怪しい気配
巨鳥のご機嫌が直ったのを確認して、ギルティは右手を広げた。黒い魔法陣が浮かびあがる。
「戻れ」
巨鳥は甲高い鳴き声をあげて、魔法陣に吸い込まれる。
ギルティが手を閉じて、小さく息を吐く。
「何度も言うが、皇帝がイーヴィルの言い分に耳を傾けたら終わりだ。目立つ行動を避け、大人しくしていろ」
「わーったわーった」
「いい加減な返事をやめろ」
「分かったから大丈夫だぜ」
「……丁寧に言ってもその程度か」
「いつもの事だろ」
スバルはあくびをした。
「……何かあっても責任は取らないぞ」
ギルティは溜め息を吐いて、防壁に視線を移す。
高くて重厚な造りだ。簡単に攻め込む事はできないだろう。防壁の上に見張り台が設置されているという徹底ぷりだ。
唯一の出入り口は、頑丈で広い門だ。門の両隣には番人が配置されている。
重苦しい雰囲気だったが、ギルティは気にしている様子がない。
「ギルティだ。開けろ、緊急の用がある」
「な、なんと! 少々お待ちを。ギルティ様だ! 急ぎ連絡を!」
番人が見張り台に向かって叫んだ。連絡とは、皇帝にギルティが来たのを伝えるという事だろう。
ルーシーが不思議そうに首を傾げている。
「皇帝の弟なのに、顔パスじゃダメなの?」
「アドレーション帝国は、アルテ王国とは違う。無警戒に誰でも入れるわけにはいかない」
「人望の差だと思うぜ」
「スバル、おまえは黙っていろ」
しばらくすると、門は重い音をたてて開かれた。帝都に入る許可が取れたらしい。
夕暮れは消え去り、夜になっていた。
ギルティが舌打ちをする。
「……随分と時間が経ってしまったな」
「焦るなよ」
「誰のせいだと思っている」
「わーったわーった俺のせいだろ」
スバルはあくびをした。
「隠れるついでに休むか。例の場所がいいよな」
「そうしろ」
ギルティは足早に歩き去った。
「例の場所って?」
ルーシーが尋ねると、エリーゼが微笑む。
「いつもお世話になっている宿屋があります。案内しますね」
「ありがとう、エリーゼちゃん!」
ルーシーはエリーゼを抱きしめた。
エリーゼは驚いて両目を丸くしたが、すぐに笑顔になる。
「疲れを癒してくださいね」
「うんうん、そうするわ!」
和やかな雰囲気で宿屋に向かう。
エリーゼとルーシーはおしゃべりに夢中で、女の子は父親に背負われて寝ていた。母親は、娘の寝顔を穏やかな表情で見守っている。
そんな中で、スバルは何者かの気配を感じていた。
敵意や殺気はない。様子を窺っているようだ。
しかし、宿屋に着くまでに気配が消える事はなかった。
「いらっしゃーい。こんな時間に何か用?」
宿屋の女将がめんどくさそうにお決まりの言葉を言った。赤茶けた髪は乱れ、右腕には花の入れ墨が彫られている。入れ墨を強調するかのように、カウンターに肘をつけていた。
スバルが片手をあげる。
「よぉ、ヴァネッサ。元気にしてたか?」
「元気に見えるならあんたの頭はお花畑だよ」
「相変わらず口が悪いな」
「あんたに言われたくないよ!」
「元気そうで何よりだぜ」
スバルは両手を天井に向けて組み、背筋を伸ばした。
エリーゼは一礼する。
「お久しぶりです。またお世話になりますね」
「あいよ! 好きなように部屋を使いな」
宿屋の女将ことヴァネッサは、エリーゼに鍵を渡す。
「スバルに襲われないようにね」
「大丈夫ですよ、たぶん」
エリーゼは鍵を握りしめて視線をそらす。
スバルは眉を寄せる。
「俺に信用はないのか」
「男は言い訳せずにさっさと寝な」
ヴァネッサは手でしっしっと追い払っていた。
ランプに照らされた宿内は薄暗いが、掃除がしっかりしていて、清潔感はある。
廊下をしばらく歩くと、部屋がある。大人数が入れるほど広い。ベッドとテーブルとイスだけという質素な造りだが、余計なものがなくて心地よい。
エリーゼは安堵の溜め息を吐いた。
「ヴァネッサさんは相変わらず気を利かせてくれますね」
「余計な一言が多いけどな。さて、ちょっと聞きたい事がある」
スバルは親子に向き直った。
「たしか、コロセウムでケガ人を助けたとか言っていたよな。どんな奴だった?」
父親は、女の子をベッドに寝かせながら記憶を辿る。
「長くて黒い髪の美しい女性だった。落ち着いている人だった。ウルスラと名乗っていたかな」
ウルスラ。
この名前を聞いた時に、スバルの表情が固まった。
いったいどれくらいの時間が経っただろう。
「だ、大丈夫ですか?」
母親が話しかけると、スバルは含み笑いを始めた。
「いや……本当にあの女なら受けるな」
エリーゼが首をかしげる。
「どの女ですか?」
「高名な神官様は知らなくていいような女だぜ」
「教えてください。私はあなたと長い間行動を共にしてきました。知る権利はあるはずです!」
エリーゼが食い下がる。
しかし、スバルは首を横に振る。
「知ったら面倒事に巻き込むからな。どうしても知りたけりゃ二人きりの時に聞いてくれ」
スバルはあくびをして、さっさと窓際のベッドに寝転がる。
「今日は風呂はパス」
「……汗をかいたのに、もったいないですよ」
エリーゼが言っているそばから、スバルはいびきをかいて寝ていた。
「お風呂があるの!? 行く行く!」
ルーシーが両目を輝かせる。
エリーゼは微笑む。
「別室ですが、広くて気持ちいいですよ」
「ねぇ、お風呂があるのよ。行きましょう!」
ルーシーは寝ている女の子に話しかけていた。
女の子は勢いよく起きあがる。
「お風呂!? 行く行くー!」
エリーゼは微笑んで、ルーシーと親子を風呂場に案内する。
スバル以外が部屋を出たのを確認するように、鍵を掛けてあったはずの窓が開かれる。
用事があるなら部屋のドアを叩けばいいのに、何者かが外からこっそりと開けたのだろう。しかし、不思議な事に侵入者の姿はない。
不思議な事は続く。
スバルの手荷物がひとりでに浮かんだのだ。手荷物は窓に少しずつ近づく。
手荷物の近くを、スバルはがっしりと掴む。確かな手応えがある。
もう少しで窓から出るところだった。
「すげぇな。まるで手品だぜ。透明になる魔術を使っているのか?」
スバルは素直にほめたつもりだったが、掴まれた側は動揺したらしい。
一生懸命スバルの手を叩いて、もがいているのがわかる。
「は、放せ! 私は悪い盗人じゃない!」
甲高い声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます