第13話 人生の選択

 涼子が突然電話をかけてきた。大学卒業後の進路について美和子さんと僕に相談があるという。涼子と僕は喫茶みわのいつもの席にいた。

「ここってやっぱり落ち着くわ」

 涼子がしみじみと言った。確かに働いている人もお客様も高齢者で時に賑やかなこともあるが大抵は話し声も少なく静かだった。

「涼子ちゃん元気?」

 静寂を破るのは美和子さんの声だった。そういえば賑やかになるのは美和子さんがいる時だ。

「すみません。お忙しいのに」

「いいのよ。若い子のご来店は大歓迎だから。ここにいる皆さんも」

 店全体が笑い声で溢れる。

「で、どうしたの?」

 さすがに美和子さんも声のトーンを落としてきた。

「就職を先延ばしして大学院に通っているのですがやっぱり就職したくなくて」

「大学に残って研究を続けたいの?」

「いいえ、そもそも研究がしたかったから大学院に通っているのではないのです。親の会社に勤めるのが嫌だったから・・・」

「贅沢な悩みね」

「はい・・・」

「何かやりたいことがあるの?」

「それもなくて・・・」

「好きなことは何かしら?」

「好きなことですか?」

「そう、やっていて楽しいこと」

 そこにウエートレスの寛子さんが涼子が注文していたチョコレートパフェを運んできた。

「そうだ、寛子さんのお子さんたち何歳だっけ?」

 美和子さんに促されて寛子さんも座って会話に加わった。

「長女は三十八歳で長男は三十五歳よ」

「お姉ちゃんの方はエリート公務員だっけ」

「エリートではないけれどね。今は婚活で苦戦中なの。弟は家にいてアルバイトしながらアイドルの追っかけしているの。まあ、どっちも孫は期待できないわね」

「お姉ちゃんは婚活を頑張っているの?」

「そうなの。最近になって焦ってきたみたい。でも無理だと思うわ。親が言うのもなんだけれど」

「仕事バリバリしていればそれでいいのにね」

「そうなのよ。今度連れてくるから言ってやってよ。親の意見は聞かない子だから」

「弟さんの方は楽しそうね」

「そうね。だけれど親からしたら将来が心配で」

「家があるのだから何とかなるわよ」

「主人もそう言うの。仕事だけの人生より好きなことがあるのは悪いことではないって。でも、アイドルの追っかけなんて・・・」

 寛子さんは悲しげな顔をした。

「アルバイトは何をしているの?」

「最近主人の手伝いを始めたの。舞台の裏方ってところかしら」

「ご主人の背中を見て息子さんも寛子さんが安心できるような人になれるわよ」

「そうだといいのだけれど」

 涼子は黙って美和子さんと寛子さんの話を聞いているだけだった。

 美和子さん手作りのナポリタンを食べて僕と涼子は喫茶みわを出た。帰りしなに美和子さんは涼子に声をかけた。

「自分でとことん考えなさい。今しっかり悩んでおけば後悔のない人生になるのだから。今日は何だか相談相手にはなれなかったわね。ごめんなさいね。これに懲りずにいつでもまた来てよ。話し相手にはなれるから」

「はい、ありがとうございます」

 美和子さんの前では涼子はいつもの元気さを取り戻していた。


 二人で商店街をブラブラと重い足取りで歩いている。

「婚活にアイドルの追っかけか・・・」

 涼子が唐突に言葉を発した。

「どうした?」

 ゆっくり歩く涼子の顔を僕は覗き込んだ。

「考えさせられたわ」

「就職のこと?」

「それも含めて人生について」

「人生?」

「そう、人生。陽介は考えていないの?」

 僕たちは商店街の憩いスペースにあるベンチで話し込んだ。

「人生ね。深く考えたことはなかったかも」

「ねえ、陽介はどうして警察官になったの?」

「人を助ける仕事がしたかったから。でも親父と同じ消防士になるのはちょっと抵抗があってね」

「立派よね。私なんて親への反抗心だけで今まできてしまったから」

「お父さんの会社に入るのが嫌なのか」

「そう、嫌なの。どうせ女の子なのだから好きなことをしていいとは言っているの。父の下でね」

「だったら家を出れば?」

「そうなのだけれど一人で頑張る勇気もなくて。自分でも嫌になっちゃう」

「シンプルにさ、なりたい自分を思い描いてみれば?親に頼ることだって悪ことだとは思わないよ。親に限らず利用できるものは利用して、その代わり感謝することと恩返しすることを忘れなければ良いと思うけれど僕は」

「うん・・・なんか陽介大人になったね」

「そうお?」

 涼子は一人で考えてみると言って帰って行った。


 寛子さんから美和子さんに電話が入ったのは真夜中のことだった。寛子さんの娘さんの奈々子さんが刃物を持って暴れているという。寮で寝ていた僕も美和子さんから呼び出された。勿論警察官としてではなく友人として。

 僕が駆け付けると美和子さんが奈々子さんを羽交い絞めにしていた。リビングの隅には息子さんの達彦さんが蹲っている。僕は達彦さんに駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 達彦さんは黙って頷いた。

 すぐに奈々子さんは泣き崩れた。立ち竦んでいた寛子さんが奈々子さんに駆け寄り背中を抱きしめる。僕は落ちていた包丁を拾い上げキッチンの台に置いた。包丁は先が丸まっている持ち手がオレンジでカラフルな物だった。

 美和子さんがお茶を淹れリビングのソファーに寛子さんと奈々子さんと達彦さんを座らせた。

「お茶でも飲んで一息入れましょう」

「ありがとう美和子さん。陽ちゃんも夜中にごめんなさいね。主人は今地方で仕事があって留守だったから」

 少し落ち着きを取り戻した寛子さんが言う。

 奈々子さんはまだ放心状態だった。

「僕が悪いのだ。余計なことを言ったから」

 蹲っている達彦さんは幼い印象だったが今はしっかりとした大人の顔をしていた。

 関西で働いている奈々子さんは出張で東京に来たついでに実家に帰ってきていた。高校時代の友達に誘われ今夜は飲んできたそうだ。奈々子さんは水をガブガブと飲み深呼吸をした。

 奈々子さんは詳しくは話してくれなかったが、どうも会っていた友達がご主人やお子さんの話ばかりしていることで不愉快な思いをしたそうだ。それを弟の達彦さんに話していて口論になったらしい。

「あんたが羨ましい」

「えっ、俺のどこが羨ましいんだよ。しがないパラサイトの」

「親に甘えて好きなことしてそれで幸せそうじゃない」

「姉ちゃんなんてエリートでちゃんと自立していて立派じゃないか」

「立派なんかじゃないわよ。仕事だって中途半端だし、結婚すらできないし、あんなに努力したのに何も報われない・・・もう嫌」

 最後は泣き叫んでいた。

「美人で頭もよくて気も利く私がどうしてよ」

「だからだろう」

 近くにいた僕にしか聞こえないくらい小さな声で達彦さんは言った。達彦さんは僕を見て少し笑った。僕は達彦さんにしか気づかれないように小さく頷く。

「よし、寛子さん今夜は女同士で飲み明かしましょう」

「そうね。明日は奈々子もお休みでしょう」

 美和子さんの提案で達彦さんは自分の部屋へ行き、僕は寮に帰った。


 次の日の午後、喫茶みわに行くと寛子さんと奈々子さんそして達彦さんがいた。

「陽ちゃん昨日はありがとう。あれから良く眠れた?」

「はい、ぐっすりと。さっき起きたところで・・・」

 時刻はもう夕方に近い。寮に帰ってもすぐには寝付くことができずにネットで映画を見たりしていた。朝になり朝食を食べてからベッドに入り爆睡したのだった。

「お騒がせしてすみませんでした」

 昨夜とは声の感じも違う奈々子さんだった。ピンクのチェックのシャツにジーパン姿が若々しい。

「いいえ、僕は何もしていなくて・・・」

「あの時駆け付けてくれて本当に助かりました」

 達彦さんも頭を下げる。人懐こい達彦さんの笑顔に親近感を覚えた。

「昨夜のお酒がまだ抜けていなくて。お酒臭かったらごめんさないね」

 寛子さんも明るい表情に戻っている。

「何時まで飲んでいたのですか?」

「俺が起きてリビングに行ったら三人共ソファーで寝ていたよ」

「明るくなるまで飲んでいたわよね」

「そうそう、奈々子が先に寝てすぐに私も意識が無かったわ」

「でも、お陰様で吹っ切れました」

 奈々子さんの表情も明るい。取っ付きにくい人かと思っていたがそうではないらしい。

「あんなに叱られたのは生まれて初めてで・・・」

「叱られた?」

 僕は思わず質問をしていた。

「私は子供の頃から優等生で親からも叱られたことがなかったから」

「そうかもね。この子は反抗期もなく親を悩ませたことがなかったから」

 寛子さんが奈々子さんの頭をなでながら言った。

「その分俺がずっと反抗期だったからな」

「三十歳を過ぎてからかな、仕事もプライベートも上手くいかなくなり出して。とうとう行き詰ってしまったの」

「それまでが順調だったから、誰にも弱音を吐くことができなかったのね」

「俺には益々順調に見えていたよ」

「むしろ虚勢を張ってしまって、友達にも愚痴すらこぼしていなかったわ」

「私はこの子が婚活しているって話を聞いてちょっとあれっとは思っていたの。何かあったのかなって。だって結婚はしたくないってずっと言っていたから」

「婚活していることもママにしか言ってなかった」

「何かあったのって掘り下げてあげればよかったのかしら」

「私がもっと素直になっていれば良かったのよね」

「もう前のことは忘れましょう。これから奈々子さんは自分らしい人生を謳歌すれば良いのだから」

「本当に美和子さんありがとうございます。誰が先に偉くなったとか、子どもがいないと一人前ではないとか、いつの間にか他人軸で物事を判断するようになってしまっていました」

「どんなに頑張っても認められない時期って誰にでもあるものよ。そんな時、誰かのせいにしてしまうのは簡単なことだけれど、ちゃんと自分を見つめ直して、反省するところは反省をして、貫き通すべき信念を忘れないことが大切だと私は思っているから」

「はい、人生が上手くいかなくなったと感じていた時は、両親を少しだけ恨んでいました。好き勝手に生きて社会を甘く考えている達彦のことも憎かった」

「俺は社会を甘く考えているわけではないけれど、そうだな、何とかなるとは思っているか。あはは・・・」

「お気楽なところが許せなかったの」

「ごめん」

「謝らないでよ。私の方こそもっと何とかなるって思わないとね」

「私はね、人は自分で自分を育て直すことができるって思っているの」

「自分で育て直す?」

「そう。いい年をしてもずっと親のことを恨んでいる人って決して成長できないはずでしょう。子どものまんま心が止まってしまっていて。そうならないように自分で自分を育て直して、自分自信で自分を幸せにしないと幸せにはなれないからね」

「はい」

「はい」

 奈々子さんと達彦さんが同時に返事をしていた。僕も声を出さなかったが心の中で「はい」としっかり言った。

「あの、親のすねをかじっているのは良いのでしょうか?」

 達彦さんが恐る恐る美和子さんに質問をした。

「別に悪いことだとは私は思わないわよ。誰も不幸でないのならね」

「あんた親の介護とか親がいなくなってからの収入とか考えているの?」

 元気を取り戻した奈々子さんが達彦さんに詰問する。

「何とかなるかな・・・」

「もう少し真剣に自分の将来について考えてみたら?」

「はい、そうします。結局俺が怒られるのか・・・」

「いつものことね」

 寛子さんの笑い声に皆もつられて笑い出す。

 家族間の犯罪が無くならないのは、他人が家族の問題に首を突っ込むチャンスが減っているからなのかもしれない。大事になる前に人に頼ることをもっと良しとしないと益々閉鎖的になってしまう。

 それにしてもやっぱり美和子さんは凄い人だと心から思った。

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