2-7
一時はどうなることかと危ぶまれた会議も無事終わりを迎え、燐は一人居残って生徒会の書類を整理していたら、
「おつかれさま」
引き戸の音と同じタイミングで聞こえた声が、燐の手の動きを止める。わざわざ顔を見なくとも、声の主が誰なのかはすぐにわかった。
「あら、どうしたの? お友達の鳴海さんは?」
出入口の前で一人立つ雫玖。気恥ずかしそうに薄っすら頬を染め、
「今日はありがと。あんたが愛依に言ってくれなかったら、模擬店はなかったことになってたし。……責任感強いんだね。そこは素直に尊敬するかも」
知ったことかと、燐はあくまでも他人行儀で、
「別に。出雲さんのために言ったわけじゃあるまいし。私は私の立場があるから反論しただけよ。ま、お褒めの言葉はありがたく受け取ってあげるわ」
そうして燐は再度仕事に取り掛かろうとする。しかし、
「い、出雲さん?」
雫玖は黙ったままこちらへと赴き、なぜか燐の手を取ったのだ。
「燐となら友達になれそうかも」
「今、下の名前で……」
雫玖はぶんぶんと頭を振り、引っこ抜くように燐を席から立ち上がらせて、
「いいのっ、下の名前で呼んじゃうもんっ」
雫玖はぎゅうっと、燐の右腕を抱きしめたのだ。
「う、うぅん……」
身に受ける、女の子の柔らかな感触。たとえブレザー越しであっても、それはよく感じた。いくら同性ではあっても同い年に密着させられた経験は、燐はなかなか思い出せない。
燐はやり場のない羞恥を顔に浮かべ、どうしたものかと視線を右下に寄せるも、
「んん……まあ、これからは企画委員で絡むことも多いから、……よろしく、出雲さん」
「しずく!」
「よ、よろしく……、し、……雫玖」
雫玖は無垢に笑って、
「うん、よろしくね燐」
そのピュアな顔が、燐の心を底から揺さぶった。
(うぅ……ペースが乱れる……)
頭の中はモヤモヤとした何かがグルグルと渦巻く。ここまで他人のペースに乗せられることは滅多にないから? 他人との関わりが薄い彼女だから、それは当たり前のことだけれど。
だけど、
(まぁ、悪い気分は……しないわね)
◇
ガラリと生徒会室の出入扉が開き、
「やあ」
シルエットを現したのは黒髪ロングの男子高校生、佐久間導寿。
「うわ、ビックリした」
近頃は接し始めているとはいえ、やはりその異質な見かけには慣れていないのか、雫玖はビクッと肩を揺らした。
そんな雫玖とは対照的に、燐は優雅にコーヒーを口に含み、
「こんにちは、佐久間くん。こんな時間でもちゃんと呼び出しに応えてくれるのは偉いわね」
「面倒な宿題を図書室で片付けててね。宿題は持って帰りたくないし」
佐久間は並んで座る雫玖、燐に対面する形でソファに腰を下ろした。
「ずいぶんと仲良さそうだね。この前とは雰囲気がまるで違うよ」
雫玖は燐の肩にコテンと頭を乗せ、
「お、佐久間にもそう見える? ふふん、燐とはお近づきになれました」
「ほんと、くっつく子ね……。どこまで人懐っこいのかしら?」
「だっていい匂いするんだもん。高級なシャンプー使ってそう」
「シャンプーなら佐久間くんだって同じものを使ってるはずよ。ほら、佐久間くんにはくっつかないの?」
「いや、ちょっとそれは……ね?」
それまでの微笑ましさが嘘のように顔を苦くする雫玖。佐久間はフサァと髪を靡かせ、
「教えてもらったシャンプー使ったら、髪のサラサラ感が増したんだ。ありがとう、秋月さん」
「どういたしまして。どう、出雲さ……雫玖も使ってみる?」
「うん、教えて教えてっ。いっそのこと私も髪、伸ばしてみようかな?」
「ショートが似合ってるわよ、雫玖は。私もショートにするなら雫玖を参考にしてみるかも」
「一応ファッション雑誌を参考にしてるんだ。えへ、褒められると嬉しいかも」
そうして雫玖と燐の二人は佐久間の入室前と同様、共同で作業を再開。沈黙が流れることはあまりなく、軽いやり取りを含ませながら作業をする。
さて、どうしたものかと手持ち無沙汰の佐久間は考える。そもそもボクはどうしてここに呼ばれたんだっけと、砂糖とミルクっ気の薄いコーヒーを喉に通しつつ悩んでいると、
「そういえば雫玖にはまだ教えてなかったわね、私と蒼斗の関係」
「うん、まだ知らない」
動きを止めた雫玖、燐には顔を向けない。
燐は躊躇うように開きかけた口を一度閉じたが、それでもおもむろに開き直し、
「大した関係ではないわ。ただ、小学生前からの幼馴染だけってはなし。親同士、付き合いがあってね」
「へぇ、そうなんだ。……つっ、付き合ったことは……ないの?」
「そこは安心して。私たちはまだ友達の……延長線上と言ったところかしら? だから雫玖は蒼斗にアタックができる、その資格がある」
「うわっ、勝者の達観みたいな言いっぷり! 幼馴染属性は敗退フラグって聞いたことあるから安心はできるけど……」
「あら、それは健全なラブコメに限ったハナシよ。アダルトなコミックやゲームを持ち出せば、幼馴染はしばし主人公と結ばれているけど?」
「アダルトコミック……ゲーム? それって……? えっ、なんでそんなの知ってるの!?」
「読んじゃいけないかしら? 今時の女子高生はエロマンガくらい読むわ」
「ボクは聞いたことないよ」
「私も初めて聞いたんですけど! てことは、燐はその……蒼斗くんと……うーんと……その、肉体関係に持っていきたいとか考えてるの?」
「生々しい言い回しはやめてくれる……? 女子高生らしく『ヤる』とでも言えばいいのに?」
「いっ、言えるわけないでしょ!? そんなこと言う機会、あんまりないしっ!」
「ゼロではないのね……」
燐は柔らかな背もたれに細身を預け、
「今の私は、蒼斗とそんな関係になることは……どうだろう? そうしたい、と思ったことは……あまりないかも」
「そっか……、ちょっと安心したかも」
だが――……、
「だからって……無理だよ……っ」
「ん、何か言った?」
「あっ、うんん! 燐の言うことにビックリしたもんだからっ。てゆーか男子の前でする会話じゃないよね、今の!」
「男子? あ、佐久間くんがいたっけ?」
「ボク、秋月さんに呼ばれたんだけど? で、これから何をすればいいのかな」
「そうだったわ、失礼。佐久間くんには雑用をやってもらうわ。なあに、実行委員のお仕事が先回しになっただけよ」
そうして燐は洛桜祭に関した生徒会の職務、雫玖は燐のお手伝い、佐久間は雑用を済ませてゆき、
「今日は協力ありがとう。それじゃ、帰りましょうか」
燐は施錠を施し、雫玖と並んで廊下を歩んでゆく。そしてその後ろを付いていく佐久間。
背後からしか伺えないが、二人の同級生は仲良さそうに接し合っている。流石にお互い距離感は気にしているが、それでもこの日できあがった仲には見えない。雫玖の功績であろう。
廊下からはオレンジの光が差し込む。人影の薄い廊下の先も、黒味が掛かっていた。
ふと、佐久間は二人を見て思う。
出雲雫玖と秋月燐が結びついた今、あの小清水蒼斗を交えた関係はいったいどうなるのだろうか、と。それが原因で彼女らの仲が拗れるのは、正直あまり見たくない。
そして同時に、一人歩む佐久間導寿ははからずも思った。
――――――この二人を前にした自分の存在意義とはいったい何なのだろうか、と。
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