第2章 病室にて
翌朝、杉山が目を覚ましたという知らせを受け、咲原は急ぎ彼のお見舞いに行く準備をしていた。
といっても、見知った友人の、それも電車で二駅で着くような場所にある病院への見舞いのため、格好そのものは手ぶらも同然だ。
一応、何か手土産に持って行こうかとだけ考えて、今渋谷のデパ地下で菓子を選定をしているが、正直彼相手ならばそこまで考えて選ぶ必要もないかもしれない。
というのも、杉山潤一という人間は結構楽天家で大らかな性格なため、細かいマナーなど気にも止めないだろうし、かなりの健啖家で食べ物に好き嫌いも少ないためうっかり嫌いなものを渡してしまう、などと言う心配からも無縁だからだ。
ならば精々気をつけるのはカロリーや塩分糖分くらいだろうか。
目の前には丁度夏用のゼリーの詰め合わせが目に入る。これでいいだろう。
店員に頼んでゼリーの詰め合わせ箱を購入し、紙袋を手に病院へ向かう咲原。
そこから電車に乗ってる間は特に気にせず揺られていたが、いざ最寄りまで着くと、少しだけ不安になってきた。
よく考えてみれば、杉山が重傷で搬送されるなんてとんでもない出来事ではないか。
何しろ彼は自称キックの天才杉山様、と名乗るくらいには格闘には自信がある男なのだ。
今まで探偵として活動してきた時は咲原が推理、杉山が戦闘で役割を分けてきた。
探偵で戦闘、というと結構笑われる話なのだが、現場では笑ってはいられない。
何しろ逃げ場がなくなった人間というのは時に予想だにしない暴走を見せる。
犯人と断定された瞬間、逃げるならまだいい方。隠し持っていた凶器を使い襲い掛かる輩も少なくない。
咲原は一応護身程度に格闘技を習っているのだが、流石に刃物や鈍器を何のためらいもなく振り回す相手を取り押さえる力はない。
そういう時こそ、杉山の出番だ。
彼が得意のキックや格闘術を使い、暴走した犯人を無力化させる。
それによって事件というのは無事完遂と言えるのだ。
つまり、杉山は本気で殺しにかかってくる相手にもまず負けることない、というレベルには武闘派なのだ。
咲原が探偵として活動し始めてから早二年。彼に勝てる人間など見たことがない。
否。彼の、そして自分の師であり探偵事務所の所長の仲山だけは別だが…まあ彼は別格として扱うべきだろう
とにかく、そんな杉山が病院に搬送され、緊急手術まで受ける程の怪我を負うなど、ただ事ではない。
一体何者なのだろうか…少し怖いが、それでも気になってしまうのも事実。
咲原はいつのまにやらたどり着いていた彼の病室の前で、意を決して扉を開けた。
「失礼します」
ガラガラ、とスライド式の戸を開けながら咲原が病室へ入る。
中には当然杉山、そしてカルテを持った吉田、それにもう一人。咲原が見た事がない背の高い男性がいた。
「おはよう、咲原」
吉田が微笑みながらこちらを向いて挨拶した。
少し小柄で、黒髪でメガネをかけ、いかにもインテリ系と言った印象の、人によっては年齢以上に若く見られがちな青年。しかし、その爽やかな甘いマスクで多くの女性に密かに慕われてる彼こそが、吉田 海斗。自分と杉山の5歳年上の友人である。
去年まで医学生だったが、ここ目黒総合病院に就いてからは晴れて現場での仕事に精を出している外科の研修医だ。
「おはよう、吉田兄さん」
咲原が挨拶を返した。
どうやら杉山の怪我の担当は吉田になったらしい。
そして…
「おはよう、咲原…」
ベッドで横になっている杉山が、少し苦しそうに声をかける。
「あ、ああ…おはよう」
大怪我をしていたのは予想していたが、これは酷い。
全身包帯だらけだ。どうやら起き上がれないらしく、いつもなら動き回ってばかりなのにベッドから動こうとしない。
「大丈夫か、お前」
咲原が心配そうに声をかける。
杉山はうん、とだけ頷いた。
「そこまで心配はいらないと思うよ。思ったよりは傷は浅い。
頭を鈍器のようなもので殴られているのと、胴体に深い切り傷が出来ていること以外はすぐに治りそうだよ」
ただし、しばらくは入院して貰うけどね、と付け加えて吉田が咲原を宥めた。
そうか、なら時間が解決してくれそうだ。
咲原は少しホッとした。
顔を下ろした時、手にぶら下げている紙袋が目に入った。
そうだった。すっかり手土産を忘れてた。
「あ、そうだった。杉山、これ」
咲原が手土産のゼリーを渡す。
杉山の顔が少し和らぎ、喜んでいる様子だ。
「おー、ありがと。適当に置いといて」
杉山は動けないので咲原が手近の棚に置こうとする。
「そうだ、俺も持ってきたんだった」
ドサッと彼の手にぶら下がったビニール袋が持ち上がる。さっきの背の高い男だ。
日に焼けた小麦色の肌に、長めの黒い髪を一纏めにしている目付きが鋭いガテン系の男だ。
彼が手に持った袋には、スーパーで数日分の食料を買い込んだかのような量の中身が詰まっている。
「俺から、ってよりは他の奴らからだ。あいつら、大勢で押しかけたら迷惑だって止めたら代わりに色んなもん土産に持ってかせて来てな。おかげで肩が痛いぜ」
咲原の手土産の隣にズン、と袋が置かれる。吉田が咲原のゼリーを冷蔵庫にしまい、男からの土産の中を選別し始めた。
男が持ってきた袋の中には様々なものが入っていた。
ジュース、お菓子のような一般的なものから、たこわさ、イカゲソ、チーカマ、柿ピー。果てはアルコール飲料やタバコまで出てくる。
流石にそれは吉田が男に返すが、それを差し引いても個室に設置されていた小型の冷蔵庫はすっかり敷き詰められてしまう。
「もう、徳田さん。杉山がまだ未成年なのわかってるでしょう」
吉田が咎めるように男に注意する。
徳田、と呼ばれた男は悪い悪い、とあまり悪びれることなく謝った。
徳田…どこかで聞いたことがあるような。
「もしかして…仲山さんの友人の方、ですか?」
背の高い男が、ん?とこちらを見る。
「そうだが、お前は?」
しまった。杉山が気がかりで自分から名乗るのを忘れていた。
「俺は咲原です。杉山と同じで、仲山さんのーーーー」
「あーわかったわかった」
男が咲原の言葉を手で制した。
「お前が咲原か。杉山か毎日のように話してた仲山のバイトの1人だろ?」
男は既に自分の名を知っていた。どうやら杉山が話していたようだが、当の杉山は口笛を吹いて誤魔化している。
「やだなあ徳田さん。毎日なんて…精々2日に1回でしょ?」
杉山が男に訂正させようとするが、男は頑として譲らない。
「いや、十数回以上は聞いたから間違いない。休みを考えたらお前、1日2回は話してたぞ」
その言葉に対し杉山はまだ必死に弁解しようとするが、どうやら否定する材料がなかったようですぐに諦めてしまった。
「やっぱり、仲山さんが話してた徳田さんなんですね」
杉山の事は後で問い詰めるとして、既に知っているなら話は早い。
この人は間違いなく仲山の友人で、学生時代彼と共に様々な事件に立ち向かった咲原達の先輩だ。
まさか、こんなところで会えるなんて…
「仲山の奴、俺の事まで話してるのか。困った奴だな」
男が頭を掻きながら困ったようにぼやく。
「まあ、仲山とは友達ってより腐れ縁だ。何かと縁があって変な事態に巻き込まれたりもしたが、別に人に尊敬されるような大した人間じゃねえよ」
変な期待はするな、とでも言いたげだ。
「そんなことないですよ徳田さん!」
杉山が割って入ってきた。見知った顔が揃ったのかさっきより元気そうだ。
「俺、ずっとバイト中徳田さんの動きを見てました!凄かったです!
何しろ数センチしかない足場を上下左右ポンポン移動して、まるで羽根でも生えてるかのような動きでした!」
杉山が少し興奮気味に男のことを話す。
滅多に人の事を褒めない杉山が珍しい。
「まあ、あれはなんというか…あれだよ、俺パルクールが趣味だから…」
男は少し困ったように、面倒くさそうに話した。
「そんなことより、お前の怪我の方が大事だろ。お前、一体全体どうしてそんな大怪我したんだ?」
話を逸らすついでに、男が咲原の疑問を先に聞いてくれた。
そうだ。仲山の友人も気になるが、1番は杉山だ。
「あー…実は…」
杉山と吉田が少し困ったような顔をする。
「朝一番に警察が来て聞いてきたんですけど、その、犯人の顔を思い出せないんですよ…」
思い出せない。その様子に嘘はないようで、杉山はすっかり困り果てている。
「何度か思い出そうとしてるんですが、そうすると頭が痛くなって…」
頭痛の症状が現れたのか、杉山の苦しそうに頭をかかえこんでいる。
吉田が心配そうに顔を覗きこんだ。
「記憶喪失って奴か?」
男が杉山を見下ろしながら近づいた。
「だとしたら、やはり頭を打ったのが原因でしょうか」
吉田が男の方を振り返りながら言った
「わからん。とにかく調べる価値はありそうだな」
そのまま決まりだ。と言って男が立ち上がった。
「俺はちょっとこの件を調べてくる。お前はとりあえず安静してな」
そう言うが早いか男はそのまま出ていこうとする。
「待ってください」
咲原がそれを引き止めた。男がん?とこちらを振り向く。
「どうした?」
「俺も、一緒に行っていいですか?」
いきなりの頼みだ。不審がられるかもしれない。
だが、杉山の身に何が起こったかを調べるなら、彼と共に行くのが1番だろう。
「…お前が、か?」
男は少し考え込むように唸ったが、すぐにこちらを向いた。
「バッジは持ってるか?」
男が聞いた。バッジというのは、おそらく公認探偵とその助手が使う身分証明のバッジの事だ。
「ええ、ここに」
咲原が胸ポケットの中から助手バッジを取り出した。それを見た男がニッと笑う。
「よし、咲原だったな。ついてこい」
そう言って徳田が病室を出る。咲原もそれについて行く。
「悪い、頼んだぞ」
病室を出るタイミングで、杉山が咲原に声をかける。
咲原が任せろ、と返し、そのまま徳田についていった。
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