第4話 栄光と挫折
美和子さんがいつもの調子に戻って僕に電話をかけてきたのは、林田さん宅に行ってから一月経った頃だった。八嶋さんのことで相談があるという。駅前の喫茶店に約束の時間より少し遅れて行くと、八嶋さんの隣には見知らぬ女性が座っていた。
「すみません。遅くなってしまって」
「いいから早く座りなさい」
八嶋さんは神妙にしているし、若い女性は少し不貞腐れた顔をしていた。美和子さんは何だか楽しそうに見えた。
「あっ、僕の奥さんの理央です」
「よろしく」
フランクな人だ。八嶋さんよりかなり若いようで服装も女子大生と言っても通用した。
「どうも、近松陽介です」
「陽ちゃんって呼んであげて、こう見えても警察官よ」
「陽ちゃんね。警察官なんてすごい」
笑顔を向けられ何だかゾッとした。デジャブか。
僕は八嶋さんと十年前のことを調べに一緒に出掛けたことなどの裏付けのために呼ばれたようだった。八嶋さんの説明に対し、黙って頷くだけで良かった。
「あの日私との約束よりそっちを優先させた理由はわかりました。友だちのことで重大な事実がわかったのだから仕方ないけど・・・」
「それなら良かった」
八嶋さんからやっと笑顔が見られた。
「でもそれはそれとして、お義母さんのことよ。もう私、一緒に暮らすのは嫌」
「そう言わないでくれよ。二世帯住宅建てたばかりだしさ」
「最初から嫌だって言っていたでしょう。やっぱりお義母さんは私のことが気に入らないのよ」
「どうしてそう思うの?」
美和子さんの質問に理央さんは考え込む。
「だって・・・」
「服装や化粧のことについて色々行ってくるとか?」
「何でわかるのですか?」
美和子さんの占い師のような透視能力に理央さんはビックリしていた。慣れてしまった僕には裏があることが見え見えだったが。
「留美子さんは理央さんのことが羨ましいのよ」
「羨ましい?」
留美子さんというのが八嶋さんのお母さんらしい。
「若い女の子が羨ましいのよ。私だって理央さんみたいな子が近くにいたらそう思うもの。ましてや留美子さんには男の子しかいないから若い女の子とどう接していいかもわからないだろうし」
「服装や化粧のことって何て言ってくるのですか」
僕は疑問を言葉にしていた。
「そうね。若いわね。とか、かわいいとか。あっ、どこで買ったのとか」
「それのどこが嫌なのかしら」
「何だか監視されているみたいな・・・」
「それって監視ではなくて単純に思ったことを口にしているだけじゃないかしら」
「そう言われれば・・・」
「そうだよ。お袋は別に理央を咎めているのではないよ」
「でもでも、この間は洗い物がしていないって言ってきて・・・」
「それだって、洗い物がしていないことを咎めたのではなくて、洗い物がしていない事実を口にしただけだろう」
「そうだけれど。いちいち言われたくないのよ」
「確かに留美子さんは口数が多い人よね」
「はい、一人でいても喋っている感じです」
「目に入った情報を口にしないではいられないのよね」
そういうおばさんは多い。
「それが鬱陶しいの。だって将来子どもができたら毎日何か文句を言われると思うと、胸が苦しくなってくるのよ」
「それだったらもう心配ないわよ」
「どういうことですか?」
「八嶋君からの電話の後すぐに留美子さんに会ったのよ。スーパーで偶然ね」
美和子さんの偶然は絶対偶然ではない。
「会って何を?」
「色々とお話をしたわよ。お嫁さんが来てくれて良かったって言っていたわよ。素直で可愛い子だって」
「私の悪口を言っていないですか?」
「留美子さんはそういう人ではないわよ。ただ、次男の巧君が遠くで就職してしまって寂しいのと暇なのがいけなかったようね」
「仕事を辞めたばかりで確かに暇ですね」
「留美子さんは定年まで市役所で働きながら子育てもしていたから、自分の時間というものがあまりなかったのよ。それが今有り余るほどの時間があってどうしていいのか戸惑っていたのね」
「だから私のことを監視していたの?」
「監視じゃないけれど、関心はあったかも」
「それでね。私と一緒にカルチャーセンターに通うことになったから、明日からは忙しいはずよ」
「カルチャーセンターですか?」
「そう、まずは英会話。この街にも外国人の方が増えているじゃない。道案内するにも英語ぐらい喋れないとね」
僕も八嶋さんも理央さんも、美和子さんと留美子さんが英会話を話せるようになるとは想像もつかなかったが、何かを始めようとすることには大いに賛成だった。
「それとフラメンコもね」
「フラメンコ?」
僕たちはお腹を抱えて笑っていた。美和子さんがフラメンコを踊る姿は、想像したくない。
八嶋さんはその後仕事があるとかで喫茶店から出て行った。僕も一緒に出たかったのだが理央さんが僕の警察官という仕事に興味があるとかで質問攻めにされていて、席を外すタイミングを失くしていた。するとそこに誰かの携帯電話が鳴る。
「え~、まただわ」
理央さんが眉間に皺を寄せて携帯の画面を見る。
「どうしたの?」
「中学の頃からの友達なのですが、ちょっと精神を病んでしまって」
「何て言ってきているの?」
「死にたいって・・・」
「あら、大変じゃないの」
「でも、いつもなのです。その後すぐにお酒飲んで笑っている写真を送ってきたりして、心配するだけ損というか・・・」
「でも、今回は違うかもしれないじゃない」
「オオカミ少年みたいになっていることもありますからね」
僕にも美和子さんの心配が伝染してくる。
「家はどこ?三人で行ってみましょう。私の車が駐車場にあるから」
理央さんは乗り気ではなかったが、美和子さんのパワーに押されてしぶしぶ立ち上がった。
僕たちは美和子さんの車で理央さんの友達の家に向かった。
十階建てのマンションの七階にその友達は住んでいた。
「鍵がかかっているわ」
「私このマンションの大家さん知っているから鍵開けてもらいましょう。陽ちゃんついてきて」
僕は美和子さんの後についてこのマンションの最上階まで行った。高齢の大家さんは美和子さんから僕を紹介され、全く躊躇することなく鍵を開けてくれることになった。僕はこの際一切の思考を停止させることにした。
ワンルームの部屋に入るとベッドの下で理央さんの友達が倒れている。
「真麻、しっかりして」
「ただ酔っぱらって寝ているだけだわね」
美和子さんが冷静に状況を判断していた。
「でも心配だからお医者さんを呼びましょう」
「病院に運んだほうが、救急車の方が早いかな」
僕は自分の携帯電話を取り出す。
「それはダメよ」
美和子さんに止められた。
「そうですね。救急車はちょっと・・・」
理央さんも同意する。美和子さんが知り合いの医者に電話をかけるとすぐに駆け付けてくれると言う。そして美和子さんは真麻さんをトイレに連れて行き、水を飲ませながら吐くだけ吐かせていた。
「この子、元アイドルの小池真麻よ」
「はい?」
「知らないの。信じられない」
「すみません。テレビとかあまり見なくて」
理央さんの説明によると十代の頃から有名アイドルグループに入っていてかなりの人気者だったらしい。それがスキャンダルの発覚で今は芸能界を引退しているという。
美和子さんの知り合いという年配の女医さんが点滴を打ってくれて真麻さんの顔色も少しだけ回復してきた。
「これ病院で処方された睡眠薬ね。飲もうとしていたのかも」
テーブルに散乱していた薬を見て先生は言った。
「飲んでいたら危なかったわね」
美和子さんもホッと肩を落とす。
「でもこの状態で放っておいたら危なかったわよ。吐しゃ物が喉を詰まらせることもあるしね」
「良かった。助かって。ありがとうございます」
理央さんが頭を下げる。
「後でお礼はたっぷりするから」
美和子さんは女医さんに言った。
「いいのよ。気にしないで。もう息子に病院は任せているから口煩い私は外出していた方がいいのよ」
「だったら往診増やしたら?在宅介護が増えていて介護を受ける人だけではなく介護をしている人へのケアも必要だし」
「そうね。今度色々と相談に乗ってよ」
「また連絡するわね。今日は本当にありがとう」
女医さんは真麻さんがどういう人かも聞かず病状だけ見て帰って行った。
真麻さんは穏やかに気持ちよさそうに眠っている。
「お二人もありがとうございました。何だか巻き込んでしまって」
「何を言っているのよ。こういう時は人を巻き込んで取り組まないと」
「本当に良かったです。放っておいたら最悪の事態も想定されますからね」
僕は自分自身に向かって言っていた。
「大袈裟にしてしまって・・・」
「大袈裟ぐらいが丁度いいのよ。皆大袈裟にしないから大変なことになるのだもの。生きているうちに大袈裟にしなくていつするのよ」
美和子さんの言葉は僕にはとても重たかった。理央さんにも響いているようだ。
「お粥でも作っておいてあげようか」
美和子さんと理央さんが台所で食材を探すも何もないとのことだった。
「吐かせた時お酒しか胃の中になかったのよね。食べる気力も失くしていたのね」
「私がずっとこのままついていますから、お二人は帰ってください」
「何か食べ物を買ってくるから。少し待っていてね」
美和子さんは僕を連れて近くのスーパーで買い物をしてマンションに戻った。
「理央さん、真麻さんのことお願いね。起きた時知らない人がいたらビックリするものね。留美子さんには私から連絡しておくから」
「ありがとうございます」
美和子さんと僕は真麻さんのマンションを出た。
数日後、美和子さんと僕は真麻さんのマンションに呼ばれた。理央さんが用意してくれた鍋を四人で食べることになった。
「あの時は本当にありがとうございました」
真麻さんは顔色もよくあの時より少しふっくらして見えた。
「いいのよ。それよりこの鍋美味しそうじゃない」
「私の得意料理です」
「鍋なんて料理のうちに入らないわよ」
理央さんの発言に美和子さんがケチをつける。
「鍋も立派な料理です」
美和子さんに太刀打ちできる理央さんを僕は羨ましく思った。
「そんな調子で理央はお姑さんと上手くいっているの?」
「それが最近上手くいっているのよ」
「よかったわね。そんな調子だから上手くいくのね」
「美和子さんのお陰です」
「わかっていれば宜しい」
何だか和やかな雰囲気だった。
「まだ外に出るのは怖いけれど、美味しく食べられるようになりました。理央が毎日来てくれたから」
「美和子さんの言いつけ通り毎日通っていました」
「あらそう。偉かったわね」
「食べ物持って数分立ち寄る程度ならパートの私にはお安い御用です」
「でも、本当に有難かったです。親からも見放されていたから」
「親から?」
僕は思わず口を挟んでいた。
「ええ」
「陽ちゃんは何にも知らないのよ。テレビを見ないのだって。詰まらない人よね」
理央さんは僕をバカにした。でも不思議と悪い気はしない。
「そういう人は返って有難い」
「先入観なく見てくれるものね」
「はい。私は子役から仕事をしていました。親がステージママで選択肢はなかったから」
「そうだったの。それは知らなかったわ」
美和子さんが優しく言う。
「真麻のお母さんは真麻を一流芸能人にしたかったのよね」
「そう。アイドルとして活躍できていた時はとっても嬉しそうでした」
「それがあのスキャンダルで・・・」
理央さんの言葉に僕は首を傾げた。
「恋愛禁止だったのに人を好きになってしまって」
「真麻は本気だったのにね」
「あの時はね。彼は一流アイドルで本当なら手の届かない人なのに夢中になってしまって」
「年頃の子たちが恋をすることは良いことなのに、それを禁止するって本当にどういうことよね」
美和子さんは怒っていた。
「彼は本気で私を好きになってくれていたわけではなかったですし、今はもうスッキリしています」
「だったら良かったわ」
「でも、芸能界からは追い出されてしまって、私はそこにしかいたことがないからどうしていいのかわからなくて。ママからも見放されてしまったし・・・」
「もう再起不能だとでも思っているのかしら」
「そうですね。ママはそうかも。せっかくここまでやってきたのに裏切られたって言っています」
「それは芸能界を辞めさせられたから?」
「きっとそうです」
「真麻さんは芸能界を引退したの?そう宣言をしたの?」
「宣言はしていません。所属しているアイドルグループから出されてしまったのでもう芸能界にはいられないってママが・・・」
「どうしてそうなるのかしら」
美和子さんの質問は容赦がなかった。
「事実、前から話が合ったドラマとCM契約がなくなりました」
「個人事務所だったの?」
「はい、ママがマネジメントをしてくれていたから。でもママはもう仕事が取れないって」
「そんなバカな・・・」
「相手が悪かったのです。彼の事務所を怒らせてしまった形になっていて、彼の事務所に忖度をするから私にはまともな仕事なんて来ない」
「それってテレビ業界の話でしょう。どうしてテレビなんかに拘るのよ」
「だって芸能人は・・・」
「真麻さんはアイドルや芸能人を目指していたの?」
「それはママが・・・」
「真麻さんがどうしたいのか考えなさい。親は関係ないわ。それに私はテレビに出ている人だけが芸能人でもなければアイドルでもないと思うけれど」
「私はお芝居がしたい」
真麻さんは小さい声だがハッキリと言葉にした。
「だったらお芝居をする方法を考えなさい。いくらでも方法はあるはずよ」
「そうだよ。舞台だってあるし旅芸人という手だって」
「旅芸人?」
真面目に言う理央さんに僕は思わず突っ込みを入れていた。しばらくして真麻さんも理央さんも吹き出して笑った。
「笑うことないわ。旅芸人だって立派なお仕事よ。何事も最初はお金にならないかもしれないけれども一から頑張る価値はあるはずよ」
美和子さんはやけに真剣に言った。
「はい、実は知り合いの舞台監督からあのことの前から仕事の話が来ていて昨日も電話がありました」
「その人は信用できる人なの?」
「はい、とても尊敬できる人で舞台の世界では有名な方です」
「だったらその人を頼ってみては?」
「でも、ママが・・・」
「お母さんから独立しなさい。そう宣言するのよ」
「独立・・・」
「ちゃんと今までのことには感謝をして、これからは自分の足で歩きますって言うだけよ」
「真麻は甘えているのよ。ママがいつでも何とかしてくれるって、だから独り立ちができないでいる」
「それは違う」
「どう違うの?怖いのでしょう。ママから離れるのが」
「怖くて当然よ。まずはお母さんに電話をして相談してみたら」
美和子さんは厳しいけれども母親らしい気遣いと優しさを持ち合わせていた。真麻さんはその場で母親に電話をかけた。最初は泣きながら話していたがしばらくすると冷静に自分の心境を話していた。最後には母親に感謝の言葉をキチンと伝えることもできたようだ。
「ママが好きにしなさいって」
「そう」
「ママの知り合いの芸能事務所の社長さんと会うことになりました」
「それは良かったわね」
「はい」
「すごく優しいじゃない、真麻のママも」
「うん、私のことを考えてくれていたみたい。話してみて良かった」
「これからもどんどんお母さんには相談しなさいよ」
「それだと独立にならないのでは?」
理央さんの疑問に僕も同意する。
「今までは何でもお母さんの言う通りに動いていただけでしょう。でも、これからは自分の頭で考えて自分の行動を決めるの。相談するというのは自分の決意を固めることでもあって背中を押してももらえるし、間違いそうな時には踏み止まるストッパーにもなるでしょう。お母さんに限らず理央さんや私に何でも相談すること。陽ちゃんの出番は無いにこしたことはないかな」
「ボディーガードには良いじゃない?そうだ陽ちゃん彼女いないの?」
「ええ、まあ」
「だったらどう?真麻なんて」
「何言っているのよ。私は暫く恋愛禁止でいくわよ」
「そうお、お似合いだけれどな」
「本気で思っている?」
「そうでもないかな」
僕は複雑な心境で苦笑いをして三人のやり取りを眺めているしかなかった。
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