第23話 勇者、〆の美学に感嘆する
酒とツマミが同時に切れたタイミングに、アルフレッドはこの後のことを考えた。
「どうしようかな……このままもう一杯行くか、今日は引き上げてベッドの寝心地を楽しむか……」
ニッポンには飲みに来ているので、何より楽しい一人宴会を続けたいんだけど……でも帰って寝ないと部屋代がもったいないし。
柔らかいベッドと美味しい朝食をたっぷり楽しむには、深酒は厳禁だ。
際限なく飲むのと、素晴らしい宿を楽しむのは同時には達成できない。
アルフレッドはいつもペース配分で悩んでしまう。
◆
今日は、やはり帰るとしよう。
明日の朝は早い。
モーニングバイキングが始まる時間には食堂の前に待機して、他の客が来る前にスクランブルエッグとかいう美味しいヤツを空にしなければいけない。
「うむ。やっぱりせっかくのビジホなんだからな……先陣を切るのは
あれはなぜか、ホテルのモーニングでしか出てこないのだ。それを大皿一杯となれば、大将首ぐらいの価値はある。
酒にも未練があるアルフレッドが後ろ髪を引かれる想いで立ち上がると、ほぼ同時に帰り支度をしていた二人組が追い付いてきた。
だいぶ酔っぱらっている年かさの方が、部下か後輩らしい若い男へゴキゲンで話しかけている。
「ようし、シメに行こうぜ! シメ!」
シメ?
聞き慣れない単語に振り返ろうとする自分の首を、アルフレッドは意志の力で必死に抑える。意志の力では足りなかったので、首筋を触る振りをして握力で押さえこむ。いきなり見つめたら何事かと思われてしまう。
「カチョーも好きですねえ」
「やっぱり飲んだら、アレでシメないとな!」
アレで、シメる?
具体的に名前を上げろ、オヤジ!
非常にもったい付けた会話に苛立ちつつも、聞き耳をそばだてる勇者。
とにかく飲むときに必須の“シメ”というモノが、アルフレッドは非常に気になる。
そこから先を話してもらわなければ……。
急いで会計しつつも、アルフレッドの意識は後ろの二人に向いていた。
◆
“シメ”とはなんだろう。
なにやら新しい概念を聞いた。
酒を飲む。
気持ち良く寝る。
今日は終わり。
以上。
酒を飲むとは、これだけではないのか?
(この後にまだ何かあるのか? 飲み足りないからハシゴ……ていう感じの語感ではないし……)
それを確かめずには、宿にも自分の世界にも帰れない。
アルフレッドはさり気無さを装って店の外で佇み、“案内人”が出てくるのを待った。
◆
待つほどのことも無く出てきた二人は、高らかに笑いながらふらつく足取りで歩いて行く。
それを手負いの魔物の追跡に手慣れた勇者アルフレッドが、ふらつく足取りでさりげなく追いかけていく。
そんなに歩くほどの距離でもなく、繁華街の同じ通りの並びに男たちは足を止めた。
彼らが店に入って行くのを見届け、アルフレッドもそっと近寄って看板を見上げてみた。
「どれ、シメとは……はぁあっ!?」
男たちが入っていった店には……“横浜豚骨ラーメン”の文字が躍っていた。
そんなバカな。
「ラーメン屋……しかも、トンコツだと!?」
アルフレッドは思わず瞼をこすった。見間違いではないかと……。
だけど、目の前の赤い看板の店は見間違いでも酔いのせいでもなく。
「信じられん。アイツら、飲んだ後にラーメンを食うつもりか!?」
言うまでも無く、ラーメンは食事。
空腹な時は飯を食う。
飲みたい時は酒を飲む。
それが社会の定理だ。
もちろん食事会には酒が出るものだし、腹が空いているけど酒を飲みたい時もある。
だが晩餐での酒は嗜む程度だし、空腹の時は食事後に気持ちの余裕ができたところで酒だ。
それをこの二人は、飲んでまったりした後に飯を食うだと?
世の中のルールと逆を行く二人の“シメ”とやら。
アルフレッドは余計に興味が湧いてきた。
◆
ニッポン訪問もベテランの域に入ってきたアルフレッドは、こういうシチュエーションにも慣れたものだ。
店の外からガラス壁越しに、二人組の様子をよく観察する。
特に“スキ者”であるらしい、年かさのカチョー氏の手元を。
そして何気ない様子で入店し、正確に券売機の同じボタンを押した。
学食や映画館に潜入するのもお手の物となったアルフレッドは、気になる会話をするヤツの注文をトレースする特技を身につけたのだ。
ちなみに、自分が何を注文したのかは知らない。
それは席に座ってから、食券を見て確認する。
アルフレッドが二人組を斜め前に見る机に座ると、すぐに店員が冷水を持って注文を取りに来た。
「塩豚骨大盛に海苔増しトッピング、大ライスですね!」
「そうらしい」
「はっ?」
◆
思いがけずラーメン屋に入ることになったアルフレッドだが、ラーメン自体は慣れているし大好物だ。
「だが、それにしても飲んでから食事にするとは……」
若い方が「深夜にこんなの、太りますよー」などと言っていたから、“軽く夜食”にしては重過ぎるのを知ってはいるのだろうが……それでも強行する心理とは?
「その辺りの事も含めて、興味深いな」
ニッポンの「なぜ?」は体験してみるに限る。
そして姫の「なぜっ!?」は逃げるに限る。
アルフレッドは到着したドンブリの立てる湯気を胸いっぱいに吸い込みながら、さっそく箸に手を伸ばした。
アルフレッドはラーメンを食べる時、綺麗に揃えられた麺をまず軽く箸先でほぐしてスープの中を泳がせる。
そしてスープを
「……なんだと?」
だいぶ飲んで酒で重くなった舌に、シラフの時と変わらない美味さが沁み込んでくる。
むしろトンコツスープの美味さで、酩酊している意識がハッとするほどクリアになった気がする。
「なんと……ラーメンは、酔いを醒ましてくれるのか!?」
どちらかと言うと“爽やか”とは対極にある“こってり”した旨味なのに……。
「酒に負けず劣らず“重い”と思っていた豚骨ラーメンが、かくも清涼感を与えてくれるとは……あなどれん! なにか薬草でも入っているのか!?」
むしろ、酒に負けないぐらい味が濃いのでキャラが立っているのだが……醒めたつもりでまだ酔っている勇者には、そんなことは分からない。
こんなの入らないだろう。
そう思っていたアルフレッドも、ラーメンの旨味を感じてしまうともう止まらない。
急に湧いてきた空腹感に促されるままに勢いよくすすりたて、大盛を一息に半分ぐらい食べてしまう。
一旦良く冷えた水を飲んで、満足感とともに中休みを取ったアルフレッドは……いっしょに運ばれてきたライスを見た。
「……そう言えば、このコメはどうするんだ?」
時々ラーメンと一緒に注文している人間は見るけど、アルフレッドは自分では注文したことが無い。ライスを注文するくらいなら大盛を頼む。それが勇者のジャスティスだから。
そもそも、この注文を考えたヤツはどうしているんだろう?
アルフレッドが斜め前の席をチラっと見ると、年かさの男は今まさにライスを食べようとしていた。
「ふむ……この缶を振る」
粗挽き胡椒を振りかける。
「つぎに、この赤いのと白いのを……載せる?」
豆板醤とおろしニンニクをちょっとずつ。
「そして、黒い紙をスープに浸して……巻いて食うのか?」
海苔を豚骨スープで一旦泳がせ、薬味を載せた白米をくるんで口に。
カチョーが咀嚼しながら確かめるように頷くのを見て、アルフレッドも真似をして……動きを止めた。
豚骨スープの脂の甘みと塩っぽさ。
そしてそれを受け止めるコメのモチモチした歯触りの粒状感に、他の食材の味わいが全部載せられて……。
「……これは、この黒いヤツを増量するのも分かる!」
ラーメンはラーメン。
ライスはライス。
しかし、このラーメンのスープを吸わせたライスは両方を注文しないと味わえないわけで……。
「なんてこった……ニッポンには合わせると美味い物が多すぎる!」
これからはラーメンを頼むとき、ライスも一緒に頼まなくてはならないじゃないか!
夢中で食っていたアルフレッドは、あっという間に空になったドンブリを見てハッとした。
「トンコツラーメンには、お供としてライスと餃子は必須なのか……? そして効果を倍増させる
それぞれがお互いをカバーし合い、長所を引き立て合っている。
なんという完成度のパーティなのだ。
アルフレッドは真剣に思った。
(俺を、こっちのパーティに入れてくれないものだろうか……)
彼の希望が叶うことは、きっと無い。
◆
ホテルに向かって歩きながら、アルフレッドはなるほどと頷いていた。
「酒を楽しんだあと、なんとなく満足したからと切り上げていたが……最後にこうやってシメると、スパッと気持ちが切り替わると言うわけか」
酒の余韻が残るまま、ごろりと横になるのもいい。
だが、楽しい時が過ぎ去ってしまった寂しさも……ほんのりと感じていた。
「シメはむしろ、自ら流れを断ち切って前向きに明日に備えると」
自然消滅ではなく、敢えて攻める。
この発想はアルフレッドには無かった。
「やはり、先達に倣うのは勉強になるなあ……」
新しい視点を手に入れ、勇者は一歩成長した。
この攻めの姿勢を、なぜ彼は自分の世界で活かせないのだろうか。
◆
「まあ、それはそれとして」
アルフレッドはホテルの製氷機でもらってきた氷を備品のマグカップに入れた。
ビジホに泊まると氷がタダでもらえる。これはなかなかの利点だ。
続いて、帰ってくる途中のコンビニで買ってきた缶チューハイ・レモンを注ぎ込む。
「ラーメンを食べた後にこのレモンをやると、口の中がさっぱりするな!」
豚骨ラーメンを食べると飲みたくなる。
シメたら、シメをシメたくなった。
卵が先か、鶏が先か。
アルフレッドの思考はエンドレス。
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