コロセウムの意義

 試合会場から通用口に続く階段がある。

 何人もの番人が目を光らせていて、物々しい雰囲気だ。

 ときどき猛獣のうなり声が聞こえる。おそらく、本日の試合に出されるのだろう。

 スバルはそんな階段をのぼっていた。

 階段にたまる苔やほこりがわずらわしい。


「汚いところですね」


 スバルの気持ちを代弁するように、少女の声が聞こえた。

 鈴を鳴らしたような澄んだ声だ。

 そんな少女に答えるように、低い声が聞こえ始める。


「不満を言うな。本来なら奴隷や獣しか通らない場所だ」


「私が掃除しましょうか?」


「やめておけ。時間がいくらあっても足りない」


 スバルは階段をのぼり終えると、会話をしていた二人に向けて片手をあげた。

 一方は茶髪を腰まで伸ばした白い神官服の少女で、もう一方は黒いフードを目深にかぶった男だった。


「エリーゼ、ギルティ様、来てたのか」


「スバルさん、ご無事で!」


 エリーゼが駆け寄ると、スバルは表情をやわらげた。


「心配したか?」


「はい! いったいどんな相手と戦うのだろうと思っていました。まさかあんな女の子が剣闘士だなんて……倒れていましたが、大丈夫ですか?」


「致命傷は負わせていないはずだが……ちょっと心配だな」


 スバルが答えると、エリーゼは頷いた。


「助けにいった方が良いのでしょうか」


「その必要はない。あの娘が歩くのを見た」


 ギルティが歩み寄る。

 エリーゼの笑顔が輝く。


「ああ、良かったです!」


「コロセウムの見世物にされるだろうな。猛獣の餌食にされるだろう」


 エリーゼの顔が青くなった。


「そんな! ひどすぎます!」


「コロセウムの役割は戦士たちが腕を磨くばかりではない。すさんだ民衆の娯楽の場でもある」


 淡々とした口調のギルティに対して、エリーゼはぶんぶんと首を横に振った。


「いけません! 誰かが死ぬのをお楽しみにするなんて」


「おまえに理解を求めるつもりはない。スバルが生きて帰っただけでも幸運だと思え」


「あんまりです! なんとかしてください!」


「おまえは俺に指図する立場ではないだろう。行くぞ」


 ギルティはさっさと歩きだす。


「そんな……」


 エリーゼは胸に両手を当てて、剣闘士となった少女の無事を祈る。

 そんなときに、観客席から歓声が響き渡った。


「幻獣使いのオカマさんだ!」


「オカマさん、汚ねぇ反乱兵をぶっ殺せー!」


「さっきのバカ女もいるぞー、ギャハハいい気味だ!」


 ギルティが足を止める。


「行くぞ、エリーゼ」


「ですが……」


「おまえの言いたい事は分かるが、ここは俺の領土ではない。勝手な行動は越権行為であり、支配者であるイーヴィルへの侮辱だ。戦争の大義にされてもおかしくはない」


 諭すような言葉に、エリーゼはしぶしぶ頷いた。戦争は多大な犠牲を生む。避けなければならない。

 エリーゼは溜め息を吐いた。


「アドレーション帝国の皇帝は、我が民を踏みにじる事誰にもあたわずとおっしゃって、人々を大切にしているのに……ここもアドレーション帝国のはずなのに……ときどき何が人々のためになるのか分からなくなります」


「国や地方が違えば人も違う。当然の事だが、支配の仕方も変わる。それだけだ」


「はい……あれ?」


 エリーゼは辺りを見渡す。

 ギルティは歩き出す。


「どうした?」


「スバルさんの姿が見えません」


「おそらく、剣闘士の娘を救いに階段を降りたのだろうが、番人に止められるはずだ。すぐに戻ってくるだろう」


「そうかもしれませんが……観客の様子がなんかおかしいですよ」


「……なに?」


 耳を澄ますと、観客のどよめきが聞こえる。

 ギルティの背筋に悪寒が走る。嫌な予感がしていた。

 スバルがギルティの命令を受ける前に勝手な行動をするのは、よくある事だ。素早い判断や行動力は、ギルティにとって都合の良い場合が多い。

 しかし、若いゆえに何をやらかすのか分からない。

 ギルティは観客席に走る。

 黒い影が観客席を飛び降りて、試合会場に踊り出るところだった。


「スバル、やめろ!」


 ギルティの命令は届いていなかった。

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