コロセウムの試合、決着

 試合会場には陰惨な空気が流れていた。

 年若い男女が、幼い女の子をかばって震えている。親子だろう。女の子は声をあげて泣いていた。

 親子の前でさびた剣を構えるルーシーは、目に涙をためている。

 彼女たちが対峙するのは、恐るべき異形の生き物だ。

 ライオンの胴体から蛇の頭を三つ生やしている。巨大な化け物だ。大柄な男でも一瞬にして飲み込むだろう。炎のように揺らめくしっぽを振り回す。

 親子と新米剣闘士では、太刀打ちできないのは明らかだった。

 今度こそ残酷なショーを見られると沸き立つ観客たちは、お楽しみに胸を躍らせた。

 審判が号令をかける。


「幻獣使いオカマ、反乱兵とプラスα、試合開始!」


「誰が+αよ!」


 ルーシーは吠えて、剣を天高く掲げるが、案の定すぐに降ろす。彼女が扱える武器ではないようだ。

 オカマは鞭を振りながら、声高らかにあざわらっていた。


「おーほっほっほ無様ねぇ! せいぜい腹わたを食いちぎられるがいいわ!」


 異形の化け物が、獲物たちに向かって突進する。派手な足音と土ぼこりをあげ、三つ首の蛇が、ルーシーを食いちぎろうと、大口を開ける。

 親子が悲鳴をあげ、観客たちが歓声をあげる。誰もが惨劇を予想した瞬間だった。

 次の瞬間の出来事に誰もが目を疑った。

 ドォンという巨大な音と共に、異形の化け物がひっくり返って泡を吹いていた。何が起こったのか、その場にいる大多数の人間が理解していなかった。

 ただ一つ分かる事があった。

 ひっくり返った化け物の前で、スバルが悠然と立っている。

 いつにも増して鋭い目つきだった。

 スバルとしては、異形の化け物の腹を蹴り上げたにすぎない。しかし、猛進する巨体を蹴り一つで倒すのは並大抵の事ではない。


「すごい……」


 ルーシーが呟くと、親子が歓声をあげた。

 母親と思われる女が何度も礼をする。


「ああ、ありがとうございます! まさか助けてもらえるなんて」


 スバルは片手をあげるだけだった。

 その様子にオカマは不快感をあらわにした。


「ちょっとぉ、反乱兵退治の邪魔をしないでくれるぅ?」


「違う! 僕たちは怪我をしていた女性を助けただけだ。反乱軍の人間だったなんて知らなかった!」


 父親と思われる男が必死な形相で無実を訴えていた。

 しかし、オカマは心底興味なさそうな表情で、小指で耳をほじっている。


「あ、そう。とっとと死になさぁい」


「頼む! せめて妻と娘だけは助けてくれ!」


「あたしに指図しないでくれるぅ?」


 オカマが鞭を地面に打ち付ける。ルーシーと親子はビクッと身体を震わせた。

 スバルはあきれ顔で溜め息を吐く。


「指図かどうかくらい分かるだろ。少しは話を聞いてやれよ」


「あらん、あたしに逆らう気? 生意気なボーイね」


 オカマはうふふふと不気味に笑い始めた。

 背筋も凍るような殺気をまとっている。

 鞭を何度も、何度も、甲高い音を鳴らしながら地面に打ち付ける。鞭の先が黒い闇をまとい、複雑な魔法陣を描く。魔法陣は黒くよどんだオーラをまとい、ひとりでに広がる。

 魔法陣からうめき声が聞こえだす。地獄の使者を思わせる低いうめきに、その場にいる誰もが戦慄した。

 オカマが口の端を上げる。


「本来ならコロセウムで見せるものじゃないけど、特別よん。とくとご覧あれ、ドラゴンゾンビのドレドちゃんよ!」


 ドロドロに腐った腕で魔法陣を押し広げて現れたのは、強靭な牙とかぎ爪を持つ、全身が腐ってただれた巨大なドラゴンだった。コロセウムの観客席を見下ろし、暗黒の息を吐く。

 呪われたドラゴンは、猛烈な殺意をまとい、すべての生き物に死を与える存在だ。

 オカマが高笑いをあげる。


「おーほほほ! 至高の幻獣使いのあたしの最高傑作ドレドちゃんよ。ゆっくりと堪能なさい!」


「お出ましか。触りたくねぇ化け物だぜ」


 スバルは口の端を上げて長剣の柄に手をかけた。

 ルーシーは懸命にさびた剣を構えて、親子は互いをかばい合う。

 ドレドと目が合った観客は白目をむいて倒れた。安全地帯からヤジを飛ばすだけだった彼らに、耐えられる相手ではない。悲鳴をあげて逃げ出したり、腰をぬかしたりした。

 混乱の中で、観客席から試合会場に向かって声を張り上げる人間がいた。

 ギルティだ。


「スバル、そのへんにしろ! オカマはイーヴィルのお気に入りだ。反撃すれば戦争になる!」


「分かった」


 スバルは浅く頷いた。

 オカマは下卑た笑いを浮かべた。


「うふふふ。反撃をしないという事は、一方的にいたぶられてくれるという事かしら。見直しちゃうわ」


「ああ、反撃をする必要がないからな。もう勝負はついているぜ」


 その場にいる誰もが、スバルの言葉を理解できなかった。

 オカマはもちろん、ギルティも首をかしげた。


「勝負がついているだと……!」


 どういう事だと聞く前に、ギルティは理解した。

 先ほどからドレドに動きがない。猛烈な殺意も消え去り、でくのぼうと化している。


「まさか、スバル、おまえ……!」


「ああ、そのまさかだぜ」


 冷や汗を流して震えるギルティとは対照的に、スバルは平然としていた。


「もう倒した」


 青白い光の線が、ドレドの腕を、足を、首を、胴体を切り刻む。

 ドレドは音をたてて崩れ落ちる。形を失い、ただのドロドロした液体となる。

 黒い魔法陣は見る間に小さくなり、地面に溶ける。大量の腐った液体と共に、跡形もなく消え去った。

 呪われたドラゴンのあっけない最期だった。


「え……嘘でしょ?」


 オカマは呆然とした。


「あたしの最高傑作が……なんで……?」


「魔剣ソウル・ブレードで切った。手早くやらせてもらったぜ。あんなのの攻撃を食らったらヤバイからな」


 沈黙がおとずれる。

 風が土埃を巻き上げる。

 スバルは首を傾げた。


「聞こえなかったか? 魔剣で切ったから消えたんだぜ」


 スバルの言葉を理解したのか。

 オカマが言葉にならない叫び声をあげた。


「ああああ、ドレドちゃんをそんなに簡単に!?」


 地面にひれ伏せ、人目もはばからずに泣いている。


「あたしのドレドちゃんが、あたしの最高傑作が! ああ、あああああ!」


「……スバル、登録された試合以外に手を出すのはルール違反だ」


 淡々とした口調で語るのは、審判だ。


「本来なら勝負がつく前に退場処分とするところだが、既に試合を決定づけてしまった。厳重に処罰しなければならない」


「おいおい、もともとは勝負になる試合じゃなかっただろ。対戦の組み合わせを見直せよ」


「コロセウムのルールにおいて、あなたに発言権はない」


 いつのまにか観客席を一周するように、弓兵が配置されている。

 スバルは両目を見開いた。


「マジで殺す気か」


「イーヴィル様が決めたルールを犯すものを生かしておけない」


 弓兵たちが矢をつがえる。矢の切っ先が鈍く輝く。

 標的は明らかにスバルだ。


「もういっちょやるか」


 スバルが呟いたその時だ。


「ホーリー・アロー!」


 澄んだ声が響き渡った。

 次の瞬間、太陽を中心に、空から無数の白く輝く矢状の光が降り注いだ。弓兵たちは標的を白い光に変えて、一斉に矢を放つが、無駄な抵抗であった。放たれた矢も、弓兵たちも、コロセウム中が白い光に呑みこまれる。


「なんだこれは!?」


「ひぃぃいい」


 弓兵たちが情けない悲鳴をあげる。

 コロセウムで勢いよく広がる光を、審判は忌々しげに睨んでいた。


「神聖術か」


「次はあんたが食らう番だぜ!」


 スバルは大笑いした。

 白い光は試合会場を隙間なく埋め尽くした。

 悲鳴は聞こえなくなっていた。

 やがて強烈な光が消えて、辺りは柔らかい温もりに包まれた。

 弓兵たちは、指から力が抜け、次々とその場に崩れ落ちる。彼らは戦意を奪われていた。


「さすがだぜ、エリーゼ!」


「当然です!」


 スバルに名前を呼ばれた神官服の少女は、観客席で胸を張っていた。


「我が民を踏みにじる事誰にもあたわず。アドレーション帝国に代々受け継がれている意思です。アドレーション帝国の全ての民は生きる権利があり、踏みにじってはいけません。そうですよね、ギルティ様!」


 黒いフードを被った男がビクリと肩を震わせる。


「エリーゼ、やめろ!」


「ギルティ様はいつまで怪しいフードを被っているのですか? 正体を隠すのはやめましょう!」


 エリーゼの言葉に応えたのか、急に強い風が吹き、黒いフードがあおられた。

 ギルティの顔があらわになる。

 深い闇を思わせる瞳が印象的な、色白の若い男だ。長い黒髪を一本にまとめている。

 審判は眉を寄せた。


「ギルティ様が動いているなら身を引くが……勝手な行動は慎んだ方がいいと忠告をしておく」


「……あんたはエリーゼの光を食らわなかったのか」


 スバルが舌打ちをする。

 審判は無表情だった。


「あなたとはいつかまた会うかもしれない。手の内を明かす事はしない」


「次に会った時には敵かもしれねぇのか」


 スバルの背中には嫌な汗が流れていた。審判からタダならぬ雰囲気を感じ取っていた。少年とも少女とも思える整った顔立ちで、見る人を引き付けるだろうが、それだけではない。

 試合会場は、スバルがいなかったら虐殺の場となっていたはずだった。審判はそんな場所で感情を全く乱していないのだ。百戦錬磨のスバルにも、異様な落ち着きようだ。

 年若いが、殺戮の場に恐ろしく慣れているとしか考えられない。かなりの手練れだろう。


「バード、見逃せとは言わないがイーヴィルへ報告するのを待ってくれないか?」


 ギルティに呼びかけられて、銀髪の審判は首を横に振る。


「イーヴィル様に不忠な振る舞いはできない。この場で見逃すのを幸いだと思ってほしい」


「……分かった」


 ギルティはがっくしと肩を落とした。

 バードは一礼して試合会場を後にする。

 その背中を見送りながら、スバルは呟く。


「戦わずにすむのを祈るぜ」


「可愛い子だったわね。お友達になれるかしら。ペットでもいいわ」


「ルーシー、ちょっと黙ってもらっていいか?」


 ギルティは溜め息を吐く。


「……バードより早く皇帝に報告をする必要があるのに、のんびりした連中だ」


 ギルティが右手を広げると、黒い魔法陣が出現した。

 その魔法陣を押し広げるように、巨大な怪鳥が顔を出し、甲高いいななきをあげた。

 やがて巨大な黒鳥が全身をあらわにする。ドラゴンゾンビほどではないが、スバルたちを見下ろそう姿に、威圧感を覚える。


「お、大きいわね」


 ルーシーは両膝が震え、親子は互いをかばい合って涙目になっていた。

 ギルティは視線で、黒い巨鳥に乗るように催促した。


「取って食いはしない。急いで皇帝に報告をしに行く。おまえたちも来い。イーヴィル領に残しておくとめんどくさい事になりそうだからな」

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