極寒の地
城の廊下を走っていると、スバルの左手のコンパスに異変が起きた。
今まではまっすぐに城の奥を指していたのだが、勢いよく回転しだしたのだ。
「これ、どうしたの?」
ルーシーが指さす。
スバルは右手で頭をかく。
「たぶん故障だな。エリーゼが分身するはずねぇから」
「ええ!? ストップストップ!」
ルーシーは両目を丸くして、スバルの前で両手を広げた。
「コンパスはあてにならないのね。他に作戦を考えましょう!」
スバルとウルスラは足を止める。
「今まで奥を指していたんだ。急に方向が変わることはないと思うぜ」
「私もスバルに同意だ」
「……あんたに同意されると複雑な気分だぜ」
「奇遇だな。私もだ」
ウルスラがさわやかに笑う。
スバルは右の拳をワナワナ震わせながら視線をそらす。
「つっこむだけ無駄だと分かるが、腹が立つぜ」
「ルーシーが何か言いたがっている。しゃべらせてやろう」
ウルスラが促すと、ルーシーは咳払いをした。
「ギルティのコンパスが役に立たないけど、やむくもに走っても意味がないわ。ここは作戦を練る必要があると思うの」
「どんな作戦だ?」
「私の勘を信じてもらうわ」
ルーシーは胸を張る。
スバルとウルスラは顔を見合わせた。
「いわゆる女の勘ってやつか? あてにしていいのか?」
「女の勘なら信用する余地があるのだが……」
「そこ! 本人を前に陰口を言わないで!」
ルーシーは半泣きであったが、主張を続ける。
「エリーゼは神聖術の使い手だったわ。神剣ゴッド・ブレスと同調すると思うの」
「どういう事だ?」
スバルが首を傾げると、ルーシーは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「神剣ゴッド・ブレスの指し示す方向に行けばいいのよ! どう? 頭いいでしょ!」
「あんたにしてはよく考えたが……どうしたら指し示すんだ?」
「そこで私の勘よ。神剣ゴッド・ブレスがどこを指し示すか感じ取ればいいと思うの! きっとうまくいくわ、たぶん」
「ちょっとどころじゃなく不安だぜ」
スバルが本音を口にすると、ルーシーの顔は真っ赤になった。
「う、うるさいわ! やってみるから見てて!」
ルーシーは背中に結わえていた剣を手に持ち、前へ構える。
心なしか剣が光ったように見えた。
ルーシーは深呼吸をして目を閉じる。
剣を振り上げ、ゆっくりと降ろす。
「どうだ?」
スバルが声を掛けるが、ルーシーは目を閉じたまま答えない。
剣をもう一度振り上げて、降ろす。
そして、両膝を床につく。
「さすがバードね。私をここまで追い込むなんて」
「バードが何をやったんだ?」
「目に見えない力で私をねじ伏せたの。エリーゼを隠しているのも、きっとバードよ!」
「当たってたらすげぇが……エリーゼの居場所はわからねぇままか」
スバルは肩を落とした。
ウルスラはあごに手を当てた。
「意外と当たっているかもしれない」
「なんでそう思う?」
「女の勘だ」
「お、おぅ」
スバルは何も言えなかった。
ルーシーは両目を開けて立ち上がった。剣を背中に結わえて、髪をかきあげる。
「奥の手があるわ」
「なんだ?」
「ソウル・ブレードをエサにして、バードを呼び寄せるのよ」
「魔剣ソウル・ブレードをどう使うんだ?」
スバルが尋ねると、ルーシーは鼻を鳴らした。
「あなたに任せるわ」
「見事な丸投げだな」
スバルはポリポリと髪をかいた。
「まあ、コンパスは役に立たないからしまうか。警備員を適当に捕まえて、エリーゼの居場所を吐かせてもいいかもな」
「野蛮ね!」
「緊急事態だぜ」
ルーシーの非難を受け流しながら、スバルは辺りを見渡した。
「警鐘が鳴るわりに、敵が来ねぇんだよな」
「スバルを恐れているのかもな。日頃の行いがいいからな」
ウルスラがけらけら笑う。
スバルは舌打ちをする。
「こっちから敵を見つけるしかねぇか。ウルスラは後で始末するとして」
「なにこの二人、怖いわ……あら?」
ルーシーは床を見つめる。
いつの間にか、青白く光る魔法陣があった。
「もしかして神剣ゴッド・ブレスと共鳴したのかしら?」
「もしそうなら、すごいぜ。まぐれでも」
「まぐれのはずないわ! やっぱり私の勘はすごいのよ!」
ルーシーは得意げに胸を張った。
「さぁ、誉めなさい!」
「ああ、実はすげぇな!」
「実はって……スバル、あなたは人の誉め方をエリーゼから教えてもらった方がいいわ!」
「細かい事は気にするなよ。ん?」
スバルは眉をひそめた。
青白い魔法陣がひとりでに広がり、スバルたちを飲みこんだ。
廊下が、天井が、床が、ぐにゃりと曲がり、強烈なめまいを覚える。
スバルとウルスラは立っているのがやっとだった。ルーシーは頭ごとこけた。
「痛いし気持ち悪いし、最悪よ!」
ルーシーは四つんばいになった。しばらく床がぐにゃぐにゃと波打っていたが、やがて落ち着いた。
ルーシーの両手と両膝に冷たいものが触れる。明らかに廊下の床ではない。辺りを見渡すと、氷の世界が広がっていた。
「寒い!」
ルーシーは立ち上がり、両手で身体を抱えこみ、震えた。
スバルとウルスラは呆然としていた。
二人の視線の先には、何人も立っていた。剣や槍や斧など、それぞれに武器を持っている。友好的な態度ではない。
「こいつら……どうして……」
スバルの呟きは、か細かった。
ルーシーは両目をぱちくりさせる。
「知っている人たち?」
「ああ……昔エリーゼと会う前に、俺が殺した人たちだ」
「え……」
ルーシーは言葉を失った。
スバルは含み笑いを始める。
「俺たちはまんまと敵の、たぶんバードの罠にはまったんだ」
極寒の地を、星の明かりが辛うじて照らしていた。
見ているだけならうっとりしそうだが、人命を奪いかねない寒さだ。
美しくも残酷な光景であった。
氷の大地には、ゆらりゆらりと不安定な足取りで近づいてくる人間たちがいる。生気を感じない。
「みんな、私の事は分かるか!? 武器を捨てろ!」
ウルスラが声を張り上げる。
しかし、生気のない人たちは武器を振り上げながら近づいてくるだけだ。
ルーシーが首を傾げる。
「ウルスラも知っている人たちなの?」
「あいつら、反乱軍だったんだ」
スバルが呟く。
「あの頃の俺は、殺すしか思いつかなかった」
「……あんまりな言いようだな」
ウルスラから笑顔が消えていた。
凍てつく風がスバルたちをなぶる。下手に呼吸をすれば肺が凍るだろう。
ウルスラが溜め息を吐く。吐く息は、白く輝いていた。
「私の仲間たちだった。バカだが気のいい連中だった」
「悪かったとは思っているぜ。仕方なかったとも思うが」
スバルの返事を聞いて、ウルスラは唇をかみしめた。
スバルは長剣に手を掛ける。
「もう一度殺すのは寝ざめが悪いが……ルーシーに手を出させるわけにはいかないな」
「安心しろ。見知らぬ娘に手を出すほど落ちぶれてはいない」
若い男の声が聞こえた。
ウルスラは両目を見開いた。
「アーク、そこにいるのか!?」
「ああ、久しぶりだな」
声は、暗い空から聞こえた。
そこには、白い人型のモヤが浮かんでいた。
「こんな姿だが、アークだ。ソウル・マスターが会話をする権利をくれたらしい」
「バードが……何を考えている?」
「あいつの考えなんか知らない。たが、これだけは言わせてもらう。あんたの弟にはこっちの世界に来てもらう。冷たい死の世界にな」
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