第5話 婚約話、極まる

 顔が怪訝けげんに歪む。少し時間を作って会いたいのならも角、家族揃っての食事の席に誘うというのは妙だ。


「私のことは内緒にしておかなきゃいけないんでしょ? 変じゃない」


 王族の晩餐ばんさんなのだ。半ば公式の場と言っても差し支えない。言うまでも無く、かなりの人の目に触れることになる。


「お父様とお母様は、お姉様を本当にお嫁さんにって考えていらっしゃるのかも!」

「ユリア」


 手を合わせ、夢見心地で発言したユリアは兄に軽く睨まれて首をすくめる。


「理由を聞いてもはぐらかされた。口では、久しぶりにお目にかかりたい、なんて言っていたけどな」


 完全な本心でないことは想像が付く。きっと何かしらの裏はあるだろう。しかし、それを鑑みてもセクティアにとって悪くない話かもしれない。


「嫌なら無理強いはしない。どうする?」

「行くわ」

「即答かよ」


 面倒ごとを避けたくてげんなりしているスヴェインの向かいで、彼女は意気揚々と立ち上がり、拳を強く握り締めた。


「上等じゃない。この勝負、受けて立つ!」

「いや勝負じゃないし」


 火がついたらしいセクティアの耳に、幼馴染みの冷静な突っ込みが届くことはなかった。



 かつかつ、と硬質な床に靴音が鳴る。並々ならぬ意気込みを見せるセクティアも、「勝負ではない」と言ったスヴェインも、この会食には緊張を抱えて臨んだ。


「どうぞ、お入りください」


 ぎいぃ。白い扉を両脇に控えた者達が開け、中へと促してくれる。手前から奥へと伸びた長テーブルには落ち着いた色の布がかけられ、席毎にナイフとフォークの用意がなされている。

 すでにユニラテラ王家の面々は揃っており、最奧の二席には勿論、国王夫妻の姿があった。すぐ脇ではスヴェインの兄、ジェライド王子も席についている。


「フリクティー王国王女、セクティアと申します。このような席に呼んでいただき、光栄に御座います」


 セクティアは凜とした口調で言い、くるぶし丈のスカートの裾を指でつまんで浅くお辞儀してみせた。


「うむ」

「まぁ、素敵になられて」


 感嘆を上げたのは王妃サリスであった。豊満な胸にほっそりとした腰という抜群のプロポーションを、レースがふんだんにあしらわれたドレスで飾っている。


「とてもお久しぶりにお会いしますね」


 王妃はふふ、と柔らかく微笑む。妙齢の女性特有の色香を漂わせながらも、色白でしわの少ない顔を見る限り、三人もの子どもがいる母親には思えない。


「はい。随分とご無沙汰を致しました」

「さぁ、どうぞ席に座って」


 失礼しますと断り、セクティアは侍従が椅子を引いた席に腰を下ろす。テーブルには右奧からジェライドとスヴェイン、左奧からユリアが座り、その隣にセクティアと続いた。


「ユリアがどうしても貴女のお隣が良いとダダをこねましたのよ」

「お、お母様! それは言わないでってお願いしましたのに!」


 少女は我がままと思われるのが嫌なのか、上擦った声で叫んだ。初対面の印象は良いものではなかったけれど、こうして年相応の膨れ面を見ると微笑ましい気持ちになる。


「あの……」

「何かしら?」


 じきに食事が運ばれてくる。昼食と違って、一品ずつ出てくるはずだ。そうなる前にセクティアには確かめておきたいことがあった。


「何故、私をこの席にご招待下さったのですか?」


 ずばり切り出され、成り行きを見守っていたスヴェインが目蓋まぶたをぴくりと震わせる。実はこの場面でのセクティアの美しい振る舞いに驚かされていたのだが、なんとか周囲に悟られないように自らを律し続けていた。


「この度の私の軽はずみな行動で、貴国にご迷惑をおかけしていることは自覚しております。非常に申し訳ないことを、と……」

「事情はお聞きしていますわ」

「誓って、国境を侵し、皆様のお心をわずらわせようとしたのではございません。もしお疑いなら」


 セクティアが真面目くさって一世一代の芝居を披露していると、くすくす、という笑い声が聞こえ、はっと息を止めた。王妃がこらえきれずに笑っていたのである。


「笑ってしまってごめんなさい。そんなに固くならなくて良いのですよ。私達は貴女を疑ってはいませんし、ましてフリクティーに要らぬ嫌疑をかけるつもりもありません」

「……?」

「貴女が私の息子に婚約を申し入れたと聞いて、将来お嫁さんになる人なら是非会っておかなくては、と陛下とお話していましたの」


 王妃は隣の国王に、ねぇあなた? と視線を送り、国王も深く頷いた。

 王はこれまで静かに二人のやり取りを見守るだけだったが、スヴェインに良く似た緑の髪と瞳の大柄な男性である。何も言わずに座っているだけで存在感があり、威厳がにじみ出ていた。


「お、お待ち下さい!」


 焦ったのはスヴェインだ。食事の席ゆえに立ち上がるのは堪え、拳を握りしめている。


「父上、母上も。先程ご説明申し上げた通り、結婚の話は誤解です。セクティア姫にはフリクティー国王がお決めになったお相手がいらっしゃるのです!」


 王妃は両手を合わせて一段と笑みを深めた。美女の笑顔には人の心をとろけさせる魅力があるが、ある種の威圧感も備えているものだ。


「では、ユニラテラからも正式に婚約を申し入れましょう。そちらのお話は、まだまとまったわけではないのでしょう?」

『えっ?』

「まぁ、本当ですの? お母様」


 さらりと言われ、二人とも口を開いたまま固まってしまった。自分から言い出したはずのセクティアでさえ、急転直下の展開に目を白黒させるしかない。喜々としているのはユリアだけだ。


「あ、兄上もなんとかおっしゃって下さい。このような婚約がまかり通るはずがないでしょう!」


 スヴェインは弱り果て、隣に座っている兄王子に助けを求めた。セクティアも改めてジェライド王子に目を向ける。流れるような長い髪とゆったりとした装い。昔に感じた線の細い印象から少しも変わってはいない。

 前髪で片目が隠れているけれど、次期国王に相応しく余裕のある微笑みを浮かべている。


「いいじゃないか」


 唯一変わって感じられたのは、その低く通った声だった。まさに為政者が持つべき資質の一つである。


「兄上!?」


 弟の声は悲鳴に近い。彼にしてみれば味方を失い、万事休すと言ったところなのだろう。そんな慌てふためくスヴェインを諭すように、兄は自分の意見を話して聞かせた。


「セクティア姫の人となりは、昔数度話をしただけだが理解しているつもりだよ。明るくて華があり、自らの意見をしかと持ち、こうして礼儀もわきまえておられる。何が不満なんだい?」

「ぐっ」


 こんなに可愛らしいお嫁さんを迎えるというのに、そんな態度は失礼だ。兄はそう諭したが、弟は口をへの字に結んで暫く黙り込んだ。

 それは、セクティアに「結婚の何が嫌なんだ」と問うスヴェインそのものだった。まさか、たった数刻で立場が逆転してしまうとは。


 ただし、全くの一緒というわけでもない。水面下では「そのセクティアの評価には大いに異議あり」とぶちまけてしまいたい願望とも戦ってもいた。

 給仕係がワゴンを押して入室し、食事を並べ始める。かちゃかちゃと食器が立てる音だけが響く中、家族にやや重い沈黙が流れ、彼はようやく口を開いた。


「……姫のお人柄が嫌なのではありません。ただ、納得がいかないのです。あまりに急ではありませんか」


 最後の方は兄ではなく、両親に向かって投げかけた疑問だ。

 これもまたセクティアが結婚を嫌がった理由の一つであり、自分がその立場に立たされて初めて共感出来たことだ。確かに、非常に戸惑うものである。


「よもや、以前からそのようにお考えだったのですか?」


 それにしても、いくら顔見知りといっても、突然転がり込んで素っ頓狂とんきょうな事を言い出す女を「じゃあ」と嫁に貰う国があろうか。話が何の障害も無く進んでいることに疑問を抱かない方が馬鹿だ。

 王妃は笑みを消し、瞳に強い光をたたえながら王子に問いかけた。


「それでは、政治を考慮した上の判断だと言えば、貴方は納得するかしら?」


 スヴェインは目を見張る。今目の前にいるのは母ではなく、一国の統治者の妻だった。


「フリクティーが大国と姻戚いんせき関係を結ぶことは、我が国にも影響が及ぶ問題です。両国のバランスを考えれば、ユニラテラも名乗りを上げるのは自然の成り行きでしょう」

「それはっ」


 王妃の口調には淀みが無い。セクティアの前で国策を暴露するのもどうかと思うが、その本人は目まぐるしく次の手を考えていた。


「ということは」


 ぽつり、と王女が漏らした呟きに、全員の注目が集まる。


「私がユニラテラに嫁ぐことは、この国の利益になるのですね?」

「えぇ。フリクティーにとっても、大国との姻戚関係に勝るとも劣らない良き話だとお約束します」


 軍事力のある隣国との強固な繋がりは、遠くの大国との繋がりに匹敵する価値がある。王妃のその話を聞き、セクティアははっきりと宣言した。


「でしたら、是非参ります」

「なんだって!?」


 この瞬間、未来の夫が確定してしまった幼馴染みは、とうとう立ち上がって叫んだ。ナイフの柄に手が触れて、カーンという音と共に床に転がっていく。

 未来の妻はにこりと笑いかけた。


「これからは良き伴侶として、よろしくお願い致しますわ。スヴェイン様」



 フリクティーに事が告げられたのは、それから三日と経たないうちであった。王女が失踪し、騒然としていたところへ、ユニラテラ国王のサインが入った正式な書面が届けられたのだ。

 城内は上へ下への大混乱に陥った。


「これは一体どういうことだ?」

「ユニラテラの策謀か?」

「姫君はさらわれたのでは――」


 様々な憶測が飛び交い、主だった臣下達が集まった会議場に嵐のようなざわめきが走る。


「静まりなさい」


 たった一言だけの、小さな指図だった。それだけで、全ての音という音が遮断された。


「陛下の御前です。場を弁えなさい」


 数人の口から呻き声が漏れたが、異論を唱えようとする者はなかった。王の隣に立つ女性――王妃の通った声と、その鋭い眼光にさらされては仕方の無いことである。


「何を騒ぎ立てる必要があるのです。あろうことか国を飛び出した王女を、ユニラテラは穏便に保護して下さったのですよ。その上、王子と婚約をとは……こちらとしても願っても無い話ではありませんか」


 痛いほどの沈黙が場を支配していた。その中でおずおずと発言したのは夫である国王ダニエルだった。


「しかし、かの国にはどう返事をする? 要求を蹴るのかと責められたらどうするのだ」


 王はセクティアと同じ青い瞳を細め、椅子に深く腰掛けている。その佇まいに貫禄かんろくはあるが、言葉に含まれる動揺を隠しきれてはいない。


「要求ではなく打診です。どうせ、姻戚関係を結ぶことであわよくば我が国の食材を安く輸入出来ないかと、探りを入れてきたのでしょう。それに引き替えユニラテラは隣の国。幼少時から国家間で交わされていた婚約だと言えば良いのです。こうなることを見越し、顔合わせもさせていたはずです」


「だ、だが……」

「大国からの報復が気になるなら、せいぜいお詫びの品でも送って御機嫌取りしておくことですね。あぁ、貴方、品を見つくろっておきなさい。後で私が確認します」

「はっ」


 早々に側近に出す王妃ベルの態度には一貫して揺れがない。細身に空色の髪が映えるこの女性こそ、フリクティーの実権を握る人物であった。


「それより早く使節を。事は急を要します。時間をかけるほど、周囲は疑いの色を濃くするでしょう」


 臣下一同は深々とこうべを垂れ、「おおせのままに」と声を同じくした。そのため、王妃の満足げな微笑みを見たのは王だけであった。

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