第03話 勇者、勇者と競う
アルフレッドはメニューを眺め、眉をひそめた。
「地獄ラーメン……ずいぶんな名前だな」
普通料理には美味しそうな名前を付けるものだ。たまにおかしな物もあるけれど、だいたいは食欲を掻き立てるように料理名には工夫を凝らす。
それが“地獄”などと付けるとは……。
「まさか、料理人が死にかけた時に閃いたとか?」
それなら天国ラーメンとでも名付けそうな……。
「初めての店だから看板メニューを注文したいが、この名前は怖すぎるな。何が出てくるんだ?」
アルフレッドは別の世界から神の計らいで、週に一回この異世界ニッポンへ遊びに来ている異邦人だ。
ニッポンに住んでるわけじゃない。予算も神からもらえる一回イチマンエンのお小遣いのみ。宿代と飲み代を差し引くとほとんど残らないので、たまのニッポンでの食事を失敗したくない。
メニューだけ見ても詳細が分からないので、通りがかった店員を呼び止めて訊いてみる。この名前、気まぐれでチャレンジするには怖すぎた。
「すまない。この地獄ラーメンというヤツなんだが」
「はい! うちの一番人気なんですよ!」
(一番人気。やはり看板メニューにするだけの逸品か?)
「なんで“地獄”ラーメンなんて物騒な名前が付いているんだ?」
「はっ? はぁ……」
激辛ラーメンとしては当たり前すぎるネーミングに疑問を持つ客に、首をかしげて店員が応える。
「地獄みたいな味と」
「地獄みたいな味!?」
「見た目が“血の池地獄”に似てるから、って聞いてますね」
「血の池地獄!?」
(いったい何がどうなったら、そんなものに人気が集まるんだ⁉)
アルフレッドの悩みが増えた。
◆
「無難に醤油か味噌に行くか、それとも怪しい地獄ラーメンに賭けてみるか……うーむむむ!? 」
店員に聞いたせいで、余計に決まらなくなった。
そんな勇者が悩んでいると、店員が通路を挟んだ隣の席にラーメンを運んできた。
「地獄ラーメン三丁目、お待たせしました!」
(地獄ラーメン!?)
迷っていたら現物が登場だ!
ちょうどいい。メニューで顔を隠しながら、アルフレッドは横目で隣の地獄ラーメンを覗き見た……ら。
赤。
第一印象は、“とにかく赤い”。
(……なに、あれ?)
アルフレッドの国には、唐辛子が無い。
ついでに言えば辛い物を食べる文化もない。
呆気に取られて見ていると、毒々しいほど赤いどんぶりに隣の二人組はなにやらはしゃいでいる。
「うおー、赤い!」
(見れば分かる)
「うっひゃー、湯気だけで目が痛い気がする!」
(……何かの毒物か?)
「ちょっ、写真撮ろうぜ! スマホ、スマホ」
(ええい、伸びる前にさっさと喰わないか!)
一向に食わない隣の客に、他人事ながらイラっとする勇者。
イライラしているアルフレッドの呪詛が通じたのか、二人はひとしきりはしゃいだ後にやっと箸を手に取る。
(さて、地獄ラーメンとやら……どんな物なんだ?)
アルフレッドが注目していると、すすり始めた二人がいきなり同時に悲鳴を上げた。
「おぉー、痛え!」
「うっわ、ホントに辛い!」
(辛い……マスタードみたいなものか? それともあの、ワサビみたいな感じか!?)
なるほど、辛すぎるので“地獄のような味”と。
二人はひいひい言いながらも食べ進めている。
「辛い!」
「スゲエ辛いな!」
「こりゃー凄いわ!」
「あー、辛い……」
(おまえら……)
辛い辛いと騒ぐバカ二人に、もどかしいアルフレッドは一言申し上げたい。
(ボキャブラリーを増やせ、バカ者! 情報がまったく膨らまないじゃないか!?)
向こうにしてみれば、だったら自分で試してみろという話だが。
◆
どんな物かは(なんとなく)アルフレッドにも分かった。
しかし、それを喜んで喰うべきかはさっぱり判断が付かない。
「そんなに辛いものが美味いのか……? 避けるべきか……でも、初めての店だったら一番人気を試すのが常道だしなあ……」
勇者が再び頭を抱えて悩み始めたところへ、新しい客が入ってきた。
若い男ばかりの四人組が斜め前の席に座り、メニューを見てあれこれ言っている。漏れ聞く限り彼らも地獄ラーメンを食べに来たらしい。
「これだけ人気があるなら、俺も行くべきか? しかし、どれほど辛いものか……」
滅多に食べないモノだけに、なかなか踏ん切りがつかない。そんなことを考えていたら。
水を置きに来た店員に、アルフレッドより先に決めた若者たちが次々注文を出していく。やはり全員地獄ラーメンで、二丁目とか四丁目とか言うからにはソコの数字がランクを現しているらしい。
(そう言えばさっきのヤツも、サンチョウメとか言ってたな)
メニューを見ると、一から十まであるようだ。初めての人は三まで、とも書いてある。
(……十なんて言ったら、どれだけ辛いんだ?)
そこまでアルフレッドが理解したところで、三人目がおもむろに衝撃の一言を発した。
「俺は……十丁目で!」
(十丁目!? さっきのアレで、三丁目と言ってたぞ!?)
驚きに思わず目を丸くして見てしまったアルフレッドの前で。
どこか得意げな
「ヒュー! おまえ“勇者”だな!」
◆
「あの……本当に大丈夫ですか?」
運んできた店員に心配されて、引き攣った笑顔でアルフレッドは頷いて見せた。
「ああ、大丈夫だ!」
初めてだと挑戦できないというのを無理やり頼み込み、アルフレッドは地獄ラーメン“十丁目”を注文した。
届いた真赤なラーメンは……なんだか本当に、地獄の匂いがした。
嗅ぐと鼻の奥がツンとする。目も痛い気がする。
(これ、本当に地獄の血の池とやらで汲んで来たんじゃないだろうな……)
マジメな話、目の前に置かれると毒物のような気がしてきた。
当然ながらアルフレッドは、カプサイシンなどというものは知らない。
箸を手に取り、数回深呼吸。
「さて、どんなものなのか……」
……スープはこんなに赤くなかったけど。
自分で注文しておいてなんだけど、ついついアルフレッドは思ってしまう。
──これ、人間の食い物か?
「まあ、眺めていても仕方ないな」
覚悟を決めて、麺をすくい……かけて一旦箸をおき、レンゲを手に取った。
「……ちょっと特別なラーメンだからな、うん。まずは段階を踏んで、特徴的なスープから行っとこうかなぁ」
麺をいきなりほおばってしまうと、凄く辛い時に口の中が凄いことになるだろう。でも、スープならちょっと舐めるだけでも……。
決意が後退したチキン勇者は、ひとまず“血の池”をレンゲですくった。そっと口元へ運んで一回ためらい、それから静かに口の中に流し込み……。
「……うほぉぉおおおおおオッ!?」
(辛い! これ、マジ辛い!)
もう今までの経験値を軽々突破しているというか、そもそも比べられるような過去の記憶が存在しない。
一口しか飲んでいないのに全身の毛穴が開き、ブワっと汗が噴き出るのが分かる。口の中はやすりでこすったように痛い。スープに触れた辺りは熱を帯び、ジンジンと染み入るような鈍痛が続いている。
「な、なんだこれは……!」
美味いマズい以前に、痛い!
「これ、飯を食った感想か……?」
自分で言ってて信じられない。
麺を食べてみる。
辛味そのもののスープに比べればマシだけど、やはり辛い。たっぷりスープをまとっているんだから当然だ。
「具はマトモだろうが、これ先に片付けちゃったらスープと紐だけ残っても……」
死ぬぞ、これは。
それでも注文した以上、アルフレッドは頑張って食べてみた。
五口も食べると口の中が腫れ上がったようになって、ヒリヒリする痛みで涙が出てきそう。
「辛いの上は、痛い。寒さが過ぎると痛いのと同じ……過ぎたる刺激は痛みに変わるということか」
勇者は一つ利口になったけど、それは注文前に知りたかった。食べ始めた今に分かったところでどうしようもない。
「あいつはどうなんだ?」
チラッと斜め前の席を見ると、例の“勇者”は派手に汗を流しながらもう半分ぐらい食べている。
「くっ!」
こっちが
(くそ、このままではヤツが本物の勇者になってしまう!)
アルフレッドもなりたくてなったわけじゃないが、たかがラーメン完食で勇者の称号を横取りされては立つ瀬がない。
──と本人は思って頑張っているのだが、彼はいったい何と戦っているのか。その答えはアルフレッド自身の中にもない。
とにかく負けたくない。
(どうする? どうしたらいい?)
賢いのはギブアップして去ることかも知れない。だが止める店員に無理を言って注文したのに、あえなく降参なんて恥ずかしすぎる。
そんな事を考えていても箸は進まないのは分かっているが……。
一方ニッポンの勇者は、仲間の称賛を受けながらどんどん食べ進んでいる。
(なにか、起死回生の一手は……)
この際ヤツに遅れるのは仕方ない。が、せめて完食しなければ申し訳が立たぬ……そう思ったところで、アルフレッドは地獄ラーメンと一緒に届いた小鉢を見つけた。
実はアルフレッドの地獄ラーメン、十丁目ではなく五丁目なのだ。
初挑戦でいきなり十丁目とか言うので店のほうで配慮して、五丁目のどんぶりに後足し分の調味料を別皿で付けてくれていた。
……これで常連と張り合っているつもりなのだから、二重に恥ずかしい。
(……どうせ元から食えないほど辛いんだ。せめてその、地獄の頂点を体験しておくか)
“店の気遣い”を一気に全部投入。一回ゆっくり深呼吸して覚悟を決めると、アルフレッドはいつものように勢いよく麺をすすり……。
「ん!? ……えっ?」
◆
他国の歓迎晩さん会なのに、聖女のミリア姫が元気がない。こういう時こそ“姫”であるミリアの出番だから、いつもなら生き生きしているのに。
「どうされました?」
仕える姫君を心配して声をかける護衛騎士のバーバラに、浮かない顔つきのミリアが小さな声で答える。
「フォルマの料理ってね、辛いのが多いのよ……」
「辛い?」
知識としては知っていても実感がない
「ああ、確かにウラガンではそういう料理が出ないな。アレはアレで、慣れれば美味いと思うが」
「慣れれば、ねえ……」
次々運ばれて来る料理は確かに辛かった。
「なるほど、これが『辛い』ってことね……」
さっきはピンと来ていなかったエルザも、スプーンをくわえて呻く。
「刺激が強すぎるわ……お腹がおかしくなりそう」
「腹の前に、舌が駄目になりそうだ……」
稽古では弱音を吐かないバーバラが脂汗を流している。
わりと平気そうなフローラでも、あまり食は進んでいない。
「気候のせいかなあ。環境が厳しい土地だと極端な味付けに走るんだよなあ」
「私の分も食べる?」
「好きだとは言ってない」
その中で、一人勇者だけが余裕を見せていた。
「アル、あんたは大丈夫なの?」
「大丈夫と言うわけではないんだが」
アルフレッドは実は昨晩、もっと強烈なヤツを経験済みだ。
「くくく……
一昨日までのアルフレッドだったら、それでも十分食えなかったかもしれないが……今の彼には知識と経験がある!
アルフレッドはもっとも辛い魚介類のスープに、食卓にさりげなく置かれていた小さい壺の中身をドボドボ投入した。
この壺の中身はフォルマ料理の味付けの基本にある、辛味スパイス。元々毒々しい色のスープが、さらに鮮やかさを増す様子に騎士が小さく悲鳴を上げた。
「お、おい、アルフレッド……ものすごい色になっているぞ!?」
「案ずるな、バーバラ。これが辛い料理の攻略法だ」
アルフレッドは昨日地獄ラーメンに、追いスパイスをして知ったのだ。
“辛さは限界を超えると味覚がマヒする”
グッと一気に半分ぐらい空けたアルフレッドがにやりと笑う。
「よし! これでもう分からん!」
「いやいや、なにがヨシ! なのよ……」
さり気なく辛くない料理ばかり摘まんで口に放り込んでいるフローラは、痛覚がおかしくなっているうちに料理を掻き込んでいる勇者を眺めた。
(たぶんアルフレッドのヤツ、どこかで変なことを覚えたんだろうが……)
あと半日もしたら、トイレで悶絶するぞ。
「ま、それもまた一興」
そう呟くとダークエルフは杯を干し、空になったデカンターを給仕に向かって振って見せた。
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