第5話 愛とお金
その日、僕は独り暮らしの男性が空き巣にあったと通報してきたため出動していた。一人暮らしの人が多く住む比較的安価な家賃のアパートだった。
その帰りがけにそのアパートの大家だというやせ型で髪の薄い六〇代の男性から声をかけられた。
「あの、婚約詐欺はどちらに相談すればいいでしょうか?」
やっと聞こえる声だった。
「どうされました?」
「いいや、やっぱりいいです」
「あのでも・・・」
僕は呼び止めたがその男性は僕に背を向けて歩き出していた。気にはなったが追いかけて問い正すわけにもいかずにその場をあとにした。美和子さんだったら上手く聞き出すはずなのだが。
非番の日、僕はやっぱり気になってしまいそのアパートの前にいた。だが、あの大家がこのアパートに住んでいるはずもなく我ながら浅はかな行動にあきれていた。そこに美和子さんから電話がかかる。
「陽ちゃん今日非番でしょう?」
相変わらず僕の予定はお見通しだ。
「はい」
「今どこにいるの?」
「あのリアンハイムの前にいます」
「ああ、杉山さんのところね」
「大家さんをご存知ですか?」
「ええ、杉山さんの自宅はそうだ原島さんの家の並びよ」
「涼子のお祖父さんの」
「そうそう。あら嫌だ、今涼子ちゃんと一緒なのよ」
「えっ」
「どうせ暇でしょう。駅前の喫茶店にすぐに来なさい」
何が嫌なのか不明の上に電話は一方的に切れた。僕はもう美和子さんが何をしようと驚かなくなっている。
駅前のいつもの喫茶店に入るとこれもまた、いつもと同じ席に美和子さんは座っている。
「陽介しばらく」
「おお、元気だったか?」
「まあね」
「あれから二人で会ってはいないの?」
「はい、私も忙しくて」
「ところで、何で杉山さんのアパートの前にいたのよ」
「いやあ、それが・・・」
僕は個人情報にもなるので言い渋った。
「個人情報ってところね」
美和子さんには通用しないか。
「だったら仕方ないわね」
あっさり引かれて少しガッカリしていた。
「あの人今大変なのよ」
「ご存じなのですか?」
美和子さんの情報網には脱帽する。
「ええ、ちょっと相談受けてね」
「相談ですか?」
僕は少し疑いの目で美和子さんを見た。
「そう言えば涼子ちゃん部屋探しているのよね」
「えっ?」
「そういうことにして、さあ、行きましょう」
美和子さんはさっさと伝票を持ってレジに向かった。僕たちは唖然としながら美和子さんに従った。
杉山さんの家は古い洋館で敷地も広かった。どうもアパートの前で会った老人とは結びつかない。
「杉山さんはここでお母様と二人暮らしをしていたのだけれど、最近お母様が亡くなられて傷心していてね」
元気がなかったのはそういうことかと思ったが、それとは別に婚約詐欺という言葉が頭に蘇る。
杉山さんは思いの外明るく僕たちを応接間に通してくれた。
高価そうな絵画や壺が目に入る。
「この子が部屋を探していてね」
美和子さんが涼子を紹介した。杉山さんは僕が以前会ったことのある警察官だとは気付いていないようだった。
「残念なのですがもうご紹介できる部屋がなくて」
「あら、満室なら仕方がないわね」
「いや、そうではなくてもう大家は辞めようかと」
「そうなのね」
「はい、ただリアンハイムだけは残しますが、他の物件は売る予定です。もう終活ですかね」
「確かリアンってフランス語で絆でしょう」
涼子が嬉しそうに言う。
「よく知っていますね。そうです。あのアパートは以前別の人の持ち物だったのですが頼まれてオーナーになりました。今は収入の少ない独り暮らしの人がほとんどでして、収益は無いに等しいのですが・・・」
「絆を大切にしているのね。素晴らしいわ」
「いえいえ、そんな立派なことではなくて」
杉山さんは照れていた。
「でも、あのアパートも手放して欲しいと言われてしまいまして」
「あら、どなたに?」
美和子さんが杉山さんから相談を受けているというのはやっぱり嘘のようだった。だが、何らかの情報を掴んではいるようだ。
「実は婚約者がおりまして・・・」
さっきより激しく照れる杉山さんだった。
美和子さんの顔が少しだけ曇ったように見えた。
「その方はどうしてリオンハイムを手放して欲しいと言っているのかしら」
「それは・・・」
「お金にならないからでしょう」
涼子はあっけらかんと言う。僕はオロオロするばかりだった。
「アパート経営を辞めるのもその方の意見なのかしら」
「いいえ、その方とは最近知り合いまして、その前から他の物件は手放す予定でした」
「どちらで知り合ったのですか?」
「駅前の喫茶店です」
「うそ、ナンパ?」
涼子が素っ頓狂な声をあげる。
「どなたかのご紹介かしら」
「まあ、そのような」
「どういう状況だったの?」
涼子が興味津々で聞き出す。デリカシーという言葉は知らないようだ。
「そこで不動産屋の金井さんと打ち合わせをしている時に金井さんの知り合いとかで、外から金井さんを見かけて喫茶店に入って来られて・・・」
「紹介されたのね」
「というか彼女の方が金井さんに紹介してと頼んでいまして」
「狙われたのね」
美和子さんと涼子は頷いて顔を見合わせた。僕にはよくわからなかった。
「えっ、どういうことですか?」
「わからないの?鈍感ね」
「その女性は杉山さんがお金持ちと知って近づいてきたのよ」
「近づいて来たって」
本人の前でそんなことを言ってもいいのか。
「金井さんはどうその方を紹介したのかしら」
「えーと、一度住いの相談にお店に来たとか」
「それほど親しいわけではなさそうね」
「はい。金井さんは打ち合わせが終わるとすぐに帰られまして、私は少しそこでゆっくりしておりましたら・・・」
「話しかけられたのね」
「ええ、まあ」
「どういう方なのですか?」
「高校生の息子さんがいらして、シングルマザーとかで」
「お仕事は?」
涼子も美和子さんも根掘り葉掘り聞いている。だが、杉山さんも嫌がっている様子はない。
「ブティックを経営しているとか」
「それは嘘よね」
「絶対に」
美和子さんと涼子は杉山さんと僕を置き去りにして納得し合っている。
「それで、どうやって付き合いが始まったのですか?」
「話が合いまして、私の家に来ることになって・・・」
「それで、それで、どうしたの?」
「涼子、そんなに問い詰めなくても」
僕はさすがに涼子を咎めた。
「どうしてよ?」
涼子はふくれ面をする。
「構いませんよ。何もしてはいませんから」
「え、でも婚約者って」
「はい、彼女が結婚を前提にお付き合いがしたいと言ってくれまして。子どもさんにも会って欲しいといわれて会いまして」
「お子さんに会ったの?」
「はい、今の高校生は大人びていますね」
「写真はあるの?」
「記念写真は嫌がられたのですが、二人が仲良く歩いているところに偶然出くわしまして遠くから撮った写真はあります」
さすがの僕にも状況が見えてきた。
「見せて、見せて」
涼子の勢いは止まらない。
「えっ、これ・・・」
「そうよね」
またしても、美和子さんと涼子の二人だけが納得していた。
「それで、この女性は何か杉山さんにおねだりしてきたのかしら」
おねだりという言葉が僕には引っかかったが、杉山さんはどこまでいっても純情だった。
「ええ、息子さんの大学資金を援助して欲しいと」
「いくら?」
もう涼子の言葉に遠慮はなかった。僕はそれを止める術を持ち合わせてはいない。
「二百万円ほど」
「もう出してしまったの?」
「いいえ、今日これから会う約束をしていまして」
「まだ渡してはいないのね?」
「はい、母から他人にお金を無暗に渡してはいけないと言われて育ちましたので、いくら婚約したとはいえまだ他人ですから・・・」
「それは賢明ね」
「どなたかに相談した方が良いと思ったのですが、知り合いの方にするのは抵抗がありまして、だからといって警察にするのもまだ被害が出ていませんし、何より騙されているかどうかもわからないですし・・・」
杉山さんにも疑惑の心があったから僕に声をかけてきたのだろう。
「だったら一緒にその方に会いましょうか」
「えっ、皆さんで?」
「そう、家族ということで」
それから僕たちはあれこれ設定を考えた。杉山さんには兄妹がいないことを彼女は知っているというので美和子さんが杉山さんの従妹という設定でその子どもたちを僕と涼子がすることになった。従妹というのは実際にいるそうで、事実この家にも出入りがあり杉山さんはその人の子どもにこの家を相続させるつもりでいるらしい。そのことはまだ彼女には話していないという。
「だったら、私たちは偽物でも話は本当なのだからちょうどいいじゃない」
「でも、嘘はよくない・・・」
「陽介まだわからないの?」
「えっ、何が」
「その女性は杉山さんの財産を狙っているのではなくて小金を出させるのが目的なの」
「小金?」
「まあ、小金と言ってもきっと数千万円は狙っていたかもしれないわね」
「数千万円?」
「そうね。後妻業なんて職業もあるらしいけれども、それだと結構大変じゃない。時間もかかるし戸籍も汚れるし。でも婚約までなら面倒なことは避けてお金を少しずつ引き出せる。そう考える女性もいるのよ」
「婚約詐欺よ!」
涼子の声は思いの外生き生きしている。
「この男性は高校生なんかじゃないわよ」
「えー」
「えー」
杉山さんと僕は同時に大きな声をあげた。
「まあ、会ってみましょう。陽ちゃんも涼子ちゃんも黙っていればいいからね」
「はい」
「了解です」
僕は乗り気がしなかったが、涼子はこの展開を面白がっていた。
僕たちはその女性が来るまで二階で待つことになった。
その女性は一人で時間通りに杉山さん宅にやってきた。軽いウェーブのかかった肩まである髪に薄いピンクのワンピースがよく似合っているが何だか無理をしている感じは否めなかった。
頃合いを見て美和子さんが応接間に声をかけながら入っていった。僕と涼子は美和子さんの後ろから顔だけ出す。
「じゃあ、伸介さん私たちはこの辺で失礼するわね」
「ああ、すまないね、いつも。そうだ、紹介しておこう、僕の婚約者の鈴子さんだ」
何だか棒読みだが婚約者の鈴子さんには気付かれていないようだ。
「あら、初めまして康代と言います」
美和子さんは杉山さんの従弟の名前を堂々と言った。鈴子さんという人の瞳が泳いだのを僕は見逃さなかった。
美和子さんは涼子と僕を自分の子として紹介をして応接間の椅子に強引に座り込んだ。
「正式に婚約なさるのでしたら、ちゃんと親戚一同に紹介しないとね」
美和子さんの言葉に鈴子さんは明らかに動揺していた。
「いえ、まだ二人の中での話ですし・・・」
杉山さんが鈴子さんを見る。
「ではまだ正式に婚約したわけではないのね」
「はい、そうです」
鈴子さんは俯いて答えた。
「今日はどんなご用件だったのかしら?」
「あの、杉山さんとお話がしたくて」
「あら、だったらお邪魔だったかしら」
「お金が必要だって言っていたよね」
杉山さんは態度がおかしくなった鈴子さんに勇気を持って問い質す。
「いいえ、あの・・・」
「伸介さんにお金をねだったの?」
「息子さんの学資に二百万円必要らしいのだ」
「あら、婚約もしていないのに厚かましいわね」
「今日は失礼します」
美和子さんの毅然とした態度にさすがに鈴子さんも観念したのか、さっさと帰ってしまった。
「あの・・・」
杉山さんは鈴子さんを呼び止めようとしたが立ち上がることができなかった。
僕は慰める言葉が見つからず、黙って肩に手を置いた。
「ありがとう」
暫くすると杉山さんは顔をあげ僕に笑顔を向けてくれた。
「あれ?君は確か・・・」
「はい、交番に勤務しています」
「そうか、薄々は勘づいていたのだけれどね。確証もなかったから。独り暮らしになって寂しくて誰かに頼られるのが単純に嬉しかった。醜態をさらしたね」
「騙した方が悪いのですから、杉山さんが反省することではないですよ。それに被害を最小限に食い止められたのですから」
するとそこに本物の杉山さんの従妹が訪ねてきた。どことなく美和子さんと同じ匂いがしている。
「あら、美和子さんお久しぶりです」
「康代ちゃん、私あなたに成りすましたから」
「どういうこと?」
康代さんは美和子さんより少し若いらしいが昔から仲が良く、案の定、情報交換をしていたようだった。杉山さんに断って、ことの顛末を説明していた。
「伸介さんごめんなさいね。私の母が元気な頃はここが実家だからって年中顔を出していたのだけれど、その母も今は施設に入ってしまって来ることができなくなってしまって、私も気にはしていたのだけれどなかなか来ることができなくて」
「いいや、私も誰も近づけないようにしていたからね」
「杉山さんはもっと人に頼って相談だってしないと駄目よ。それに寂しいってことを訴えていいのよ。康代さんたち家族や私たち近所の者にもね」
「そうですよ。私も伸介さんも一人っ子同士なのですからお互いに助け合っていきましょうね」
「康代さんの息子さんは今海外でしょう」
「そうなのよ。あっちで仕事を見つけてしまって、だからこの家も要らないって言っていてね」
杉山さんは寂しそうな顔をした。
「でもまだ若いからそう言っているけれども、気が変わるかもしれないし、何より杉山さんが長生きをすれば何か良い方法が見つかるかもしれないわよ」
「私も伸介さんもこれからの人生を大いに謳歌しないとね」
美和子さんの言葉に杉山さんの表情も明るくなる。
数日後、僕は杉山さんに近づいてきた女性が婚約詐欺の常習犯であることを知った。どうも警察に被害の報告は寄せられていたが被害者からの正式な被害届は出されておらず、被害者の家族からの訴えのみであるために警察も動きようがないらしい。
僕は今回の杉山さんへの詐欺が美和子さんの出現で未遂に終わったことで彼女がこれに懲りて、二度と婚約詐欺をしないことを願った。
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