第6話 王子の憂鬱

「これは陰謀か? 策略なのかっ!?」


 自室で頭を抱えていたのは、花婿になるのが決定してしまったスヴェインである。

 セクティアが転がり込んでから経つこと数日。「快く承る」とフリクティーから返事が届いたのだ。国同士の、それも婚約の申し入れに対する返事としては異例の速さだった。


 彼は先程王妃からこの話を聞き、大股で帰ってきたところだった。日もまだ明るく、爽やかな風がレースのカーテンを膨らませては引いていく。


「正式なご婚約、おめでとうございます。スヴェイン様」


 入口に控える側近シンが、にこやかに祝福を述べた。その両手には高価な織物や宝石が抱えられている。

 噂を聞き付けた国中の貴族から祝いの品が続々と届けられているのだ。その範囲が国境を越えるのも時間の問題だろう。


「贈り物は保管しておく場所を確保しておきましょう。後程ご自身でも確認なさって下さい。返礼をしなければなりませんから」

「こんなに早く、どこから漏れたんだ? いや、考えるまでもないな」


 どこからではない。噂を既成事実にしてしまえとばかりに、両親が情報操作したに違いないのだ。広まってしまえば相手国も断り難くなると踏んだのだろう。


「全く、油断も隙もあったものじゃない。くそっ」


 王子は弾かれたようにきっと振り返った。ここのところ、心労からくる不眠で目がやや充血気味だ。


「上っ面はよせ。お前はどう思うんだ? 本当にあれが俺の妻になるなら、お前にとっても他人事では済むまい」

「『あれ』などとおっしゃって……。一国の姫君ですよ」

「ふん。どうせ俺とお前しかいないんだ。見逃せ」

「仕方のない方ですね」


 シンは幼い頃から行動を共にしている人間であり、腹心とも呼ぶべき側近だ。スヴェインがセクティアと結婚すれば、彼女にもシンが細やかに心を砕かなくてはならない。いわば第二の主人となるのだ。


「そうですね……」


 彼はやや逡巡しゅんじゅんし、主の命令通り自らの考えを語った。


「確かに、あまりに話がつつがなく進み過ぎのような気は致します。もしかすると、以前からの計画だったのかもしれません」

「やはり、お前もそう思うか」

「それに――」


 ばたーん! そこで扉が勢いよく開けられたために会話は中断され、現れたのはまさしく話題の人物だった。


「スヴェイン、探したわよ~。このお城広すぎ。辿り着くだけでも一苦労よ」

「……ノックくらいしろよ」

「あはは。ごめんごめん」


 謝罪を口にしながらも、ちっとも悪びれている様子はない。謝罪の舌の根も乾かぬうちに、シンが抱える品物に気付いて「わぁ、何それ」と目を輝かせている。

 その変わり身の早さに、スヴェインも毒気を抜かれてしまい、文句を付ける気も失せてしまった。


 彼女にとってはあの会食の席で見せた淑女然とした姿こそが異常なのだ。

 あれからも幾度となく家族との食事や会話に招待されているが、今のところ国王夫妻と兄王子の前でだけは礼儀正しい態度を崩していない。


「……今のところは、な。どうしてこんな有様でバレないのか本当に謎過ぎる」


 シンが荷物を脇に片付け、会釈えしゃくして退出する。去り際に「ご用がございましたらいつでもお申し付け下さいませ」と口を添えるのも忘れなかった。


「それで? 何か用か?」

「うん……」


 けれど、セクティアは続きをなかなか口にはしなかった。何やら言いにくいことがあるらしく、直情型の彼女にしては視線をキョロキョロと彷徨さまよわせている。


「どうかしたか? この城の暮らしで何か不足が?」


 認めるまでには至らずとも、一応は婚約者であり、隣国の王女殿下だ。不平や不満を感じさせる訳にはいかない、最上級の賓客ひんきゃくには違いない。


「ち、違うの。私、ここ気に入ったよ。みんな優しくしてくれるし、食事も美味しいし。頑張って良い妻にならなきゃね」


 すぐには無理そうだけど、と困ったように笑いながら頭の後ろをかいている。そんな表裏のない彼女に、スヴェインが安堵を覚えているのは確かだ。自国の城を褒められたことも素直に嬉しい。

 せめて、もっと時間をかけてゆっくり関係を築いていたなら、戸惑わずに済んだはずである。


「……なんでこんなことになったんだろうな?」

「こんなことって、結婚のこと?」


 騒動の種を蒔いた張本人のくせに、彼女はきょとんとしている。自分を見上げる精神的に幼い妻候補を眺め、スヴェインは首を捻った。


「お前は自由になりたかったんだろ? それなのに進んで婚約するなんて、どう見ても、真逆の発想じゃないか」

「いやーねぇ」


 セクティアはからからと笑って手を振った。


「私だって、お城から出て自由になれるなんて甘い考えしてないって」

「嘘付け!」


 スヴェインがごつんと頭をこづいて突っ込む。


「痛っ。何するのよぅ」

「不自由を受け入れた者は、家出なんて暴挙には及ばないんだよ」

「そりゃあ、気ままに生きたいのは本音だけどさ」


 喋り方を見れば、とても厳しく躾けられた令嬢とも思えない。セクティアは膨れっ面のままぶつぶつ呟きながら窓を押し開き、テラスに出た。


「このドレス、本当に素敵ね」


 くるりと振り返ると、王妃が彼女にと選んだ淡い色のドレスの裾がふわりと風にひるがえる。今回は急な訪問だったために着替えの準備があるわけもなく、王妃が昔着ていたドレスを貸し与えたのである。


「ユリアが大きくなったら仕立て直して譲るからって、わざわざ残してあったものだからな」


 一国の王女に他の貴族のお下がりや、まして侍女のお仕着せをあてがうわけにもいかず、苦肉の策だ。幸い二人の背丈はほぼ同じで、着こなすことが出来た。

 少し流行遅れで、生地のくすみがあったりしたが、セクティアにはやがて義理の母となる王妃の心遣いが嬉しかった。


「うん、聞いた。ユリアちゃんには申し訳ないことしちゃった」

「いや、あいつはお前のお下がりが着られるって喜んでたぞ」

「そうなの? なら有難く着させて貰おうっと。あ、じゃあ今度は私の服をプレゼントしようかな」


 王族の着衣は一品一品がオーダーメイドで作られる芸術品だ。何人もの職人がデザイン構想から本縫いに至るまで、ものによっては数か月がかりで縫い上げる。もちろん、資金もふんだんに投入される。

 けれども、どんなに素晴らしい服も着られなくなることがある。代表的な理由が子どもの成長だろう。そんな時は親しい相手、たとえば下の兄弟姉妹に譲るのだ。


「うちは下に弟しかいないから、せっかくカルディア姉様から貰った服も、私が着られなくなっちゃうと譲る相手がいなくて寂しかったのよね」


 各人それぞれ好みがあるので押し付けはいけないが、デザインは城お抱えの職人と相談してリメイクすることも可能だ。

 いっそ、自分でリメイクしたものを贈るのも楽しいかもしれないと、想像するだけでワクワクしてきた。


「確かに、ユリアには姉も妹もいないからな」

「義理の姉妹になることだし、仲良しの証にって感じで。喜んでくれると嬉しいんだけど。あ~でも私のセンスじゃ気に入って貰えないかも……?」


 えへへと笑うセクティアは、もう姉の顔をしていた。そしてもう一度外の景色に目を遣ると、「ねぇ」と呟いた。風に撫でられた髪がさらさらと流れる。


「私が、乗馬が好きなのを知ってるでしょ? 馬も可愛くて好きだけど、あの風を切る感覚がたまらないよね」

「今でも好きなんだな」

「当たり前でしょ。あのね、もしかしたら、大国の妻に収まったって、乗馬くらい許してくれるかもしれない。結婚相手だって、一緒に走ってくれるような人かもしれないなって思ったりするの」


 随分と楽観的である。高貴な女性は普通、馬車に乗るものだ。国によっては女性が外で顔をさらすことさえ、タブーとされることもあるくらいなのに。

 それに淑女の趣味としての乗馬は、高く見積もっても駆け足程度じゃないだろうか。どう考えてもセクティアの望みが叶う道は見出せそうにない。


「……」


 夢に溢れた未来の展望を聞きつつ、スヴェインは婚約者の憂いを含んだ瞳を見つめる。

 自身でも現実を分かっているからだろう。語る内容は「こうだったら」という想像なのに、その暗い瞳のせいで楽しそうには感じられなかった。


「でもね」

「……でも?」


 彼女はふふっと、お得意の悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「もし隣で一緒に走るなら、私は貴方が良いと思ったのよ」


 スヴェインは一瞬言葉に詰まり、言われた台詞を咀嚼そしゃくするように頭の中で繰り返した。そうして意味を悟った時、さっと顔を高潮させた。


「お前、馬鹿かっ!」


 褒めたはずが罵倒ばとうされ、セクティアも怒りをあらわにする。


「馬鹿とは何よっ。せっかく乙女が胸のうちを語ってあげたって言うのに! 男ならここは泣いて喜ぶところなんじゃない?!」

「アホ言え。誰が泣くかっ」

「あ~っ、今度はアホって言った~っ」


 わぁきゃあ金切り声で文句を言い返すセクティアの様子に、男心を理解するつもりは毛頭ないようだ。そう思い至ったスヴェインは、真っ赤になって叫んだ。


「女性からプロポーズされた俺の立場も少しは考えろっっ!!」

「……あ」


 沈黙が降りる。次いで、大声を聞き付けた階下に人が集まり、こちらを見上げながら騒ぎ始めるのが見えた。非常にまずい状況だ。


「何ボーっとしてるんだ。来い!」

「わっ!」


 ごめんを言う時間も与えられず、ぐいと手を引かれて室内に放り込まれる。間髪入れず、彼は出口を鋭く指差し「出て行け」と告げた。


「え、でもまだ話は」

「出て行け」

「……分かった」


 取り付く島もない態度に、セクティアはすごすご撤退するしかなかった。

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