第11話 ストーカー加害者

 僕はパトロールを終え交番に向かって自転車を走らせていた。『もうすぐ春ですねえ・・・』なんて歌を口ずさみながら春風を顔に浴び重いコートを脱いだ爽快感で気分は上々だった。すると交番を覗く若い女性を発見し、僕は声をかけた。

「何か御用ですか?」

「あ~、良かった。陽ちゃん久しぶり」

「あれ、真麻さん」

 以前彼女が自殺未遂騒ぎを起こした時、僕はマンションまで駆け付けたことがあった。その元アイドルが僕を待っていたようだ。

「どうしたのですか?」

「ちょっとストーカーの件で・・・」

「だったら中で話を聞きますよ。ちゃんと届け出ないと」

「それが、私がストーカーなの」

「え?加害者の方ですか?」

「そうなの。訴えられる寸前で」

「それならば、駅前の喫茶みわってお店知っています?」

「ええ、美和子さんのお店よね。行ったことあるわ」

「そこで待っていてください。美和子さんにはそのことを伝えても良いですか?」

「お願いするわ。喫茶店にも行こうかと思っていたの。でも入る勇気がなくて」

「僕から美和子さんには電話をしておきますから」


 僕が仕事を終えて喫茶みわに入ると美和子さんと真麻さんは大きな声で笑い合っていた。

「すみません。お待たせしました」

「待っていたわよ。まだ詳しい話は聞いていないの」

「それで、加害者というのは・・・」

「数か月だけれどお付き合いをしていた人がいたの。舞台なんかに出ている売れない役者なのだけれどね」

 真麻さんは少し間を開けた。美和子さんも僕も急かさないで次の言葉を待った。

「私は初めての舞台で余裕も無ければそれほど親しい人もいなかったから彼に声をかけられて嬉しかったの。その舞台が終わって彼の方から付き合って欲しいと言われて・・・」

「お付き合いが始まったのね」

「はい、最初のうちは上手くいっていたのですが私の束縛が激しくなってしまって・・・」

「真麻さんは舞台の後お仕事は?」

「実はその舞台もあまり好評とは言えず、その後はイベントの仕事があるくらいで・・・」

 真麻さんの声は消え入りそうだった。

「彼に執着してしまったのね」

「はい、もう彼しかいないと思えて・・・」

「彼が嫌がることをし続けてしまったと」

「そうですね。彼が私のマンションに転がり込んできたのですが、少しでも帰りが遅くなると怒鳴ってしまうこともあって・・・」

「どうして怒鳴ってしまうか考えてみた?」

「えっ、だって帰りが遅いと心配だし・・・」

「何が心配?彼の浮気とか?」

「はい、私のいないところで彼が何をしているのか不安になってしまって」

「彼が信じられない」

「彼、売れない役者なのですが結構モテているから」

「真麻さんは自分に自信がないのね」

「そうかもしれません」

「そして、彼を愛していない」

「そんなことありません。私は彼を愛しています。彼なしではもう生きて行けない」

「それで彼を追い回しているのね」

「彼が家を出て行ってしまったので、LINEを数十件送っていて・・・」

「一日に数十件・・・」

「いいえ、一時間に・・・」

「それで彼が訴えるって言ってきたのね」

「はい」

 さっきまで美和子さんとも楽しく話していたはずなのに、彼との話になってから真麻さんは人が変わったように思い詰めている。僕はいつもの通り、口を挟まず聞き役に徹していた。

「辛かったわね」

「えっ、はい」

 真麻さんは美和子さんから労われて少しだけ戸惑った顔をした。

「私も若い頃同じようなことがあったから」

「えっ、美和子さんが・・・」

 真麻さんの声同様僕もビックリしていた。

「それってどういう意味よ。私にだって失恋の一つや二つあるわよ」

「男を追い回したことがあるのですか?」

「まあ、その言い方は気に入らないけれど、そうね、あるわ」

「何だか美和子さんて、来るもの拒まず、去る者追わずってタイプだと思っていたから」

「まあ基本そうだけれど、若い頃の恋愛では追い回したことがあるわよ。だけれどその失恋があるから今に至るって訳よね」

「失恋・・・」

「そうよ。失恋して泣いて喚いてみっともない姿晒して、そうやって成長するのよ」

「成長・・・」

 真麻はただポカンとしていた。

「あら、舞台観に行ったわよ」

 いきなりウエートレス姿の女性が真麻さんに声をかけてきた。

「あら、寛子さんこの子の舞台観てくれたの?」

「ええ、うちの主人が舞台美術の仕事をしている関係でチケット貰ったから」

「あら、タダだから行ったのね」

 美和子さんはやっぱり厳しいことを言う。

「そんなことないわよ。興味がある舞台はなるべく行くようにしているの。私の唯一の趣味よ。それでね、とっても良かったわよ。特に真麻ちゃんの演技、本当に感動したわよ」

「ありがとうございます。でも、マスコミからの評判はいまいちで・・・」

「マスコミや専門家なんて公言している人の話なんて何の役にも立たないわよ。寛子さんみたいな演劇好きの人の評価の方が信憑性あるわよ」

「そうよ、私なんてただの演劇好きのおばさんだけれど、私が認めた俳優はだいたい売れていくから。だから諦めないでコツコツと頑張ってね」

「演じることは好きなの?それとも前みたいにアイドルとして脚光を浴びたいだけ?」

「今回演じさせてもらって、演じることの楽しさを知りました。だから、本当はもっと頑張っていきたいのですが、仕事が来るかわからないから」

「仕事なんて取りにいかないと来ないわよ。ちゃんと自分で動いているの?」

「いいえ・・・」

「舞台で知り合った人に片っ端から連絡を取るとか、オーディションに応募するとか、見栄や外聞なんて気にしないでとにかく動いてみること、そうすれば恋愛に浸っている暇はなくなるわよ」

「あなた生き生きしていたじゃない、舞台の上で」

「はい、演じることも好きになりましたが、あの舞台の雰囲気とか皆で一致団結して頑張ることが大好きになりました。だから、あの場所にもう行けなくなるのかと思ったら辛くなってしまって・・・」

「ちょっとネットで悪口書かれたぐらいで何やっているのよ。そんなこと無視してまた舞台に立てるよう頑張らないでどうするの」

「はい・・・」

 するとそこで真麻さんの携帯が鳴る。真麻さんは皆に頭を下げて外に出た。

 戻ってくる顔が明るくなっていた。

「お世話になった舞台演出の人からでまた出てみないかって、端役のようですが・・・」

「それは良かったじゃないの。端役だろうと仕事があるってことはチャンスなのだから精一杯やるのよ」

「はい、ありがとうございます」

「もう、大丈夫そうですね」

 僕はこの場で初めて言葉を発した。

「何だか彼のことはどうでもよくなりました」

 美和子さんの失恋の話が真実かどうかは僕には皆目見当がつかないが、美和子さんが言ったように、泣いて喚いてみっともない姿を晒すことで人は一歩前に進むことができる。それをしないで自分の心をごまかしても心は腐っていくばかりなのだ。人との会話で自分のことが見えてくるのだということを僕は目の当たりにすることができた。

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