帝都2

「そろそろ潮時かもしれんな」

 そうため息交じりに呟いたのは、スペンサー・ヴァレンティン子爵である。帝都の皇帝の居城に一室を与えられるほどには皇帝の覚えはめでたく、子爵のなかでは抜きんでた力を持つ男だ。もともとヴァレンティン家は帝国の一地方貴族でしかなかったのだが、スペンサーが後を継いでから大きく力を付けてきた。これはこれまでの他の貴族と違い情報の価値を知るスペンサーだから出来たことだ。これまで情報とは他家の足を引っ張ったり、視野を広げても他国の状況を知るといった程度でしか用いられていなかったが、スペンサーは帝国民たちにも手を広げ街の噂や、市場の動向、他国との流通量の推移、貴族だけでなく有力な冒険者たちの周囲にまであらゆる情報を収集させていた。そしてスペンサーはその情報を有効に活用できるだけの能力を有していたのだ。


 単なる一地方の子爵家では、この先を考えれば衰退する以外の選択肢がないことに気が付いたスペンサーは、情報をもとに資産を増やし中央の貴族に取り入り、さらに資産を増やすといったやり方で徐々に力を付けてきた。たかが一子爵という立場をも利用し、派手に目立たなければ目を付けられることも無く、未だヴァレンティン家の力に気が付いた者は居ない。


 しかし、現在の状況を冷静に観察するスペンサーから見れば、帝国は風前の灯火、破滅への階段を上りきろうとしているようにしか見えなかった。皇帝の無能さは、長い帝国の歴史を紐解いてみればそれほど目に見えて暗愚というほどでは無い。問題はそれをサポートする有能なものが周囲にはいないという事だ。いや帝位を引き継いだ頃にはまだ有能なものも大勢いたはずだが、甘言を弄して近づく無能な貴族達を排斥できなかったことがそもそもの原因だろう。

 有能な者達は無能な貴族を見下し、本来であれば処罰の対象であった者たちを政務の邪魔にならなければと放置してしまっていたのだ。しかし無能な貴族は国を豊かにすることはできなくても、派閥を組んでの足の引っ張り合いは得意なものだ。やがて有能な者達は気が付けば皇帝の周囲からその姿を消していた。


 後は転がり落ちるように帝国その力を失っていく。本来納められるはずの税は貴族たちの手によってそのほとんどを着服され、そしてそれを補うために税は徐々に増加する。豊かであった帝国民の生活は少しづつ水準を落としていくことになる。だが帝国民の生活水準など皇帝の周りの者は誰も気にしていないし、気が付いても居ないのだ。さらに帝国の基本方針である他国への侵略を、財政上の問題は棚上げにして継続する。初めのころは勝利が続き、賠償金や領地が増えたことで財政の悪化は解消されてしまう、そのため帝国の基盤が緩みだしている事には誰も気が付いていなかった、いや気が付くほどの能力を持ったものが皇帝の周りにいなかったという方が正しいか。


 だが、帝国の基盤の緩みにより徐々に見えない程度ではあるが帝国の力は失われていく。それは帝国兵の装備や練度にも表れ始め、貴族の無理強いの人事により有能な将官がその地位を失い始めたことで、決定的なものとなる。極めつけが今回のコスタリオ公国への侵略戦争だ。既に自国の悪政により滅亡の一歩手前であるはずの公国に、敗退させられるという信じられない結果をもたらしたのだ。


 敗退したなら、また攻めればよいというだけの無能な貴族達と、それを許可する皇帝。敗戦の原因になど誰も注意を向けない状況を見て、スペンサーはため息をついていたのだ。さらに公国に現れたと言われる勇者、時を同じくして現れた貴族殺害の容疑を受けギルドに捕縛を命じた異常な力を持つ女、これまでの歴史を見ても同時期にこのような異分子が現れたことなどない。そのことを考えるどころか気づきもしない無能な貴族達には、ほとほと愛想が尽きていた。しかしその無能さのおかげでここまで力をのばせたのは間違いない、とは言って感謝をするようなことではないが。


 そして帝国を代表する冒険者、"最強"オーレッド、"賢者"セレスタンといった者達にも当然情報収集の手は伸びていた。そのため貴族殺しの女の情報も帝都に居る他の誰よりも詳細に知っていた。そのため、その危険性に気が付いている者が周りに居ないことに不安になるほどであった。カークブルでの教会との揉め事ですら興味を示さない貴族たちにとってみれば、ただの女ひとりにしか過ぎないのかもしれないが、あまりにも状況の読めない無能貴族が占める帝都での暮らしは日に日に苦痛になっていったのだ。


 すでに子爵家どころか侯爵家にも引けを取らない程の十分すぎる資産を確保し、追い落とされた貴族のうちそれなりの地位にあった者や有能な者の多くにつなぎを取り味方につけることに成功している。さらに皇帝が帝位につく際、幼さゆえに粛清されずに修道院に軟禁されていた皇帝の血縁者を確保する手はずも整え終えている。


 この血縁者の存在を知る者はほぼ存在しない。粛清が行われた混乱の最中のことであり、知る者のほとんどがその時に命を失っているからだ。スペンサーもたまたま監視を引き受けていた貴族から借金の形として教えられなければ気が付くことはなかったであろう。しかし現在の皇帝には後継者が居ない以上、この血縁者の存在が知れれば大きな騒ぎになるのは間違いないため、その重要性にもかかわらず完全に秘匿されている。あくまでも万が一の保険として命をつないでいるに過ぎない存在なのだ。



 すでに帝都に留まる理由も無くなり、このまま帝都に居れば間違いなく巻き添えを受けることになると判断したスペンサーは、皇帝に一時帰領を願い出ることに決めたのだった。


 公国からの敗残兵収容の混乱のさなかに、ヴァレンティン子爵は帝都からその姿を消したが、そのことに気付いたのはごくわずかな者達だけであった。

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