第29話 勇者、寿司屋で皿を回す

 アルフレッドの祖国、ウラガン王国には海が無い。

 したがって魚と言うと川魚になるが、沿岸部以外ではほぼ食べない。都市部まで新鮮なうちに運べないからだ。

 なので都に出回る物は、基本は塩も利かせていない干し魚になる。

 市場に並んでいる“魚”は、干からびて味が無くて泥臭い。都辺りの生活に余裕がある人間で好む者はまずおらず、敢えて食いたいとは思わない食材と言える。

 

 だから末席ながら貴族のアルフレッドも、ニッポンに来るまで魚をまともに食べたことが無かった。




「それがまさか、こんなに美味いとはな」

 アルフレッドは感に堪えない顔つきで、口に入れたサシミを時間をかけて味わった。

 サシミはわりとお高いのだ。少しでも元を取らないともったいない。

「……だが、その金を出すだけの価値はあるな」


 初めて食べたが、肉を食うのとは全く違う。

 焼いた物もあるが、この店では生を推奨している。メニューの最初の見開きはサシミと称する生魚の切り身だ。一番最初のページに大きく扱うんだから、これが一番良い食べ方だと思っているに違いない。

 最初は“魚”で“生食”と聞いてギョッとしたアルフレッドだったが……「秋の大漁祭!」キャンペーンで半額になっていたので、好奇心に勝てず「人気の五種盛 七百八十円」を(もちろん半額対象品なのを確認して)注文してみた。 

 

 確かに自分で注文したんだけど、まさか本当に生で出て来るとは思わなかった。

 マジに生の魚の切り身が届いてしまったので、たっぷりの醤油でジャブジャブ洗って恐々口に入れてみたが……。


 美味い。


 なんというか、さっぱりしているのに脂がのった感じがする。

「この感じ……肉の脂とはまるで違う!」

 魚だから。

「筋張った硬い身から肉汁がはじけると言うより、柔らかな魚の身自体に脂が含まれているような……ジューシーというより、ねっとり!」

 サーモンの刺身だから。

「この味わい……サシミが繊細過ぎて、刺激の強いビールでは消されてしまう! もしや……これはニッポンシュの方が良いのか!?」

 定番です。

 

 まんまと店の販売戦略に乗って「ビール 中ジョッキ」より高い「清酒(無銘) 正二合」を注文し、アルフレッドはたっぷり舌の上で転がしたサーモンを冷たいニッポンシュで飲み下す。

「……く―――っ!」

 舌の味蕾を占領していた醤油の香り高い塩辛さとウマ味ののった魚脂が、流れ込んできたニッポンシュに心よく場所を明け渡して自らは胃袋へ去ってゆく。

 後には“確かに美味い物がいた”という存在感と、ニッポンシュ特有の果実のような淡い薫りが残った。


 アルフレッドは震える手で猪口ちょこを卓上に戻した。

「俺の目に狂いはなかった……世界に知らしめてやりたい。”サシミにはニッポンシュが合う”と!」

 素晴らしい“大発見”にアルフレッドは興奮を隠せないが、異世界人に教えてもらわなくても日本人はみんなが知っている。




 「人気の五種盛」というからには、見た目にも確かに違うサシミが五種類各二枚ずつ木の台に載っている。

 アルフレッドはサーモン以外も食べてみた。


 アジはもっと脂は少ないが、淡白なぶん魚の美味さがストレートに出ている気がする。

 マグロもまた趣が違い、血の香りが強い気がするが……その分醤油と相性が良く、ワサビも合わさるとこれがまた……。

 さらにカツオ、カイバシラと言う連中もまた、それぞれにキャラが立っていた。初めて食べるアルフレッドには、魚の食感にこんなに違いがあるとは思わなかった。


 聞けばこの店の魚は全部、海で獲れた魚だと言う。

「海だからこそ多様なのか? 見た目に色も切り方も全然違う。川の魚はどれを見ても似てるんだがなあ……特にこのカイバシラと言うヤツ。食感も面白いが、なぜサシミを円形に切ってるんだろう? どんな魚なのか、全体を見てみたいな」

 見たらビックリすること確実です。



   ◆



 翌週。

 アルフレッドは居酒屋を探す前に、思案顔で街頭に立ち止まっていた。


 前回の海鮮居酒屋があまりに画期的だったので、今回もできればサシミといきたい所だが……。

「問題は多分あの店、特売フェアが終わっているだろうって事だよな」

 あの五種類盛ったヤツの後、単品も三皿ほど頼んでみた。

 もちろん頼んだのは全部フェア対象商品。かなり安く抑えられたのだけど……それでもニッポンシュもお替りしたので、支払い自体は三千円を超えた。

「定価では、あれだけ飲めないしな……でも、サシミは食ってみた……」

 考えながらふと顔を上げたアルフレッドの目が、たまたま目にした店の看板を見たまま動かなくなった。




「なるほど、生の魚も食事のおかずになりえるのか」

 “回転ずし”なる店に入ったアルフレッドは、呼び出しを待つ席に座りながら頷いた。


 ニッポン人はなぜか酒の肴にコメをお供につけて、食事のおかずにするのも好きだ。

 アルフレッドの好きな唐揚げもコメとミソ汁がセットで付いて、唐揚げ定食に変身する。

「確かに酒に合うモノはだいたいコメかパンに合うんだよな」

 発想的には、どちらかと言うと逆なのだが。


「そういうニッポン人ならば、サシミを定食にしてもおかしくないな」

 さっきの看板には、皿にサシミが二枚だけ載っている写真しか写っていなかったが……まあ魚の種類を見せる看板に、コメとミソ汁は当たり前だから載せなかったのだろう。

 そんな事より大事なことは。

「少しずつ載せたサシミが一皿百円。しかもあの看板を見る限り、魚の種類は先日の居酒屋より多いんじゃないか?」

 これは面白い店を見つけた。

「ちょうどいい。この機会にいろんな魚を食べ合わせてくれよう」

 アルフレッドは海の魚を全然知らないのだ。こんな店を偶然見つけたのは幸運だった。


 番号を呼び出す店員に向かって、つまんだ札を振ってみせる。

 アルフレッドはささやかというより、みみっちい野望を燃やして立ち上がった。



   ◆



 そんな野望でさっきまで燃えていた勇者は……何をどうしていいのか分からず、呆けていた。

 無言で固まっているアルフレッドの前を、小さな皿が次々と走っていく。


 信じられるだろうか。


 サシミを二枚ずつ載せた小さな皿が一列になって、なぜか勝手に右から左へと走っていくのだ。


「……これは、なんだ?」

 俺は今、何を見ているんだろう……。


 よくよく見れば皿が魔法で動いているのではなくて、その下の台自体が動いていた。皿は運ばれているらしい。


 ……どこへ?


 そしてそれが分かった所で、なぜサシミを載せた皿をどこかへ運んでいくのをアルフレッドが見せつけられるのか……さっぱり分からない。

 

 皿はどんどん運ばれていく。


 延々いつまでも運ばれていく。


 皿はともかく……なんで皿を載せて動いている台の方が、いつまで経っても品切れにならないのかが全く理解できない。


 しばらく右から左へどんどん運ばれていくサシミを眺めて、賢いアルフレッドは真理を悟った。


 この超常現象……俺が解明するのは不可能だ。



   ◆



「なるほどなあ……客に見せるために円? を描いて台が回っているのか」

 案内された席にアルフレッドも知っている「係員呼出しボタン」があったので、延々走るサシミを観察し続けると言う不思議な習慣について説明をもらうことができた。

「廻っているコレは手に取って食べていい。食った数は皿で数える。予約と書いてあるのは取っちゃダメ。食べたいものが回っていなかったらリモコンで注文もできる。よし、覚えたぞ!」

 手順を把握した勇者に死角はない。

 アルフレッドは気を取り直して“レーン”を見つめ、品定めをしながら身構えた。


 そして“リモコン”とやらの使い方が分からず、もう一回係員呼出しボタンを押した。



   ◆



 勇者の記念すべき一皿目は、先日食べたサシミでも先陣を切ったオレンジ色の肉……サーモンとなった。

「コイツのとろりとした脂は何とも言えなかったからな」

 勇者、魚でも脂モノが好き。


 もはや使い慣れた箸で、アルフレッドはサーモンをつまんだ。

 その下から白い物が出てきた。


 ……。


 アルフレッドは皿を手に持ってしげしげと観察した。


「……これはコメ」

 そうだった。

 忘れていたが、ここは食事の店。

「つまるところ……アレか? 牛丼の応用か? 薄いサシミ二枚で百円はボッタくり。しかし三枚で百円は店がキツい。なので価値が中途半端な分、このミニおにぎりをかさ増しで食えと」

 考えればニッポンの食はみんなそう言うところがある。

「ハンバーガーも牛丼もカレーも、肉よりパンやコメの方が量が多いしな」


 肉や魚は高くて、ニッポン人もそれだけを腹いっぱいは食えないのだ。 


 アルフレッドはニッポン人も生活苦を工夫で乗り切っているのだと気が付き、異世界の同胞に共感を覚えた。




「それにしても」

 アルフレッドは感心した。

「このサシミとおにぎりを一緒に食うのは、苦肉の策とはいえ……なかなかうまい事を考えたものだ」


 サシミとコメも、合う。


 ミニおにぎりには甘味と酸味がつけてあって、醤油をつけたサシミと不思議にマッチする。

 ややもするときつくなりがちな醤油の強い塩味も、このコメの味付けにぴったりくる。

「うーむ、まるでニッポンシュに合わせているみたいだ」

 唸ったアルフレッドは、ふとこの料理で酒を飲んでみたくなった。


 勇者は自分の考えに自分で苦笑する。

「まさか、酒は無いよなあ……」

 あれほどピタッと来るハンバーガー屋にもビールが置いていないのだ。

 アルフレッドはまさかと思いつつも、たわむれにリモコンをピコピコ動かしてみて……。

「あ……ある!?」


 まさかの酒コーナー、登場。


「ちょっ、おいっ!? ビールどころかニッポンシュもあるじゃないか!」

 このサシミ+ミニおにぎりを……ニッポンシュで食べれてしまうのか!?


「おいおい、待てよ……絶対合うだろ、これ!」

 合うから置いてあるのです。


 てっきり夢でしかないと思った“すし”とニッポンシュの最強タッグ。

 夢のカードが実現すると知り、俄然アルフレッドは奮い立った。

「よしっ! 一皿百円だしな……片っ端から合わせてみるぞ!」

 その為にはまずニッポンシュを注文だ!




 アルフレッドはまだ知らない。


 安いと思っている回転ずし。

 流れているのを眺めているとどれも食べたくなり、あっという間に会計が凄いことになると。

「よーし、次はマグロ行くか! それからこのサラダ巻きとかいうのも……!」

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