1-4

 ――――放課後。

 雫玖の件は昼休みの時間にすでに済ませたので、今日はもう帰ろうかと簡素な身支度を済ませていると、


「ちょっと来なさい」


 凛とした、棘のある強気な女子の声が佐久間に届いた。


「秋月さん? ごめん、髪は一日で切れるほど愛着がないものじゃないんだ」


 佐久間に勝るとも劣らない滑らかな黒髪ロング、余分を一切排除した端正な顔立ちの美少女、――秋月燐は腕組みをし、見下ろすような態度で佇んでいる。スラリとした体型を際立たせるように。


「髪も生徒会も関係ないわ。個人的な話がしたいから、とにかく私についてきて」

「今、要件を言ってくれると助かるけど」

「いいから付いてきなさい。話は生徒会室でするから」


 昨日にも増した威圧感だ、そう感じた佐久間は仕方なく、燐の要望を聞き入れることにした。

 あの狭い生徒会室に着き、ソファに対面同士座るや否や、


「昼休み、頭の緩そうなJKと一緒だったけど、あれはいったい何のつもり? というか、あれ誰? あの鳴海愛依なるみめいの取り巻きみたいだけど」

「出雲さんのこと? ボクが誰と歩いていようと秋月さんには関係ないよ」

「むっ」


 燐は正面の男を一瞥すると、やれやれと大人びた息を一つついて、


「蒼斗に何をしたいの?」

「昼のこと、見てたの?」

「チラッとだけね。出雲さん……だっけ? 蒼斗としゃべったあと嬉しそうにしてたから、きっと蒼斗のことが好きなのね。さしずめキミは、蒼斗の情報を吐くための置物と言ったところかしら」


 推理小説の探偵よろしく、得意げに話してみせる燐。が、


「半分違うね。ボクは出雲さんの恋を手伝ってるんだ」

「…………」


 燐は唖然茫然と佐久間を見て、


「え……、それってつまり、恋のキューピットってこと? うわ……。例えてみるとキミって、全身黒のタイツを着たバイキンって感じがするし……」

「すごい例えだね。そんなにおかしいかな、ボクがその役目を担うのって」

「おそらく、十人中九人くらいが私に同意するはずよ」


 燐はスルリと腕を組み、おもむろに目を狭め、


「恋……ね。恋……か。まったく……、リア充な響きがしてムカツク」

「秋月さんは告白された経験ないの? ファンクラブもあるほどだし、多そうだけど?」

「経験はあるわ。まあでも、付き合いたいと思うようなのはいなかったし。キモイのは論外として、ウザそうなのが多くて。ま、付き合ってもいいのは蒼斗くらい――……、今のは聞かなかったことにして」

「……? 小清水くんと知り合いなの?」

「いい? 聞かなかったことにしてっ」


 と、顔を近づけて忠告する燐ではあるが、やがて彼女はやりにくそうに頬、および眉をわずかに動かし、


「いわゆる幼馴染って関係かしら……。親同士が仲良くてね、小学生になる前からよく遊んでいたのよ。まさか高校でも一緒になるとは思わなかったけど」


 ふと彼女は、窓辺を向く。上階からではあるが、男子サッカー部の活発的な姿が伺えた。


「成績優秀でスポーツ万能、おまけに顔も性格もいい。昔は気にしなかったけど、中学から差を感じるようになった。どうして私なんかと平気で一緒にいられるんだろう、って」

「え? 秋月さんも小清水くんに負けないくらい――……」


 しかし佐久間が言い出す手前、燐はテーブルの隅に置いてあった書類を手に取って、


「忘れてた、野球部の部費調整がまだだったんだわ。悪いけど、続きは校内を巡りながらにしましょう」


 帰っていいわよ、という一言ではないことを受け止めた佐久間は、どうしたらいいものかと悩んだものの、結局は燐に付いていくことを決めた。


 昇降口を抜け、燐の用事の先である野球部の部室に向かう最中、


「佐久間くん、何かを言いかけてたわね」

「えっと、秋月さんも小清水くんに負けないくらい優秀じゃないのかって言おうとしたんだ」


 すると燐は、大人びたようにほくそ笑んで見せ、


「品行方正、唯一無二の美貌、おまけに一年生ながら生徒会副会長という優秀な肩書き。ふふっ、これほど天から恵まれた同級生はなかなか見当たらないものね」


 口元を薄っすら伸ばしたまま、平行する佐久間を捉え、


「でも、どうかしら? 私の本当なんて、いったいどれだけの人間が知っているのでしょうね?」

「ボクも噂でしか聞いたことなくて」

「そう。じゃあ、佐久間くんの中では優秀な私が息づいてくれていればそれでいいわ」


 彼女は目元に掛かる髪を指で払って、そっけなく言う。仕草、言葉遣い(たまに怪しいが)、気品のある顔立ち、その点さえ踏まえれば、彼女が優等生であることは間違いないだろうが。

 と、その時、


「ん、これは?」


 校舎裏、生い茂る草の中、ボロボロになって捨てられた一冊の雑誌を発見した燐。彼女はそこに寄り、腰を屈めて雑誌を手にすると、


「よくこんなもの、学校に持ってこられるわね。卑猥物は生徒会役員として見過ごせないわ。先生に報告して身だしなみ検査の強化ね」


 言葉のとおり、生徒会関係者としての顔で雑誌をパラパラと拝見する燐。佐久間も覗くと、どうやらそれは18禁のコミック雑誌らしい。

 しかし、


「それにしても『快楽天国』とはイイ趣味してるじゃない。メジャーに拘らない姿勢は評価してあげてもいいわ」


 生徒会副会長としての顔は残しつつも、達観した笑みで燐は雑誌を捲り続けている。


「好きなの、そういう雑誌? それ、男性向けだと思うけど」

「いいじゃない、女だろうが男だろうが。ちなみに私の好みは高校生モノよ。非日常を味わう彼女らに自分を重ねる……。アダルトコミックの良さね。中学時代は蒼斗にも勧めてあげたわ」

「出雲さんが聞いたら怒りそうだね」


 用を済ませていない手前、雑誌の持ち運びは難しいので、ひとまずそれは放置したまま、燐は要件を済ませに行く。そうして部室を訪れた燐は、キャプテンとマネージャーを交えての話し合いを済ませ、


「待たせて悪かったわね。帰ってもよかったのに」


 ポケットに仕舞っておいた時代小説を読みつつ暇を過ごしていた佐久間、


「構わないよ。それに秋月さん、ボクに話すことがまだありそうだったし」

「話すこと、ね。……そうね、少し話し足りないとは思っていたわ」


 校舎に戻る中、燐は軽く目線を上げて、


「恋なんてリア充がするようなものだし、私やキミにはかけ離れたイベントよ、しょせん。ラブコメだろうがエロコメだろうが、私には物語の世界でしか経験できないもの」


 どうしたのだろうか、唐突に。佐久間が思う中、燐は、


「恋なんてどうでもいいって格好つけてるけど、ひょっとしたら心では望んでいるのかも」

「言ってることがよくわからないけど?」

「独り言よ」

「そう」

「蒼斗はいい人よ。どこにもいない特別な人」


 どこか懐かしむように燐は口にして、


「佐久間くん、たしか出雲さんの恋をお手伝いしているそうね」

「そうだけど?」

「なら、私も協力してあげるわ。同級生には悔いの残らない恋をしてほしいものね」


 言葉とは裏腹にクスッと唇を歪めるその面付きは、協力的とはとてもじゃないが思えなかった。

 燐のほうも佐久間の顔で察したのか、


「安心して、邪魔はしないから。ただ、見届けたいのよ。成功だろうが失敗だろうが、恋の結末をね」

「手伝ってくれるなら助かるよ。だけどそのことは出雲さんに言わないでおく。そっちのほうが出雲さん、やりやすそうだし」

「そうね。じゃあ、今日はここで別れましょう。さようなら」


 言いたいことはすべて言い終えたのだろう、燐は別れのあいさつを切り出す。

 けれども最後に一つ、彼女は佐久間を見ないまま、果てしない先に沈む夕日に向けるように、


「たぶん、告白は失敗するでしょうね」

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