少なくともここではない

エリー.ファー

少なくともここではない

 解決できない問題のその多くは、幾つかの要素に分解することができる。いずれ誰かが解決してくれるだろうという希望的観測を抱えた上で行うのであれば非常に有効である。

 今後は、このように問題が発生した場合については液体的な解決策を提示する必要がある。これは先月の研修でも行われたものであるため、ここで説明することは避ける。しかしながら、多くの研究員、もしくは非検体はこの液体的解決策について全く知識を有していないことが分かっている。

 これは今現在の状況下においてはむしろ適切であり、圧倒的な事実であることを再認識する必要がある。分かりやすい問題の例として、これらは認知することが難しいという根本的な部分への立ち返りを要求している面がある。


 どのような言葉であれ、幾つかの宣言の裏には何かしらの意図があると考えるべきである。これは、一つの事柄から分かることではなく、幾つかの複合的な事実から生まれる真理である。


 以上のような文章が研究施設内の天井に出現した。出現中の状態を目視したものは一切おらず、出現前の状態との差異によって発見者の記憶から発覚した。

 この文章は研究施設内の天井のみならず、壁や床、資料にも出現することが確認されている。しかし、そのどれもが出現中の状態を確認されていない。

 文章は未知の液体によって書かれており、水で簡単に洗い流すことができる。また一切の害はなく摂取したとしても健康的な問題は発生しないことが確認されている。


 一切の疑いを持たない人間が、この場に存在したとしてそれは幸福だろうか。香水のようなものではあるが、それ故に人は間違いをその身にまとって生きている。ありふれた言葉ほど、人を傷つけ、ありふれた立ち振る舞いが、人を奈落の底へと落とす。残酷な事実ではなく、一つの明確な事象として認識するべきである。不可思議な行為によって成り立つすべての行為は、多くの人の命によってのみ証明され、しかも一切の嘘もなく真実になる。会話の延長でしか人は自分の命の数を忘れることができない。まるで羊のようにたわむれた結果のみがただ散乱するのみなのである。


 少なくとも、ここではなかったのだ。真実はここにはない。以上のことから多くの問題は解決されず放置されることとなった。この点については幾つか謝らねばならないと思っている。しかし、である。それらの成果は一つの実になることもなく消える可能性が高く、それらにいくつかのアプローチを残すべきとの判断に至っている。いくつかの情報から、答えはすべて一つに絞られている。うずたかく積まれた証拠が一つの真実を導き出すとは限らないが、それも含めて多くの研究者たちは自らの命を散らしている。これがなんなのか、なんであるべきなのか、疑問の残ることではあるものの誰もが一つだけではない真相にいかにして自分の定義を持ち込むかを躍起になっているのが現状である。正しくあろうとするという社会の流れでは掴むことのできない不確定要素の多い事象を多くの観点から再評価するのは研究を生業とする者たちの務めであり、義務である。これを忘れてはいけない。

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