第02話 勇者、蕎麦の神髄を悟る
異世界の勇者アルフレッドの愛する祖国、ウラガン王国は気候温暖で過ごしやすいことで有名だ。一年を通じて気温の変化が少なく、常に暖かく厚着の必要はない。
したがってウラガンで生まれ育ったアルフレッドは、
「さっむぅうう!?」
冬に弱い。
◆
吐く息の白さに驚き、アルフレッドは
「
既に異世界ニッポンのベテランであるアルフレッドは、“夏”と“冬”という暑さ寒さが極端な季節がある事を知っている。それに転移する時は神様が自動で衣服を調整してくれるので、気候が合わずに動けなくなるようなことは無かった。
だから今回も身体を突き刺す冷気に悲鳴をあげながら、(ニッポンは冬になったんだな)と思いながら居酒屋に駆けこんだのだが……。
「いや、それにしたって……なんだこれは」
街が白くなっている。
楽しく飲んで店を出てきたら、外の景色が一変していた。
元々
「これは何だ?」
街の色を変えた怪しい物体に、おそるおそる触ってみると……。
「冷たっ⁉」
メチャクチャ冷たい。
予想の何倍も冷たい。
キンキンに冷やしたニッポンのビールより冷たい。
白いザラザラ、ジャリジャリしたものは氷の細かい粒のようだが、あっという間に指先の感覚が無くなるほどに冷たかった。そしてなんだか見覚えがあるような気がする。
手のひらに載せてよくよく観察し、アルフレッドは正体に気がついた。
「これ、かき氷じゃないか?」
惜しい。
なぜか町一面に、“夏"の定番のはずのかき氷がぶちまけられている。
この謎現象にアルフレッドは戸惑って眺めていたが……ふと気がついたら、真っ暗な空から、白い物がちらほらと。
「え? かき氷が、空から?」
空から細かい氷が際限なく、見渡す限り一面に降り注ぎ始めた。
「もしかして……これが噂に聞いた、雪というヤツか?」
そういう物があるのは知識とした学んだ事はある。
「この見た目、肌触り。さらに空から際限なく降ってきている様子を見ると……これが“雪”ってヤツに間違いないな」
ごく自然に、こんなものが降って来るなんて。
自然の不思議にアルフレッドは唸り、そして同時に納得した。
「かき氷って、どうやって氷をあんな細かく削るんだろうと思っていたけど……初めからこんなに細かいのか、なるほどなあ。しかし氷屋もこれを搔き集めて夏まで保管しておくんじゃ、大変な仕事だよなあ」
◆
珍しいのでアルフレッドがのんきに眺めていたら、雪はどんどん強さを増していく。もう視界が白く煙るほどで、通りの反対側もかすんで見えるようになってきた。
「俺たちの世界じゃ雪なんて、よほどの北国か高い山の上にしか降らないモノなんだけど……ニッポンにも降るんだな」
アルフレッドは四季さえはっきりしないウラガン王国生まれだ。平地の町にも雪が積もっていく光景に、異世界の勇者は驚きを隠せない。
「ビックリしたなあ。ニッポンがそんなに寒い地域だったとは……て、あれ?」
この街に前に来た時は、確か……。
「でもここ……夏は夏で服を着ていられないほど、ヒドい蒸し暑さだったよな?」
なんで同じ街で、こんなに暑さ寒さが極端に廻ってくるのだろう?
不可解な出来事に首をひねっていたアルフレッドは、先日コンビニで見かけた雑誌の見出しを思い出した。
「そうか、これが
ニッポン人の信心はさておき。
たまたま居合わせて、“天変地異”に巻き込まれてしまったアルフレッドはたまらない。
「雪の冷たさも凄いが……それ以上に、この肌寒さがたまらん! 寒いというより、痛い!」
冷気が肌に突き刺さり、まるで鞭で叩かれているみたいに痛い!
いくら勇者でも、ちょっとこれは洒落にならない。
◆
「なんか、風の音もやたらと派手になって来て……当たって来る雪が塊になって来たぞ⁉」
今日の宿を目指して歩き始めたけど、慣れていないアルフレッドはまっすぐ歩くのにも難儀する。そこに持ってきて風の勢いはますます強くなり、降る雪は粉雪からシャーベット状のドカ雪に切り替わった。それが横殴りに叩きつけてくる。
「くそぉ、こういうのは夏にやってくれ!?」
天に向かって叫ぶが、返事は当然吹雪で帰ってきた。
「寒すぎて、もう酒が抜けてしまった……」
酔いが宿までもたず、身体の芯が冷えてくる。街の中で遭難しそうだ。
「いかんな、このままでは……」
異世界の勇者アルフレッド、雪に敗れてニッポンの街路に死す──。
「そんなことになってたまるか!? 使命がどうの以前に恥ずかし過ぎる!」
雪に負けるわけにいかない。
アルフレッドは己を奮い立たせようと頬を叩き、気合を入れた。
──そんな勇者の姿を街行く人々は、珍獣でも見るかのように眺めながら避けて通って行く。
他の人は普通に傘を差して行き交っている中で絶望している辺り、勇者は実はまだ酔っているようである。
◆
それにしても。
悪路に足は取られるし、濡れたところから冷えて来るし。雪の中を歩いて行くのは慣れていない人間にはとてもつらい。
アルフレッドはポケットの中で財布を振ってみた。
「まだいくらか余裕があるから、いっそ今晩はもう一軒……」
とは思ったけど。
「いや待て。この状態でハシゴしたら、宿に帰れなくなるな」
この天気で路上で寝こけたら……今度こそ、死。
こうなったら酒とは言わない。何か温かいモノを腹に入れたい。
「ラーメンとか、熱いほうのコーヒーとか、この辺りに店がないかな……ん?」
そんなことを呟くアルフレッドの進むほうに、ちょうど“
取りあえず覗いてみる。
「ここは何の店だ?」
店構えから見て居酒屋っぽいけど、覗いてみると狭いながらもラーメン屋みたいな感じ。しかし飾ってある壁の
アルフレッドはぶら下がっている提灯に気がつき、書かれている文字を読んでみた。
「えーと……“立ち喰い蕎麦処”?」
◆
「らっしぇえい!」
ちょっと訛りの感じられる挨拶に迎えられて入った店内は、やはりラーメン屋っぽかった。
でも、なんだかラーメンとは違う匂いがしている。
「えーと、ここは……」
「へい! 立ち食いそば専門店!」
「立ち……?」
店員の説明を聞いて、自然とアルフレッドの視線が下がる。
──卓の前に椅子があるんだけど?
アルフレッドが無言で指さす椅子席を見て、ひとりだけいる店員は破顔一笑して親指を立てた。
「問題ない! 気にしない!」
「そうか……? まあ、立ちっぱなしより座れる方がありがたいが」
アルフレッドはなんだか釈然としない思いを抱えながらも、言われるままに席に座った。
今は細かい言葉の違和感なんか気にしている場合ではなかった。
「とにかく体が温まる物が食えれば、それでいいや」
卓上のメニュー表を手に取って眺めてみる。
「ほう、色々とあるな。えーと、ざるそば……とろろそば……天ぷらそば……」
メニューにのっている物は、どれも“○○そば”と書いてある。
「……全部そばなのか?」
今までに入った店の商品名は、だいたい“○○ラーメン”と書いてあった。“中華そば”や“つけそば”というものがたまにあっても、“みそそば”とか“とんこつそば”とは書いてなかった。
「なんだろう? なんだか店内に漂う匂いも違うし、俺の知っている中華そばとは違うみたいだな」
アルフレッドには、中華そばと和蕎麦は違うという基礎知識がない。
それでもとにかく、なんだか違う物を出す店だというのは分かった。絵をよく見ると、ここのそばはラーメンよりも紐の色が浅黒い。
「ふむ、そうなると“災い転じて福となす”だな。俺が初めて食う
今日雪が降ったのは“見逃すな!”という神の思し召しかも知れん。
単純なアルフレッドはそう結論付けると、どれにするかを検討し始めた。
「ほう。やはりここは一番人気で行くべきか」
サッと目を走らせると、一番目立つところに他の倍くらいある絵が載っていた。
『当店一番人気! キリリと冷たい打ち立てざるそば!(チョモランマ盛り)』
「死ぬわ! 特盛の冷えたつけ麵なんか、こんな天気で食えるか! 二番は!?」
『実力の二番手! 本格冷やし中華!(当店では通年でお出ししております)』
「これも冷たいのかよ!? この天気で!? ニッポン人はどうかしてるぞ!」
「お兄さん、お兄さん」
「ん?」
アルフレッドを呼ぶ声に振り返ったら、カウンターから身を乗り出した店員が勇者の持っているメニューを表裏ひっくり返した。
「そっちは冷たいのねー。温かいはこっち」
「…………そうか」
◆
「ほう……これがかき揚げそば」
ラーメンに比べると黒みが強いこげ茶色のスープに、やや灰がかった細い
「でかいな」
細かいモノをまとめて一塊にしたらしい揚げ物は、スーパーの総菜では見たことがない。直系も大きいけど、高さも握りこぶしくらいある。なんにせよ、デカいのは良いことだ。
箸で挟むと摘まんだ時の手ごたえで、ほど良くカリッとしているのが分かる。ニッポン料理に慣れ親しんだ勇者は、それだけで食べる前からこれが美味いと理解した。
「ふむ、コレは俺が見るに……もしや、えび天やとり天の仲間か?」
アルフレッドは“天ぷら”というジャンルも知らない。
「だったら確実に美味いだろうな。中に入っている具材がなんだかは分からないが」
期待を込めて大口開けて嚙みちぎれば、やはりカリカリの皮の中に何か甘さを感じる野菜が入っている。それも一種類じゃない。何種類もだ。それだけ入っているからこそ、一口で様々な味わいが楽しめてアルフレッドもご満悦だ。
「いいな! これは良い! さて、紐のほうは……」
かき揚げを一口食べたので、蕎麦もすすってみる。
サッパリしたスープをまとう蕎麦は、ラーメンの白い紐とは舌触りが違って……。
「うん、なるほど。確かにラーメンとは別物だな! ラーメンの紐ほどモチモチ感はないが独特の芳香があって……」
そこにスープだけを一口。これもラーメンのスープとは違う、なにか生臭くも旨味が深いダシが効いている。代わりにねっとりするような油や舌を刺すような強い塩気は無い。
と思った瞬間。
「……待てよ!?」
誰あろうアルフレッド自身の舌が、その感想に異を唱えた。
「確かにあっさりしているが、それでもアブラの美味さも感じるぞ?」
わずかだけどねっとり感も舌先に感じる。それがアクセントになって、どちらかというとサッパリした紐料理にコクが出ている気がする。
「この舌から鼻に抜ける風味……もしや!? かき揚げを上に載せることで、スープにアブラが染み出しているのか!?」
なんとこれは……。
アルフレッドは思わず笑いが漏れてしまう。
「ふ、ふふふ……なるほど! 神が雪を降らせてまで、寄って行けと俺に警告するわけだ」
かき揚げと
これを演出したこの店の店主は、相当な知恵者だ!
「ニッポン中に何軒そば屋があるか分からないが、こんな喰い方があるとどれだけの店が知っているかな。初めての立ち食い蕎麦でこの“かき揚げそば”に出会えた奇跡。神よ、あなたのお導きに感謝します!」
神様の否定が聞こえそうな祈りを捧げると、アルフレッドは冷えた身体に勢いよく蕎麦を流し込んだ。
後日アルフレッドは、メニューをリニューアルした大学食堂で(チープだが)かき揚げ蕎麦に再会することになる。
◆
初めての
「かき揚げ蕎麦か……うん、ニッポンでのレパートリーに入れても良いな」
初めての美味に満足しながら扉を開けかけ、アルフレッドはふと一つの疑問が頭に浮かんだ。
(俺は今、客に一番人気という“かき揚げそば”を食べたが……)
作っている料理人自身は、何を
アルフレッドは扉に手をかけたまま店員を振り返る。
「なあ、君」
「はーい?」
「君は、紐料理で何が一番好きかね?」
◆
ニカラグアからの留学生サントスは、この立ち食い蕎麦屋に勤めて半年になる。
この店は楽でいい。小さい店だから食事時以外は一人勤務だし、メニューさえ聞き取れればしゃべることもほとんどない。まだ日本語がいまいちなサントスでも、ここなら接客ができる。
どんぶりを回収していると、出て行きかけた客が立ち止まって振り返った。
「おい、君」
「ハーイ?」
「君は麺類で何が一番だと思う?」
「ア?」
なんだろう? いきなり変なことを聞いて来るな?
よく分からないけど、サントスはちょっと考えてお気に入りを答えてあげた。
「トンコツラーメン!」
答えを聞いた客もニッと笑って親指を立てた。
「俺もだ!」
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