絶望的な確率
白いモヤはうつろな瞳の人たちに、一体ずつ入っていく。
白いモヤが入った人の目に、光が宿り始める。
それぞれが不思議そうに自分が持っている武器を眺めていた。
「あれ、私はいったい……?」
「僕は今まで何をしていたんだ!?」
「はて、どうなったのかのぅ」
ほんの数人であるが、意識を取り戻していた。
しかし、そんな彼らに悲劇が襲う。
まだバードに操られている人々が、襲い掛かったのだ。うつろな瞳の人たちには、味方の区別も、仲間の意識もなくなっている。
意識を取り戻した人々は悲鳴をあげて逃げようとする。
だが、その動きを制する人物がいた。
「止まれ!」
逃げようとする人々を制したのは、ギルティであった。
黒い蔦がうつろな人々を包み込み、動きを封じる。
同時に、意識を取り戻した人々の足元に黒い魔法陣が描かれていた。
人一人を囲うのが精いっぱいの小さな魔法陣だ。複雑かつ緻密な文様が描かれている。
「……うまくいったか」
ギルティは安堵の溜め息を吐いた。
小さな魔法陣の正体は、ギルティが対バード用に開発したものだ。魂の行き来が無くなる魔術が組まれている。
本当は領民全員に施したかったが、既に魂が抜けている状態の人間に施せば、魂が戻ってこれなくなる。
この魔法陣から抜けたら、再びバードに魂を抜かれる危険がある。領民の動きを制したのは、そのためだ。
魂は自然にもとの人間へ返っていく。
魂が戻ったところで、魔法陣で保護する。
この繰り返しで、領民全員の命を救えるはずだ。
「……だが、一筋縄ではいかないな」
ギルティは忌々し気に周囲を見渡した。
弓兵に囲まれていた。
弓兵全員が同時に矢をつがえる。鍛え上げられた精鋭たちである事がうかがえる。
しかし、ギルティにとって疑問に思う事があった。
弓兵たちの視線がバラバラの方向を向いているのだ。標的が定まっていないのか、標的がバラバラなのか。
精鋭たちが標的を定めずに矢を放つ事はないだろう。
標的がバラバラで、一人ではないと考える方が自然だ。
この事に思い至った時に、ギルティの背筋に悪寒が走った。
矢が一斉に放たれる。
一本もギルティの方向には飛んでこない。
「間に合え!」
ギルティはいくつもの黒い壁を召喚した。
「きゃあああ!」
「うわわわ」
いくつもの悲鳴があがった。
矢の大多数は黒い壁に阻まれて、地面に落ちた。
しかし、数本が領民に刺さった。矢の刺さった領民は、その場でうずくまっている。
風が血の臭いを運んでくる。急いで治療をしないと、命を落とす領民がいるだろう。
ギルティは舌打ちして、胸を刺され、重症を負った領民に駆け寄った。
「儂は、もう……」
「命令する。諦めるな」
ギルティは冷淡に言い放ち、領民に刺さった胸の矢を慎重に抜く。黒い魔法陣を傷口に張り付けて、血の流出を押さえる。その場しのぎにすぎないが、何もしないよりはマシだ。
ギルティが召喚した黒い壁の一部が形を変えて、でっぱりを作る。そのでっぱりは矢の形となり、いくつもの黒い矢となって、弓兵たちへ勢いよく飛ばされる。
弓兵たちは対抗して矢を放つ。黒い矢とぶつかると、双方の矢が消滅した。
ギルティはいくつもの魔術を同時に操り、膨大なエネルギーを消費していた。心身共に限界を超えていた。
その間にも、白いモヤが戻ってくる。魔法陣を敷いて魂を守らなければならない。
「もう諦めろ。あなたたちが勝利する可能性はない」
冷ややかな声は、ギルティの後ろから聞こえた。
ギルティは咄嗟に左横に跳ぶ。直後に青白い太い光線が、走った。ギルティがもといた地面は、削り取られていた。
ルーシーが悲鳴をあげる。
「危ない、避けて!」
「忠告が遅い!」
ギルティが怒鳴ると、ルーシーは両目を丸くした。
「なんですって!? この私が叫んだおかげで避けられたのに」
「何でも手柄になると思うな!」
ギルティは吐き捨てるように、口調を荒げていた。
スバルは青白い馬を切りながら、青白い光線を放った人間を見た。
「来やがったか、バード」
「当然だ。おまえたちを確実に倒す」
冷徹な瞳でスバルをにらんでいる。
「魔剣ソウル・ブレードで随分と好き勝手やってくれているが、それの本当の主は僕だ」
「あいにくだが、あんたの思いどおりはさせねぇぜ」
「僕の思いを分かっているのか?」
「領民の魂を奪いたいんだろ。絶対に止めてやる」
バードはわずかに口の端を上げた。
「殺すしかないならそれでもいい。あなたたちを全員生贄にするだけだ」
バードは両手を広げて、人語を解さない言葉を口ずさむ。
歌うような発声であった。明確な音階はないが、どことなく悲しくなる旋律だ。
バードが旋律を口ずさむ間にも、矢が飛び交う。
ギルティも低い声で新たな魔術を唱える。
バードと弓兵の足元から、大量の黒い槍が出現したのだ。
バードが消す事ができたのは、バードの足元から突き出したものだけ。弓兵たちは槍を受けて、魔術のエネルギーを流しこまれ、その場に昏倒した。
双方が呼吸を止めた瞬間に、事態はさらに変化する。
黒い蔦が消滅し、うつろな目の人々が動き始めたのだ。
緩慢な動きであるが、包丁や火炎瓶など、それぞれ武器を持っている。バードに操られているため、どんなに声を掛けても同じ領土の仲間とは認識してくれない。
領民たちには恐怖の対象だ。
悲鳴をあげて、逃げようとする領民もいた。足元に敷かれている黒い魔法陣から出れば、バードに操られるという事を忘れて。
そんな領民を囲い込むように、黒い壁がぐるりと出現していた。魔法陣より少し内側を囲っていた。
うつろな目の人々が領民に武器をぶつけようとするが、黒い壁が跳ね返す。それでも執拗に武器を振るっていた。
「耐えろ!」
ギルティは声を張り上げた。
怯えていた領民たちの目に、かすかな希望が宿る。
ギルティは言葉を重ねる。
「スバル、エリーゼ、そして俺を信じろ! 必ず助かる!」
「無駄だ。あなたの魔術は僕のエネルギーとなる」
バードが冷淡に言い放った。
「魔術と神聖術は、発現する能力は違うが魂をエネルギーにしている。その魂を操る僕の前では無駄なあがきだ」
「……随分と流暢に種明かしをしてくれたな」
「あなたとはもう会わないと思うから。魔法陣を消すのは時間の問題だ」
淡々と言ってのけるバードに対して、ギルティは舌打ちした。
領民の足元に敷かれた魔法陣は、ギルティが独自に開発したものだが、バードはそれすら無効化できると言っているのだ。
ギルティがバードを倒すには、不意をつくか突発的な幸運がほしいだろう。
絶望的な確率だ。
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