第一章 誕生
「ばあさん、なんじゃこりゃあ。」
おじいさんはやたら大きくて不自然な桃を見つめながら、目を疑った。
こんな大きな桃があるはずがない。
そもそも、川から桃が流れてくるはずがない。
しかし、目の前には大きな桃があり、おばあさんは川で拾ったと言っている。
しばらく現実を受け入れられないおじいさんだったが、おばあさんならこれくらいのことが起きても不思議じゃないな、とも思っていた。
おばあさんには、昔から不思議な力があった。
それは、根拠のない思い込みの力だ。
おじいさんが畑をを失った時も、子どもを諦めた時も、常に「よかったよかった。なんとかなるよ。」と呪文のように繰り返していた。
よかった?こんなに辛いのに?
おじいさんはいつも不思議に思っていた。
ところが、結果、なんとかなっている。
畑を失っても芝刈りがある。誰かに必要とされる仕事がある。
子どもができなくても、その分おばあさんとは濃い時間を過ごせた。どんどん短くなっていく人生の中で、毎日感謝を伝えることができた。
そもそも、「あっちのほうが良かった」と言える根拠など、どこにもない。
もしあのまま畑仕事を続けていたら、体を壊して過労で倒れ、二度と仕事ができずに家族を養うことができなかったかもしれない。
もし子どもがいたら、ストレスからおばあさんとの仲が悪化し、最愛の人を傷つけていたかもしれない。
人間はよく、もっとお金があったら、もっと良い家に生まれていたら、と、見たことのない選択肢を想像しては現状に不満を抱く。
しかし、別の選択肢の方が優れている保証なんてどこにもない。
いま目の前には起こっている現実がベストであり、すべてなのだ。
おばあさんにはきっと、これが分かっていた。
だから、どんなに貧しくても、どんなに辛くても「よかったよかった。」と言えたのだろう。
「じいさん、包丁取って。」
「おい、食べるのか、これ。」
「そりゃあ桃ですもの。しかもこんなに大きくてみずみずしいなら、さぞ美味しいでしょう。拾い物だけど、じいさんへの良い誕生日プレゼントになったよ。」
もはや何も疑わないおばあさんを止めることなどできず、おじいさんは包丁を手渡した。
ゆっくりと包丁の先を桃に当て、深く差し込んで下へ切ろうとしたその時、強烈な光とともに桃が割れたのだ。
「ばあさん!ばあさん!大丈夫かい!」
「えぇ、大丈夫よ。じいさんも大丈夫?すごい光だったね。」
「やっぱりこんなの普通じゃない。きっと神様の祟りが起きる。いや、絶対だ。早く元の場所へ返してこよう。」
「ちょっと待って。桃の中になんかいるよ。」
2人は恐るおそる桃の中を覗くと、そこには一糸纏わぬ男の赤ちゃんがすやすやと寝ていた。
「あら、なんてかわいいの。じいさん、私たちにもようやく赤ちゃんができたわねぇ。」
「ばあさん、よく考えてくれ。桃から赤ちゃんなんて、絶対におかしい。これは幻か呪いだよ。だから早く、川へ持って行こう。いや、夢かもしれない。」
「じいさん!何言ってるの!いまこの子を川へ戻したら死んでしまうでしょ!幻?呪い?夢?そうかもしれないけど、目の前に赤ちゃんがいる。だったら育てるのが当たり前でしょ!」
おばあさんは現実をありのままに受け止め、赤ちゃんをそっと抱き上げた。
「ほ〜ら、桃太郎、ばあさんでちゅよ〜。」
「もう名前まで付けて…。だいたい桃太郎って、そのままじゃないか。」
「いいのいいの。名前や呼び方なんて、誰かに覚えてもらうための記号なんだから。殿様だって、あたしたちと変わらない人間さ。大事なのは、この子自身でしょ?」
「そりゃあ、そうだけど。桃太郎ねぇ。」
赤ちゃんはしばらくすると小さな目を開け、空気を破らんばかりの、元気でかわいらしい泣き声を轟かせた。
こうして、何者でもなかった僕は、桃太郎になった。
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