第3話 十年目の真実

僕と美和子さんが交番前で立ち話をしているとすぐ横で一台のタクシーがお客さんを降ろした。するとそのドライバーが美和子さんの顔をじっと見て声をかけてきた。

「あの、華ちゃんのお母さんですよね」

「あら、あなた八嶋君じゃない」

「ご無沙汰しております」

「元気だった?もう立派にタクシードライバーしているのね」

「いいや、立派ではないです」

 華ちゃんというのが美和子さんの娘さんなのか、とすると亡くなっているのかもしれない。

「昔はよく遊びに来てくれていたわね」

「はい・・・」

「何だか元気がないようだけれど、どうかしたの?」

「いいえ・・・」

「華が生きていたら相談に乗ってあげていたのかもしれないわね」

「はい、俺、華ちゃんとは何でも話せる仲だったから。それなのに最近はなかなか伺えなくて・・・」

「いいのよ。八嶋君が元気でいれば華も嬉しいはずだから」

「今度お線香をあげに伺います。必ず」

「いつでも大歓迎よ」

 美和子さんは僕に少しだけ気まずい顔を向けたが挨拶だけをしてその日は別れた。

 

 僕が交番勤務をしていると見覚えのあるタクシードライバーがお客様の忘れ物を届けにやってきた。

「あれ?華ちゃんのお母さんと話していた人ですよね」

「はい、そうです」

 八嶋さんは僕より少しだけ年上というが実年齢以上に大人っぽく見えた。言い換えれば少し老けて見える。きっと制服のせいだろ。手続きの書類を書いてもらい、僕は思い切って美和子さんの娘さんの話を聞いてみた。

「あの、華さんって・・・」

「ああ、俺の同級生でね。小学校から高校まで一緒だった」

「亡くなられたのですか?」

「聞いていないの?この辺りの人に聞けば誰でも知っていることだから教えるけれど、駅の階段で転んで頭を打って亡くなってしまった」

「事故ですか?」

「そういうことになっているけれど、僕はそうは思ってはいない」

「どういうことですか?」

 そこに落し物をしたという老婦人がやってきたので話は中断となってしまった。

「これ俺の名刺。携帯の番号も書いておくから電話してよ。警察の人に話を聞いてもらいたいから」

「わかりました。後ほど電話をします」

 

 僕は休日の午前中に駅前のファミリーレストランで八嶋始さんと会うことになった。

「わざわざ来てくれてありがとう」

「いいえ、美和子さんにはいつもお世話になっていて、少し気になっていたので・・・」

「あの人パワフルでお節介だよね。でも、華が亡くなる前はあんな風じゃなかったけれど」

「そうなのですか?」

「うん、教育ママというか華を一流大学に入れることに熱心でね。それに華は少しだけ反抗していた」

「華さんが亡くなったのはいつですか?」

「今からちょうど十年前」

「というと、高校生の時?」

「そう、高校三年生で彼女は進学先も決まっていて卒業式を待つだけって時だった」

「美和子さん辛かったでしょうね」

「それはもう取り乱していたよ」

「駅での事故だって・・・」

「うん、駅の階段で転んで落ちて頭を打って亡くなった。ターミナル駅で快速電車に乗り換えるために階段を走っている人も多く、俺も危ない経験はしていた場所だった。帰宅ラッシュの時間帯で誰かにぶつかってバランスを壊して落ちたのだろって」

「だったら何故それが事故ではないと八嶋さんは思うのですか」

「華は運動神経も良かったし、ボーと歩いているような子でもなかったから。それに僕の親友でもあった華の彼氏、林田幹夫が側にいたはずなのだ」

「だったら、その林田さんが詳しく知っているのでは」

「林田も華の後を追うように亡くなった」

「えっ、どうして」

「自殺したということになっている」

「それも疑っているのですか?」

「そう、華の死だけだったら何も疑わなかったかもしれない。林田が後追い自殺をしたということが納得できないのだ」

「林田さんは自殺をするような人ではないと」

「ああ。彼は当時、受験に失敗をしてそれを苦に自殺をしたと言われていた。でも、彼は最初から大学に行く気はなかった。当時からすでにある劇団に通っていて脚本を書いていてね。親を納得させるために受験をしただけだったから」

「それを知っていたのは八嶋さんだけだった」

「いいや、華も知っていた。生き残った僕だけの証言だったから誰も信じてはくれなかったし、何より林田のお父さんが事を大きくすることを拒んで揉み消したのだ」

「どうして。親だったら自殺なんて受け入れられないのじゃ・・・」

「あの当時、彼のお父さんは選挙の真最中でね。県会議員の」

「でも・・・」

「俺たちのような庶民にはわからないよな」

「林田って今の国会議員の?」

「そうだよ」

「だからって・・・」

「この間、華の家にお線香をあげに行って華の手帳を見せてもらったのだけれど、そこに気になる名前があってね」

「気になる名前?」

「林田は二年生の頃から華とは付き合っていて、あの二人は何て言うか俺が見ていてもお似合いで、結婚だってするだろうって思っていた。そこに高校は違ったけれど塾で一緒だった桜子って子が林田を好きになって、彼はとても困っていた。その桜子の名前が華の手帳に書いてあったのだ。しかも事故にあったその日の欄に」

「それって、華さんはその桜子って人に会うために出かけたってことじゃないですか」

「俺はそう思った」

「美和子さんは何て?」

「華の手帳には桜とだけ書いてあったからそれが人の名前とは思わなかったようだ。他の日にも花の名前とか色とか他人にはわからないように色々書いてあったからね」

「八嶋さんは桜と書いてあって桜子さんを連想した」

「うん、だって桜子って子はちょっと厄介な感じで林田を追い回していたから」

「厄介って?」

「桜子のお父さんは国会議員で林田のお父さんと同じ政党だったから林田は扱いに困っていた」

「無下にはできなかったと。でも、それが二人の死とどう結びつくのかは・・・」

「そうなのだ。今になって俺が何を言っても始まらないのだけれど」

「そうですね」

 僕にも八嶋さんのモヤモヤした感情は伝染してきていた。何かが引っかかる。だが、どうすればいいのかは全くわからなかった。

「実は最近になって彼女の消息を突き止めた。彼女の父親は去年自殺をしていて、それがあってから彼女は、母親の実家で引き籠っているそうだ」

「桜子さんの苗字ってもしかして津山・・・」

「そう、テレビにも出ていたし有名人だった」

「利益供与事件で逮捕されその後自殺した、あの・・・」

「さすが警察官」

「いいや、結構話題になったから・・・」

「桜子は大学を卒業して大手企業に就職していたらしい。それが父親の事件以来出社できなくなったって聞いている」

「娘さんとしてはショックなことですからね」

「実はここからが君を呼び出した本題なのだけれど」

 そりゃそうだ。話を聞くだけで呼び出されたはずはなかった。

「一緒に桜子の家に行って欲しいのだ」

「桜子さんの?」

「彼女の母親の実家は北関東で農家をしているらしく、ここからだと車で二時間位の距離だけれど」

「わかりました。行きましょう」

 僕は乗りかかった船を降りたくはなかった。これで、もしかしたら美和子さんと八嶋さんの心に一区切りがつけるのなら、お安い御用だった。

 それから八嶋さんは桜子さんに電話をした。本人とは話ができなかったが、彼女のお母さんは僕たちの来訪を拒まなかった。八嶋さんの運転する車に乗り僕はあまりにも目まぐるしい展開に動揺しながらも自らを落ち着かせようと一瞬だけ目を瞑った。

 

 桜子さんの住む家は関東平野が広がる爽快な場所にあった。お馴染みの電気量販店やドラッグストアが立ち並ぶ広い道路を抜けると田園風景が広がり高層ビルどころか四階建て以上の建物すら見ることができなくなる。訪ねた家は立派な瓦屋根のとても大きなこれぞ日本家屋といった造りだった。

 桜子さんのお母さんは思いの外歓迎してくれた。

「遠いところをわざわざお越しいただいて、本当にありがとうね」

「いいえ、突然連絡しまして、すみません」

「桜子も待っていたようなの」

「えっ、どうして・・・」

「今来るから、少し待っていてね」

 僕たちは桜子さんと会えるか不安を持ちながら道中車を走らせていた。桜子さんの母親と電話で話した時は、他人と会える状態ではないと言っていたからだ。思いがけないスムーズな展開に僕たちは顔を見合わせた。

「お待たせしました。桜子です」

 本当は華やかな衣装が似合うと想像できるくらい雰囲気のある女性だったが今は心が沈んでいるのか精彩を欠いている。服装も本来の彼女の好みではないだろう地味なものだった。

「こんにちは。林田の友達で八嶋と言います」

「はい、お電話いただいて待っていました」

「ありがとうございます。こちらは僕の・・・友達の近松さんです」

 八嶋さんは僕の職業を告げるのを躊躇った。今はその方が良いだろう。

「どうも、近松と言います」

 桜子さんは僕をチラッと見ただけで、視線をすぐに八嶋さんに移した。

「私が矢代さんと林田君を殺しました」

 八嶋さんの目をまっすぐに見つめて桜子さんは唐突に言った。僕も八嶋さんも声を失っていた。

「正しくは、林田君は殺させたのだけれど」

「殺させた?」

「このビデオを見てください」

 少し前まで主流だったテープ式の家庭用ビデオカメラを桜子さんは机の上に置き、再生させた。

「林田君が私を呼び出したの。私が矢代さんを突き飛ばしたと疑って、事実そうだったから・・・」

 林田さんはそのビデオの中で桜子さんに華さんを突き飛ばしたのではないか問いただし、もしそうなら自首して欲しいと懇願していた。するとどこからか茶髪の典型的なヤンキー風の男性が出てきて林田さんと揉み合いになった。そしてすぐに林田さんの姿はビデオから消えた。

「ここは林田が飛び降りたとされるビルの屋上・・・」

「そうです」

「どうして、今まで黙っていたの?」

「本当にごめんなさい。父のこともあったから誰にも言えなかった。林田君はすぐに自殺だと断定されてしまったし、あの頃の私には罪悪感すらなかったの」

「この男性は?」

 僕は実行犯の素性を問いただした。

「小学校の時の同級生であの時すでにヤクザにも出入りをしていた人です。あの後しばらくして薬物の過剰摂取とかで亡くなりました。彼の方が私より罪悪感で苦しんでいたのかもしれない」

「どうして話してくれる気になったのですか?」

 八嶋さんは放心状態で質問をする気力もなくなっていたから僕が代わりを務めていた。

「父の事件のことはご存知でしょう?私はそれまで代議士の娘としてどこに行ってもチヤホヤされていたの。それが一変して他人の目が怖くなった。私自身、代議士の娘を演じて横柄に振る舞い尊大な態度でいたからどうするべきかわからなくなったの」

「演じていた?」

「自分でもわからないのだけれど、横柄で尊大でいないといられなかったから・・・」

 桜子さんは自分に仮面をつけて生きる術しか持ち合わせていなかったのだろう。

「だからってどうして・・・」

 八嶋さんは声を絞り出した。

「本当にごめんなさい。謝って済むことではないことはわかっています。母とも叔父とも相談して自首することにしました」

「自首?」

「お電話で十年前の話を聞きたいっていうから覚悟を決めました。正直ホッとしました」

「ホッとした?」

「ええ、やっと本当のことが言えるって。父が代議士でなければ矢代さんと林田君を見てカッとなって林田君が少し離れたのをいいことに突き飛ばすこともなかったかもしれない。だって私は好きな人に振られるわけにはいかなかった。失敗することが許されなかった。完璧な人生でなければならなかったの。突き飛ばしたことを隠そうと林田君の命まで犠牲にしてでも・・・」

 桜子さんのしてしまったことに同情の余地はないけれども、彼女の辛さは何となくだがわかるような気がした。桜子さんのお母さんも叔父さんも自首することに賛成してくれたそうだ。桜子さんの母親はもともと代議士の妻としての生活より農家での生活が性に合っているという。叔父さんは世間体より桜子さんがキチンと罪を償うことで心の安定が図れることを望んでいた。桜子さんにとっては十年という歳月が必要だったのだ。もっと早くに事実が明らかになっていれば美和子さんと八嶋さんの悩みがもっと軽いものにできたかもしれないけれども、僕は桜子さんを責めることができなかった。八嶋さんも同じようなことを考えていたのか、桜子さんを責める言葉はなかった。

 

 翌日、僕と八嶋さんは美和子さんの家を訪ねた。そこで十年目の真実を淡々と伝えた。

「事故ではなかったのね」

「はい」

 八嶋さんがハッキリと言った。その事実は美和子さんを更に苦しめることになったのではないかと、僕は心配になった。

「華はあの日、桜子さんに会ってどうするつもりだったのかしらね」

 僕も八嶋さんも言葉がでなかった。

「きっと、友達になってあげようとしていたのかもしれないわね。勝手な憶測だけれど」

 美和子さんは穏やかな顔をしていた。

「その桜子さんというお嬢さんは自首されたのね」

「はい」

「今まで辛かったでしょうに」

 美和子さんは自分のことより他の誰かの心を心配する。

「林田君のお母様にも伝えないとね」

「はい、これから伺う予定です」

「私も行くわ」

「でも・・・」

「大丈夫。あの後も数回お母様とは合っているの。だから私の口から事実をお伝えしないと」

 美和子さんの責任感の強さと情の深さを改めて知った。

 林田さんの実家は駅前にあるタワーマンションにあった。国会議員の父親はめったに帰ってはこないという。林田さんの十歳下の弟はその日は留守だった。

「そうでしたか」

 林田さんのお母さんは複雑な表情をしていた。

「うちの子のために幹夫君は・・・」

 いつも笑顔の美和子さんの悲痛な顔が居た堪れない。

「あの子はそういう子でしたから。あの当時、私はあの子のために何もしてあげられなくて・・・」

 林田さんのお母さんは自分を責めていた。

「あの子の父親はあの子の死より自分の選挙のことばかり気にしていて。あの日私は幹夫から津山桜子さんの名前を聞いていました。その子に会いに行くって。だから私は携帯にあった津山さんの電話番号にかけて幹夫の様子を聞こうとしました。でも着信拒否だったので家に伺おうとしたのですが・・・」

「ご主人に止められた」

「はい、もう騒ぎ立てるなと言われました。津山さんのお父様が主人を取り立ててくれていたようで、私も情けないのですが強くは出られませんでした。幹夫の弟もまだ小学生でしたし・・・」

「無理もないわ。警察だって自殺だと決定づけていたのだから」

 もっとちゃんと調べていれば華さんの死が事故ではなかったことも、林田さんの死が自殺ではないこともわかったはずだった。そう思うと警察官として僕はやり切れない思いで一杯になった。

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