魔剣使いは人助けをしたいだけなのに

今晩葉ミチル

昼の部第一試合

 短い黒髪の剣士が階段を大胆な足取りでくだっていた。質のいい革の鎧をみにまとい、腰に長剣を携えている。

 苔やほこりのたまる階段だった。

 剣士の革の鎧に、いくらかほこりがつく。気を付けなければ、長剣の柄も汚れるだろう。

 階段はかろうじて日の光がさしこむが、薄暗かった。

 そんな所で険しい表情の番人が数名、階段の脇に立っているのだ。重々しい雰囲気であった。


「陰気な場所だぜ。あんたら緊張しすぎだろ」


 剣士は呟いて、片手で髪をかいていた。

 がたいのいい番人たちが両目を見開く。


「ガキのくせに、いやガキだからか。恐れを知らないのか。スバル、これからやる事の意義は分かっているだろうな」


 スバルと呼ばれた少年剣士は、口の端を上げた。


「闘技場コロセウムに来る意義は一つしかないだろ」


 スバルの胸の内は興奮していた。

 コロセウムでは屈強な腕自慢が集結するだろう。一定のルールや制約があるものの、おのおのが全力を出し合い、至高の戦場となるだろう。戦士にとっては、その場に呼ばれるだけでで名誉だとされている。


「対戦相手はルーシーという剣闘士だと聞いているが……ワクワクするぜ」


 スバルの顔に笑みが浮かぶのは、無邪気な理由だった。

 本人の言葉どおり、ワクワクしているのだ。

 相手の力量にかかわらず、戦士にとって聖域に足を踏み入れるのだ。

 勝ち負けよりも、故郷に誇れるような戦いをしたいと思った。

 スバルの目付きは鋭いが生まれつきのもので、よく見れば獰猛な光はない。よく見る前に逃げる人間が多いが。

 階段を降りきると、物々しい門があった。

 人間の大人が二、三人手をつないで通れそうな広さだ。何人か肩車すればやっと届くような高さである。


「おおげさな門だな。巨大な猛獣でも通るのか」


 スバルは自分で言って、自分で噴きそうになった。

 番人たちは何も言わずに溜め息を吐いていた。

 いくらか時間が経つ。

 門の外から大勢が騒ぐ声が聞こえる。

 スバルの心は踊った。


「立派に戦わないとな」


 いよいよ門が開かれる。

 会場に入ると、視界が一気に開ける。広大な敷地は円形に囲まれ、見上げれば清々しい青空が広がる。

 観客の声はますます声高らかになり、スバルに注視している。

 この時に、スバルは違和感を覚えた。

 観客たちが殺気立っているのは当たり前だと思った。

 しかし、スバルの反対側から入場した対戦相手の様子がおかしいのだ。

 さびた剣を持ちながら、ふらふらしている少女がいる。スバルは念のために警戒するが、戦士の聖域に来れるような人間とは思えなかった。

 円形の闘技場コロセウムは熱気に包まれていた。

 照りつける太陽に負けない乱暴な怒号が響き渡る。


「殺せ!」


「ズタズタにしろ!」


 試合会場はぐるりと壁で仕切られ、その壁の上に観客席が設置してある。

 到底のぼれる高さではない。

 観客たちは試合会場を見下ろしながら、安全な場所から好き勝手なヤジを飛ばしていた。

 満員御礼の観客席の視線を釘付けにするのは、二人の剣士であった。

 一方は、切れ長の瞳が印象的な、黒い短髪の少年スバルである。質のいい革の鎧を身にまとう百戦錬磨の剣士であった。目鼻立ちは整っていて、黙って立っていれば絵になるだろう。

 ただし、彼の絵を最後まで描ききる画家はいない。彼のぎらつく瞳を見れば、大多数の人間が逃げる。まだ長剣を抜いていないにも関わらず、見る人を威圧する。

 対戦相手はルーシーだ。長い金髪の少女で、青い瞳を涙目にしながら全身を震わせていた。じっとりと汗をにじませて、さびついた剣を握りしめるのが精一杯だ。ツギハギだらけの布の服が心もとない。戦闘に対する覚悟も装備も貧弱だ。

 力の差は明らかだった。

 それを承知の上で、短い銀髪の審判が号令を発する。


「魔剣使いスバル、剣闘士ルーシー、試合始め!」


 観客席が沸き立つ。彼らが期待するのは、試合などというものではない。スバルが一方的にルーシーを痛めつけるのを楽しみにしているのだ。


「やれ!」


「女奴隷をズタボロにしろ!」


 黒い感情が場内を包む。

 ルーシーは剣を握り直す。


「負けない。あなたに勝って自由を手に入れる」


 ルーシーは剣を天高く掲げ、吠える。


「あなたを倒す!」


 さびついた剣が、心なしかきらめく。ルーシーの手が、腕が、剣の重みに耐えようとして震えている。

 スバルは静かに観察していた。どんな攻撃を繰り出すのか予想がつかない。

 いったいどれくらいの時間が経ったのだろう。

 剣は下ろされる。スバルとの距離を詰めないまま。


「えっと……まだまだぁ!」


 ルーシーはもう一度吠えて、剣を振り上げる。

 そして、すぐに振り下ろす。もちろん、スバルとの距離を詰めないままだ。


「あの……突撃してくれないの?」


「は?」


 スバルは唖然とした。

 ルーシーは早くも息が上がっている。剣を持ち上げる体力を失ったのか、地面にへたりこんだ。


「さすがね。私をここまで追い詰めるなんて」


 どう考えてもルーシーの自滅である。


「殺しなさい。あなたに与えられた特権よ」


「……マジで言っているのか?」


「本気よ。これが嘘をついている目に見える?」


 ルーシーは、まっすぐにスバルを見据えていた。一回でも剣を交えていれば、それなりに格好はついただろう。


「認めるわ。私の負けよ。あなたに殺されるのなら、恥にはならないわ」


「俺の勝ちなんて言ったら、こっちが恥晒しになるんだが……」


「つべこべ言わずに殺したらどう!?」


 ルーシーは精一杯に声を張り上げていた。

 スバルは頭をかいて、ルーシーに近づく。長剣を抜く雰囲気ではない。

 ルーシーは服の上から両手で胸を隠す仕草をした。顔を真っ赤にして怒鳴る。


「辱めるつもり!?」


「そんな趣味はねぇよ。まずは立て」


 スバルが腕を引っ張ると、ルーシーはあっさり立ち上がった。腕を組んで胸を張る。


「そうね。かっこいいポーズで絶命するのも悪くないわ」


「ポーズを決めているところ悪いが、殺す気はねぇぜ」


「なんですって!?」


「……驚くところじゃねぇだろ」


 スバルはため息を吐いた。


「俺に勝つなら戦闘のやり方を一からやり直せ。まずは姿勢だな」


「し、姿勢?」


 ルーシーは首を傾げた。


「合わない武器を使っていたせいか、変な癖がついていそうだな」


「どうして分かるの!?」


「剣を構えた姿勢からすぐに分かるぜ。あんた、練習はしていても実戦はないだろ。それでよくコロセウムに挑んだな」


「う……うるさい! 一か八かだったなんてことはないのよ!」


「あー……もうつっこまねぇ」


 スバルは頭をポリポリとかいていた。


「ともかく、強くなりたけりゃ一からやり直せ。こっちに暇があれば経験を積む手伝いはするぜ」


「スバル、早く試合を始めなさい」

 審判が口を出した。


「観客の殺気があなたに向かっている」


「ほっとけ。どうせ試合にならねぇのは分かるだろ」


 スバルはあくびをした。

 ルーシーは頬を赤らめて両目をパチクリさせた。


「もしかして、私をかばっているの?」


「いや、試合より指導が必要だと思っただけだ」


「ああ、よく見れば絶世の美少年! これは運命の出会いかしら!?」


「人の話を聞いているのか?」


「神様! この出会いに感謝するわ」


 ルーシーはスバルの両手を取って、瞳を輝かせた。


「改めて名乗るわ。私はルーシー。ルーシーって呼んでね」


「まんまじゃねぇか」


「べ、別にあなたに惚れたわけじゃないから。そこは分かっておいて!」


「ああ、分かった。興味ねぇし」


 ルーシーの表情が凍りついた。


「興味がない……?」


「俺があんたに興味を抱くポイントがどこにあったんだ?」


「そんな、神様! 残酷すぎるわ!」


 ルーシーは額に手を当てて、涙を流して倒れた。

 スバルがゆすっても、口をパクパクさせるだけだ。


「おい、大丈夫か!?」


「……試合不可とみなすしかないな」


 審判は呆れ顔であった。


「勝者スバル! これにて昼の部第一試合終了とする!」


 会場には怒号が響き渡る。

 スバルは両目を見開いた。


「こんな勝利があっていいのか!?」


「誰のせいだと思っている?」


 審判の目付きが険しい。

 スバルは眉をひそめた。


「そもそも試合になる組み合わせじゃなかっただろ? こいつの手当を頼むぜ」


 スバルがルーシーを指さすと、審判は溜め息を吐いた。


「負傷人として扱うのもためわられるな」


 スバルは、ルーシーが担架で運ばれるのを確認して試合会場をあとにした。

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