ウルスラ、現る

 スバルは雄叫びをあげた。


「大人しく人の言う事を聞けぇぇええ!」


 魔剣ソウル・ブレードに耳はないだろう。スバルの言葉を理解できるのかは分からない。

 しかし、はっきりしている事がある。

 ここで暴走を許せば、最も近くにいるエリーゼが犠牲になる。

 彼女との思い出が走馬灯のように頭の中をかけめぐる。どんなに辛い時でも、いつもスバルの傍にいた。

 絶対に殺させない。

 スバルの意識はハッキリした。両目を見開いて、全力を振り絞る。

 魔剣ソウル・ブレードは、暴走が足りないと言わんばかりに、スバルの手元で暴れた。青白い光を強めて、強大な圧力を生む。スバルを消滅させようとしているようだ。

 しかし、スバルは引かない。エリーゼの魂が力を貸しているような気がした。


「魔剣ごときが人間様に逆らうなぁぁああ!」


 魔剣ソウル・ブレードの柄を握り直す。信じられないほどの熱が、痛みが走る。

 スバルは歯を食いしばり、恐怖や痛みから逃げようとする本能を無理やり抑え込んだ。

 エリーゼの微笑みに応えたい。

 負けていられない。

 そう思って、魔剣ソウル・ブレードを力づくで鞘にねじこんだ。

 青白い光は一気に消えて、辺りは静寂を取り戻す。心なしか、虫の鳴き声が減った気がした。


「魔剣には負けん。なーんてな」


 スバルは倒れ込んだ。

 隣でエリーゼが気を失っている。眠っているように穏やかな表情だ。その表情がなんとも言えずに愛おしい。

 いつもかわいいな。

 そんな事を思うと、自然と口の端が上がる。

 しかし、エリーゼの身体は毒がむしばんでいる。どうにかして助けたい。

 そう思った時に、慌ただしい足音が聞こえ始める。


「助けを呼んだよ! もう少し頑張って!」


 リンが声を張り上げた。

 女の手を引っ張っていた。長い黒髪がよく似合う、落ち着いた雰囲気の女だ。上質な白い布の服をまとい、腰には左右それぞれ一本ずつの剣を収めている。

 女はしゃがんで、スバルを覗き見る。


「久しぶりだな。元気にしていたか?」


 女の口調は穏やかだった。

 対照的に、スバルの眼光は鋭く、凶暴になる。


「……ウルスラか」


 実の姉であり、憎き反乱軍のリーダーだ。


「反乱の調子はどうだ?」


「ぼちぼちだな」


 ウルスラは微笑んだ。


「おまえの調子はどうだ?」


「……見りゃ分かるだろ。最悪だぜ」


「そうか。解毒剤はほしいか?」


 ウルスラはのんびりとした口調で尋ねていた。

 リンがせかす。


「早く飲ませてあげて!」


「スバルはかわいい弟だ。助けてあげたいのはやまやまだ。だが、解毒剤を飲ませた後に襲われたらひとたまりもない。約束をしてほしい」


 ウルスラは、スバルの耳元でゆっくりとささやく。


「おまえは反乱軍に攻撃をしない。これだけでいい」


「……は?」


 スバルはガンを飛ばした。


「こっちは反乱軍が誰だか把握してないのに、できるわけねぇだろ」


「反乱軍か分からない人間と戦わなければいい」


「……戦わない俺に存在意義なんてねぇよ」


「嫌ならそれでいい。私は解毒剤を渡さない」


 ウルスラに、リンがすがる。


「命の恩人なんだ。助けてよ!」


「私は敵に貴重な解毒剤を分けてやるほどお人好しではない。私たちを襲うなら、ここで死んでもらった方がいい」


「そ、そんな……。このままじゃ二人とも死んじゃうよ」


 リンはその場で崩れ落ちた。

 ウルスラは口の端を上げる。


「冷静な判断をして助かるか、意地を通して死ぬか。スバル、おまえに任せる」


「エリーゼの意識はないんだ、早く助けないと。意地を張っている暇なんてないよ!」


 リンは必死だった。目の前で命の恩人が死ぬなど、耐えられない。


「スバル、お願い。二人とも助かる判断をして!」


「……エリーゼだけ助けてくれないか? エリーゼだけなら反乱軍に手出ししないだろ」


 スバルの唇は青かった。意識を保つのがやっとだ。

 そんな状態で、意地でもウルスラの言いなりになりたくないと考えていた。

 しかし、ウルスラは首を横に振る。


「助けるなら二人とも、見殺しにするのも二人ともだ。復讐を計画されたらめんどくさいから」


「エリーゼは復讐なんて考えないぜ」


「おまえとエリーゼを知る人間が復讐に来るかもしれない。ただ敵と思われるより厄介だ」


「二人とも見殺しにしても一緒だと思うぜ」


「行方不明になったという噂を流せばうやむやにできる」


 スバルは舌打ちした。


「……冷血女」


「そう言うな。これでも温情を与えている。エリーゼを助けてほしいなら、おまえは反乱軍に攻撃しない事を約束しろ」


 ウルスラの口調は穏やかなままだ。

 スバルは歯ぎしりした。体力は限界だ。意識を手放すまで秒読みだ。


「……分かった。約束する。あんたたちには手出ししない。それでいいんだな」


 ウルスラは満足そうに頷いて、小瓶を取り出す。白い液体が入っていた。


「飲め。これで助かる」


 スバルは震える指で小瓶を掴み、白い液体を口の中に入れた。苦かったが、我慢できないほどではない。

 息苦しさや激痛から解放された。かなり強力な解毒剤だったようだ。

 リンが歓声をあげる。


「良かった、本当に良かった!」


「……エリーゼにも飲ませないと」


 スバルはよろよろと起き上がる。身体に疲れがたまっていたが、気力で動いていた。

 ウルスラは微笑んでスバルに小瓶を渡した。


「エリーゼ、飲めよ」


 スバルが声を掛ける。

 エリーゼは目を閉じたまま、動かない。毒が全身に回っているのだろう。

 ウルスラが忠告する。


「解毒剤はこれで最後だ。飲ませるのに失敗したら、諦めろ」


「……あんた、本当に俺たちを助ける気があるのか?」


「確実に飲ませればいいだけだ。口移しとか」


 スバルは耳まで赤くなった。


「口移しだと!?」


「おまえがやらなくてもいいが、早くしないとその娘は死んでしまう」


 スバルはリンに視線を移した。

 リンは首をブンブンと何度も横に振る。


「そんなの無理! 怖い! ウルスラがやればいいよ」


「お断りだ。失敗したら切り刻まれるのが目に見えるからな」


 ウルスラは微笑んだままだ。


「口移しでも失敗する危険はあるが、スバルならうまくできるだろう」


「なんで!?」


「愛情の差だ」


 ウルスラはほがらかに笑っていた。


「……これ以外に手はないんだな」


 スバルは呟いて、意を決した。

 エリーゼのあごをつかみ、口を無理やり開かせる。

 朝日が差し込む。視界はハッキリしている。

 スバルは解毒剤を口に含んで、エリーゼと唇を合わせる。やわらかさと、わずかな熱を感じた。


「お願い、助かって」


 リンは両手を合わせていた。

 スバルはエリーゼから口を離した。飲み込む音は聞こえなかった。解毒剤がのどから流れ落ちるのを祈っていた。


「ケホッ」


 エリーゼが咳をした。続いて、大きく深呼吸をした。少しずつ呼吸を整えている。

 エリーゼの胸の動きが、だんだんと落ち着いてくる。

 呼吸が苦しくなくなった証拠なのか、呼吸が苦しくてもがく気力すら失っているのか、見守るだけでは分からない。

 スバルにとっては永遠と思える時間が経った。

 エリーゼはゆっくりと目を開ける。


「……もしかして、私は生きていますか?」


 エリーゼは起き上がって、首を傾げていた。

 祈りは通じたようだ。


「やるな」


 ウルスラが微笑む。


「エリーゼ良かったぁぁああ!」


 リンが泣きながら駆け寄る。


「……本当に良かったぜ」


 スバルは乾いた笑いを浮かべて、空を仰いだ。大笑いしたい気分であったが、体力も気力も底をついていた。


「やったわね、スバルに春が来たわ!」


 いつの間にかルーシーが立っていた。何度も万歳をしている。


「悔しいなんて事は……ぜ、全然ないけどエリーゼちゃんおめでとう! スバルからキスを奪えるなんて自信を持っていいわ」


「え、キスですか!?」


 エリーゼが顔を真っ赤にして、口元に触れる。

 うるんだ瞳でスバルを見つめる。


「スバルさん、本当ですか?」


「……あんたの身体に毒が回っていた。口移しで解毒剤を飲ませた」


 スバルはエリーゼを直視できなかった。頬を赤らめて視線をそらす。

 ウルスラが深々と頷く。


「その少年はわざわざ口移しを選んだ。薬を飲ませるための管を私が持っているのに」


「おい!」


 スバルは疲れを忘れて、勢いよく立ち上がり、ウルスラに詰め寄った。


「なんでそれを言わなかった!?」


「貴重な薬を持つ人間が専用の道具を持っているのは常識だ。言うほどの事ではない」


「汚ねぇぞ!」


「何が汚い? エリーゼは助かっただろう?」


 ウルスラはくすくす笑っている。

 スバルは長剣の柄に手を掛ける。


「この場で死にたいようだな」


「忘れたのか? おまえは反乱軍に攻撃しないと約束しただろう。私は反乱軍のリーダーだ」


 スバルは言葉を失った。

 エリーゼが両目を見開く。


「スバルさん、そんな約束を!?」


「そうだ。おまえに解毒剤を飲ませたいと言って、私と約束した。まさか本当に口移しをするとは思わなかった」


 ウルスラは口元に手を当てて、くっくっくっと笑っていた。

 エリーゼは立ち上がって、神官服に付いた土を払う。


「えっと……あの、スバルさん、いいですか?」


「あ、ああ。なんだ?」


「か、神はすべての人間を愛します。反乱軍に身を落としたとしても、きっと大丈夫だと思います」


「ち、違う! 仲間になったわけじゃねぇんだ。てか、何が大丈夫なんだ!?」


「あ、はい。いろいろと。い、いろいろって、その、あまり深く考えないでくださいね!」


 エリーゼはしどろもどろになっていた。

 ルーシーは朝日に向かって叫んだ。


「じれったいわあぁぁあ!」

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