事の始まり

女は目が細く、太っていた。六十も過ぎていたが金持ちの女らしく肌艶は良く、髪はまだ黒々として量は多く綺麗に結い上げていた。ガンムの母親のムニだった。



「まだ、子ができないのよ。まだ。あの二人、何十年と一緒にいて…」

 

ムニは娘の部屋に通されるやいなや娘の目の前に優雅に、図々しく座る。娘を見ずに自分の思う通りに喋り倒すだけなので、うんざりした娘の様子にも気づくことなく娘のアラシャにずっとジアのことを罵っていた。




久しぶりに足をのばしてムニは娘の屋敷にきていた。息子の嫁の悪口を言うために。




アラシャはジアをよく知っているが、母がなぜ嫌うかわからないと思った。病弱であるがとても美しく気立てが良かった。兄には勿体ない美しさだとアラシャは思っていたが、ムニにはそのことは息子の幸せにさして重要ではないようにとらえているようだ。母親の愚痴を娘のアラシャは聞き流した。



わざわざ遠くに住むアラシャのところへと珍しくムニは足を運んだものの、娘の方は母親の来訪をそれほど喜んではいなかった。山一つ越えただけでこうも格好が違うのか。ムニは娘の装いや化粧のほどこし方が益々華美になったと目を細めた。


流行りの服に着飾った娘のアラシャは、兄のガンムともムニとも疎遠で、五回は夫を変えていて、変える度に羽振りがよく派手になっていった。ガンムとは顔つきが似ていたが、妖艶な女でガンムと中身は正反対で恋多き女だった。


「まだ、とおっしゃるけどお母様。何を期待してらっしゃるの? もう、できませんよ。これだけ一緒にいるのですよ。お分かりになりません? 」


アラシャは母親のムニより賢かった。あっさり言ってのけた。アラシャは実母ながらにムニの愚痴にはうんざりしていた。こんな姑がいれば、嫁も孕むまい。


「まあ、そうはいっても二人はまだ若い。奇跡を待てばどうです。私、あの二人の愛に感心しない日はないのですよ」

 

とも言った。それはアラシャの本心だった。ムニはその言葉に顔の前で手をふって心底嫌そうな顔をした。そして身を乗り出してアラシャに言った。


「私はジアと別れろとガンムに言ったことがあるの…。別れなくても妾でも持つようにとね。金はあるのよ。女を何人養えることか。子だってそうよ。そうしたらね! そのときのガンムの剣幕といったら…。あなたに見せたかったわ! ジアがガンムをおかしくさせたに違いないのよ」


アラシャはため息をついた。どうして、ガンムのこととなるとお母様はおかしくなるの?

ジアと兄は幼い頃からまるで元々一つの石だったかのようにぴったりとしていてる。離れる訳がない。


子供が生まれないことで、お母様はぎゃあぎゃあ言ってるが、子供ひとり生まれたところで何になる? 私は4人いるが、どうでもいいというのに。


「お母様。お兄様がジア姉さまと別れるわけがありませんよ」


「じゃあ、どうしたらいいの? 母親の私は? 孫も見ずに死ねと言うの? 」


その返事にアラシャは苛々したが、落ち着いて言い返した。


「4人、孫がいらっしゃるではありませんか。ご不満ですか? 」


アラシャには2人の息子、2人の娘がいた。


「ガンムの子供が必要なの。あなたの子は、うちの家系に当たらないわ」

 

ムニは外を眺めながら言った。アラシャは母親の言動に慣れてはいたが、このお決まりの台詞に改めて自分が苛々してることに気がついた。


「そうですわねぇ。その通りですわ」

 

アラシャがいうと「そうであろう」と、アラシャの苛々には気付かないふりで、ムニは白々しく答えた。



この年よりめ。アラシャは思った。



「ああ、うちの砂瑠璃さるりですけど…」

 

砂瑠璃はアラシャの二番目の夫との息子だった。


「砂瑠璃! 元気なの? 」

 

ムニの顔が明るく変わる。孫の砂瑠璃だけは、ガンムほどでないがムニのお気に入りなのだ。


「ええ、小さい頃は病弱で泣いてばかりでしたが、今やすっかり逞しくなりました。表情の読めない子で気持ちが悪いので、お兄様に預ける予定ですわ」


「お前、なんてことを。砂瑠璃はガンムに似て立派ですよ」


ムニが鼻息荒く答える。年を取り、ますます感情的になってきたとアラシャは思った。


「そうですか。ならば、沢山の人を殺めて出世するかもしれませんね」


ガンムは山を抜ける商人の護衛などをして稼いでいたが、山の民を守る者としてあまりの強さにどんどん出世した。今や王宮に雇われている。そして強さもさながら、残忍さも有名であった。


ムニが答えあぐねいていると、アラシャは言った。


「そうですわ。もし、お兄様に新しい妻をというのなら…」


「欲しがらないわ。あの子は妾を何人も持てるほどなのに…」


「ジア姉様は、病弱でしたわね」


「それでもすぐに死なないわ。この間、祈祷する者を雇ったのよ。呪ってやりたくて」


アラシャはあきれた。母親という生き物はわからない。自分も母親であるが、ムニがわからないとアラシャは思った。祈祷だなんて。アラシャは母親に言った。


「ジア姉様を亡き者にしたいのであれば、お力をお貸ししますわ。でも、その後のことは責任を持ちません。そして、これきりにして、私の名は死んでも出さないとお約束してくだされば…」


ムニはにっこり笑った。


「アラシャ。あなたの女だてらにこんなに力を持ったこと、強くなったことを、私は誇りに思ってるのよ。安心しなさい。あなたの名前は死んでも出しませんよ」


アラシャは母を信用していなかった。だが、万が一母が失敗したとしてと、うまく誤魔化せる。仕方がないのでたまに使っていたあのならず者達を貸して、今、この場でうるさい母親を追い払うとするか。

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