行ってしまう

 夜の草原はいい匂いがする。

 星空に見守られ、穏やかな風に吹かれる。心地よい気候であった。

 スバルとエリーゼは深呼吸をして、草原の風を胸いっぱいにすいこんだ。

 心が晴れやかになり、自然と笑みがこぼれる。

 そんな穏やかな二人とは対照的に、いがみあう二人がいる。

 ウルスラとギルティだ。

 二人とも、よろよろと立ち上がってはその場にくずれるのを繰り返している。お互いに体力の限界なのである。

 ウルスラが含み笑いを始めた。


「いいかげん反乱軍を討伐するのを諦めたらどうだ? あなたとは戦いたくない」


「おまえが戦いたくなくとも、俺が戦う理由は山ほどある。魔術が使えるまで回復すれば、必ず殺す」


「物騒な事を言わず、私たちの話も聞いてくれ」


「問答無用」


 そんな二人の会話を聞きながら、ルーシーは両膝を地面につけたまま、ぽつりと呟く。


「二人とも仲良くすればいいのに」


「それはできない事情がある」


「この女と仲良くできるなど、今後一切言わないと誓え」


 ウルスラとギルティが同じタイミングでにらんできたため、ルーシーは身を縮こませた。

 スバルはげらげら笑った。


「息ぴったりじゃねぇか」


「……死にたいようだな」


 ギルティの眼光が鋭くなる。


「死ぬのは嫌だぜ!」


 スバルは大笑いして長剣の柄に手を掛けた。

 そんな時に、強い風が吹いた。

 見上げると、黒い巨鳥が羽をばたつかせていた。不安定な動きで、どんどん地面に近づいている。

 降りているというより、落ちていると言うべきだ。

 やがて黒い巨鳥が地面に頭から激突する。黒い巨鳥の背中から、女が転がり落ちた。赤茶けた髪で、右腕に花の入れ墨を入れている。

 真っ先にエリーゼが駆け寄る。


「ヴァネッサさん、どうしたのですか!?」


「どうしたもこうしたも、大変な事になっちまったよ」


 ヴァネッサはよろよろと起き上がった。


「大変だよ。レイチェル将軍とバードに、領土がやられそうだよ」


「は!?」


 スバルは驚きのあまり、言葉を失った。エリーゼは両手で口元を抑えて、ショックを隠せないでいる。


「詳しく聞かせろ」


 ギルティはしっかりした足取りで立ち上がった。

 ヴァネッサは溜め息を吐いた。


「突然広場にレイチェル将軍とバードが来たと思ったら、あいつらおかしな事を始めたんだ。信じられないと思うけど……」


「構わない。ありのままを話せ」


「衛兵たちが駆け付けたんだけど、レイチェル将軍の鞭に打たれて、みんな倒れちまった。その後、衛兵たちから白い人型のモヤが浮かんだんだ。白いモヤはみんなバードの手のひらに吸収されたよ。なんだかよく分からなかったけど不気味だったねぇ」


 ヴァネッサは夜空を見上げた。

 目元をふいて、続きを語る。


「衛兵たちがやられた後は地獄だったよ。家々が次々と破壊されて、戦えない人たちまでレイチェル将軍の鞭に打たれるんだ」


「分かった。すぐに行く」


 そう言って、黒い巨鳥を召喚しようとするギルティの右手首を、ヴァネッサは掴む。


「待ちな。まだ続きがある。バードはあんたにとって天敵のはずだ。勝てる相手じゃないんだろ? 無駄死にを避けて、逃げて、みんなの希望となってほしいんだよ」


「……何を言っている?」


 ギルティは困惑した。

 ヴァネッサは笑みを浮かべた。


「みんな、あんたが目の前で死ぬのを見たくないんだ。そのために時間稼ぎをしているの」


「領民がバードを相手に戦っているのか!? バカげている。それこそ無駄だ!」


 ギルティの口調は荒くなる。

 ヴァネッサはギルティの両肩をつかむ。


「あんたが死ぬ方がバカげているよ。意地でも生き延びて、みんなの想いを無駄にしないでくれ」


「……なめられたものだ」


 ギルティは歯をくいしばった。

 バードに勝てないという点を否定する事ができないのだろう。


「あの……私たちも戦わせてくれませんか?」


 口を挟んだのはエリーゼだ。

 ヴァネッサは瞳をうるませる。


「気持ちはありがたいけど、バードはたしかソウル・マスター。魔術も神聖術も操ってしまうよ」


「そんなに強力なのですか……」


 エリーゼは肩を落とした。


「じゃあ、俺の魔剣ソウル・ブレードはどうなんだ?」


 今度はスバルが口を出した。

 ヴァネッサは涙をこぼして大笑いした。


「あんた、本当に無邪気だね。ソウル・ブレードの出生を知らないんだね」


「ソウル・ブレードの出生?」


 スバルは首を傾げた。考えたこともなかった。

 ヴァネッサは何度も涙をぬぐっていた。


「あたし、魔剣ソウル・ブレードの使い手ならあんたを倒せるなんて啖呵を切っちゃってね。魔剣ソウル・ブレードは、バードが作ったんだって言われたのよ。生贄にしたいなら、スバルも連れてこいと言ってたよ」


「マジか……!?」


 スバルは両目を見開いた。魔剣ソウル・ブレードをまじまじと見つめる。


「バードが作ったのかよ……」


「なるほど。スバル、おまえは領民を守る気はあるか?」


 ギルティから思わぬ問いかけを受けて、スバルは視線を泳がせた。


「守りたい気持ちは強いが、魔剣ソウル・ブレード以外の戦略を考えないとな」


「その必要はあるだろう。俺の推測が正しければ、スバルならバードを倒せるかもしれない」


 ギルティは黒い巨鳥を召喚した。

 数人が乗れる大きさだ。


「もしも戦うのなら、ウルスラと行動を共にした事は忘れてやる。それほど大きな敵だ」


 ギルティの言葉に、スバルは頷いて、黒い巨鳥に乗る。


「私もいきます。みなさんを回復する事ならできます!」


 エリーゼも乗り込んだ。


「わ、私も行くに決まっているわ。だって、神剣ゴッド・ブレスが役に立つはずよ!」


「……いいのか? おまえが俺の領土のために戦う理由はないはずだが」


「誇り高いアルテ王国の王女は、罪のない人が苦しんでいるのを放っておかないわ!」


 ルーシーは胸を張って、巨鳥の背中を蹴らないように慎重に乗り込んだ。


「私もつれていってもらおうか」


「……おまえは何をする?」


 巨鳥に乗り込もうとするウルスラを、ギルティはにらんだ。

 ウルスラはせせら笑う。


「双剣ツイン・スピリットは何かの役に立つだろう。私たちは、やみくもにアドレーション帝国をつぶしたいわけではない。人々が穏やかに暮らせるようになってほしいんだ。そのためなら、力を貸したい」


「……今は目をつぶる。好きにしろ」


 ギルティはぶっきらぼうに言っていた。

 ヴァネッサは大粒の涙を流していた。


「……行っちまうのか」


「バードは凶悪だが、対策のしようがある。おまえは安全なところに身を隠していろ」


「……分かったよ。御意と言えばいいんだろ」


 ギルティの黒い巨鳥がはばたく。周囲に力強い風を生む。

 数人を乗せているのを感じさせないような飛翔だ。


「……みんな生きてくれよ」


 戦地に赴く人たちを見送りながら、ヴァネッサは呟いた。

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