第7話 子どもは街の宝物

 僕が交番勤務をしているとタクシーの運転手が駆け込んできた。

「おお、久しぶり・・・」

 八嶋さんは慌てているが何をどう話していいのか迷っている感じでもあった。

「実は、中学生くらいの女の子を乗せてね。何だか様子が変なのだ」

「様子が変って?」

「この住所に行って欲しいって言われたのだけれどこのアパートって独り暮らしの男性しかいないはずだよね」

「ええ、この住所は杉山さんのリアンハイムですね。そうです、今は一人暮らしの男性しかいません」

「女の子が一人で行くようなところではないよね」

「はい、どの家を訪ねているのかわかりますか?」

「ええとね、浜野って言っていた」

「わかりました。大家さんを知っていますから確認してみますね」

 僕は杉山さんに電話をかけ、浜野って人がどういう人か聞いた。

「どうも二十代の若者らしいです」

「じゃあ、やっぱりおかしいよ」

 そこへ偶然やって来た美和子さんがタクシーから女の子を降ろして交番の中に入ってきた。

「運転手さんが住所を確認しているからおばさんとここでジュースでも飲もうか」

 美和子さんは買物袋からジュースを取り出しその女の子に渡した。

「美和子さんどうして」

「八嶋君のタクシーに女の子が乗っていたからどうしたのかなって思ってね」

 僕たちは女の子から少し離れて相談した。

「あの子まだ小学生よ」

「大人びて見えますけれどそう言われれば確かに」

「こんなに暑い日に長袖だし」

「本当だ。今日は真夏日ですよ」

「きっと家出ね。私が話を聞いてみるから」

「お願いします」

 僕の上司が浜野という男性を大家の杉山さんと一緒に訪ねて行ってくれることになった。僕と八嶋さんは美和子さんと女の子の会話を見守る。

「お名前は?」

「新川優愛です」

「何年生?」

「六年生です」

「浜野さんってお兄さんは知り合いなの?」

「・・・」

 夢愛ちゃんは口ごもる。

「腕見ていい?」

 美和子さんが腕を捲ったが夢愛ちゃんは抵抗しなかった。

「誰にやられたの?」

「お父さん」

 小さい声だがハッキリと聞こえた。美和子さんは夢愛ちゃんから担任の先生を聞きだし電話を掛けた。担任の先生はすぐに来るという。

「お父さんからの虐待」

 僕はどうしていいかわからなかった。

「担任の先生もそのことを知っていたみたい」

「だったら・・・」

「私の電話で覚悟を決めたって言っていたわ。彼女も悩んでいたみたい」

 担任の先生はまだ二十代の若い女性だった。夢愛ちゃんのお母さんと一緒に駆け付けてくれた。夢愛ちゃんのお母さんの顔には殴られた跡がはっきり残っていた。

 お母さんからも話を聞いて明らかにお父さんの虐待だとわかり僕は本部に報告を入れた。

「夢愛ちゃんからのSOSを感じていました。先生助けてってサインがあったのに私は何もできなくて」

 担任の先生は泣き出す。

「私も夫の暴力から逃げられませんでした。私がもっとしっかりしていれば夢愛を苦しめなくてすんだのに。ごめんね」

 夢愛ちゃんのお母さんも泣き出す。

「これからが肝心よ。お母さんが夢愛ちゃんを守らないで誰が守るの?」

「はい、でもどうしたら・・・」

 そこへ僕の上司が杉山さんと若い男性を連れて帰ってきた。

 浜野君というその若い男性は無職で半年ほど前から杉山さんのアパートに住んでいるという。杉山さんは浜野君の父親とは昔から知り合いだそうで、頼まれて住まいを提供していた。

「私の知り合いなのよ。この浜野君も夢愛ちゃんも」

 美和子さんは唐突に言い出した。

 浜野君も夢愛ちゃんも驚いた顔をしている。美和子さんは浜野君と夢愛ちゃんに目配せをする。二人は黙って頷いた。

「今日は皆でご飯を食べる約束をしていてね」

 美和子さんの嘘はバレバレであったが、僕の上司も何も言わなかった。


 その日の夜、夢愛ちゃんのお父さんは仕事から家に帰ったところで逮捕をされた。これから夢愛ちゃんとお母さんがどうするべきか美和子さんも一緒になって考えるという。

 人というのは他人からの助けがあって初めて人らしく暮らせるのかもしれないと、僕はそんな当たり前のことに今まで気が付かなかった自分に呆れていた。


 数日後、杉山さんからの呼び出しがあり、僕はリアンハイムに行った。案の定、美和子さんも来ていた。

 浜野君は僕と同じ年で大学を卒業して就職をしたが続かず今は無職で親からの仕送りで暮らしているという。

「夢愛ちゃんとはどうして知り合ったの?」

「はい、インターネットの掲示板で」

 美和子さんの質問に浜野君が答える。

「この部屋に連れ込もうと思ったの?」

「はい、お父さんに虐待をされていると言っていたので逃げてくればいいと誘いました」

 彼の目的は僕が思っているようないかがわしいことではなく、純粋に夢愛ちゃんを助けてあげたい一心からのようだった。

「でも、それって犯罪になるわよね」

「・・・」

 浜野君は首をかしげる。

「僕は発達障害と診断されていて普通とは違うから」

「タクシーに乗ることを提案したのは浜野君なのね」

「はい、その方が分かりやすいかなと。お金は僕が払うからと言いました」

 浜野君のその提案のおかげで夢愛ちゃんへの虐待が発覚したのは事実だった。浜野君は夢愛ちゃんがお父さんの虐待から解放されてとても喜んでいる。僕は美和子さんのあの時取った行動が正しかったことを理解した。彼に悪意は微塵もなかった。少しだけ常識というものを知らない、いや常識に囚われていないだけだ。美和子さんの咄嗟の配慮で警察からの取り調べを受けずにすんで本当に良かった。警察官としての僕は思ってはいけないことなのかもしれないが。

「浜野君は良いことをしたわ。でもね、この部屋に連れてきていたら間違いなく犯罪者になっていたのよ」

 美和子さんは僕が思っていたことを彼に伝えた。

「どうして?」

「大人が子どもを親の了承なしに連れまわしてはいけないのよ」

「僕は連れまわしてはいません」

 確かにそうだ。彼は誘ったが無理やり連れてきたわけではない。夢愛ちゃんが勝手に来たという言い訳だってできる。

「そうね。でも夢愛ちゃんのお母さんは夢愛ちゃんがいなくなったら心配するでしょう」

「でも、その方がお父さんからの暴力を受けないから安心です」

「そうだけれど・・・」

 美和子さんにも言葉に詰まることがあるらしい。

「今度は私か美和子さんに何でも相談をすること。そうすれば問題はないから」

「そうね。そうよね」

 杉山さんの提案に美和子さんも僕も頷いた。

 浜野君は大手商社に数か月だけ在籍していたという。卒業した大学も僕とは比べ物にならないくらい優秀だった。それなのに会社では仕事ができないレッテルを貼られ、人間関係も上手くいかなかったそうだ。

「僕は空気を読むことができないので」

「空気なんて読む必要ないのだけれどね」

 美和子さんはしみじみと言う。

「でも会社での人間関係にはルールがあるから」

「ルール?」

 僕の発言に注目が集まる。一寸後悔していた。

「はい、会社や組織ごとに独特のルールがあると思います。警察でも挨拶が無いと叱られますし、上司の面子を潰すと大変なことになりますから。それに嫌でも褒めておけば丸く収まることも多いですし」

「僕はそれらがどうして必要なのかがわかりません。だって仕事には何の関係もありませんから」

「そうだよね。僕もそう思うよ。でもそれらをしていれば誰からも攻撃をされないから。理不尽でも僕は心地良い関係を選んでいます」

「心地良い関係?」

 僕の言葉に浜野君は考え込む。

「浜野君は上司や同僚の間違いや無駄だと思う行動をついつい指摘してしまうでしょう?」

「うん、だって僕の方が絶対に正しいから」

「それはその通り。でも言われた方は嫌な思いをするよね。そうすると言われた人は浜野君に対し反逆にでてくる」

「うん、いつもそう」

「だったら、不本意でも上司や同僚にはストレートには指摘をしない。それが僕の処世術かな」

「ストレートには?」

「そう、ストレートに言ってしまうと面子を潰してしまうから言い方を工夫するか、見なかったことにすることも多いかな」

「それだから公務員はいつまでたってもお役所仕事が改善しないで心のない仕事しかできないのよ」

 美和子さんがいきり立つ。僕は身を縮めた。

「まあまあ、確かに伝え方って難しいですよね」

 杉山さんがその場を取り持ってくれた。


 その後、浜野君は杉山さんの紹介で不動産会社に就職することになった。その会社の社長は発達障害について理解があり浜野君が働きやすい環境を用意してくれているという。浜野君も自分の得手不得手を把握して上手くその会社に馴染んでいっているようだ。

 美和子さんから始まった僕の人間関係の輪がどんどん広がることに喜びを感じている。そして何より犯罪者を作らないことが僕の使命なのだと心から思った。

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