1-7

 心いっぱいに広がる緊張で、胸が張り裂けそうになる。柔らかな胸にそっと手を置けば、ブラウス越しであってもドクン、ドクンという心音が体内に響き渡った。


「落ち着け……、落ち着け私……」


 近ごろ訊き出した携帯用のメールアドレス宛には、『おはなしがあるから、校舎裏にある大きな桜の木の下に来てください』とはすでに送ってある。

 あとは男子サッカー部の活動が終わるのを待つのみ。


「ちゃんと想いを伝えるんだ……、余計なことは言わない……」


 特別なものは準備していない。してきたのは、心の整理と告白の言葉だけ。


(告白は初めてだけど……、みんなこの初めてを経験してきたんだっ)


 乾く喉を潤すように、無意識に唾を飲む雫玖。ゴクリとした音が、意味もなく周りに響いた。

 そして、その時はついに――――……。


「待たせた。どうした、俺に用があるなんて?」


 想い人、小清水蒼斗が歩み寄ってくる。問うてはいるものの、その男らしい顔立ちは雫玖の心情を感づいたかのように晴れやか。


(ひゃっ、蒼斗くん……!)


 胸は一気に高鳴る。比例するように、身体がいつになく強張る。

 不安を紛らわすためか、雫玖はひ弱に手を口元に添えて、


「あのっ……! 蒼斗くんに伝えたいことが……あって……」


 いつものハッキリとした滑舌はない。声すらも彼に届いているかどうか、雫玖は心配を脳裏によぎらせる。

 それでも蒼斗は爽やかに、ニィと白い歯を見せて、


「おう、聞いてやるよ。焦らず自分のタイミングでどうぞ。待っててやるからさ」


 その優しい一言は、雫玖の心をスッと解してくれた。同時に、この人を好きになれてよかったと、雫玖は心から思えた。

 ふぅ、と呼吸を通して気持ちを整え、告げてみたい言葉をもう一度頭の中で並べて、――――そうして蒼斗を真っすぐ見つめて、


「私、蒼斗くんのことが好きです。――――どうか私とお付き合いしてください!」


 ギュッと拳を握り、彼女は大きな声で告げた。


(……っ)


 拳は頑なに解けない。首筋には玉になった汗が浮く。

 できるなら、「こたえ」は聞きたくない。けれども知りたい――……、相反する思いがぐるぐると雫玖の中を巡り巡る。


「そっか」


 蒼斗は返した。

 雫玖は閉じた瞼に一層の力を込めた。


 そして蒼斗は銀髪をクシャっと握り、薄っすらと笑みを見せ、雫玖に「こたえ」を告げる。


       ◇


 彼の、あの憧れの背がすっかり遠くなった頃合い、


「どうして……。私じゃ……ダメなの?」


 俯き加減で、蚊の鳴くような声でひっそりと呟く雫玖。


「みっともないなぁ、私。一人舞い上がってさ、佐久間を巻き込んどいてさ……」


 内から湧く熱いものを押し殺すために声を絞ってみたけれども、熱は決して留まってくれることはない。やがてその想いは、涙という形となって瞳から零れ始める。


「ぐすっ……うえっ……」


 雫玖は目尻を指で拭い、


「ダッサ……」


 自分を嘲笑うような一言が、歪んだ口から漏れた。自らを傷つけることで拒否された現実を忘れたいから。


「ほんと……っ、私ってダサい!」


 オシャレした栗色の髪を、溢れる涙を空に振りまいて、彼女はもう一度だけ自分自身を傷つけた。

 その時だった。


「カッコ悪くなんかないよ。勇気を出して言ったことは、ボクはすごいことだと思う」


 想い人が去り、代わりに姿を示したのはあの、ひょろりと長細い黒髪ロングの男。


「……さくま?」

「結果的には断られたけど、小清水くんの気持ちを知れただけでも前進だよ」


 男の声を聞くや否や、雫玖は顔を背けて、


「バカ、見んな! こんな顔、恥ずかしくて見せられないし!」

「構わないよ。ボクは気にしないから」

「ぐすっ……んっ、……佐久間のクセしてなにカッコイイこと言ってるの、ばかっ」

「今は断られたけど、まだ終わったわけじゃないよ。世の中には何度も告白して想いを叶えた人たちだっているし」

「…………」


 まだ目元は濡らしつつも、ゆっくりと佐久間に顔を見せた雫玖。すると、くすっと口元を綻ばせ、


「……優しいんだね。外見が蒼斗くんなら私、佐久間と付き合ってみてもいいかも」

「今の外見なら?」

「……ごめん、ノーサンキュー」

「そう」

「こら、少しは落ち込め。私に魅力がないみたいじゃんっ」


 佐久間に歩み寄り、肩を軽く小突こうとした雫玖。だが、それは彼女の言葉の前で遮られる。


「たしかに、今のあなたには魅力が足りないのかもね。それが蒼斗にフラれた要因に繋がったなのではないかしら?」


 目下の佐久間とも違う、第三者の凛とした声。即座に声の方へと注意を向けた雫玖は、その威圧的なシルエットを見るや否や目を丸くし、


「は……、って、どうしてアンタがここにいんの!?」


 ――――秋月燐は黒い髪を指で掻いて、


「あなたは逃げているだけなのよ。真っすぐ蒼斗だけを見ていない。それが向こうにも伝わったのよ、きっとね」

「ハァ? どうして部外者に偉そうなこと言われなきゃイケナイの? ぼっちなクセして指図しないでくーだーさーいー」

「ぼっちは関係ないでしょ。私だって陰から出雲さんを見守ってあげてたんだし、講評する権利くらいはあるわ」

「見守ってあげた? どーゆーこと、佐久間?」


 当然、疑念の矛先は佐久間へと向けられ、


「ボクと出雲さんが一緒にいる場面をたまたま見られてて。そしたら秋月さん、私も手伝いたいって言うから」

「ま、そういうことよ。誠に勝手ながら同級生の恋を応援してあげました」

「応援してあげようって気持ちが全然感じられないのは気のせい? もう、佐久間も佐久間。今回の件は私たちだけの秘密なんだから」

「悪かった。次からは他言しないようにするよ」


 雫玖は独往の女子高生にムスッと目を光らせ、


「さっき私のこと、逃げてるって言ったでしょ? あれ、どういうこと? それと蒼斗くんのこと、さっきから呼び捨てにしてるけど何様のつもり?」

「前者は言葉のとおりよ。イチイチ説明するのも億劫だから、あとは自分で考えて。後者は……ま、言うほどのものじゃないわ」

「蒼斗くんのことはともかく……逃げてる? んー、佐久間はわかる?」


「ボクにも……。勇気あってすごいとしか思わなかったけど?」

「でしょー? ぼっちはコミュ力ゼロだから見当違いなことしか言えないんですー」

「出雲さん、なかなか鬼畜なことを言うね」


 燐はやれやれと息をつく。しかし、


「逃げてるのは……どっちなのよ……ッ」

「……?」


 聞きにくい掠れ声を放った燐を気にした佐久間、しかし、


「なんでもないわ」


 燐は不自然に顔を逸らす。


「それにしてもさぁ」


 雫玖は不思議そうな面持ちで佐久間、および燐を眺め、


「なんでこんな三人が集まったんだろ?」

「あら、それは私が必要ないということかしら?」

「今の一言で性格の悪さが凝縮されてるよね。だから友達ができないんだよ」

「さっきから悪口、『友達ができない』の一点張りじゃない。『だから恋人ができずに友達に置いていけぼりの寂しい寂しい』出雲さん?」

「……いっ、言っていい悪口と悪い悪口があるのがわからないのかなぁ……、ふふふっ」


 飽きることなく互いを貶し合う出雲雫玖、および秋月燐。そしてそんな両者の間に立つ佐久間導寿は二人を、ついでにすっかり影の遠くなったあの小清水蒼斗を眺め、


「なんだか、今日で終わらないのかもしれないね」


 ふと放たれた佐久間の言葉に、雫玖と燐はピタリと口を止め、ほぼ同時に佐久間を見て、


「それ、どういうこと? 説明してっ」

「こんな関係、今日で終わりでいいわ。出雲さんと慣れ合うつもりなんかもうないし」

「こっちだって願い下げっ。ぼっちと一緒だとこっちまでぼっちが移るっ」

「うるさいわねっ。バカと一緒だとこっちまでバカが移るわっ」


 文句を放ち合った二人は、プイッと顔を逸らし合うのであった。


 漠然と、佐久間導寿は考えた。

 本当に今日で、あの彼を含めた『三角関係』は終わらないのかもしれないと。

 そして。

 対照的なこの二人と自分を見比べて素直に思う。



 ――――――本当におかしな関係がつくられたものだ、と。

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