな」

 店主が自慢げに語る超うろ覚えな半端知識に、何も知らないアルフレッドはコクコク頷いた。

 そして二人の意識に、“こういう時はスポーツドリンク飲めばいいんじゃね?”などという無粋な考えは浮かばなかった。




 さて、店主の機転のおかげでかなり元気が回復してきたアルフレッドだが。

「何か食いたい気力も戻って来たが……」

 アルフレッドは手元のどんぶりを見下ろした。


 ラーメン。

 牛丼。

 カレー。

 その他の美味しいやつ。


 どれも今すぐ食べたい気持ちはあるけれど、同時にまだ何かがある。

「どうしようかな……酒も飲みたいし何か食いたい気持ちもあるんだけど、あと一歩をためらう感じがあるな」


 もう少しで完全復活できる気がする。

 しかし、美味い物を食う以外にどんな手があるのか。 


「なんか栄養補給なあ……そうだ!」

 店主がまた別の扉を開け、アルフレッドの希望に合うモノを探してきた。

「こいつなんか栄養たっぷり(な筈)だぜ」

「それはアイスか?」

 アイスならアルフレッドもよくたしなんでいる。ニッポンの夏には欠かせない美味だ。

 ただ、いつもアルフレッドがコンビニやスーパーで買うのは手のひらサイズなのだけど……。

「デカい!?」

「まあ、ファミリーサイズだからなあ」

 紙のバケツ型容器の形はほぼ同じだが、老人の手に余る大きさがある。

「安いのに比べるといい材料使ってる(筈だ)から、(たぶん)身体に良いぞ」

「なるほど、高級品だから大きいのか」

 微妙に食い違った受け答えをして、アルフレッドはアイスの容器を受け取った。これも借りた大きなスプーンを、ほのかにクリーム色のアイスへ突き立てる。

「うん、美味い! 滋味あふれる味だ! これは身体に効いて来た!」

 味で栄養価が分かった気になる男、アルフレッド。 


「へっへっへ、そこへだな」

 アルフレッドが美味しくアイスを食べていると、店主がさらに一品持ってきた。何やら酒瓶に見えるが……。

「それは?」

「ブランデーだよ。こいつを、そのアイスの真ん中へ……」

 自分が飲酒を止めたのも忘れた店主が、アルフレッドの持つアイスの中へ強い蒸留酒を流し込む。アルフレッドが食べてくぼんだ中央へ、芳香を放つ琥珀色の液体が流し込まれて池を作った。

「ほれ、食ってみ」

「う、うむ」

 ウィスキーみたいなものかな? と思いながらアルフレッドは一すくい食べてみた。

「うおっ、この匂い!? 舌に来る苦みも、美味い!」


 とにかく甘いバニラアイスに、ほのかに苦く、かすかに甘い……そして強烈なアルコールのパンチが効いたブランデーとかいう酒がからんで……口内で溶けたアイスを飲み下せば、鼻から抜けるアルコールの刺激と心地よい香り。

 バニラアイスは何度も食べたけど、ひと手間加わったらとんでもない高級感が付加された。


 この味わいは、まるで……。

「まるで、ウィスキーに漬け込んだプリンをアイスにしたみたいだ!」

「他に例えようがないのかい、兄ちゃん」


   ◆


 たまたま知り合った老人のおかげで、アルフレッドはすっかり元気になった。


 元々大食漢なのに暑さにバテて全然食べていなかったものだから、水分と糖分の大量摂取がかなり効いている(かも知れない)。

 単純に考えても、暑さに負けている身体を冷やせたので気力が復活してきた。


 普段のアルフレッドに戻り、食欲も湧いてきた。この調子なら、あとは好きな物を食べれば完璧だ。

 勇者はすっかり世話になった店主に礼を言った。

「ありがとう。おかげですっかり良くなった」

「そいつは良かった。夏の昼日中は気をつけないとダメだぜ?」

 鷹揚おうように勇者の礼を受けた老人も上機嫌で、会計の機械レジを叩き始めた。

「ロックアイスにコーラ二本、歌舞伎揚げの徳用袋とアイスのバニラ、ブランデーのハーフボトルで……あい、お会計四千円ポッキリ! 端数はオマケしといてやるよ」

「あ……はい……ありがとうございます……」


   ◆


 表に出ると、やはりニッポンの夏は暑かった。

「…………このあと、どうしようかな」

 とりあえず予定外に金が減ったので、今晩はビジホ泊まりは無しだ。

「よく考えたらまだ腹にたまるものは食べてないから、牛丼に玉子でも付けて……食べる気力も戻って来たから、カレーも良いかもなあ」

 あまり食事に使うと酒に使える予算が足りなくなるから悩みどころだ。

「でも復活したばかりで食より酒を優先するのも良くないか……」

 うーむ……。


 そんな感じでこの後のことに悩む勇者は、思わず一言。

「ただで飲み食いを期待したわけじゃないけど……でもせめて最後のブランデー? とかいうのが無かったら、もっと安く済んだんじゃないかなあ」

 いまさら言っても、仕方ないのだが。


「……ま、おかげで助かったのだし……でも、できれば事前に言って欲しかったというか……」

 微妙になにか釈然としないものを胸に抱えながら。

 勇者は食事のできる店を探して、トボトボと歩きだした。 

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