第2話 勇者、牛丼にギョクを落とす

 アルフレッドは夕方から翌日までの二十四時間を異世界で過ごすことが多い。


 決められた安息日を考えると、自分の世界で一晩寝て過ごして“朝から翌朝”という手もある。

 しかし仕事の疲れを引きずったまま異世界で居酒屋に入り、楽しく飲んで翌日すっきり観光の方が楽しい気がする。

 それに“朝から朝”で自分の世界に早朝帰還では、誰かが叩き起こしに来た時にまだ帰っていない可能性もある。


「そう考えると、今日はしまったなあ……」

 昨晩はあまりに疲れすぎて、自分の世界で熟睡してしまった。

 魔物は出てこなかったんだけど、剣士バーバラが道を間違えてさまよったのだ。

 おかげで何往復も無駄に歩き回った上に、気が立った魔物モドキじょせいじんがアルフレッドをこき使うのも尋常じゃなかった。


「くそう、せっかくのニッポンが……」

 朝も日が昇ってから出て来たから、滞在時間を短縮しなくちゃならないだろう。

 二十四時間を超えることはできないが、早く帰還することは可能。だけど何が悲しくて、楽しい自由時間をアイツらの為に短縮しないとならないのか……。


 安息日の外出? がバレるわけにいかないので仕方ないのは分かってる。

 とはいえ納得できなくてブツブツ言いながら歩いていると、派手な看板と美味しそうな細切れ肉の写真が目に入った。

「おっ!」

 アルフレッドは思わず立ち止まる。

 それは彼もなじみが深い食べ物……。


 牛丼。


 神が作りし至高の食べ物。


 肉の使用量はステーキより少ないながら、甘辛い(というらしい)濃い味付けで“食べた!”感を出してくれる。

 肉の量の少なさも、白米を合わせて食うことでカバーできる。


 濃い味の肉と、どんな味付けも受け身で完璧に合わせてくれる白米。これぞ、酒でいうところのマリアージュ。




 牛丼は美味いわりにお値段もリーズナブルな為、何を隠そうアルフレッドもお気に入りの料理だ。

「よし、身体も疲れているからな……牛丼を」


 特盛で、食う!


 普段は酒に軍資金を回したいアルフレッドだけど、こんな朝の時間帯から酒でもあるまい。

 何より今日は腹が減っている。昨晩も疲れてそのまま寝てしまって、朝も向こうでは食ってこない。今は酒より、飯が先だ!


「今日どうするかは、牛丼を食ってから考えるか」

 アルフレッドは自分のプランに満足すると硝子戸を開け、威勢のいい挨拶を浴びながら店内へと入った。



   ◆



「うーん……」

 アルフレッドはメニューを眺めて悩んでいた。


 牛丼までは決めたが、その先をどうするか。

 牛丼という料理はトッピングの選択肢が非常に多い。これが実に悩ませてくれる……もちろん、嬉しい方の悩みなのだが。

 牛丼は味が濃く見えて、一方で繊細な食べ物だ。何をプラスするか、どれを選ぶかで味がガラッと変わる。

 今大事なのは、今日の気分を見定めることだ。ここで方向性を間違っては、今日一日を損ねてしまう。

「期間限定もいいけど、あまり冒険はしたくない……定番でキムチなんかスタミナもつきそうだが……」


 悩ましい。 


 実に悩ましい。


 ダンジョンに潜ってT字路のどちらを選ぶかで選択を迫られているようだ。

「牛丼が久しぶり過ぎて、俺は自分が何を食いたいのか分からない……」

 いっそ、まだやっている朝食メニューも考えたが……。

「ダメだ! 逃げちゃダメだ!」

 決められないから選択肢の外に逃げる。そんなのは邪道だ!


 嫌でやっているけれど、自分はこれでも勇者。

 決断できないから、難敵だからで逃げてはいけない。

 逃げていいのはお姫様クソヤロウの機嫌が悪い時だけだ。


「ここで退路として選んでは、朝食メニューにも失礼というもの……だが、どうすれば」

 アルフレッドは悩みつつ店内あちこちに何か情報が無いかと視線をめぐらせ……壁のポスターに気が付いた。

 

 “当店は素材にこだわっています”


「素材……そうか」

 アルフレッド自身、牛丼は久しぶりだ。

 そして何をどうしていいのか分からないのなら、原点に立ち返ることも必要だろう。

「よし、牛丼特盛をプレーンで……そこに滋養をプラスで、生卵にしよう!」

 アルフレッドの世界では生で卵は食べない。

 ニッポンで生で食べる習慣があるのを知った時は驚いたが、この世界では生で食べても腹を下さない種類の卵があるらしい。見た目には普通に鶏の卵に見えるが、実際によく見かけるからにはそういう品種が流通しているようだ。


 そして、焼いた肉に生卵の黄身を合わせた時のうまさは、焼き鳥屋のつくねで知っている。

 アルフレッドは店員を呼び、自信をもって「牛丼特盛、ギョク入り!」と注文を出したのだった。

 



 届いた牛丼は実に素晴らしい芳香を放っていた。

 肉の脂と、アルフレッドの世界にはない醤油。この二つにさらに何か、彼の知らない調味料が入り混じった複雑な匂いが食欲を高めてくれる。

「そこへ、こうだ!」

 卵を割り、わずか数滴、醤油を追加。

 それを荒くかき混ぜ、ドンブリの上全体に満遍なく行き渡るようにかけ回す。


 以前は黄身と白身が完全に混ざるように目いっぱい掻き回していたのだが、居合わせた老人から荒く混ぜることを学んだ。

 それでは場所によって濃さが違ってしまうと言うアルフレッドに……老人は何も知らない若人へ、ギョク入りの真理を伝えたのだ。


「だからこそ、場所によって味の違いが楽しめるのよ」


 彼はこの世界の賢者に違いない。

「あのようなお方に出会えたのは幸運だったな……」

 出会いのすばらしさに感謝しながら、アルフレッド全ての準備を終えた。




 特盛の名にふさわしい大ぶりのドンブリ。

 つやつやと光を反射する卵にコーティングされた、茶色く煮込まれた牛肉と葱。


 アルフレッドはその神々しさに喉を鳴らし、箸を手に持った……が。


「まさか……ここで!?」


 手に持とうとしたドンブリのその向こう。箸入れの側面に、“もう一品いかがですか?”の広告が入っている。

 アルフレッドの目の前の箸入れの広告はちょうど……。


 “缶ビール 280円”


「牛丼を食べながら、ビールを……!?」


 考えたヤツは、天才か!? 


(もしや、この世界の誰かが神託で受けたのかも知れないな)

 そんなことを考えながら、アルフレッドはいそいそと店員に向かって手をあげた。

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