第4話 王女の逆鱗
「ま、待て、セクティア。落ち着けって!」
怒り心頭に発する幼馴染みを、スヴェインが血相を変えて制止した。
「ま、まさかお前、それをユリアにぶつける気じゃないよな? ユリアはまだ子供なんだ。失言は俺が代わりに謝るから。機嫌直せ、な?」
「……」
二人の間に入って必死に説得するも、セクティアはテーブルを振りかぶったまま、体勢を崩そうとはしない。炎が宿ったような、赤みを帯びた瞳でユリアを一心に睨みつけている。
彼は、セクティアの激情家ぶりを思い出していた。じゃじゃ馬娘だった彼女は、熱しやすく冷めやすい性格の持ち主だった。扱いを誤ると大いに腹を立て、怒りをどんな形で表すか分からない女の子だったのだ。
『なんだ、それ』
昔、スヴェインはセクティアを馬鹿にして笑ってしまったことがある。
乗馬の邪魔になるからと滅多に着飾らない少女が、その日は珍しく大粒の宝石がついた首飾りをしていた。
『ふふっ、素敵でしょ。似合う?』
年齢にはやや大人びたデザインの、高そうな首飾り。セクティアは上気した頬で、褒めて欲しそうにこちらを見ていた。
期待の眼差しで見詰めてくる彼女は確かに可愛かった。けれども、当時のスヴェインには常識の無さの方が目についてしまった。
『……似合わない』
大層な装飾を身につけていては集中が乱れて落馬の恐れがあるし、万が一首飾りを草原に落としてしまっては大変だ。
そうきちんと説得すれば理解が得られただろうに、当時の王子はまだ気持ちを抑える術も話術も持ち合わせていなかった。
『え……』
『お前みたいな子どもには、まだまだ早過ぎだ』
こちらの不快感を短絡的に分からせようとした結果、スヴェインは鋭く飛んできた乗馬用の鞭の洗礼を浴びることとなった。
周りが即座に止めに入ったから大事には至らなかったが、でなければきっと血だらけになっていただろう。
『王子、ご無事ですか!?』
『何が……、何で……?』
あの時の痛みと周囲の騒ぐ声。大人に羽交い絞めにされた友達。足元に転がった黒い鞭と、呆然と立ち尽くす自分の影……。
翌日、原因となった首飾りが王妃から娘へ譲られた大事な品だと知らされて反省し、互いに謝罪し和解もした。
が、あの光景は網膜に強烈に焼き付き、長い間、何かの折に思い出しては王子を苦しませることになった。
彼は、はっとして妹に振り返った。
「ユリア、謝るんだ」
「え……。私、何も間違ったことは言っていませんわ。だって、今まさに、この人は野蛮な行為に及んでいるじゃありませんか!」
強情具合では負けていない。怯えながらも、ユリアは発言を撤回しようとはしなかった。常に優しい兄が自分を守るのではなく、謝罪を要請したことに驚いてムキになっているのかもしれない。
「セクティアは自分が貶されて怒ってるんじゃない。自分の故郷を悪く言われて腹を立ててるんだ」
そうだろ? とチラリと目線で確認する。ユリアも「あ……」と呟いたと同時に、膨らんだ怒気が
「お前だって、この国を侮辱されたら穏やかでいられないだろう?」
ユニラテラ王国は、国土は小さくとも屈指の騎士団を
美しい装飾品を売り、隣国に軍を派遣したりして収入を得、代わりにフリクティーなどから食料を輸入して生活を維持している。
セクティアはきっと睨みつけた視線を伏せ、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……確かに、ユニラテラは都会かもしれない。美術品だって刀剣だって、どの国より優れているかもしれない」
段々と声が大きくなり、口調もしっかりとしてくる。
「窓から見える景色だって、人がいっぱいで、高い建物が並んでいて、栄えてる。でも」
ここで一呼吸置く。スヴェインには、もう彼女を止めることが出来ないと分かっていた。
「この国の人達が、貴女が食べている物は、誰が作ったと思ってるのよ! 田舎田舎って馬鹿にして。私の大切な国と民の悪口をこれ以上言ったら、本気で許さないんだからあっ!!」
腕が揺れ、風が起こる。ユリアはぐっと目を
がしゃがしゃっ! と、木で造られた美しい一品が無惨に砕け散る音が響く。
が、その音がしたのは部屋の外、テラスの下からであった。
「……?」
怖々少女が目を開くと、セクティアがこちらを見下ろしていた。息一つ乱さず、さきほどの激情ぶりから一転、静かな怒りの炎を瞳に宿して。
ユリアの背筋を寒気が走った。
「他にも何か投げて欲しい? それとも、そんな田舎から来る物なんて食べられないんだったら、お父様にお願いして、もうこの国には入れないようにして貰いましょうか?」
すっきりするでしょう? とセクティアは言った。その冷たさは、少女の顔から僅かに残っていた血の気を完全に奪い去った。
「ご、ごめんなさ……。ごめんなさい、ごめんなさい」
呆然とした口元から謝罪の言葉が零れる。本物の涙をぽろぽろと溢れさせながら、ユリアは何度も何度も謝った。恐らく、今までこんなに人間の怒気を浴び、恐怖に駆られたことなどなかったのだろう。
「ほらほら。泣くな、ユリア。……セクティア、やりすぎだ」
兄が、うずくまって泣きじゃくる妹を抱きしめ、幼馴染みに釘を刺す。セクティアもようやく我に返った。
「……」
ユリアは大好きな兄を守ろうと攻撃に出た。その手段が悪かっただけなのだ。それなのにセクティアは本気で怒り、仕返しをした。決して大人の振る舞いではない。
「私……」
ぐっと唇を噛み締める。
本心を言えば、怒りはまだ胸を支配している。
「ユリアちゃん、ごめんなさい」
そんなことを望むほど、セクティアは愚かではなかった。努めて刺々しさを消し、なんとか微笑んで語り掛ける。
「私、本当に自分の国の事が好きだから、悪く言われてカッとなっちゃったみたい。言い過ぎた。ユリアちゃんも、この国やお兄さんが好きで、あんなこと言ったんでしょ?」
ユリアが、涙の伝った頬のままセクティアを見上げ、肩を震わせながら小さく頷いた。
「だったら、おあいこ。だから、許してくれない?」
「……食べ物」
単語しか口にしなかったが、きっと「この国への輸出を停止してやろうか」と脅した件について確認したいのだろう。
「あぁ、あれは冗談よ。いくら私が王女だからって、そんなこと出来ないって」
ひらひらと手を振って笑ってみせる。その仕草が面白かったのか、ユリアの顔にも僅かに笑みが浮かんだ。
「……とても、びっくりしましたわ。あんなに怒られたの、生まれて初めてで」
懐から取り出したレースのハンカチで涙を拭い、ユリアが兄の手を借りながら立ち上がる。彼女とて一国の王女だ。無様な姿を晒し続けるのは、プライドが許さないのだろう。
「そりゃあ、ユリアちゃんは優秀そうだから、みんな優しくしてくれるのよ」
「セクティア王女は力持ちなのですわね」
「あ、テーブル投げちゃってごめんなさい。フリクティーに帰れば弁償出来ると思うから」
多分。頭の隅では、最近は癇癪を起こしていなかったから、専ら物の弁償に使われている王女用予算が残っているはずだと計算していた。
ユリアは今度こそ深く頷き、「こちらこそ、ごめんなさい」と正式に謝った。セクティアも、そして傍らで見守っていたスヴェインも、一件落着と胸を撫で下ろす――ところだった。
差し出した手を、小さな手が握り返す。ぎゅぎゅっと、やけに強く。
「こんなに愛国心溢れる素敵な方だとは存じませんでした。流石はお兄様の婚約者ですわねっ」
「……はい?」
さらっと繰り出された賛美に呆気に取られていると、ユリアは瞳を爛々と輝かせて熱っぽく見詰めてきた。
「自国の誇りを守ろうと戦う心! 身を持って示す行動力! 弱者を労わる優しさ! こんな素敵な方がユニラテラに来て下さるなんて……。これで我が国も安泰ですわっ。これから末永くよろしくお願い致します、セクティアお姉様♪」
「え、えぇと……よろしく?」
手を握られたまま、態度の急変にどう対応して良いか分からず体を硬直させる。新手の皮肉かとも思ったけれど、彼女には一点の
「ユリアは思い込みが激しいんだ。だから穏便に済ませようと思ったのに」
あの鳥肌が立つやり取りはそのためだったのかと納得する。まぁ、仲良くなれたなら結果オーライだろう。面喰ってしまったが、セクティアにとっては強い味方が出来た瞬間だった。
「ねぇ、スヴェイン。ユリアちゃんの意識を変えるのは骨が折れそうだし、こうなったら本当に結婚しちゃう?」
「勝手に言ってろ」
「えー」
スヴェインはげっそりした顔で手をぱたぱた振った。それから使用人に命じて新しいテーブルを運ばせ、本当にお茶会をすることにした。
窓から家具が飛ぶという珍事件があったにも関わらず、追求の声はかからない。さすが王宮の使用人と言うべきか、良く
「わぁ、良い香り」
甘い花の香りが鼻孔をくすぐる。出されたのは紅茶と焼き菓子だった。どちらも王家で扱われるだけあって、カップも皿も薔薇の装飾が施されたお洒落な逸品だ。
「うーん、このクッキーも最高。へぇ、スヴェインっていつもこういうもの食べてるんだぁ」
ぱりぱりと小気味よい音をさせながら、およそ模範的とは言い難い食べ方で菓子を頬張るセクティア。そんな彼女をユリアは物珍しそうに眺めていた。
「まぁ、大胆な食べっぷり。お姉様はワイルドな方ですのね。私も見習わなくては」
「見習わなくて良い」
慌てて兄がたしなめる。注意しないと本当に真似をしそうで恐ろしい。
セクティア以上に箱入り娘らしいユリアの周りには、こんな下品さを見せつける人物は居なかったはずだ。兄としてはせいぜい憧れないでくれと願うばかりである。
「他の人の前では行儀良く食べてくれよ」
「分かってるって。任セナサイ」
どんと胸を叩いて、紅茶をぐびぐび
「……って、他の人?」
飲み干してから、ふと気が付いた。セクティアがここに居ることは、どんなに隠してもいずれは周囲に知られてしまうだろう。だが、だからといって大っぴらに出来ることもでないはずだ。
「そういえば、何か用事があって来たんじゃないの?」
シンにこちらへ案内されてから、さほど時間は経っていない。ユリアとの騒動のうちに日は傾きかけているものの、彼と次に顔を合わせるのは早くても夕食後だろうと踏んでいた。
「国際問題になるって話したろ? 国としての対応を決めるためにも、国王夫妻には話を通しておかなきゃならない。フリクティーから要請が来ない限りは沈黙を通すってことについては、了解してくれたよ」
報告された時点で強制送還されていてもおかしくなかったのだから、そうならずにセクティアはほっと胸を撫で下ろした。
随分と話の分かる両親である。それだけ息子への信頼が厚いのだろう。
「お姉さま、良かったですわね!」
「本当にね」
「それで、是非夕食をご一緒したいってさ」
「は?」
さらりと言われ、セクティアは目を点にして聞き返した。彼もそんな反応を予測していたのだろう。今度はゆっくりと、言い聞かせるように話す。
「だから、うちの親が、一緒に夕食を食べましょう、ってさ」
「ええっ、なんで!?」
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