アドレーション帝都へ

 黒い巨鳥が夕闇の空を駆ける。力強い飛行だが、強い向かい風を突っ切っている。どことなく危うさを感じる飛び方であった。


「すごい! お空を飛んでいるー」


 小さな女の子が両目を輝かせる。地上を見下ろそうと身を乗り出すのを、女の子の母親が止める。


「落ちたら危ないでしょ!?」


「これ以上ご迷惑をかけるわけにはいかない。大人しくしてくれ」


 父親に叱られて、女の子は頬を膨らませた。明らかにご機嫌ななめだ。

 ルーシーが女の子の肩をポンッと軽く叩く。


「地上を見るのを我慢して偉いわ。ご褒美にとっておきのお話を聞かせてあげる」


「本当!?」


「もちろんよ! 昔々アルテ王国に美しいお姫様がいました。そのお姫様は優しくて、国民から尊敬されていました。名前をルーシーといいます」


「お姉ちゃんなの!?」


 女の子は両目を丸くする。

 ルーシーは胸を張った。


「そうよ! 私はお姫様よ!」


「なんでコロセウムにいたの?」


 女の子の質問に、ルーシーは語りだす。


「アルテ王国は悪逆非道なイーヴィルの軍隊に攻め込まれて滅ぼされてしまったの。王様と女王様は殺されて、お姫様も囚われの身に。奴隷とされていたけれど、ようやく自由を手に入れるチャンスに恵まれたの。それがコロセウムで戦う事だったわ。とある男に勝てれば、自由の身となれる」


 両手を広げたり、拳を握ったり、身振り手振りをまじえていた。


「それで、それで!?」

 女の子は真剣な眼差しでルーシーを見つめる。

 ルーシーは首を横に振った。


「その男は強すぎて、惜しくも勝てなかったわ」


「……惜しかったのか?」


「でも、お姫様は諦めなかった。もう一度戦う事を決めたの。すごいわ! 偉いわ! 剣の誇りに恥じない素晴らしい心意気だわ!」


 スバルのツッコミは見事にスルーされたようだ。

 ルーシーは布で包み、背中に結わえた剣の柄をなでる。コロセウムで握っていたさびた剣だ。


「素晴らしい人からもらった剣よ。大切にしないと」


「お姉ちゃんすごい! お姉ちゃん偉い!」


「そのとおりよ!」


 盛り上がる二人を見て、エリーゼは微笑んでいた。

 和やかな雰囲気だった。

 しかし、ギルティは頭を抱えている。


「……イーヴィルが先に皇帝に報告を出したら、全てが終わる」


「しっかりしてください! 私たちたちは何も悪くありません。堂々としてください!」


 エリーゼが励ますが、ギルティは溜め息を吐く。


「……おまえたちは事の重要性が分かっていない」


「きっと大丈夫です。スバルさんがいます!」


「そもそもスバルが引き起こした事だ。イーヴィルが動けば戦争は避けられない。罪のない民が虐殺されるだろう」


「そのような有事に備えるのが領主の仕事ではありませんか?」


 エリーゼの言葉に、ギルティはもう一度溜め息を吐いた。


「その仕事ができなくなるから困る。スバル、皇帝の前ではひたすら平謝りをしろ」


「は?」


 スバルは疑問をあらわにした。


「俺は何かやったか?」


「もう忘れたのか。コロセウムの事だ。勝手に試合を乱しただろう」


 にらむギルティを、スバルはにらみ返す。


「あんなの試合じゃねぇぜ。ただの虐殺だ。コロセウムの意義に反するぜ」


「コロセウムは力自慢が競う場であり、虐殺ショーを見せる場でもある。領民は虐殺ショーでストレスや支配者への不満を発散させている。イーヴィルの領地はそれで治安を保っていると言っても過言ではない」


「虐殺ショーに頼らないあんたのやり方の方がいいと思うぜ」


 ギルティは両目を見開いた。


「誉め言葉として受け取っていいのか?」


「イーヴィル様より絶対にいいぜ。領土内で反乱とかねぇだろ」


 スバルの笑みは、自信に満ちあふれていた。


「……これからは分からないがな」


 ギルティの視線は険しい。どこか遠い場所を見つめている。


「もうすぐアドレーション帝都に着く。スバルに謝るつもりがないなら、俺一人で報告に行く。余計な事をせずに隠れていろ」


「わーったよ」


 スバルはしぶしぶ頷くのだった。

 夕焼けと夜が混ざり合う頃に、アドレーション帝都が見えてきた。

 円形の都だ。広大な敷地が鉄の防壁に囲まれている。防壁の端から端まで届く運河が逆五芒星の形に流れ、空の色を映し、鮮明な赤と濃紺が水面で光っていた。

 逆五芒星の中心に、ひときわ高い豪華な建物がある。王城だ。水面のきらめきを反射して、美しく彩られている。

 幻想的な景色だった。


「きれいー!」


 女の子がはしゃぐ。両親も目を奪われていた。

 ギルティが淡々と告げる。


「もうすぐ降りる。落ちないように気をつけろ」


「うん、気を付ける!」


 女の子が元気よく返事をすると、両親は慌てた。


「せめて、ますをつけなさい!」


「相手は皇帝の弟だぞ」


 女の子は大きく頷いた。


「うん、気を付けるます!」


「ギルティ様、申し訳ありません!」


 両親が声をそろえて頭を下げた。

 ギルティは眉一つ動かさなかった。


「人には求めていい能力とそうでない能力がある。適材適所というものだ。幼い娘に完璧な敬語は求めない」


「なんと慈悲深い!」


「ああ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 両親は涙ぐんで何度も頭を下げていた。

 その様子を見てスバルは口の端を上げた。


「気にするなって。俺なんかギルティ様に敬語なんて使った事ねぇぜ」


「自慢するな」


「自慢じゃねぇよ。当たり前の事だろ?」


「振り落とすぞ」


 ギルティが露骨に溜め息を吐く。


「少しは自重してほしいものだ」


「そうですよ、スバルさん。ギルティ様は傷つきやすいのですから、たまには丁寧に構ってあげてください」


「……俺がスバルに構ってもらえたら嬉しがると思うのか?」


 エリーゼは首を傾げた。


「ルーシーさんの方がいいですか?」


「丁重に断る」


「なんですって!? あなたの目は節穴なの!?」


 ルーシーの目が、口が、大きく開かれる。かなりショックを受けているようだ。

 スバルが苦笑する。


「俺も嫌だぜ」


「見る目がなさすぎるわ!」


「騒いでないで降りろ」


 ギルティはめんどくさそうに言っていた。

 黒い巨鳥は静かに着地していた。

 親子からゆっくりと地面に足をつける。

 女の子はふらふらした。


「変な感じー」


「大丈夫です、すぐに慣れますから」


「うん!」

 エリーゼの優しい声かけに、女の子は元気よく頷いた。


「ふっふっふっ今こそ私のカッコイイ姿を見せる時」


 ルーシーが巨鳥の上で立ち上がり、怪しい笑みを浮かべる。


「嫌な予感しかしないぜ」


「好き放題に言うといいわ、スバル。コロセウムでまぐれ勝ちしたからっていい気にならないで!」


「あれは勝負したといえるのか?」


「王女の飛翔を刮目せよ!」


 ルーシーは巨鳥の背中を蹴り、両手を広げて華麗に跳ぶ。長い金髪がなびく。

 着地はよろめいていたが、金髪をかきあげ、勝ち誇った笑みを浮かべている。


「どう?」


「お姉ちゃんすごい、カッコイイ!」


 女の子が素直に拍手する。

 スバルは感嘆の溜め息を吐く。


「意外と動けるんだな」


「私なら当然よ!」


「だが、気を付けろよ。怒らせたみたいだ!」


「何を?」


 巨鳥がルーシーに頭突きをした。背中を蹴られたため、敵として認定したようだ。

 ルーシーは悲鳴をあげる間もなく、地面に転がった。

 エリーゼが神聖術を掛けなかったら、しばらく意識がなかったかもしれない。


「……生き物は大切に扱え」


 ギルティはあきれ顔で巨鳥をなだめるのだった。

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