スーサイド・マジョリティ

前河涼介

第1話

 今日も路傍に人が降る。

 自殺するのが当たり前の世界で

 僕はビル街を歩く。

 傘をさし

 遺骸を避け

 屋上の角に立った黒い人影たちを見上げ

 僕はビル街を歩く。


 ヒートアイランドのもたらした永遠の雨雲が止まない雨を降らせ

 雨は街を濡らし

 黒と灰の二色に塗り込める。

 流れ出る血も薄められ

 排水口へ吸われていく。


 今日も路傍に人が降る。

 また一人屋上を飛び立ち

 雨の速さを超え

 僕の傘をかすり

 雨だまりに打ちつけられる


 しぶきが僕の裾に跳ねる。

 傘の骨が根本から折れている。

 僕は傘を下ろして顔を上げる。

 大粒の雨が額を打つ。

 それでも上を見なければ

 降りしきる人々を避けられない。


「……私たちは若く健全な労働力を提供します。私たちはサイバー・ソリューション株式会社……」

 街頭テレビから自動音声が流れる。


 自律制御のロードスイーパーが走り

 バケットで路上の遺骸をまとめて掬い上げ

 荷台のコンテナに押し込む。

 レインコートを被った暗い少年たちが

 その後ろに残された肉片を火ばさみで拾い

 ロードスイーパーの荷台に投げ込む。

 荷台の歯車が回り

 プレートで中身を圧縮していく。


 この街の人々は労働力に過ぎない。

 ロボットの整備と

 ロボットの手の届かない後始末と

 それだけが人々の最後の仕事

 AIが人々に与えた仕事の全てだ。


 また一人降ってくる。

 運悪く少年の一人にぶつかり

 頭と頭が当たってかち割れ

 道連れにする。

 少年の一人は死んだばかりの二人を拾い上げ

 少年のもう一人はその様を見て地面に手を突き

 嘔吐し

 ポケットから取り出したペインキラーの錠剤を二粒飲み

 効き目を待ち

 ロードスイーパーの荷台をめがけ

 自ら身を投げる


 今日も路傍に人が降る。

 死ぬのが当たり前になった世界で

 僕は歩き続ける。


 一錠飲めば疲れが消え、二錠飲めば痛みが消える。

 それがペインキラーで

 人々は一日十八時間働き

 ペインキラーの錠剤を飲み

 僅かな睡眠で回復し

 再び次の仕事に向かっていく。

 過酷な仕事があり

 暇をもてあます仕事もあり

 その忙しさと無気力のために

 人々は互いにいがみあい

 罵りあい

 心を傷つける。

 ペインキラーは体の痛みを消す。

 でも心の痛みは消えない。


 この街には人間のための娯楽などない。

 ゲームも本も遊園地も、この世界ではとうの昔に失われている。


 目指すべきものもなく

 愛するものもなく

 娯楽もなく

 ゆっくりと休む暇さえ与えられない。

 人々は絶望する。

 人間とはこんなものか

 人生とはこんなものか、と。


 ただひとつ

 輪廻観だけが人々を救おうとする。

 次はもっと上手く生きたい

 楽な仕事に就きたい

 人と関わらずにいたい。

 

 心を癒すには

 忘却と再生しかない。

 生まれ変わればきっと心の痛みは消えている。


 人々はもはや両親を持たない。

 人体培養カプセルから十四歳の姿で産み落とされ

 間もなく労働に送られる。

 成長という時間の喪失が

 人々の心を輪廻に引き寄せる。

 人々の心を死に引き寄せる。

 

 僕は他の人々の罵倒を浴びながら

 それでも罵倒を浴びせ返すことで

 かろうじて気力を保って生きている。

 もうじき二年が経つ。

 でもそれも消えかけている。

 折れた傘と頭に落ちる雨粒が

 がりがりと僕の気力を削っている。

 そんなことで弱るくらい

 薄弱な気力にすぎない。

 僕はかろうじて生きているだけ。

 

 今日も路傍に人が降る。

 その黒く重たいシミは

 僕の明日の姿なのか。


 ふと路地裏に人影を見る。

 少女が座り込んで泣いている。

 感情を表に出す人は珍しい。

 他の誰にも表情などない。


「何か悲しいのですか」

 僕が尋ねると彼女は涙を拭いて顔を上げた。

「本当に救いがないのはいくら死んだところでこの輪廻から抜け出せないことなのよ」

 僕は彼女の目が綺麗な緑色をしていることに気づいた。

「あなた、どこかで……?」

 それは隣のカプセルで生まれた少女だった。

 彼女もまた二年生き続けてきたのだ。

 二年間安易な誘惑に耐え続けてきたのだ。

 僕は折れそうになっていた心を入れ替えた。

「輪廻の外側には何があると思うんだい?」

「わからない。でも、死にたいとか、生きたいとか、そんなことを考えずに生きられる場所があると思うの」

「だとしたら僕も行ってみたい」

 その時二人の間に人が降ってきた。

 むごい光景だった。

 だが彼女の手前、あまり露骨な反応を見せるわけにはいかなかった。

 それは彼女の方も同じらしかった。

「街を抜け出すの?」

「仕事を捨ててこのビル街と雨雲の外に出るんだ」

「きっと険しい旅になるわ」

「それでもいい。どれだけ辛くても死を選ぶことはないと、やっと思えた」

「不思議ね。私もそう思うの。でも、どうしてなのかな……」

「きっと君のことを知っていたからだ。そして君が生きていたからだ」

「つまり……」

「「忘れたくないことがあるから」」


 今日も路傍に人が降る。

 ビル街と雨雲は地平線まで伸びていて

 けれどそれでも僕らは歩いていく。 




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スーサイド・マジョリティ 前河涼介 @R-Maekawa

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