第8話 勇者、コーヒーに挑戦する
このニッポンという世界にも慣れてきた。
社会のシステムも見ていればだいたい理解できるようになったし、「ホテル」旅館の入り方とか、居酒屋や牛丼屋の注文も手慣れたものだ。
だから、てっきり大丈夫だと思ったのだが……。
「なんだ、これは……」
一回並んだ列を外れて順番を譲りながら、アルフレッドは壁面の高いところに掲げられたメニュー表を困惑して眺めた。
「……注文の仕方が、わからない!」
◆
今日は朝から暑かった。
アルフレッドは日差しを避けて休憩していたが、その程度ではこのニッポンの暑さはしのげない。
なんというか……空気自体が熱を持っているようなのだ。
「こればかりは、俺たちの世界の方がいいな。日本の夏がこんなにじめじめと暑いとは……まるで南方地帯の密林に挑んでいるみたいだ」
全体的にはアルフレッドの世界の方が暖かい気がするが、あくまで暖かい。
ニッポンのような蒸し暑さは、少なくともアルフレッドの国にはないものだ。
アルフレッドのニッポン世界の知識には、「ヒートアイランド現象」とか「アスファルトが熱を持つ」だとか「エアコン室外機の排熱公害」などといった言葉はない。
夜になれば、さすがに気温は下がるはず。
そう思って、我慢しようと思うのだけど……。
「やれやれ、朝から来た日に限ってこうだなんて……」
夜まで、どう過ごそう?
ニッポンに着くなり、この陽気だ。たまったものじゃない。
そんな時に見つけたのだ。この店を。
「うん? コーヒー屋?」
通りがかりにふと見上げたら、いつかどこかで見た気がする看板がかかっている。どこが本店か知らないが、あちこちに支店があるコーヒーを売る店だ……と思う。
酒ならともかくコーヒーだけで商売になるのかと心配になるが、ニッポンにはそういう店がある。
以前外の絵を見ただけで入って黒ビールと間違えて注文してしまい、びっくりした覚えがある。
まあ肝心なアルコールが入っていないのだけど、アレはアレでサッパリして良かった。
「そうか……冷たいコーヒーで涼を取るというのもいいな」
何より暑い中をもう歩きたくない。コーヒーを頼めば涼しい屋内にいられる。
「よし、冷たいコーヒーで身体を冷やして、日が傾くまでお邪魔していよう」
ナイスアイデア!
アルフレッドは意気揚々とガラス扉を通り抜けた。
◆
そして、今。
入店してからずいぶん経つが、まったくメニューが決まらない。
いや、決められない。
適当な物を注文して、席を使わせてもらうということもできない。
なぜかと言うと。
アルフレッドは引き攣った顔で呻いた。
「なんなんだ、この店は……!?」
頼むべきメニューが……難し過ぎる!
「キャラメルマキアート、エスプレッソショット追加で」
「ダークモカチップクリームフラペチーノのミルクをノンファット変更にして」
(ここは……賢者でないと出入りしてはいけない店なのか!?)
さっきから、前に並ぶ客の唱える言葉がさっぱり聞き取れない。
よほどの専門店かと思うが、それにしては店構えも客の服装もカジュアルすぎる。なにより自分の世界でもニッポン世界でも、店員に向かって呪文を唱える注文の仕方など聞いたことが無い。
アルフレッドの額を嫌な汗が流れる。
「おかしい……以前入った店はもっと簡単だったはず!?」
コーヒーとアイスコーヒー、その違いを知ってれば注文できたはずだ!
もしやサイズの事かと思ったけど、サイズにしてはやけに細かいことを言い過ぎている気がするし……そもそもレジの前に行列している連中は、「コーヒー」などと一言も口にしていないではないか!
アルフレッドは、ハッと気が付いた。
「俺はもしや……コーヒー屋と間違えて、何か他の物を売る店に入ったのか!?」
注文したものを受け取って席を取りに行く客を横目で眺めやる。
生ビール用かと一瞬思った大きなプラカップに、明るい茶色の何かジャリジャリした半固形物が入っている。その上に白いクリームがとぐろを巻き、茶色い粒が振りかけられていた。
……あれは、なんだ?
今のヤツが持っていた「何か」、アレはアルフレッドが知っている「アイスコーヒー」ではない。
なによりコーヒーは飲み物。あんなスプーンですくえそうな代物ではない。
(俺は……今どこにいるんだ?)
看板には確かにコーヒーをあらわす『Cafe』とあったはずだが。
「……」
段々自信が無くなってきたアルフレッドは、メニューの端っこにあるサイズ表記に気が付いた。
「ぐらんで……とーる……しょーと?」
アルフレッドの知っている大・中・小はL・M・Sだったはず。
ちなみに読み方は知らない。
ニッポンの親切な店員は「これ」と言って指させば勝手に見てくれる。
しばし考えたアルフレッドは理解した。
「これはきっと……ここはコーヒー屋ではないということだな!」
たぶん“Cafe”とは、こういう作りの店の事なのだろう。コーヒーをあらわす単語ではなかったと。
そしてここで売っている何かは、きっとアルフレッドが欲した“アイスコーヒー”ではない。
「うん……しばらくお邪魔して、涼んだしな」
そう結論付けたアルフレッドは、店員に声をかけられる前に静かに撤退することに決めた。
◆
まだ空は明るかったけれど、これは夏だから日が暮れるのが遅いせい。
何より愛してやまない居酒屋の看板が明るくなっているのを見て、アルフレッドはとっとと入店することに決めた。
とにもかくにも喉が激烈に乾いている。あの後もずっとどこで休んでいいかわからず、まともに何も飲んでいない。
「いぃらっしゃいませぇーっ!」
「おうっ!」
威勢のいい店員の挨拶に思わず返事を返しながら店に入ったアルフレッドは、伝票片手に寄ってきた店員へメニューも見ずに注文を出した。
「とりあえず生! それと枝豆、唐揚げ!」
「はいっ、生ビール一丁! 枝豆、唐揚げですね!」
打てば響く店員の復唱……。
これこそ俺のいるべき美しい世界!
「……そうだよ! これでいいんだよ!」
アルフレッドは感極まって、思わずガッツポーズを取った。
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