イーヴィル様

 エリーゼは空間がぐにゃりとゆがむのを感じた。

 バードに両手首を掴まれたまま、身体が宙に浮かぶような感覚と、めまいに襲われていた。


「スバルさん……!」


 助けてと言う暇もなく、辺りの景色は一変した。

 薄暗い部屋にいた。

 香水がまかれているのか、ほんのりと花の香りがする。

 天井には魔力で浮かぶ光の玉がいくつも浮かび、壁や棚には花や天使などの美しい調度品が飾られている。


「遅いわ。何をしていたの?」


 少女の声が聞こえた。よく通る綺麗な声であるが、威圧感がある。

 声のする方には、大人が何人も寝転がれそうなベッドがあった。ベッドには絹の天蓋があり、高貴な人間の寝台であることがうかがえる。

 そのベッドに、緩くウェーブの掛かった銀髪と、強気な瞳が印象的な少女が腰かけていた。質のいい白いネグリジェを身に着けている。

 バードはエリーゼから両手を離し、うやうやしくひざまずいた。


「……イーヴィル様、遅くなってごめん」


 イーヴィルと呼ばれた少女は、いらだたしげに腕を組む。


「あなただから理由を聞くけど、何があったの?」


「ギルティ様一行を相手に敗北し、捕まった。イーヴィル様の力がなければ、おそらく生きて戻る事はなかっただろう」


「なんですって……!?」


 イーヴィルは顔色を青くして立ち上がった。

 信じられないと言わんばかりに、両手で口元を押さえる。


「あんな雑魚に負けたの!?」


「魔剣ソウル・ブレードが思わぬ働きをした事に加えて、ギルティ様とウルスラとレイチェルの連携にやられた。魔剣ソウル・ブレードがおかしくなったのは、ここに連れてきたエリーゼのせいだと思うが……」


「言い訳はやめて! よくも私に恥をかかせたわね!」


「……ごめん」


 バードはまだ言いたい事がありそうだが、口を閉ざした。

 イーヴィルはベッドに飛び乗ると、枕に顔を押し付けてわめいていた。


「あなただから大丈夫だと思っていたのに! 帰りが遅いし、負けるなんて!」


 右手で何度も枕を叩いている。

 バードは黙ってひざまずいたままだ。

 イーヴィルの怒りは収まらない。


「あなたにはどれほど期待していたと思うの!? 私を裏切った罪は重いわ。鞭打ち百回でもまだ足りないわ!」


「……千回叩かれればいいか?」


 ようやくバードが口を開くと、イーヴィルは泣き出した。


「そんな事言ってないわ。ソウル・マスターなのに、私の心を理解できないのかしら?」


「相手の心を読むのは、意識を集中しないと無理だ。イーヴィル様の心を読んでいいのならそうするが……」


「やめて! そんな事は望まないわ。こっちに来なさい!」


 バードは首を傾げながら立ち上がる。

 イーヴィルが顔を上げて、自分の右隣を指さしている。


「早く!」


 バードはためらいがちに、ベッドに上がり、イーヴィルの隣に座った。


「ここでいいか?」


「もっと近くに!」


 バードは、イーヴィルに言われるままに近づく。

 突然イーヴィルは起き上がって、バードに背を預けた。


「私が飽きるまでこのままでいなさい。逃げる事は許さないわ!」


「分かった」


 バードは短く返事をしていた、

 その頬はほんのりと赤かった。


「えっと……」


 二人の様子を見ていたエリーゼは、気まずそうに距離を置く。


「おじゃましては悪いので、帰りますね」


 そっと部屋を出ようと、ドアを探した。

 しかし、ドアはどこにもない。

 バードが口の端を上げる。


「逃げられると思ったら大間違いだ。ここはイーヴィル様が造り出した異空間だ」


「そうですか……私はどこにいればいいのでしょうか?」


「イーヴィル様が飽きればあなたを使って実験をする。それまで大人しくしていろ」


 イーヴィルは寝息を立てていた。しばらく起きる事はないだろう。

 バードがそっとイーヴィルから離れようとすると、イーヴィルの右手がバードの袖を掴む。

 バードは困ったようにイーヴィルとエリーゼを交互に見ていた。

 エリーゼは微笑んだ。


「あなたも眠ったらどうですか? 私が逃げられないのは分かるでしょう」


「……何かすれば魂をズタズタにする。変な考えは持たないようにしろ」


 淡々と言って、バードは両目を閉じた。

 エリーゼは溜め息を吐いた。


「……私も積極的になった方がいいのでしょうか」

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