ユエの過去

 多英も下働きの者も、最初のときほどユエを嫌ってもいなかったが、誰も好きではないようだった。それほどまで、ユエの笑い方や話し方、舌足らずな話し方全てが人に嫌悪感を抱かせた。



 シュウシュウはユエが近づけば他の者達のように嫌がることはなく、笑顔でそばにいてやった。



 度々シュウシュウが過去を訪ねると、ユエはとりとめもなく話すので、聞いてる者は訳がわからず頭をひねるだけであった。



「こう、叩かれる。叩かれるんだよー、ぽかんぽかんぽかんて。石も投げられたんだよー」



 と顔を歪めて話すのであった。人から殴られた出来事を話してるのだろう。急に話し始めるから理解するのは難しい。



「そうなの、それはひどい」



 シュウシュウが答える。「ユエ、何もしてない。ユエ、ずっと殴られる。みんな、叩く。服もやぶかれた。ご飯もとられた。あー!でも怖い男の人がくると皆いなくなるから、ユエ、良かった」




「怖い男の人? その人もあなたに何かしたの?」


 シュウシュウが悲しげに聞く。


「何も。なーんにも。でも黒くて大きい男の人が通るとな、皆、怖がってな。ぱあーって逃げてく。ユエは、苛められなくる」




「…熊とかのことじゃないでしょうか?」



 シュウシュウの侍女が言う。



「……それではユエも食べられてしまうわ」



 シュウシュウが真面目に答えると皆がクスクス笑うので、シュウシュウは嗜めた。



 皆で静かに屋敷の散策をする。ユエは一人、虫を追いかけ始めた。



 シュウシュウが庭にある椅子に腰をかける。多英がやってくる。シュウシュウは椅子を勧めるが多英は変わらず、頑なに断る。シュウシュウは思う。多英も歳をとった。もっと素直に自分に甘えてほしいと。




「多英。ユエは普通に話せるようになりますか?」



 シュウシュウが聞く。侍女達は、シュウシュウがユエに根気よく話を聞かせたりしているのを知っていた。小さな子供を学ばせるかのように、ユエに優しく接している。だが、ユエは小さな子供より手がかかる。



「あの娘は、頭がいびつです。生まれた時からか、殴られて育ったせいかはわかりません。それと、私達が思うよりもきっと子を産み落としてるでしょう。出産も産後も、ひどい環境だと思われます。話す、考える力がつくよりも、あの娘はそもそも長く生きられないかもしれないですよ」




 侍女達が息を飲んだ。初めてそのとき、侍女達はへらへらと笑うユエの不幸な生い立ちを知り、侍女達はユエを憐れんだのだった。シュウシュウが涙ぐむのをみて多英は付け足した。




「まぁ、丈夫そうな体つきではあります。思うよりも長く生きるかも知れません」






「そうですか。せめて、ここでは居心地よくしてあげたいわ。皆、お願い。親切にしてやってちょうだい。ユエが怯えるようなことは、やめて。分からないからといって、蔑むような真似は私が許しませんよ」




「承知しました」



 皆が頭を下げる。シュウシュウは一人で部屋に戻るといい、皆も持ち場に戻るようにいった。多英がついていこうとすると、一番気のきくシュウシュウの侍女の紗々さしゃが多英に声をかける。



「あの、多英様。シュウ様が私をたまに『葉月』とわたしのことを呼ぶのですが、誰かご存知でしょうか?シュウ様は気づいていません。


 …普段、我々はシュウ様の誤りは知らんふりしております。シュウ様は人の名を間違えることなどないお人なので…私は『葉月』という人に似ているのでしょうか?」




 多英は顔色変えずに答えた。




「……ええ、貴女によく似ています。その娘も大層美しかったから。シュウ様は間違えるのでしょう。そのまま指摘なぞ、絶対にしないように」



 葉月の顔はぱっとせずに、前歯が人より大きく、顔色といつもよくなかった。紗々の美しさに足元にも及ばない。



だが、多英はそう答えた。



 似ているところは二人ともシュウシュウが大好きなところだな、と多英は思うのだった。

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