第10話 ブラック企業の表と裏

 いつもの喫茶店に美和子さんから呼び出され、空いていた席に座っていた。そう言えばこの喫茶店の入り口には『会員制』と書かれた黄金の看板が出ている。僕はこの店で支払いをしたことがなく、この喫茶店のシステムを良く知らないことに気が付いた。今更なのだが。

 店内を見回すとお客は高齢者の方が中心であった。よく観察してみると支払いをしている人は少なく、入り口で何かカードのようなものをマスターに見せている。そのマスターもそう言えば七十代の男性で時々人が変わる。ウエートレスはやはり六十代の女性で日々違う。僕がキョロキョロしていると美和子さんが入ってきた。そう言えば美和子さんはカードすら見せていない。

「ごめんね。呼び出しておいて遅れちゃって」

「いいえ、今来たところです」

「何か気になる?」

 美和子さんは本当によく気が付く。

「あの、このお店って会員制ですか?だったら僕も会員にならないと・・・」

「ここ私の店だから陽ちゃんはいいのよ」

「嘘、この店美和子さんの?」

 そうか、この店の名前は『喫茶みわ』だった。僕は迂闊すぎる。

「そうよ。私の親が経営していたの。もう二人とも亡くなっているのだけれど。だから私が引き継いだのね。本当は売ってしまおうとも思ったのだけれどお客さんに止められて」

「お客さんに?」

「そう、晩年の父がここを会員制にしていたのよ。儲けというより老人の溜まり場を維持する目的でね」

 美和子さんは小声で言った。

「だからおじいさんやおばあさんが多いのか」

「その言葉はここでは禁句よ。皆さん自分が年寄りだとは思ってはいないのだから」

「ここで働いている人は?」

「ああ、それは私の代になってから決めたことがあってね。お客さんの中で働きたい人に働いて貰っているのよ。あのウエートレスさんはもうすぐ八十歳よ」

「ええ~・・・」

 僕の見る目は本当にない。

「遅くなってすみません」

 そこへ久木田さんが慌てた様子でやってきた。

「大丈夫だからちょっと落ち着いて」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあちょっと、陽ちゃんも立って手伝って。ハイ皆始めるわよ」

 それまで喫茶店でお茶を飲んでいたお客たちが一斉に立ち上がって机を並べ替え始めた。僕はオロオロしながらも近くにいたおじいさんに支持され机を一緒に動かした。

 細長い会議室の形に机が並べ替えられ議長席に美和子さんが座った。僕は美和子さんから一番遠い端っこに座らされる。事実この場の状況を一番理解していないのがこの僕だった。

 ぞくぞくと皆が席に着く。美和子さんの隣には久木田さんが座った。

「それでは始めます」

 美和子さんの号令で私語が止む。美和子さんと久木田さんそして九名の男女が真剣な顔で会議に臨んだ。僕はあっけにとられながら黙って見守る術しか持ち合わせていなかった。

 気が付けばタクシードライバーの八嶋さん、リアンハイム大家の杉山さん、杉山さんの従妹の康代さん、キッチン富士の山下さん、リアンハイムの住人浜野君といった顔見知りも席についていた。僕は一人一人と会釈を交わした。そう言えば、机を並べ始めると人の出入りが激しくなった。僕は夢中で机を動かしていたので知り合いの人が来ていたことすら気が付かないでいた。


「まずは鷹山運輸のことで知っていることを教えてください」

 美和子さんが皆に問いかける。

「社長だった親父さんが亡くなってからは経営が大変だと聞いたことがある」

 僕の知らない体格の良い老人が答える。

「はい、僕の会社の社長の話だと今の社長は二代目で彼の代から引越業を始めたそうです。でもそれが余計に経営を悪化させているとか」

 浜野君が驚くほどしっかりと答えていた。

「あの社長は私たちの確か後輩よね」

 康代さんが言い、山下さんも頷く。

「私がキッチン富士でシェフを始めてから何度か店に来てくれています」

「それならば、一度話をしてみないとね」

 美和子さんの提案に山下さんが協力することになった。それからは色々な人たちが次々に話しを始めてほぼ雑談状態になってきた。美和子さんも時々それらに加わっている。山下さんが席を立つとウエートレスをしていたおばあさんとマスターのおじいさんも立ち上がって料理や飲み物を配り始めた。ここからはもうただの宴会のような感じになってきた。

「陽ちゃん初めてだったわね」

 康代さんに声をかけられ僕はこの会で初めて声を出した。

「はい、これは何の集まりですか?」

「美和子さん会とでも言うのかしら、いつの頃からか困った人がいるとこうやって集まって情報収集しながらワイワイやることになってね」

「そうだったのですね」

「元々はこの喫茶店の会員さんたちがこうやって集まっていたのが始まりだって聞いているけれどね」

「今回はリアンハイムの久木田さんのことで皆さん集まったわけですね」

「そうなの。久木田さんが働いていた鷹山運輸について知りたいからって」

 美和子さんが情報ツウなのはこういう会があるからなのかもしれない。それにしても皆楽しそうだ。


 後日、美和子さんから連絡が入り、鷹山運輸の鷹山社長と会う日に僕も同席することになった。場所はやっぱり喫茶みわだった。

 キッチン富士の山下さんと鷹山社長は同じ高校で野球部の先輩後輩の間柄だという。山下さんが地元に戻ってきたことをきっかけに野球チームを結成することになり定期的にキッチン富士で打ち合わせをしているとのことだった。

「私はどうすれば・・・」

 僕より先に来ていた山下さんは美和子さんにお伺いをたてていた。

「鷹山さんの知り合いは山下さんだけなのだからいてあげるだけでいいから」

「それならば」

「何て言ってここに呼び出したの?」

「彼もこの地元から離れていた人間で知り合いが少ないとこぼしていまして、それだったらこの街で顔の広い人を紹介するからと言ってあります」

 そこへ身体の大きい日焼けした男性が文字通り身を縮ませて店に入ってきた。僕はもっと強面の人を想像していたのだがとても身体とは裏腹に優しそうな表情をしている。

「こちらこの店のオーナーで街の顔役の美和子さんです」

「初めまして、顔役なんて大袈裟よ」

「初めまして鷹山です」

「まあ座りましょう。こちらはお巡りさんの陽ちゃん」

「お巡りさん?」

「ああ、いえ仕事で来ているわけでは・・・」

「そうね、私のお友達だと思っていただければ」

 そうは言っても鷹山社長は少しだけ警戒した顔をしていた。

「単刀直入に言うわね。鷹山さんの会社のことだけれど、経営は上手くいっているの?」

「まあ、何とか」

「鷹山さんのところで働いていた人がお客さんからお金を脅し取られていたのは知っているかしら?」

「お金を?いいえ知りません」

「その人は社長に知られたら仕事が貰えなくなるからって黙っていたそうなの」

 鷹山社長は黙っていた。美和子さんも間を開ける。

「今はどこも人手不足らしいわね。うちはそんなことないけれど」

「そうですね。ここはいつもお客様も多いけれど働いている人も多い」

 山下さんも納得していた。

「どうしてだと思う?」

「美和子さんは人望が厚いから」

 山下さんが答えると鷹山社長は益々身を縮めた。

「そうではないのよ。よく見て、ここは高齢者の方に働いて貰っているのよ」

「そのようですが・・・」

「ここは会員制で働きたい人は誰でも働いて良いことになっているの。あそこにいるマスターの格好をした人が大森さんといってリーダーでシフトを組んでくれていてね。働いただけお金が貰える仕組みだけれど、お金が要らない人は寄付する仕組みもあってこの街に役立てているというわけ」

「不平不満や会員さん同士のトラブルはないのですか?」

「そりゃあ、あるわよ。だから定期的にミーティングをしているでしょう。思ったことは口に出すようにしていてここの趣旨に反する人は自然といなくなるから」

「互助会のような仕組みですか?」

 鷹山社長も少しずつだが興味を示してくる。

「そうね、それもあるかも。助け合いというか相見互いの精神はあるわね。あの大森さんなんて以前は大手会社の社長だったからお金は要らないらしくてね。それよりも人を纏めることや人からの相談に乗ることを生きがいにしているわ」

「働けない人もいるわけですよね」

「そうよ。あっちに座っている人たちは身体が弱くここでは働けないけれども、見守り隊と言って、小学生の子どもたちの登下校時に交差点に立ったり一緒に歩いたりしているのよ。それも立派なこの街に必要なことだからね」

「社会貢献ということですか?」

「ビジネスと社会貢献って相反するようだけれど私は違うと思っているの」

「共存できると・・・」

「そう。この店は利益を追求することを止めたら儲かるようになったのよ」

「どうしてですか?」

「難しいことはよくはわからないのだけれど、私はオーナーの独り勝ちをまずは止めたのね。それよりも多くの人が喜ぶ顔を見たいと思ったから」

「それだと社長になる意味が・・・」

 鷹山社長の声が小さくなる。

 美和子さんが大森さんを手招きして席に呼ぶ。マスターの大森さんも会話に加わった。

「社長としてお金持ちになることを目指していたよ、私もね。でも、その時は上手くいかなくてね。周りが見えていなかったからだろうね」

「大手会社でも?」

「大手会社でのし上がるということは、お金だけを見ていては駄目だからね。人との関係性が大事でね。まあそればかりではないが」

「でも、お金を儲けないと経営は続けられない・・・」

「そうかもしれない。でもね、お金だけだと続かないから」

 僕には難し過ぎて理解できない会話だった。

「私が都内の店を潰してしまったのも儲けに拘り過ぎたからです。働いている人たちを苦しめるばかりになってしまって、誰も幸せにすることができなかった」

 山下さんの言葉に鷹山社長も頷く。

「働いている人たちが幸せでないと来てくれるお客様だって幸せにはできないものね」

「お客様が幸せでないと経営者だって幸せにはなれません。今、キッチン富士で働かせてもらえてやっとそのことに気が付きました」

「お客様の幸せ・・・」

 鷹山社長はその後の言葉が続かず、しばらくの間黙ってしまった。

「この喫茶店に集まる人たちは色々な経験や知識を持った人たちばかりなのだから、それを頼ってみてはどうかしら」

「頼る、ですか?」

「そう、人手不足なら大型免許を持った人やら力仕事が得意な人だっているし、お金の相談ならちゃんとした事業計画があれば出資してくれる人もいるのだから」

「実は俺もここのお陰でキッチン富士を再開できたのだ」

「そうなのか?」

 山下さんの話しに興味を持つ鷹山社長だった。

「あの店も古くなっていてね。オーナーはもう閉めようとしていたしお金も無かったから諦めていたのだ。そこで美和子さんに相談したら、元大工の人やら建築関係で働いた人たちを集めてくれてあまりお金をかけずにリニューアルオープンにこぎつけたって訳」

「あの時は私も驚いたわよ。どこかから新品同様の冷蔵庫を持ってきたりもして」

「あれはマスターの知り合いからだったわね」

 鷹山社長も驚いた顔をしていたが、僕もここの人たちのことを知る度にビックリさせられていた。この喫茶店に集まる人たちの力で鷹山運輸も盛り返すはずだ。僕は何だか誇らしい気持ちになっていた。僕は相変わらず何もしていないのだが。

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