第21話「……あ、あれ? ミト様!?」
「カクちゃん! 俺の声が聞こえるか?」
誰かに抱えられているような感触。
力の入らない四肢。
いや、それどころか頭も体も動かない。
「HPはかなり戻っているのだが……」
その声は……知っています。
そうです。
あたしを変えた運命の人。
名前は……あれ?
誰?
あたし、どうしたんだっけ?
なんか考えがまとまりません。
「意識がないと薬が呑めないからな。ヒール・パウダーをもう一度、使うか……」
ふわっと、温かいなにかが全身を包んでいく。
死門をくぐると覚悟していたのに、運命の声が自分を呼び戻すのを感じる。
柔らかい熱が、全身を活性化させるように走り抜けていく。
――光。
うっすらとした光が、少し遠くに見えてくる。
まるで朝日を全身に浴びて目覚める気分。
「その方々は、大丈夫なのですか?」
今度は知らない女性の声。
初めて聞いたはずなのに、なぜか懐かしい感じがします。
たった一言なのに、濁りの感じられない、慈愛に満ちた、まるで女神を思わす声に感じられました。
「気を失ってはいるが、他の2人は大丈夫だろう。しかし、カクちゃんには……ああ、デバフがかかっているようだが……」
あたしを「カクちゃん」と呼ぶ人。
それは、あたしが主と決めた人。
「……ミト……さ……ま……」
「お。意識が戻ったか?」
すぐ前にミト様の顔が見える。
さらさらとした黒い短髪、厳つすぎない輪郭に、少し赤味を帯びたような黒い明眸がこちらを見つめている。
なにを考えているかわからないのに、でもいつも誰かを心配している優しさを感じさせる面持ち。
「ミト様、そのデバフというのはなんでございましょうか?」
「デバフ……というより、バッドステータスだな。『精神負荷上昇』とかで思考能力や気力が落ちるらしい。俺のゲーム……じゃなく知識にはない効果だが、状態異常なら、これで……」
まだ少し視界がぼやけている。
それに意識も朦朧としている。
ミト様が何か話していることはわかるのに、内容は半分も理解できない。
「よし。カクちゃん、これを呑むんだ。わかるか? 口を開いて」
唇になにか固い小さい物が押しあてられている。
呑む?
なにを?
ううん。
ミト様が呑めと言ったなら、なんでも呑まないと。
あたしは唇を緩めて、小さな粒を口の中に招き入れた。
そして、力をふりしぼってそれを呑みこむ。
「――!?」
突然、全身が脈動した。
震えるように肉体が痙攣した。
とたん、今までなにかがのしかかっていたような圧迫感が消え去り、全身が一気に軽くなった気がしたのだ。
「……あ、あれ? ミト様!?」
そしてやっとハッキリと認識した。
あたしはミト様に上半身を抱きかかえられていたのだ。
「――ハヒュッ!?」
つい妙な声をあげて、体が固まってしまう。
頬の下から熱が上ってくる。
目頭まで熱くなる。
「よかった。気がついたか。……そっちの2人も気がついたようだな」
「え?」
横を見ると、パテルさん、そしてハーチスくんがちょうど上半身を起こすところだった。
2人とも気だるげだし、服もボロボロだが、出血していないどころか、傷痕さえなくなっている。
というか、そこでやっと気がつきました。
あたしの砕かれた四肢も何の問題もなく動いていたのです。
やはり傷の跡もないし、痛みもない。
「腕も脚も治って……?」
「ああ。【妖精の万能丸薬】という、HPやMP、スタミナや状態異常まで全回復する薬だからな。こちらのバッドステータスにも効いてよかった」
「そ、そんなすごい薬……あたしに使って……」
「気にすることはない。こんなのは、マスタークラスならば普通に使っている薬だし」
「マスタークラス?」
「あ、すまん。大した話ではないから気にするな。ともかく体は問題ないか?」
「は、はい。……というか、どっ、どうしてミト様が、こっ、ここに!?」
あたしは固まっていた体をなんとか動かして、ミト様の腕から離れます。
少しもったいない気もしましたけど、恥ずかしさの方が数倍強かったから。
「ああ、うん。女神が……じゃなく、ちょっと嫌な予感がしたので急いで戻ってきたんだ」
「え? では、隣町の【タンレイ】には行けなかったのですか!?」
「いや、行ってきた。用事も済ませた」
「……へっ? あちらまでは片道で数日は……」
「まあ、1日でも数日に含まれるということで」
「ふ、普通は含まれませんよ!?」
「ぶっちゃけ日帰りもできたのだけど、1泊だけならよいかと思ったのが過ちだったな。相手がこんなに早く動くとは。すまなかった、カクちゃん」
「い、いえ! とんでもないです! あた、あたしが……あたしが頼りないために……ごめんな……さい……せっかく頼ま……れて……のに……ジンさんたちが……」
嗚咽がもれる。
止められなかった。
目頭がさっきとは違う理由で熱くなり、ポロポロと涙がこぼれていくのが自分でもわかる。
自分の情けなさに腹が立つ。
「やはり、そうか。だが、大丈夫だ。まだ3人とも元気なようだ」
「ほっ、本当ですか!? なら助けにいかないと! あ、あたしの責任ですし……」
「違う! カクリアスが悪いわけじゃねーからな!」
そう言ったのは、まだ気だるそうなハーチスくんだった。
彼は立ちあがると、服の埃を叩きながら横を見る。
「敵が強すぎたんだ……」
そう庇ってくれた彼が見る先は、凍りついた城だった。
……違う。
違ったのです。
その氷の城は、【エイチ・ゴーヤン】本店のなれの果てでした。
真っ黒く炭化した家の骨組みと、焼けながらも残ったモルタルの壁が氷漬けになっていたのです。
「こ、これは……」
「ああ。火事で周りにまで延焼しそうだったので、とりあえず俺が凍らせた」
「…………」
燃えさかる大きな屋敷を丸々、氷で包む魔法。
あたしの足場を凍らせる魔法などと比べものにならないレベル。
そんな強力な魔法を使えるのは、転生血筋の高レベル勇者ぐらいのはずです。
勇者ではないミト様のレベルは、99止まりのはず。
しかし、このレベルの魔法をレベル99が使えるとはとても思えません。
「
横でパテルさんも驚愕を隠せない様子で唸っています。
だけど、当の本人はいつもどおりの呑気さで応じてきました。
「さほどではないのだがな。これは本来、デモハンでデーモンビーストの動きを10から20秒ほどとめるだけの魔法だから」
「デモハン? デーモンビースト?」
ミト様の言葉に、パテル様が首を捻る。
もちろん、あたしも聞いたことがない言葉だった。
「ああ、すまん。えーっと、つまりだな……デモハンは……言うなれば、俺が生まれた地方のことで、デーモンビーストはその地方、特有のモンスターだな。うん、だいたいそんな感じだ」
「モンスター……って、ちょ、ちょっと待ってください!?」
あたしは冷や汗を掻きながら訊ねる。
「この氷魔法で10秒しか足止めできないモンスターって……どれだけ大きいんですか!?」
「この屋敷ぐらいの大きさはザラにいるな。まあ、そういう小さいことはおいといて」
「大きいですよ!?」
思わず突っこんだあたしに、横から1人の女性がわってはいる。
「まあまあ、落ちついてくださいな。それよりも今は、何があったのか把握することが大事。そういうことでございますね、ミト様」
彼女は、ミト様の横に寄り添うように立っていました。
ミト様と同じ黒髪は長く、頭の後ろでひとつに丸めて結われています。
その結いを止めるかのように、髪飾りがつけられていました。
そして風変わりな前あわせの服に、腰に太めの帯を巻いています。
見たことのない服装でした。
しかし、それよりなによりとにかく美しい方だったのです。
女性のあたしでさえ、見とれてしまう整った顔立ち。
どこかで見たことがある気もするけど、こんな美女を見たら忘れないはずです。
さらにその横にも、先ほどから黙っている赤髪の女性が1人いました。
やはり美しい方なのだけど、張りつめた雰囲気と力強い凜々しさを感じます。
立っているだけで、その強さが伝わってくるようです。
確実に、あたしより強いと感じました。
「ミ、ミト様。そちらの方々は……」
「ああ。こちらは、銀ひ……銀さんだ」
「こっ、こら貴様!」
そう怒鳴ったのは、先ほどまで黙っていた赤髪の女性だった。
彼女は凄い剣幕で、ミト様の襟首をかるく掴む。
「せめてもっと丁寧に……『様』ぐらいつけぬか!」
「おやめなさいな」
黒髪の美女が、赤髪の女性をたしなめる。
「かまいませんわ、ミト様。敬称など不要でございます」
「そっ、それはいくらなんでも、ひ――」
赤髪の口を黒髪の真っ白な手がそっと塞いだ。
もちろん、あたしにもピンときた。
この人たちはなにかを隠しているのだろう。
たぶん、話し方からこの2人は、やんごとなき方々に違いない。
「ふむ。敬称はいらぬが丁寧にか……」
ミト様が顎に手を当てて一考してから、ポンッと手を叩く。
「ならば丁寧に『お』をつけて、『お銀』ということで」
「あら。いい響きですわ。わたくし、気にいりました。では、それでお願いしますね」
「よし。……というわけで、カクちゃん。こちらは、お銀だ」
「い、今、めちゃくちゃ目の前で偽名を作っていましたよね!?」
「そして、そちらはスケちゃん」
「おい! 誰がスケちゃんだ! 我の名はスケ――」
叫ぶ赤髪の横で、お銀さんが口元に人差し指を当てていた。
赤髪の女性は、その指示で口を噤んだのだ。
そして一呼吸おいてから、意を決したように開口する。
「初めまして。スケです……」
「い、いいんですか!? さっき『誰がスケちゃんだ』と思いっきり否定していましたよね!?」
「……もういいんです。スケと呼んでください」
「そ、そんな、すべてをあきらめたような顔をしなくても……」
「まあまあ。そのような瑣末なことはあとにしましょう」
お銀さんがさらっと流す。
スケさんがショックを受けているがお構いなしだ。
もしかしたらお銀さん、ミト様に似ているのかもしれない。
「それよりも何があったのか、話していただけますか?」
だが、その不思議な雰囲気はミト様とはまったく違う。
優しく「お願い」されただけのはずだというのに、欠片も拒否するという気持ちが出てこない。
柔らかさの裏に、有無を言わさぬ言葉の強さがある。
人に命令することになれているのかもしれない。
「うむ。そうだな。悪いがカクちゃん、最初から何があったのか話してくれ。しばらくは、保険もあるしジンさんも大丈夫なはずだ」
「わ、わかりました」
あたしは何があったのか、最初から話し始めた。
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