第2話 三分間の自習


『第二種緊急警報発令。繰り返します、第二種緊急警報発令。十四時三十五分。中央区オフィス街において、大型怪獣が出現。本校は安全圏にあるため、各クラスはそのまま授業を続行してください。繰り返します、そのまま授業を続行してください』



 黒板の上にあるスピーカーが「ブツッ」と音を立てて静かになった。


「あーあ。授業続行だってよ」


 クラスメートの大半は不満顔である。皆、口々に不平を漏らしつつ席に戻った。僕もまた傾いた机を直し、あらためて黒板を見る。すると教壇に立つ僕らの担任、柊 三郎教諭の手は震えていた。


 これから寒い時期を迎えようというのに、いまだワイシャツの袖を捲り上げ、鍛えぬかれた前腕をさらしていくスタイル。


 まるでプロレスラーのような体躯と、清潔に刈り込まれた黒髪と。

 広い背中から感じる安心感は、他の教師たちとは比較にならない。


 そんな彼の板書の手が震えている。ついさっきまで心地の良いリズムを刻んでいた白いチョークが、ガガガガッという不快な連続音を立てているのだ。


 一見するとおかしな光景である。

 でも僕らにとっては、ある種これが日常なわけで。


「先生? お加減でも悪いのですか?」


 クラス委員の杉原ゆかり がそう言った。

 震えるチョークの手が止まる。


「そ、そうだなっ。今日は朝から腹の調子が悪くて……」


 振り返った先生の顔は、どこかホッとしたような印象があった。黙っていれば強面とも言われがちな表情を破顔させ「いやーまいったな」と棒読みしながら頭を掻いた。


「トイレ行ってきたら?」


 今度は桧山 蒼汰だった。

 腰履きにしたスラックスからは今日もまたトランクスが見切れている。


 先生は待ってましたと言わんばかりに顔を紅潮させる。

 ちょっとうわずりながら「そ、そうか? じゃあちょっと行って来ようかな」と。

 そして僕らが期待する、いつものあの言葉を最後に教室から出て行くのだ。


「じゃあ悪いが、三分間だけ自習をしていてくれ」


 決意の込められた横顔に、クラス全員が魅了される。あの雄々しい背中が、教室のドアをくぐり抜けて行くのを見送って、僕らはまた誰からともなく窓際へと集まった。


「来たぜ!」


 桧山がそう叫び、僕はスポーツバッグの中から私物のハンディカムを取り出した。


 窓越しにレンズを向けるのは、怪獣の出現したオフィス街。モニターに映っているそれは、巨体をゆっくりと揺らしながらビルの森を我が物顔で徘徊している。


 赤レンガのようなくすんだ紅の身体に岩のような肌。

 博物館で見るような恐竜の標本とも違う、圧倒的なリアル感。一体、なにを食べたらそこまで育つのかという剛腕を振り上げて、次の標的になるだろう新たなビルへと迫っていた。


 その時である。


 モニターの画角の外から、もう一条の光が現れた。

 光は地上に近づくにつれてそのカタチを変えていった。そう人の姿に。



 ”僕らには公然とした秘密がある”



 突如として現れた巨人は、振り上げられた怪獣の腕を掴むとそのまま背後へと引き倒した。しかしなるべく地面への接触を避けるために、自らの膝の上で怪獣の巨体を受け止めている。巨人はその体勢のまま、空いている方の腕を振り上げ、怪獣の頭部にエルボーを叩き込んだ。一回、二回、三回と。


 地味にダメージを蓄積していく怪獣だったが、一瞬のすきをついて巨人のホールドを振りほどいた。

 ビルの森に対峙する二体の巨大生物。そのうちの一体。


 それは――僕らの担任の先生。柊 三郎その人である。


(つづく)

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